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天使降臨

 ―――ザーー、ザーー。



 視界を開くとそこは前の草原ではなく真っ白な空間だった。

 ニグルの目の前には、ラシフィではなく漆黒の長い髪をはためかした黒の翼を持つ美女がいた。ラシフィのような幻想的な美しさではないが彼女の美しさも絶世の美女と呼ぶにふさわしい造形だった。

 彼女はニグルに視線を向ける。その瞳も髪の色と同じく漆黒に染まっていた。



「ヴェルス」

 ―――ヴェルス?



 ニグルは彼女の言葉をうまく理解できなかった。おそらく誰かの名前であるのだろうがそれを誰に向かって言っているのか彼にはわからなかった。もしかしたら彼なのかもしれないがそのような名前には心当たりがないのでニグルは不思議に思った。

 彼のその様子を見て彼女は急に悲嘆そうな顔になる。



「悲しい。全てを忘れてしまっているようだ。過去も、使命も、そして彼女のことも」



 彼女は首をゆっくりと丁寧に二往復振ってから再び先程の表情に戻ってニグルの瞳を見貫く。



「ヴェルス……いや今はニグラルプス・オレラコムだったな。貴様、いつまで死んでいるのだ。いい加減に起きろ」



 ニグルには先程から彼女の言っていることを全く理解することが出来なかった。ニグルの身に覚えのないことばかり高圧的に言ってくるその態度に彼は少しイラッとした。

 死んでいる?いや、俺はここに生きている。そうニグルは彼女の声に反抗の眼差しを向ける。

 その視線を見て彼女はどうしてか急に笑い出す。ニグルは彼女の彼を馬鹿にしたかの様子にさらに苛立ちを大きくする。



 ―――さっきから何だ。勝手に言って、しかも笑いやがって。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。

「いやなあ、環境が違うとここまで違うものかと思うと感慨深くてな。貴様を不快にしてしまったのならばここで詫びよう。その詫びとして一つだけなんでも言うことを聞いてやる」

 ―――そ、それはちょっと言いすぎだろ……。



 彼女の唐突な大胆発言にニグルは動揺する。その様子を見た彼女はやはり悪ふざけが成功した子供のように笑みを浮かべて彼を見ている。それを見てニグルはしてやられたと思った。



「遠慮しなくてもいいんだがな。まあ、いい。では一つ貴様の手助けをしてやろう。まあ、久々に会合した男だ。これくらいのことをしても罰は当たらんだろ。……今世まであの女にみすみすくれてやる気にはなれんしな」

 ―――お前は何を言ってんだ?

「いや、こちら事だ。気にしなくていい」



 そう言うと彼女はニグルの額に手を触れる。突然のその行動にニグルは内心で驚くがどうしてか体は彼女の手を拒まずにすっと受け入れていた。

 触れている彼女の柔らかい手はまるで極寒地帯の氷のように冷たいが、どうしてか心の中にほんのりと温かさを感じさせる。



 ―――何をっ!?

「うるさいぞ、少し黙ってろ」

 ―――お前、何をする気……んっ!?



 ニグルの心情会話がどうやってか封じられる。彼はどうにかして抵抗するが束縛が非常に強く逃れることが出来ない。

 一方彼女はニグルのその状況など一切括目せずに自分の作業に没頭していた。



「ケルベロスだったな。どうにかしたいとは思わないか、ニグラルプス」



 彼女のその言葉にニグルはその眼を大きく見開く。彼女にはニグルのその様子だけで十分のようでそのまま話を続けていく。



「肯定だな。非常に曲がりくねり過ぎた根性のせいで腐りかかってはいたが確かに貴様には素質がある。……それにしても誰だ、こんなにも厳重に鍵をかけているのは。私でも骨が折れるなんて相当だぞ。まあ、全てを解くわけではないからどうでもいいが。―――と、外れた。鍵をかけた当事者に関係のない錠だから簡単にはずれたようだ」



 瞬間、ニグルの頭の中に一つの風景が浮かび上がった。

 そこには立派な城下町を背中にただ一人で万の強大な原生生物の集団と相対する男の姿。男は集中する攻撃魔法を斬って吸って弾いて反射しながら敵を次々と修羅のように借り尽くしていく。だが、男には一筋の傷も存在せず万を狩り尽くして残ったのはボロボロになった名刀と血塗られた紅い髪と衣服に肉体だった。

 と、その姿を見納めてからニグルは再び彼女の前へと意識が戻る。



 ―――今のは一体……?

「英雄の生きざまというものだ。どこまで絶望的な状況でも必ず勝利をする強者。運命に愛されている存在だ。まあ、我を極めた存在と考えればいい。……まあ、時間も限られているからそのあたりは説明できないのでそのあたりは自分で考えるんだな」



 彼女はそのまま「さて」と話を変える。



「ケルベロスとの戦いだが、確かに今のお前では勝つのは不可能に近い。―――だから、ヒントをくれてやろう」

 ―――ヒント?

「ああそうだ。ケルベロスがどうしてあの鉱石の上を動かないのか。そして、そうしてお前が部屋に入った時にケルベロスがいたのか。大剣と鉱石の相関関係は強固なものだ。よくケルベロスの足元を観察してみるといい。そうすれば答えは出る。と、時間だ」



 彼女の姿が薄れていく。それはまるで砂漠の中に現れる蜃気楼のようだ。薄れ消えゆく中彼女はニグルに向かって言葉を紡いだ。



「私の名前はセムペル。おそらく近いうちに君とまた会うことになると思うよ。ではな、ニグラルプス。囚われの姫によろしくな」



 彼女―――セムペルはニグルの目の前から粒子すらも残さずに消えていった。


―――ザーー、ザーー。


 世界は激しい騒音と共に再びニグルは激しい光に覆われて、彼の意識は階層主部屋に戻る。

 目の前にはニグルのことへと視線をぶつけているケルベロスがいた。その瞳には先程と同様の狩猟相手を値踏みするかのような観察の念が籠められているように見えた。

 ニグルの左腕は先程と変わらずに壊死しており、今は既にまるで麻酔がかかったかのように痛みを感じない状態になっている。

 ニグルは床の鉱石を見る。大剣は先程までの鼓動している光の輝きではなく、その光の強さに振れ幅は存在せず最大の輝きを見せていた。

 意気消沈していた臆病な弱々しい瞳から床の輝きのような輝かんばかりの戦意の籠った瞳へと変化した彼は右手で幻乱玉を強く握りしめて身体強化をしながらケルベロスへと歩みを進める。

 ケルベロスはニグルの接近に伴い、トライ・バーストを即座に放つ。悪魔の吐息とも称せるほどに邪悪なその魔法がニグルに迫る。

 ニグルはその魔法に対して回避するのではなくただ魔力を込めた手を掲げるだけだ。彼はトライ・バーストが命中する寸前でその奔流を正面から拳を力強く突き出す。すると、そのまま魔法が反射していきケルベロスの元へとその威力のまま迫っていく。


 ―――!?


 その予想外の状況にケルベロスは初めて回避行動をとる。その行動を見てケルベロスには高い攻撃能力を誇るがその防御力はそこまで高くはないことを直感した。

 ニグルは自分の手を見る。そこには何事もないかのように無傷の状態だった。



「見様見真似でやってみたが、うまくいったようだ」



 ニグルが使ったのはセムペルが彼に見せた過去の英雄の記憶の中で男が扱っていた魔法だ。現在にはその技術は残っておらず正しい名称や系統すらも不明である。おそらくニグルが扱えるという点で基本魔法である無系統のものではあることは確定しているのだが。



「ケルベロスにとってもあの魔法は良くない物のようだ。それに……」



 ニグルはケルベロスが回避行動をとったことによって視界に入ることになった先程まで見えていなかった足元の部分を見る。

 そこには、台座が設置されていた。だが、それは不完全であり何か決定的に何かが足りていないような気持ち悪さをニグルは感じた。

 その台座をよく見ると、そこには剣を刺すような穴が存在している。それを見たニグルはセムペルの助言を思い出す。



「台座の形状的に……大剣は鍵なのか」



 ケルベロスは台座にニグルの持つ大剣を刺させないようにするために存在している守護獣であるのだろうと彼は予測する。それはつまり大剣さえ刺してしまえばケルベロスの存在意義がなくなりもしかしたら消滅するかもしれないと、ニグルは微かな勝利の道筋を頭の中にイメージとして浮かべる。

 魔物は迷宮が必要に応じて出現させている存在。であるから、鉱石を守護するという使命を失ったケルベロスに存在意味がないはずだ。そして、そのように至らせることがニグルの勝利条件として考えるべきことだ。

 ケルベロスからどうにかして隙を作り、台座に剣を突き刺す。ニグルがこの戦いにおいて勝利を収めることのできる最も可能性の高い方法だと彼は考察する。

 だから、ニグルは勝利に至るために足を強化して加速しながらケルベロスの元へと向かっていく。


 ―――グルゥ……。


 ケルベロスは態勢を整えてニグルに向けてトライ・バーストを続けて放つ。それは部屋をありとあらゆる床を埋め尽くしていき安全な場所など皆無と言ってもいいほどの状況へと塗り替えていく。

 だが、ニグルはそれらの攻撃を躱し、または弾いていくことで直撃せずに接近していく。その動きは先程のやり取りとは別人の様であった。

 だが、それは当然のことだった。

 ニグルの持っていた大剣は非常に重量のある者であり並の人間では持ち上げることすら敵わない代物である。だが、ニグルは自分の常人の理解を超える努力によりそれを純粋な力で装備することを可能にするほどに身体を鍛え抜いた。

 ニグルは巨大な大剣を持つことで攻撃を受ける表面積を増やして小回りさえも効きづらくなっていた。つまり、大剣を持たない今の彼は先程よりも圧倒的に身軽で素早く、そして体力消費の少ない状態であることに疑いはない。

 大剣を持っていた状態で躱しきっていたケルベロスの攻撃など今のニグルにとっては赤子の手を捻るように容易いことだ。



(ここまでは容易に対処できる。だが、問題はここからだ)



 ニグルはケルベロスの攻撃に対処しながら、自分の左腕を破壊した攻撃のことを思い出す。

 あの状況、ただの不注意と済ませればそれで終わりなのだがニグルとしてはその可能性はないと少々過大評価しながらも思った。

 そもそも、数々の戦場を駆け巡ってきた彼の戦闘には慢心など存在していない。相手の力を正しく把握してそれに対する最善の手を打ち続けていく戦略と戦術を構築する論理戦だ。その傾向は高い実力を持つ人間になるほどに大きくなる。

 特に今回に限って言えばケルベロスはニグルの格上の存在。そのような存在に慢心するなど、裸のまま毒蜂の巣に入り込むように無謀なことだ。

 さすがにニグルといえどもそのような初歩のミスをするとは考えられず、何か理由があるのではないかと考える。



(……ん?)



 ニグルはケルベロスの首元に首輪がそれぞれつけられていることを発見した。先程まではケルベロスの外見を精密に観察してはいなかったから見落としていたようだった。

 その首輪には青色の鉱石が埋め込まれており、仄かに魔力の波動が溢れ出していることにニグルは気づいた。



(マジックアイテム、か)



 ニグルはその首を怪しいと感じ、右手からケルベロスの魔核があるだろう場所をケルベロスの魔法と同じ分類の砲破を加速の性質を付与して放つ。

 すると、ケルベロスの首輪が薄く輝いたとニグルが認識するころには既に躱されていた。その動きが非常に常識外であったが。

 身体の芯に攻撃したはずであるのにまるでニグルが攻撃した場所だけ穴が開いているかのような非現実的な印象。あらゆる運動法則から逸脱した回避行動をケルベロスは行ったのだ。



(これが、俺の攻撃を阻害された理由か。無意識下における自動防衛機能の発動。しかも、条理を覆すほどの世界への干渉力と強制力は〈失われた神代魔宝〉に匹敵するものだ。いや、もしかしたら本当にそれなのかもしれないが)



 先程の斬破と今の砲破が防がれた理由を察知したニグルはケルベロスのマジックアイテムの効果を考察する。



(だが……)



 ニグルはここで一つの疑問を浮かべる。

 それは即ち、どうしてトライ・バーストを弾き返した際にケルベロスがマジックアイテムを発動せずに回避行動をとったのか。それもまさしく自分を害するものだというのに。



(いや、もしかしたら)



 ニグルは自分の疑問を解消するために襲い掛かってくるトライ・バーストの雨のいくつかをあくまで自然にケルベロスへと跳ね返していく。

 すると、ニグルの予想通りにケルベロスは跳ね返ったトライ・バーストを無理にでも回避しようとする。その際にはケルベロスに首輪は輝いていなかった。

 ニグルはその様子を見て自分の予測が正しかったことを確信する。

 彼は自身の出した解答に従って行動を移す。攻撃を回避しながらケルベロスの元へと急速に加速して接近していく。そして、一定の場所まで近づくとトライ・バーストは終息し、ケルベロスの腕や尾が彼を追い払おうと襲いかかる。

 ニグルは先程よりも威力も危険性も精密性まで低いケルベロスの近距離攻撃を最小限の行動で回避していく。

 そして――ニグルはケルベロスの魔核の傍まで迫った。

 ニグルはケルベロスの肉体を貫通するほどの威力を込めた砲破を魔核の存在する場所へと放つ。

 すると、予想通り魔核が在るだろう場所はまるで空間が捻じれて引き裂かれたかのように穴が開き砲破はそこに吸い込まれていく。そして、ニグルの左側からケルベロスの腕が迫りくる。



(―――来た)



 ニグルは口元を上向きに吊り上げる。

 そして、ケルベロスの攻撃がニグルの傍まで迫り―――姿が消えた。

 ケルベロスは肉を触れる感触が無いことに疑問を浮かべ腕の方向を見る。その視界にはニグルは存在しておらず何もなかった。

 だがその時、ニグルの嗅覚が正体不明の香りを察知する。唐突に発生したその匂いにケルベロスは不意だった理由もあるが用心せずに直接大量に吸ってしまった。


 ―――ニィ。


 その時、ケルベロスの目と鼻の先まで瞬間的に移動していたニグルがニヤリと笑みを浮かべる。

 その手には握りつぶされた幻乱玉があり、そこからケルベロスの吸引した匂いが発生していた。

 ニグルは匂いを吸わないように握りつぶす前に大きく息を吸って呼吸を中断しており、その効果を受けないようにしていた。

 逆に、その匂いを吸ってしまったケルベロスはその効果を受けてしまい五感を停止させられる。視界、嗅覚、聴覚などそれらすべてが遮られる恐怖と違和感に気持ち悪さがケルベロスの精神に異常をきたさせる。

 ケルベロスはその場で暴れまわり、我を失う。その影響で鉱石から一時的に退き、台座が露見する。

 ニグルはこのチャンスを逃すまいと幻乱玉を投げ捨ててから急速に台座に近づき、大剣をポーチから右手に表出させてそのまま台座の溝へと突き刺した。

 すると、鉱石と大剣が光り輝いて部屋を埋め尽くす。


 ―――ピキッ。


 何かが割れる音がする。


 ―――ピキピキ……パリン。


 そして、それが完全に崩壊する音がした。

 光が止む。そして、ニグルは強大な気配を察して前を見据える。

 そこには、つい先ほどに見た美しい白の翼を持った天使―――ラシフィが姿を見せていた。


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