迷宮入場
迷宮には踏破者を記録する妙に高機能な能力がある。それによって、再び来訪した探索者は最後に踏破した階層の転移エリアに移動することが出来る。
だが、その機能は人為的に付与されたものではなくてあくまで元来から存在する能力だ。
はたして、誰がどのような意図でそのような侵入者に有利に働くものをつくったかは理解しかねるが、せっかくある機能なのでありがたく使わせてもらおうというレクレスの共通認識で今に至るまでの世界中の迷宮攻略は行われている。
それは、今ニグルが攻略している学校迷宮でも例外ではなく、彼は迷宮の入り口近くにある転移スポットで魔力を通すことで今朝まで探索していた99層までやっていきていた。
転移エリアに着くと自分のいる丁度中心の場所から5つに道が分かれていた。
ニグルはウェストポーチから青色に光る手のひらほどの大きさの石を取り出す。それを5つ道全てに向ける。すると、最後に向けた道だけ青色から淡い赤色へと光が変化した。
彼が使っているのは、迷宮用アイテムである方位石。自分が今までに踏破してきた道の中限定で階層主の部屋に最も近い道のりを指し示す探索者にとって必須の道具だ。
その効果のため、どちらにしても探索者は自分で迷宮全体を歩かなくてはならないのだが、今回に限ればニグルは既に階層主の部屋まで到達しているのでその労力を必要としない。
「よし、行くか」
ニグルは方位石の徐々に濃淡になっていく光に従って迷宮内を歩き始める。
彼が歩き始めると共に下の砂利が、ジャラジャラ、と音を奏でていく。
迷宮の階層はそれぞれによってその環境が異なる。とある階層は大理石で囲まれた通路のような環境であり、また異なる階層では湖の上を渡り歩いていくという環境のものも存在している。いわば、階層ごとにその主の特性に応じた世界観が形成されるということだ。
今、ニグルが進んでいる99階層は洞窟そのものであり、周囲が岩石や鉱石などで囲まれている。そして、その世界観からニグルは既に今回の階層主が洞窟に由来する何かであると推測している。
「教えてもらえれば話が早いんだがな」
レクレス訓練学校では、迷宮踏破を個人によってのみ許可すると規則で決められており、尚且つその踏破した迷宮の階層の情報を流布することを厳重に禁じている。それは、迷宮攻略が探索者育成のための重要な要素であるからでもあり、学校側としては事前知識のない常に危険の迫った状況で適切に行動のできる人間を育て上げたいためにこのような決まりを作り出した。
だから、迷宮攻略は個人の実力が素直に現れる実習であることは学校の全ての人間の認知するところであり、迷宮の早期攻略を為した選抜隊の面々がいかに優れているかを如実に表わしているといえる。
「まあ、早いだけで嫌ではないからいいか。……と、そろそろ来たか」
ニグルは背中に担いでいた大剣を鞘から抜いて魔力を気づかれない程度に注ぎながら手で持ちながら、曲がり角のちょうど逆側から見えない死角で臨戦態勢を取りながらやってくる存在を観察する。
「ゴブリンが三体か。この魔力の大きさから感じるにおそらくはひし形ゴブリン……」
ニグルは自身の魔力で強化した視力と、感じ取った魔力の波動で先にいる魔物を特定する。しかし、ゴブリン達はニグルの存在に気づいていない。それは確かに彼の体質の影響もあるのだが、それにしても油断して周囲の探索を疎かにしている節が彼らにはあった。
そして、今回に限ってその慢心は命を刈り取る死神の鎌となった。
「さっさと殺って先に進まないと」
ニグルはそのまま視覚からゴブリン達の目の前に現れて、完全に認識される前に大剣を横薙ぎに振り切る。
ゴブリン達は突如にニグルが現れたことに認識が追い付かずに茫然としてしまい、そしてそのまま我あらずといった状態のまま魔力で形成された〈斬破〉によってその命を一瞬で散らせた。
ニグルは振り切った大剣をそのまま鞘に戻して切り捨てたゴブリン達に一目もくれずに先に進む。彼が今日ここに来たのはあくまで階層主と戦うためで素材集めではないのだから。
イリス・ムル・ウナムは今、学校内、いや国内で最も有名な人間の一人である。それは、彼女が王位継承闘争から自分から離脱して家から出ていったことも原因であるが、それ以上に彼女が近年まれに見る素養の持ち主であり、結果今ではレクレス訓練学校のエリートである選抜隊の中で圧倒的な実力者にまで上り詰めた才女であるからという理由もある。
〈ガニエラ〉の中でも通常の系統別に分けられた基本のものではなく、所謂固有個体、しかもかなり強力なものと契約した結果その力ゆえに〈七虹〉の異名で世界中の国々に通っている。
そのような話題に富んだイリスであるが、彼女は今とある人間に呼ばれて学校の応接室へとやってきていた。
応接室には制服を身に着けたイリスのほかに彼女を呼び出したどこか威厳の漂う黒い服を身に着けた女性と彼女と同様の服を纏う護衛の男の三人だけであり、イリスはその中で用意された紅茶のカップから口を離して机に置く。
「レクレスの零機関への推薦状……ですか?」
イリスは自分に差し出された手紙を見て少しばかり疑問に思いながら呟く。そして、そのまま疑念の籠った瞳で目の前の女性に視線を向ける。
「零機関とは一体何ですか?名前から聞くに余り良い印象を抱けないのですが」
「そんなに警戒しなくて大丈夫よ、イリスさん。零機関は存在こそ非公式だけど暗殺を業務するような機関ではないから。そもそもそのような機関は既にあるし」
「はあ、そうですか」
女性は組んでいた足を入れ替えながら話を続ける。
「零機関とは、我らの都市オピドゥム・アウレムの支配をゆるす範囲内において普通の治安隊では手が及ばない何かしらの危機が生じたときに召集される臨時機関のことよ」
「それはつまり、有事の際の掃除屋ということですか?」
「悪く言えばそうね。だけどそこまで悪いものではないでしょう?特に、宮廷生活に嫌気がさして身分落ちをしてまでこの学校に通うあなたにとっては、ね」
「確かに悪い条件ではないですね」
イリスは彼女―――メリア・ロゼスピナ〈愚か者〉総長の言葉の回答に心の中で躊躇していた。
ちょうど一年前までいた宮廷生活の余りの束縛と闘争に疲弊しきった彼女にとって、臨時機関である零機関への推薦とそれに伴う高額な給料と自由な時間の確保は恵まれているといってもいいほどの好条件だ。
それに今現在まで消息不明となっているあの少年を探すためにも都合のよい条件でもあった。
国内のあらゆる諜報部隊で消息を掴めなかったのだから、その行方を国外にまで伸ばすという点でレクレスという機関の深奥の組織に入り込むというのは繋がりを築く上で非常に有意義で、情報収集にも役立つ。
しかし、イリスは思った。余りにも出来過ぎた条件ではないかと。その疑惑が彼女の判断を悩ませていた。
「イリスさん、とある少年を探しているみたいね」
「……何のことでしょう」
ロゼスピナのその言葉はイリスの思考に躊躇なく入ってきた。彼女にとって最も重要な情報の一つを彼女はまるで知っているかのように仄めかしたのだ。長らくその事案に関して追ってきたイリスにとって彼女のその言葉に食いつかずにはいられなかった。
しかし、イリスは政治闘争で培った本心と建前を使い分けるポーカーフェイスを用いてその誘惑に外見では冷静を保つ。
ロゼスピナはイリスの表情を見ながらまるでその内心を悟っているかのように面白いそうなものを見ているかのような笑みを浮かべる。
「ふふふ、意地を張らなくてもいいのに。確か、十年ほど前だったかしら。とある国の公爵一家が粛清されてその子供が行方不明になった事件があったわね。行方不明になった子供は国に追われながら何処で生きているのかしら。いや、もしかしたら餓死して既にこの世にはいないのかもしれないわね」
「……よくご存じで」
「私はレクレスの総長よ。それぐらいの情報は部下に命じれば簡単に手に入るわ。……さて、イリスさん。私の推薦状を受け取ってくださるかしら」
イリスはロゼスピナの向ける笑顔に舌打ちをしたくなるがその気持ちを何とか抑え込む。おそらくこの考えすらも彼女には見透かされているのだろうとイリスは自分の全てを彼女に完全に把握されているかのような一種の気持ち悪さを感じた。
だが、その感情を振り払ってイリスはロゼスピナに人差し指を上に向けて見せる。
「一つだけ条件があります」
「何かしら」
「この推薦状を卒業試合の終わった後に受け取りたいのです」
「ということは、受け取るということで良いのね」
「はい、そう解釈していただければ幸いです」
「……こちらとしては受け取ってもらえるのであれば構わないのだけど、どうして卒業試合になのかしら」
イリスはその問いかけを聞いて、この会合で初めて笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「それは、試合を見ればきっとわかりますよ」
「?」