第2話 標的
クリスタが貴族の令嬢として過ごし始めてから…いや、元々そうだったのだが、前世の記憶を取り戻してからしばらく経った。
彼女は度々問題を起こした。
大貴族の令嬢となれば礼儀作法や社交ダンス、地歴に国際情勢などの一般教養、外国語など学ぶ事がたくさんあり、家庭教師が授業を行う。
しかし、あれから授業をすっぽかして脱走することが多くなり、もちろん屋敷の者は対策したのだが、全て空回りしてしまい、もはや彼女の脱走は日常茶飯事と化してしまった。といっても彼女の地頭はかなり良く、進度に支障をきたすどころか専門的な内容にまで踏み込めるようになったが。
彼女は脱走してこの世界のことを調べていた。前の世界との相違点や単純に気になったことなど、旧クリスタの知識の中になかった事を調べた。大人に聞くという手もあったが、百聞は一見に如かず。それに、聞くだけではどうしても情報が偏ってしまうので、実際に自分の目で見て確認する必要があった。
例えば屋敷の人間に貧富の差などを聞いても、富の方はよく分かっても貧しい方はよく分からない、いや、知らないだろう。知ろうとしなければ知る機会もないので当然といえば当然だ。
そして、前世の自分の必需品も作っていた。幸いこの世界の文明は近世レベルだったので、材料にはあまり困らなかった。
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いよいよローデに出発する日がやってきた。大きくて立派な、まるでシンデレラが乗るような馬車に乗ってヴィッテル公爵一家は領地の屋敷を後にした。
大貴族の馬車となると外面的にも、敵から守るためにも護衛がたくさん必要だ。ただでさえ大量にある荷物
に、大量の護衛、幼い子供が四人。速く進むわけも無く、ちんたらと休憩を何度も挟みながら移動した。
人質制度こそないが、まるで参勤交代のようだ。
そんな調子で何日も移動し続け、一行はとある伯爵領に立ち寄った。移動につぐ移動で疲れていたのもあるが、単にお互いに顔を見たかったのもある。ヴィッテル公爵家と伯爵家は良好な関係を築いていた。
伯爵家には何日か滞在する予定だ。着いたその日は皆疲れていたので、簡単に自己紹介をして終わった。伯爵には男女一人ずつ二人の子どもがいるが、二人とも今は王立魔法学校に通っているため屋敷にはいなかった。
王立魔法学校とは、その字のごとく公立の魔法学校である。もちろんクリスタの興味の対象、いや、間違いなく今一番知りたい事ナンバーワンなのであちこち行って調べてみたが、あまり情報が得られなかった。分かっていることは、ローゼン王国の領土の島にある魔法都市ゴスラーの中に存在することだ。この魔法都市も機密性が高いのか、たいしたことは分かっていない。
そしてもう一つ、多くの貴族の子どもが入学しているのだ。クリスタの両親も卒業生のはずなのだが、今まであまり詳しい話を聞いた事がなかった。
彼女も規定の年齢になれば入学できると言われていたが、旧クリスタも新クリスタも今まで魔法を使った事がなかった。
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伯爵領滞在二日目の現在、クリスタは暇を持て余していた。大人は大人で大人の話をしていて、子どもは三人で幼稚な遊びをしていてとても混ざる気になれない。兄は見守っているが、あんなの見ていてもつまらない。もちろん授業もない。
そう、つまり、クリスタはせっかく伯爵領に来た事だし出掛けたかったのだ。脱走は出来ない。一応ここはウチではないので、いつもの脱走はあっという間に公爵家令嬢の失踪又は誘拐という大事件に様変わりしてしまう。なので、ここはらしくもないが正攻法でいこうと思った。
「伯爵様、ご機嫌麗しゅうございますーーー」
しばらく失礼の無いようにかたっ苦しいテンプレートの挨拶をした後、伯爵領の名物を取り上げて伯爵領をヨイショし、せっかくなので見学したいという旨を伝えた。
「そうかそうか。お嬢さんに褒められて嬉しいよ。ありがとうね。ところで、君はいくつなんだい?」
「7歳です。」
伯爵様も、隣で聞いてた伯爵夫人も仰天した。
「ほう、7歳か。よくお勉強頑張っているみたで偉いね。
…そうだな、本当は私が直接領内を案内したいところだけど、今は忙しいから代わりにアルフォンスを遣わそう。」
あっさりと許可が降りた。
それから、伯爵家の執事のアルフォンスとお忍びで出掛けることになったのだが、クローラも行きたいと駄々をこねたため同行することになった。
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質素な服に身を包み、布で顔を隠した三人と物陰に隠れた護衛達は伯爵領内を散策した。
街中は石畳が敷かれており、街並みは木組みの建物が綺麗だった。歴史ある店を訪ねてみたり、ただただ街の雰囲気を感じながら歩いたりと楽しかった。中でも広場は冒険者ギルドがあり、中には入らなかったが、活気溢れる雰囲気が良かった。
そして最後にアウグスト教会に行った。
アウグスト教会は石造建造物で茶色いレンガに覆われており、歴史を感じさせる建物だった。この教会は街で一番高い建築物で、中に螺旋階段があり、登れる仕様になっていたので彼らは登ることにした。
彼らは長くて辛い階段を登りきり、バルコニーに立って景色を眺めた。
まさに絶景だった。
眼下に広がるオレンジの屋根、街の周辺に広がる緑。なんとも穏やかで、日常の喧騒を忘れさせた。
クリスタだけでなく、クローラも完全に景色に魅入っていた。アルフォンスは、どこか懐かしむような感慨深い表情で領地を見つめていた。
美しい景色を心ゆくまで堪能した後、一行は階段を降りた。
「そろそろ帰りましょう。」
「「うん!」」
そろそろいい時間になったので、屋敷へ帰ろうと一行は教会を出ようとした。
そこで、異変に気付いた。教会の外が異常に騒がしい。確か外には護衛がいたはず。アルフォンスは嫌な予感がしたので、クリスタとクローラを教会に置いて外の様子を見に行った。子供を置いたのは教会内ならば安全だろうと思ったからだ。
アウグスト教会の外は地獄絵図だった。悲鳴をあげて逃げ惑う人々、生々しい血の臭い。後処理は既にされているのか死体と血痕は見えなかったが、穏やかでないことが行なわれていたのは確かだった。
これはどういうことかとアルフォンスは護衛を呼ぼうとして気付いてしまった。
いない。さっきまで確かに影に隠れて護衛していたはずの人々が誰一人としていなかった。
(まさか彼らが…)
彼は最悪の事態を想定し、風を切る音と共に向かってくるナイフを見て確信した。
(やはり我々を狙っている。標的は、あの公爵家令嬢か?)
思考している間にも刃物が飛んできたが、彼はそれを楽々避けた。
(この敵相手になぜ彼らは負けた? 優秀な護衛だったはずなのに)
周囲の敵に警戒しながら短剣を抜き放ち、反撃を試みた。
しかし、想定外の場所から飛来してきた矢が彼の心臓に命中したことによりそれは叶わなかった。
教会の近くにある建物の窓から弓使いは男の死を確認した。確かに、ターゲットの護衛たちは強かった。まともにやり合えばこちらの人数が多くても全滅するくらいには。だから、適当にナイフで攻撃し、彼らの警戒範囲を絞ったところで、完全に殺気を消して範囲外から矢を放ったのだ。
弓使いは再び矢を装備した。まだ彼らの仕事は終わっていない。いや、これからが本番だ。
彼らの仕事は教会の中にいる公爵家令嬢の殺害なのだから。