20話 秩父宮ですが、おばちゃんは口が悪い気がします
1937年6月 オランダ アムステルダム
「我が国は、貴国、オランダと350年にも及ぶ友好の歴史があります」
「日本からみれば、イギリスやアメリカとの友好よりも遥かに長い歴史ですね」
「それこそ、アメリカという国が生まれる前からですな」
アメリカか…… 泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず。そう考えると、近代化の波に乗り遅れた、徳川の鎖国体制は弊害だったのかも知れんな。
もっとも、鎖国をしていたから外国との摩擦も少なく、太平の世が続いたからこそ、教育水準の向上や文化的な水準も向上して、それが明治以降における近代化の流れを下支えした面は否定できない。
ふっ、歴史に、『もし』を言っても詮無きことであったか。
「アメリカ人は粗野で好きになれません」
「おや? 現在のアメリカ大統領はオランダ系の移民ではなかったでしょうか?」
オランダ系の名前は、〇〇センやファン・〇〇にデ・〇〇とかが主流のイメージがあるけど、ルーズベルトはオランダ系移民で間違いないはずだよな?
〇〇センは北欧系だったかも知れんが。
「ふん! 我が祖国を捨てて、新大陸に出ていった者など知りませんよ」
「は、はぁ……」
ここは、なんと答えれば良いのやら。私は皇族であって、外交官ではないのだぞ! もっとも、こうして他国の王室と皇族外交なるものはしているのだが。
「それに我が国には、ルーズベルトなどという家名は存在しません」
「女王陛下は手厳しいですな」
ほう? オランダには、ルーズベルトの苗字がないとは初耳だ。女王陛下の愚痴も勉強になるということですね。
「愚痴りたくもなりますよ。それこそ、オランダへの帰属意識も皆無でしょうしね」
「アメリカの大統領ですから、当然、アメリカが一番でしょうな」
200年以上の昔に移民していったのだから、そりゃオランダへの帰属意識を持てなどという方が無理な注文だろう。
「あんな移民だらけで、ごった煮のモザイク国家など欧州の君主制国家からしてみれば、おぞましい国だわ。貴国もそうは思いませんこと?」
「は、はぁ…… しかし、ソ連よりはマシでしょう」
それにしても、このオランダ女王は口が悪いですね。まるで、下町のおばちゃんの井戸端会議に付き合わされている気分がしますね。
いや、私は井戸端会議に参加したことなどありませんがね? イメージ的に、そんな感じがしたのですよ。
「あー、そんな銀行強盗が作った人工国家もあったわね。アレよりかは、アメリカの方がまだマシなのは確かね」
「確かに、レーニン一派は活動資金を調達するために、銀行強盗を繰り返してたみたいですな」
「目的のためには、手段を選ばないのが共産主義者なのよ。貴国もアカには気を付けなさい。アイツらは人の皮を被った獣にも等しい存在よ。その癖、獣よりも知恵が回って狡猾で性質が悪いのが、共産主義者という宇宙人なのよ」
おばちゃんは喋る喋る。これはアレかな? 日頃の鬱憤を晴らしているのか? 君主稼業も大変だとは私も兄を見て理解しているので、女王陛下の愚痴を聞くのも、オランダとの友好親善になる。そう思って、仕事のうちと割り切りましょう。
それに、女王陛下が言っている話の内容は、おおむね間違ってはない。些か言葉に棘があるように感じられるのは、共産主義者を毛嫌いしているからなのであろう。私もアカは嫌いだから、女王陛下の話に共感はできるのですが。
「我が国も反共は国是ですので、肝に銘じます」
「ええ、我々とアカとでは、絶対に相容れないわ。そういえば、長崎の何と言ったかしら? タジマでしたっけ?」
いきなり、話が飛んだな。これは、おばちゃん特有の世界なのか?
「タジマではなくて、出島ですね」
「そうそう、その出島に商館を設置できたおかげで、我が国は儲けさせて頂きましたので、貴国には感謝しておりますのよ」
「徳川の時代、約250年の間は、欧州の貿易を貴国が独占しておりましたからなぁ」
そういえば、オランダ本国が併合されて、一時期は出島にだけオランダ国旗が掲げられていたなどという、笑えない冗談もあったのでしたね。
「ええ、特に醤油は素晴らしい調味料だったと聞いております」
「欧州では、一時期、醤油がブームになっていたと聞き及んでます」
王侯貴族の間で、醤油が持て囃されたとか聞いた覚えがあったな。そう考えると、欧州の調味料、香辛料は貧弱だったのだな。胡椒など大航海時代では、同じ重さの金に等しい価値があったとかなんとか……
「私は好きで、今でも偶に使いますのよ」
「我が国の醤油をですか?」
まだ、醤油を愛用しているとは、それは意外でしたね。欧州の料理で醤油を使った料理など聞いたことはないのですがね。料理の味付けのアクセントとして、醤油を少し垂らして食べるのか? それだと、日本の料理と同じだな。
「それはもちろん当然だわ。醤油は日本産でなければね」
「それでしたら、今度、女王陛下に醤油を届けさせましょう」
「それはありがたいことです」
たかが醤油ぐらいで、女王陛下のご機嫌が取れるのなら安いものだな。しかし、たかが醤油されど醤油。なのかも知れん。相手の胃袋を掴むのは大事とも言うしな。これは、お嫁さんが旦那を捕まえる時の話だったか?
まあ、夫婦も外交も似たようなものなのかも知れんな。
「我が国も、この誼は大事にするべきかと思っておりますので、これからも貴国との友好関係を継続し、さらに発展させていきたいと考えております」
「それには、我が国も同意します。東インドを維持するためには、日本との貿易は必要ですし、殊更、貴国との間に波風を立たせようとは思っておりません」
「東インド産の石油やゴム、すず等の資源は我が国にも必要ですので、我が国も貴国との友好的な通商関係が維持されることを望みます」
「しかし、私が聞いた話によると、貴国は東インドの独立派を支援していると聞き及んでもいるのですが、その辺はいかがでしょうか?」
それは、留学や亡命で来日する人間を、アジア主義者が勝手に支援しているだけなのだといっても、外交上、国際政治上では通用しないのでしょうね……
桜子さんが、
『東インドの独立派を日本が支援している問題は、オランダにとっては看過できないから、絶対に突っ込んでくるよ!』
こう言ってましたけど、その通りの展開ですか……
はぁ~、私は政治家や外交官ではないのだがなぁ。