第1話 公爵令嬢クリスタ
コンコン。
「お嬢様、お目覚めの時間でございます。」
(へんな夢みたな…。)
豪華なベッドに横たわった少女は、天蓋を睨みつけ、今しがたみていた夢の内容を詳しく思い出そうとしていた。
(まるで今のわたしがわたしじゃないような…でもたしかにわたしだった。今までみたことがないくらいとても長くて、悲しい夢だった…。あれはきっと、ぜんせいの自分…前世!?)
突然少女はガバッと飛び起きた。
全て思い出した。前世の自分のこと、自称天使に会って転生したこと。
(この世界に救いはあるの? もしあるんだったら、幸せな夢を見させてよ。)
少女は明かりが点いていない薄暗い部屋を見回した。白と金の装飾が施されたロココ調のような家具。天蓋付きのベッド。鏡。
少女はベッドから転げ落ちるように飛び出すと、鏡の前に立って自身の顔を睨むように観察した。
豊かなブロンドの髪に、人形のように大きな青い瞳、形の良い鼻、可愛らしい唇。
そう、前世の自分の幼少期と数分違わぬ容姿の自分が、鏡の前に立っていた。
「あのクソ野郎!」
少女は鏡の中の自分を認めるなり顔を歪め、鏡を殴った。
パリィン、と割れる鏡。ガラスの破片で傷を負い、血が付いた拳。
(あ、やば、力加減間違えて割っちゃった)
「きゃー!! お嬢様、どうなさいましたか!? お怪我は?」
いくつかの悲鳴と共に何人かのメイドが部屋に駆け込んできた。そして、粉々に割れた鏡と鏡の前に呆然と立ち尽くすお嬢様を見て周りを警戒した。侵入者の可能性があったからだ。
「侵入者の可能性あり!ただちに…」
「あー、ちょっとまって! これ私がやったから!侵入者じゃないから!」
少女は慌てて弁解した。
「これをお嬢様が? 詳しい話は後でよろしい、早急に怪我の手当てを! カタリナ、お医者様をお呼びして!」
「はい!」
カタリナと呼ばれたメイドは返事をするなり駆けて行った。
「そんな大したことじゃないのに。大袈裟な。」
少女は一連の騒動をみてため息まじりに呟いた。
(それにしても、転生したのになんで容姿が変わってないのよ、おかしいじゃない! 結局この世界も救いないの!? 何事も平凡が一番なのに。あの自称天使め! どうせあいつのせいだろ)
少女は心の中で毒付いた。
彼女は知る由もないが、実際自称天使は何もしていない。とんだ風評被害だ。
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紹介が遅れたが、少女の名は、クリスタ・フォン・ヴィッテル。ここローゼン王国の名門貴族のうちの一つ、ヴィッテル公爵家の長女である。
「クリス! 怪我をしたと聞いたけれど、大丈夫かしら? 痛くない?」
クリスタの母親、カミラが慌てた様子で部屋に入り、心配そうに尋ねた。
「お医者様に診て貰ったから平気よ。第一、切り傷くらいでみんな大袈裟なのよ」
(改めて見るとこの母親若過ぎないか? いくつの時子供産んだんだよ)
カミラはクリスタと同じ金髪で茶色い瞳の美女だった。クリスタの年の離れた姉だと言われても納得出来そうなほど若々しい。
「お母さんはあなたの事が心配なのです。でも大した怪我じゃなくて安心したわ。」
「お姉さま、なにかあったのー?」
その時、とてとてと歩きながらクリスタの妹のクローラと彼女の双子の弟ジークがやってきた。
「何でもないよ」
クリスタは心底どうでもよさそうに言った。
「ほんとに? 鏡がわれてるけど」
クローラはクリスタの部屋の中を観察し、目ざとく割れた鏡を見つけた。
「あんた達には関係ないわよ」
クリスタは面倒臭そうに言った。
実は、彼女はクローラとジーク、そしてもう一人の妹にあまりいい感情を持っていなかった。上の兄とは普通の関係だったが、下のきょうだい達とはあまり仲が良くなかった。理由は単純。クリスタは長女だったので、必然的に大人は後に生まれた子を可愛がる。しかも双子だ。前世の記憶が戻る前の旧クリスタが他の子供と比べて大人っぽかったことも原因だろう。つまり子供の可愛い嫉妬だった。
前世の記憶が戻り、新クリスタになっても彼らに対する感情はあまり変わらなかった。いや、むしろ悪化したかもしれない。なぜなら、前世のクリスタはきょうだいを憎んでいた。境遇の違いや嫉妬からくる完全な逆恨みだと自分で分かっていながらも憎まずにはいられなかった。
もちろん彼女は前世は前世、今世は今世と完全に割り切っている。それでも好意は抱けなかった。
クローラは納得していない様子だったが、しつこく問い詰める気も無かったらしく、引き下がった。
「さあ、そろそろ朝食のお時間ですよ。」
カミラが声を掛け、一同はぞろぞろと食堂に向かった。
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何人座るんだよ、と言いたくなってしまうほどやたらとでかくて豪華なテーブルの上にはパンやサラダ、肉料理、果物などが盛り付けてあり、クリスタはホテルの朝食みたいだなと思った。
全員が着席し、食前の祈りを済ませてから食事が始まった。ちなみにお祈りの最中ふと自分がぶん殴った自称天使のことを思い出し、笑いそうになったことは秘密だ。
「少し予定が早くなったが、ローデに行く事になった」
食事が一通り終わった後、この屋敷の主たるヴィッテル公爵が上のように述べた。
ローデとは、ここローゼン王国の首都であり、人口、面積、規模共に世界有数の大都市でもある。この時期にローデに行く理由はただ一つ。そう、もうすぐ社交シーズンが始まるからである。といってもまだまだ期間はあるが。
「今年は出発が早いのですね。分かりましたわ。」
カミラは早速頭の中で計画を練り始めた。貴族の奥様といえば暇を持て余してそうなイメージだが、実態は常に先の事を考えて今を生きていないと言われるほど忙しいのだ。大貴族の奥様というと尚更。といっても、社交シーズンの前後限定だ。
「詳しい日程は決まり次第また報告する。話は以上だ。」
(ローデか、楽しみだなぁ。)
貴族の令嬢は基本的に屋敷に閉じこもっているため、外出することが少ない。そのため、外の空気を吸い込み、他の領地も見物できるこの旅行は待ち遠しいイベントのうちの一つなのだ。
(旅行となればトラブルは付き物、ちゃんと準備しないとねっ)
クリスタは心の中でにやりと笑い、早速思考に没頭した。