おまけ 道化師後編
【う――うそうそ!! そんなの嘘だもんっ!! 絶対嘘だもんっ!! 勇者の馬鹿馬鹿っ!! 大嘘付きっ!!】
酷い嘘っ!! やっぱり勇者なんてっ!! 人間なんて最悪だっ!!
魔王様が死ぬわけないっ!! あの強い御方が、こんな人間なんかに殺されるはずないっ!!
【魔王様は言ってたもんっ!! この世界をメチャクチャにし尽くすってっ!! それを止めにきた勇者と遊ぶんだって!! あの魔王様がっ!! お前なんかに殺されるものかっ!!】
「……」
いつの間にか、手足はドールに戻ってきていた。
でもその手足で力一杯殴っても、勇者はビクともしない。
――悔しい。そんなの嘘だって、訂正させたいのに。魔王様はまだ生きてるって、お元気で面白おかしく人間の世界を弄んでるって言わせたいのにっ!!
【う――嘘付き……嘘付き嘘付きっ!! うわぁあああっ!! うわぁああああああんっ!!】
――魔王様っ!! 魔王様っ!!
「……勇者さん」
「……」
気が付けば、ドールは大声で泣きわめいていた。
なんて情けない、みっともない姿。
……でも魔王様は、泣くドールの事だって否定なさらなかった。
『――お前は命を得たから泣きわめくんだ。ただの人形だった頃にはできなかった事だ。よかったなぁドール、俺様に感謝しやがれよっ?』
感謝しています。……していますから……何百回だって何千回だってお礼言いますから……応えて下さい魔王様……魔王様魔王様……っ。
【……】
……どうしてですか……魔王様。
どんなに呼びかけても、魔王様は応えては下さらなかった。
……でも亡くなったなんて嘘。絶対に嘘。あの方が死ぬなんて……この世のどこにもいないなんて……そんなの……。
【……ひっ?!】
「……こんにちは」
立ち去ったんじゃなかったのか。
ドールの隣には、勇者の傍にいた地味な女が座っていた。
その少し向こうには、勇者とデカ乳娘もいる。……なによ。まだドールを虐めるつもりっ?
【ど、ドールは、負けないんだからっ】
「そうですか……ドールちゃんは、強い子ですね」
そう言って、静かに私を見下ろす地味な女。
……物静かなのに、どこかしっかりした芯を感じさせる落ち着いた女。神殿の尼僧か何かだろうか。だったらなおさら、気に入らないっ。
【何よ。同情なんかいらないんだからっ!!】
「同情なんて、しませんよ。……私は勇者さんが勝って、よかったと思ってますから」
【っ……あんた、もしかして魔王様と勇者の戦いを見たの?】
「ええ。なんというか、成り行きで」
【ま……魔王様は……】
……本当に亡くなったの?
……なんて、絶対に聞きたくないっ。……聞きたくないよ。……魔王様。
「……魔王は、最後まで楽しそうでしたよ」
【……え】
「勇者さんと戦っている時の魔王は……なんというか……楽しそうにヒャッハーしてたというか……」
【ヒャッハーって……】
……そりゃ……ずっと待っていた勇者と戦えて、楽しかったのは確かだろうけどさ……。
……魔王様は……満足してお休みになられたのかもしれないけどさ……。
……それでも……それでもさ……。
【……それでも……もう一度会いたいよ……魔王様……】
「……」
【……帰りたい……帰りたいよぉ……魔王城に帰りたいよぉ……】
……帰っても誰もいないのかもしれない。……絶望するだけかもしれない。
でもそれでも……ドールは今、魔王様がおられたあの場所に、無性に帰りたい。
……ドールには、他に行く場所なんて……ない。
「……それじゃあ、帰りましょうか?」
【え? ゆ、勇者の力で?】
でも、確か役目は終わったって……。
「ああ、俺の勇者としての役目は終わった。だからもう神の御加護で闇の結界に穴を開け、この森の中に魔王城への道が開く事は無い」
【そんなっ!! それじゃあっ!! 無理じゃんっ!! 魔王城の森は、人間なんか通さないっ!!】
「大丈夫ですよ」
何言ってんの?! この地味女?!
「ドールちゃんが、お城に本当に帰りたいなら、私は道案内する事ができます」
【……え?】
……道、案内?
「私の力は、そういうものなんです。……行きますか? ドールちゃん?」
……力? ……こんな貧弱そうな人間の女に、どんな力があるっていうの?
【……どうして、勇者の味方がドールにそんな事をしてくれるのよ?】
信用できるはずない。するもんか。勇者の女なんか。
「うーん……それは……したいから、ですかね」
【……え?】
「帰りたいと泣いている子がいたら、お家に返してあげたい。……難しい感情じゃあありません。人間なんて、そんなものですよ」
【……】
……で、でも……。
……それでも……ドールは……。
【……連れてって。……お願い、魔王様のお城にドールを返して】
「……判りました。……勇者さん、不破さん。……ちょっと道草します。ごめんなさい。……ついて来てもらえますか?」
「勿論だ、娘さん」
「まぁ、しゃーないかなぁ。……お姉さんのそういうトコ、私嫌いやないよ」
ありがとうございます、と勇者達に告げた地味な女は、私を片手に抱え上げ、歩き出した。
【なっ、何すんのよっ】
「これでも、旅の途中なので。道案内一つでも、急がなきゃいけないんですよ」
……だったら頬っておけばよかったのに。……変な女。
それから地味な女は、私を抱え――まるで自分の庭でも歩くように暗い森の中を進んだ。
「……右の道……は駄目ですね。危険な感じがします」
そう行ってすり抜けた道の向こうから、怖ろしい魔物の唸り声が響いた。……理性を失ったその声に、ゾッとする。
「な、なぁなぁ勇者さん。魔王が死ぬとさぁ、魔王と一緒に人間を襲っていた魔物達は、どうなるん?」
「大抵は、魔王に与えれていた力と破壊衝動を失い、闇の結界内に帰って行く。……散々破壊された人間の国々に、闇の結界の中まで追っていく力はないからな。結局はそのまま時間が過ぎて、また次の魔王の出現時間が巡ってくる」
「うわぁ……イタチごっこっちゅーヤツやなぁ。……勇者さんは、それ以上魔物とは戦わんの?」
「一人で殺せるだけ魔物を殺し続けて、その後死ねと?」
「い、いや、そうやないけど……」
「冗談だ、フワ。……だが、やはりやるべきではないだろう。役目を終えた勇者が、そのまま人間の国々の都合だけで力を振るい続けるのは……とても危険な事だと俺は思う」
「……そうなん?」
「ああ。正直勇者の力は、ただの人間に過ぎない俺の手には余るものだ。もう使いたくない。……勿論、人間の領域で魔物が悪さした時は、俺は俺の意志で戦うがな」
「タワシでですか?」
「あはは、そうだな娘さん。俺はタワシで、魔物達を追い払おう」
……だからなんでタワシ?
その辺りはよく判らなかったけれど……でも勇者は自然にタワシを持ってるし、女達もそれを変だと思ってもいなかったし、もしかしたら、ドールの知らない人間の常識なのかもしれない。
「違いますよ」
【心を読まれた?!】
「いえ、なんとなく。ドールさんが勇者さんの持っているタワシを凝視していたから」
【……勇者は、頭がおかしくなったの?】
「そういう事ではないんですけどね。……でも勇者さんはもう、誰かを殺すための剣は握らないって言ってました」
【どうして? 自分に逆らう者達を全部殺せば、勇者は王にだってなれるんじゃないの?】
「冗談じゃない、腹黒貴族や冷血姫君達にギスギスと囲まれる王なんか、誰がなりたいものか」
「あはは、勇者さん、ワイルド系王子様みたいな顔して庶民派ですね」
「ははは、当然だ。俺は十歳までは、生粋の小村育ちだからな。ああいう連中とは付き合いきれん」
【……ふぅん】
地味な女と微笑み合う腑抜けた勇者に、ドールは呆れる。
なんだ、本当にただの、人間の男だ。……本当にこいつは、勇者としての役目を終えてしまったんだろうか。
……だとしたら……本当に……ドールの魔王様は……。
【……】
「……どうしたの、ドールちゃん?」
なんだろう……眠い。
……ううん、寝ている場合じゃない。
【……なんでもない】
「そう。……――あれだね、見えて来たよ」
【――っ】
……お、驚いた。――地味な女が一歩進んだ途端、まるで覆っていた木々が道を開けるようにして視界が開けた。
「到着、かな」
【……うん】
天を射貫くように高い主塔と宮殿を、幾重にもした頑丈な幕壁や盾壁、水堀で囲む、壮麗な城塞が現れる。……魔王様のお城だ。
結界で守られているお城は、人間達の略奪に曝される事もなく破壊されてもいなかったけど……城にいたはずの魔物達の気配は無く、シンと静まりかえっている。
「……襲って来た者は、皆殺した。……そうでない者達や飼われていた奴隷達は、魔王の支配から解放され城を去った」
【……っ】
勇者の静かな声が森に響く。
「ここにはもう、何も残っていないぞ。……それでも行くのか?」
【……魔王様……魔王様ぁっ!!】
「あっ……」
……それでも? ――行くに決まってるっ!!
地味な女の手から飛び降りると、ドールは誰も上げる者もなく降りたままだった跳ね橋から城内へ、そして魔王様がいらっしゃるはずの主塔へと走った。
【はぁ……はぁっ】
――城塞には、誰もいない。
城門前を守っていた巨人も、監視塔から周囲を見張っていたガーゴイルも、歩廊を我が物顔で進むオーガ達も、魔王様が庭園で遊ばせていた奴隷達も、誰もいない。
……残っているのは、勇者が殺したんだろう生々しい死体だけ。
【……魔王……様っ】
それでも、ドールは進む。進むしかない。
主塔の管理階、大広間、武器庫と上がり、更に階段を上って主塔のてっぺんにあるテラスを目指す。
城下を全て見渡せるそこが、魔王様の玉座だった。
【――魔王様っ!!】
大広間の半分ほどの空間には、豪奢な椅子。
その隣には、世界中を見渡せる魔法の水鏡が設置され、そして床には巨大な魔方陣が描かれている。
ドールの記憶のままの、魔王様のお気に入りのお部屋だ。
【魔王様……魔王様っ!! 魔王様っ!! ドールですっ!! 魔王様のドールが今帰りましたっ!! 魔王様のお言いつけ通り、霧の谷のエルフから星の飴を買ってきましたっ】
……でも、魔王様はいない。
【もうっ!! あんな遠い所までっ、ドール大変だったんですよっ!! ちゃんと壊れないように、気を付けて持って来たんですからっ。魔王様、早く食べて見てくださいっ。……ドールに、顔を見せて下さいっ!! ……お願いですからっ!!】
……いない。……いない……いない……っ。
【……ど……ドール……ちゃんとお使い……できたんですよ。……いっつも失敗ばっかりだけど……ドール……今日は……ちゃんと魔王様に……だから……だから……っ!!】
魔王様に与えられた涙腺が緩む。
魔王様から与えられた声が嗚咽に変わり、喉が震え引きつる。
【ま……魔王さま……お……おねがい……ですからぁあ…………っ!!】
……知らなかった……泣くのが……こんなに……こんなに辛かったなんて……。
……知りたくなかったです……。
【っ……やだ……やだよぉおお!! うわぁあああ!! ああああっ!! 魔王様ぁあああ!! 魔王様ぁああああぁ!!】
こんなの……ドール知りたくなかったですよ……魔王様……っ!!
《――どうした?》
……っ?!!
……え……今……声……
《――どうした、ドール?》
……あ……
《なんだお前、また泣いてるのか。まったく、いつまで経ってもお前は泣き虫の、役立たずだな~》
――魔王様っ!! 魔王様っ!! 魔王様っ!!
やっと姿を見せてくださった魔王様に、私は駆け寄る。
やっと――やっと逢えた。……やっと……帰れた……っ。
《……お帰り、ドール》
ただいま帰りました、魔王様。
魔王様の足に飛びついたドールは、抱き上げられて魔王様にしがみつく。
【……ずっと……もうずっと……ドールは一緒です……魔王様……っ】
《……そうか》
もう二度と……離れません……魔王様……。
【……このまま……ずっと……――】
……大好きな……魔王様……。
……。
「……眠ったか。……いや……」
「……おやすみなさい、ドールちゃん」
「……なぁ、勇者さん……その子、なんで動かなくなったん?」
「……元々、これは魔王の魔力によって仮初めの命を与えられただけの、ただの人形だ。……魔王からの魔力供給がなければ……やがてその命を失い、元の人形へと戻る」
「……」
「……」
娘達からの複雑な視線を受けた勇者は、静かな表情で首を振ると、抱きしめていた人形を持っていた布でくるみ、それを静かに魔王が座っていた玉座の広い肘掛け部分に置いた。
「……だが、こいつは最後、満足そうな顔で動かなくなった。……ここに来られたからだと思う。……ありがとう、娘さん」
「いいえ……ドールちゃんが満足したのは、ここに来られたから……だけじゃない気がします」
「あ……そういや勇者さんにしがみついて、何か言ってたんやない? ……この子」
「……最後に幸せな幻覚でも、見たんだろうか?」
「そうかもしれません……」
勇者の言葉に頷いた娘は、それとも、と小さく呟き言葉を続ける。
「でももしかしたら、本当にお迎えが来たのかもしれません」
「まさか、魔王がか? ……とても下僕にそんな優しさを見せるヤツには、見えなかったのだが……」
「そうですよね。……でも、そうじゃなかったのかもしれません」
「娘さん……」
感傷的な娘の言葉に、勇者は複雑な表情になって、小さく頷き笑う。
「……そうだな。……俺にとって魔王は、残忍で冷酷で享楽的で暴力的で破滅的で刹那的で……とにかく間違いなく倒すべき敵だったが……でももしかしたら、あいつはそれだけではなかったかもしれないな。……真実を知る事はもう、無いだろうが」
「いいんじゃないですか。こんな時に、真実なんて大した意味はないでしょう」
勇者の言葉を受けた娘は、玉座に近寄り、玉座の肘掛けに横たわるドールのボサボサになった金髪を撫でて返す。
「魔王の内心がどうだろうと、あの瞬間、魔王はこの子の帰る場所になれた。……それだけで私は嬉しいですよ」
「……娘さん」
「彼女は帰りたい場所に帰れました。私の道案内、終了です」
もう一度ドールの髪を撫で、ずれていた道化師の帽子を直した娘は、穏やかにそう結ぶと、勇者の隣へと戻ってきた。
娘を迎えた勇者は、穏やかに頷き娘に声をかける。
「ああ。……それじゃあ、娘さん達の帰り道に戻るとするか」
「よっしゃっ……って、もしかして、あのホラー映画みたいな魔物死体だらけの道をもっかい帰るんっ?! お姉さぁんっ、他に道無いのんっ?!」
「ありませんねぇ……あとの道は全て罠か敵の気配がすると、私の『道案内出来る程度の能力』が、囁いています」
「娘さんの力が囁くならばしかたがないな」
「ひぃいっ!! そんなぁっ!!」
そして、頭を抱える不破ふわりと共に、勇者と娘は魔王城を去って行った。
来訪者三人が去り、ひとりの帰宅者を迎えた魔王城に、静寂が戻ってくる。
【……マオウ……サマ……】
身の内で朽ち果てていく命を感じながら、もう一度だけ満足そうに主の名を呼んだ道化師が――目を開ける事は、それきりなかった。