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おまけ 令嬢その2

――エイヴァラル


……誰かの声だけが聞こえた。

 ……エイヴァラル? ……誰?


――エイヴァラル、お前の結婚が決まった


 ……わたくし?

 ……そうだっ!

……エイヴァラルは、わたくしの名前だった。

 そして、この厳格そうな少し怖いお声は……確か一族の長である、お爺様のもの。


――ファルガー家が継嗣、マーティン殿だ。


 そして……頭の中に浮かんだ、大きくて逞しくて、笑顔がとても暖かい殿方。

……マーティン様。

 ……判るわ。ずっとお兄様とお呼びして、お慕いしていた方よ。

 親戚でもあったマーティンお兄様は、よく沢山のお土産を持って、わたくしの家に遊びに来て下さったわ。


――そうだ、ゆくゆくはファルガー侯爵家を継ぐ、ミルトン子爵の御子息だ。

――我が家にとってもお前にとっても、これ以上ない良縁であろう。  


 ……わたくしがお兄様と結婚するなんて、びっくりだけれど。

 ……でも、嬉しいわ。お爺様がこうおっしゃっているし、良縁だったのね。

 ……そうね、マーティンお兄様なら、きっと穏やかで幸せな結婚ができたのでしょう。

 という事は……この手に覚えていた温もりは、マーティンお兄様のものだったのかしら?


――どうしたエイヴァラル?


 ……え?


――何故そのように憂いた顔をする。いつも呑気なお前らしくもない。


 ……憂い顔? わたくしが?

 ……どういう事なのかしら? わたくし、マーティンお兄様の事はお慕いしていたはずなのですけれど? ……それでも、結婚はイヤだったのかしら?


――まぁ、気持ちは判らんでもない。


 あら、そうなんですのお爺様?


――お前は一族の女達の中でも特に美しいが、いつもボンヤリとして、細かい事を気にするのが苦手なウッカリ者だ。


 あ……あらら。


――頭も良いとは言えないし、警戒心も薄いし、貴婦人の嗜みたる様々な教養の習得もいまいち。……お前が将来の侯爵夫人になるかと思うと、嫁に出す側の私達ですら、不安になってくる。


 ……お、お爺様、なにもそこまで言わなくても。

 ……ああでも、確かにわたくし……あまり賢い娘ではなかったような気がします。

 ええと……確かお母様や御祖母様やばあやにも、よくお小言を言われてしまっていたような……。


――私としては、マーティン殿にはお前よりお前の姉を薦めていたのだが。


 ――そうそう、お姉様を見習えとよく怒られました。

 ……お姉様? ……わたくしに、お姉様が……。


――いや、マーティン殿自身が、長女のドゥルシラではなく、次女のエイヴァラルを、と望まれたのだしな。私達は、お前の幸せを喜ぶべきだろう。


 ……ドゥルシラ……お姉様?


――心配はいらんエイヴァラル。マーティン殿は、お前といると心が癒されるのだそうだ。礼儀作法も教養も完璧なドゥルシラは妻としては理想だが、そうでなくても、いつも明るく朗らかなお前に心惹かれたのだとおっしゃっていた。お前は夫となる方に愛されている。苦労はしても、それはお前を強く支える事だろう。


 お姉様……どんな方だった? ……わたくしの……お姉さま。


――エイヴァラル。


 ――っ。


――マーティン様との婚約が整ったそうね。おめでとう。


 この、声。

 ……そうだった。

わたくしには年の離れたお兄様と、それから……姉さまがいた!


――いやね、何故そんな憂鬱そうな顔をしているの?

――マーティン様はとても良い方よ。貴女はきっと、世界一幸せな花嫁になれる。

――……わたくしも姉として、貴女の幸せを祈っているわ。


 ……わたくしは、ドゥルシラ姉さまの妹だった。

 

――大丈夫よ。貴女はわたくしの……かわいい妹なのだから。


ドゥルシラ姉さま。

美しくて賢くて、しっかり者の姉さま。

皆が手本にしなさいと言う、完璧な淑女だった姉さま。

 ……あまり頭が良くないわたくしには、眩しかった姉さま。


――さぁ、行きましょう。皆が貴女を待っているわ。


 ……でもそんなわたくしに、とても優しかった姉さま。

 ……そうだ。……そうだったっ。何故忘れていたのかしらっ。


――全く、まだ手を引かないと歩けないのかしら貴女は? 本当に子供ね。


 ――わたくしの手を引いてくれていたのは、姉さまじゃないのっ!

 そりゃあ実のお兄様だって、マーティンお兄様だって、わたくしの手を取ってはくれたけれど……幼い頃から、一番沢山わたくしと手を繋いでいたのは、他の誰でもないドゥルシラ姉さまだったっ。


――いいことエイヴァラル、マーティン様の良い奥方になれるよう努力するのよ。


 ……あら? ということは……わたくしが覚えていた、『あの方』の手の温もりは……もしかしたら姉さまのものだったのかしら?


――マーティン様を、後悔させないでちょうだい。


 ……そうかもしれない

 ……結婚するはずだったマーティン様のものでない、というのは少し残念だけれど、ドゥルシラ姉さまの手を憶えていたとしても、きっとおかしくないわ。

 わたくしは……きっと姉さまの事を、とても慕っていたのね。


――……マーティン様は、貴女にはもったいないくらいの殿方なのだから。


 ……姉さまの……手。……手の、温もり。

 ……思い浮かべてみたら……やっぱり、とても懐かしい。……胸が締め付けられて、苦しいほど。


 ……逢いたい。



「――あ、目が……」

【……貴女に……逢いたい】

「……え?」

【……逢いたいのです……姉さま……】

「……」


 ――気が付くと、わたくしは柔らかい草の上に寝かされていました。


【あ、あ……れ……】

「……幽霊も、夢を見るんですね」


 何故か右手に温もりを感じ、見えるように上げてみると、わたくしの手はすぐ傍に座る、大人しそうな娘の手を握っておりました。

 は、恥ずかしい。わたくしは慌てて手を離し、身を起こします。


【あ、も、もうしわけございません……】

「いえ、大丈夫ですよ。それに、謝るのは私の方かもしれません。……勝手に知ってしまって、申し訳ない】

【え?】


知って? 何をでしょう?


「……エイヴァラルさん、ですね?」


 ――えっ?!


「そして、お姉さんの名前は……ドゥルシラさん、かな?」

【ど、ど……うして? わ、わたくし、今思い出したばかりで……】

「……すみません。貴女に手を握られた時に、私の頭に情報が入ってきて。……貴女が行きたい場所に、関係している事だからだと思います」


 ……こ、この娘……いいえ、この方は……。


「すみません、時々あるんです。忘れた方がいいならそうします。私も、勝手に人のプライバシーを知りたいわけではないので――」

【巫女様っ!!】

「――え?」

【貴女様が、正眼の巫女様ですのねっ?!】


 本当にっ!! 本物の巫女様でしたのねっ!!


「え? なんですそれ――わっ?!」


 逃がしませんっ!! 戸惑う巫女様の右手を再び取ったわたくしは、絶対に離さないよう両手でそれを握りしめ、巫女様にお願いします。


【お願いでございます巫女様っ!! わたくしをどうか導いてくださいませっ!! わたくしはどうしても、逢いたい人がいるのですっ!!】

「あの、巫女様って誰です?」

【貴女様の事でございましょう巫女様?! その正しき眼をもって迷える者達を導く、正眼の巫女様とは貴女様の事っ!!】

「違いますが」


 あっさりわたくしを否定する巫女様の後ろで、殿方と若い娘が口を開きます。


「あ、そういえば娘さん、昨日君が道案内したお婆さんが、そんな名を呼んで君を拝んでいたぞ」

「えっ」

「正眼の巫女様(他称)って事かなぁ? 確かに直美お姉さんなら、巫女さんの格好も似合いそうやけど。あっ、なら今度から、道案内した人達にお賽銭もらおうかっ? でなきゃ、この壺を買ったら迷わなくなります~、とか?」

「それじゃ霊感商法だよ不破さん」


 やはり巫女様なのですねっ!


【そういうわけでございます巫女様っ! どうかお願いします巫女様っ! どうか迷えるわたくしを、お導きくださいませ巫女様っ!】

「た、確かに貴女は迷っているというか彷徨っているようですけれど……私はただの人間なので、貴女を成仏させることはできないと思いますよ?」

【ジョーブツ?】

「ええと……神の御許に行く、とかそういう感じ? でいいんですか勇者さん?」

「それならば、昇天だな娘さん。この世界の宗教観では、人間は死ねば天に昇り、神の御許で審判を受ける、とされている」

「なるほど」

【それはご心配なく。わたくしは神の御許に行きたいと、貴女様にお縋りしているわけではございません】

「あ、そうなんですか?」


 はい、とわたくしは頷き、話を聞いてくださっている巫女様は逃げないだろうと信じて手を離すと、深々と頭を下げます。


【……どうぞ、お力をお貸しください正眼の巫女様。……わたくしはただ……この指先に温もりを与えてくれた、わたくしの姉に……逢いたいのでございます】

「……姉、ですか」

【はいっ。ドゥルシラ姉さまでございます巫女様っ】


 思わず顔を上げて頷くと、巫女様はやはり逃げることなくわたくしの前に座っておられました。


「……」

【……?】


 あら? 何故そのような……難しい顔をなさっておられるのですか?


「……エイヴァラルさん」

【はい?】

「その……貴女がお逢いしたい人は、お姉さんなんですか?」

【はい、多分姉さまですっ】

「多分?」

【先ほど夢で、ドゥルシラ姉さまが、よくわたくしの手を引いてくれた事を、思い出したのですっ】


 子供の頃から、わたくしが何か失敗して泣く度、慰めて手を引いてくれたのはドゥルシラ姉さまでした。……そう、憶えています。


【だからきっと、温もりを思い出して逢いたいと思った相手は、ドゥルシラ姉さまだと思うのですっ】

「……結婚が決まっていた、マーティンさんではなくて?」


 ああ、それもご存知でしたか。


【……確かに、マーティン様に逢いたい気持ちはありますわ。……残念ながら結婚指輪をしておりませんので、おそらくマーティン様と結婚する事はなかったのでしょうが】


……手の温もりはさておき、結婚相手であるマーティン兄様を思い出して……恋人や思い人を想像した時と同じ、幸福な気持ちを感じましたし。

 ……でも。


【……ですが多分、今一番逢いたいのは姉さま……だと思います】

「本当に?」

【ええ。……そうです。手の温もりと彼女の事を思い出し、わたくしは逢いたかったのは姉だと確信したのです】

「……」

【……考えてみれば、結婚相手よりも逢いたいと願うのは、不思議な話ですね。……それだけ、わたくしは姉さまを慕っていたのでしょうか?】

「あはは、オバケさんシスコンやったんか~」


 しすこんってなんでしょう?


「……そうですか」

「……お姉さん?」


 巫女様?


「……」


 何が気になるのか、巫女様は眉間にしわを寄せて、何かを考えておられるようでした。どうされたのでしょう?


「……エイヴァラルさん」

【はい】

「貴女は『思い出した』、とおっしゃっていましたが、それは今まで、お姉さんや婚約者に対する記憶を失っていた、ということでしょうか?」

【ええ、そうですわ。わたくしは今まで、姉やマーティン様の事はおろか、自分がどこの誰かすら判らないまま、この辺りを漂っていたのです】


 巫女様の問いに頷き、わたくしは返します。


「それで、今は思い出したと?」

【はいっ。幸いなことに、ドゥルシラ姉さまの事、マーティン様の事、お爺様やお婆様、お母様やばあやの事も、先ほどの夢で思い出すことができました】

「……他には何か、憶えてますか?」


 え?


「たとえば……どのように貴女が亡くなったか、とかです」

【……わたくしが、どう?】

「ええ。……その胸に刺さったナイフが、誰に突き立てられたものか、貴女は覚えていますか?」


 ……あら?


【……そういえば、憶えていませんわね】

「ほう?」

「えっ、そうなんオバケさん?」

「……」


 わたくしの答えに、青年と若い娘はやや驚いた様子で、巫女様はやはり難しい顔でわたくしを見返されました。


【ナイフが刺さっているので……つまり自殺や事故でなければ、殺されたという事なのでしょうが……憶えていないのでは、仕方がありませんわね】

「えっ? オバケさんそれでええのん?」

【本当はよくないのでしょうが……】


 思い出したところで、生き返るわけでもないでしょうし……正直今では、昔感じていただろう生への執着も実感できなくて。

 そういえば、胸のナイフって抜けるんでしょうか? ……あら、抜けない。痛くはありませんが、これでは着替えがしにくいですわね。残念です。


「娘さん、どうかしたか?」

「……いえ。……本人が憶えていないなら、それで」


 え?


「……娘さん、先ほど何か見たのか?」

「……どうなんでしょうか。……私に伝わってきた情報は……うーん……」

「娘さん?」

「お姉さん?」


 巫女様は、何かお悩みのようです。


「――まぁ、いいですっ!」


 そうですか?


「私はただの、道案内ができる程度の女子大生ですのでっ。この世界の人達を救ったり裁いたりなんて、御大層な事はできないんですっ」


 そ、そうですか?


「エイヴァラルさん、それでも私の力を借りたいですか?」

【え……】

「私は、貴女が本当に望むのならば、貴女の逢いたい人の元に案内する事はできます」


 ――っ!


「でもそれは、あくまで案内するだけです。……私は案内した後で貴女に何が起こるかわかりませんし、貴女を救う力もありません」


 ……それは、どういう事なのでしょうか?

 聞き返そうか迷ったわたくしを、巫女様が見返します。

静かな夜を思わせる黒い瞳はとても穏やかで優しく、彼女がわたくしを気遣っている事が、なんとなくですが伝わってきました。


【……わたくしが姉に逢えば、何かが起こるということですか?】

「判りません。起こるかもしれないし、何も起こらないかもしれません。……私は、何も起こらなければ良いと思っていますが……」


 ……ならば、わたくしは。


【――巫女様】

「だから私は違います……」

【そのお力で、どうかわたくしを、姉の元へ導いて下さいませ】

「えっ、いいんですかっ?」


 頷いた私に、巫女様は驚いた様子で聞き返されました。


「あの、何が起こるか本当に判らないんですよ? ……もしかしたら、嫌な思いをするかもしれません」

【構いません。……おそらくお力をお借りできなければ、わたくしは逢いたい人に会えないという気持ちを抱えたまま、漂い続けなくてはなりません】

「……もう一度全部忘れてしまえば、楽になれるかもしれませんよ?」

【忘れませんわ】

「……」

【……忘れたくありません】

「……そう、ですよね。……うん」


 巫女様は、困ったように笑われ、後ろの二人へと話しかけられます。


「勇者さん、不破さん……ごめんなさい、また寄り道、いいですか?」

「俺は構わんよ、娘さん」

「私もええよお姉さん。……なんか、このボケっとしたオバケちゃん、放っておくのもアレやしなぁ」

「ありがとうございます」


 お力を貸していただけるのですか?


【今更ながら、よろしいのでしょうか? お急ぎの旅ではないのですか?】

「ええまあ、急ぎといえば急ぎなのですが。……でもやっぱり、迷っている人を放っておくのは、すっきりしなくて」


 頭痛的な意味でも、と付け加えた巫女様は、苦笑されました。


「それじゃあ、案内します。行きましょうか」

【っ……はいっ】


 こうしてわたくしは、巫女様に道案内していただくことになったのです。

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