弐
十一月二十九日金曜日 予報は晴れ
本日は、思陽節という天堂島独自の祝日。
おりよく今日は金曜日。 土日の休みに連なった、ちょっと嬉しい三連休初日の朝。 少々寝坊しても、結城家の執事で、僕の教育係を任されている大井も、多少は大目に見てくれる。
目覚めの時間が近付いた、眠りと覚醒のはざまを往き来している間、布団のふんわりとした温もりの中でうとうととしているのは、この上なく気持ちがいい。 ついあと五分、もう五分と、布団から出る時間を延ばしたくなってしまう。
「っはよー、阿彩! 今日もいい天気ださあ出かけるぞー」
……いい天気も何も、まだ周囲は薄暗い。
「なー、今日のバイトは午後からだろ? 時間あるじゃん。 海角の南山九路のはずれに美味い雲呑屋見つけたんだ、その十軒先に揚げ麺麭のめっちゃ美味い店があってさ、そんでそこからもちょっと海側に行くとな、すんげー古い廃墟みたいな骨董屋があってさ、そこの爺さんな老板が仙人みたいで面白いし、置いてあるものも昔のおまるやら中身が入ったままの百年物の瓶詰の蛇酒やら、すげー面白くってさ。 廃墟探検じゃないぞ、骨董屋見学だぞ? そんなら彩もいいだろ。 友人の好みに配慮して行き先選ぶなんて、な、オレって友達思いだろ?」
大音量で喋りつづける秀の声に、朝の静寂もどこへやら。 こちらが何か反応するまで喋りつづけることは分かっているので、寝たふりはやめ、取りあえず手近な目覚まし時計を見る。
午前六時前五分。 平日なら起きる時間だけど、休日は七時までは寝ていたいところなのに――。
「――秀。 あのさ、聞くけど、その行きたい店って、何時開店?」
「そこの調べに抜かりはないぞ。 雲呑屋は六時半、揚げ麺麭屋は七時開店。雲呑屋の方は、朝九時までに粥を注文した客には油条を一本おまけしてくれるんだぞ。 そうそう、この店、粥も牛肉麺もめっちゃ美味いらしいんだ」
「――……なにも、朝食時に行くことはないだろう」
秀は、腰かけたベッドの端でボンボンと跳ね始めた。 その振動で、僕の身体まで上下に波打つように動く。
「だって朝限定のメニューが幾つかあるんだからしょーがないじゃん。 ちなみに昼限定のセットメニューもあっから。 あ、大井の爺さんにはちゃんと朝昼の飯は不要って断っておいたから心配すんな」
誰がそんな心配をするかってんだ。 それだけ気が回るなら、少しは僕の気持ちを推し量ってみろ。 だいたい大井も大井だ。 何故秀の食欲暴走行為を止めないのか。
「んで、廃墟な骨董屋は十時開店なんだ」
「――…………なら、九時前までに行けば十分なんじゃないか」
伝わるとは思えないけれど、抗議の意味も込めて、布団を顔の上まで引き上げた。
案の定、秀がすぐに布団の引き剥がしにかかったが、僕も意地で離さない。
「だーめだめ。 食事はゆっくり、落ち着いた気分で楽しまなきゃもったいないだろ? 早食いは身体に悪いんだぞ」
誰より食事スピードの速い秀がそれを言うか。
「――それにしたって、骨董屋までの時間が開き過ぎると思うんだけど……」
「大丈夫だって。 今から準備して海角に着くのが七時過ぎ、海角の駅から雲呑屋までの移動に二十分かかってなんだかんだしたら七時半だろ。 席待ちが十五分位あるとして、雲呑屋でゆっくり味わいながら五六杯食って八時四十五分、そこから五分で揚げ麺麭屋に着いて、これまたゆっくり揚げ麺麭を七八個堪能してからのんびり移動をしたら、ちょうど骨董屋開店の時間になるんだって」
「――……僕の始業時間、知ってるよな」
「一時からだろ? だからその前に行くんじゃん」
「――…………その〝面白い〟骨董屋は、三時間もかかって見るほど大規模な店なのか」
「いんや、ちっせーよ。 けど、置いてあるもんはむっちゃいっぱいあるし、仙人な老板の蘊蓄聴くのに時間が要るから。 それに大丈夫、骨董屋の後の時間の活用についてもちゃんと考えてっから。 その骨董屋の界隈はすんげー古い街並みが残っててさ、その辺りブラブラするだけでも鬼や妖怪が棲みついてそうな場所がいっぱいで、すっげーワクワクするんだぞ」
「――結局、秀好みの場所巡りじゃないか」
「いやいや、骨董屋も街中探検も廃墟じゃないから、彩が好きな〝趣がある〟って世界に入るとオレは思うぞ、うん。 とにかく、骨董屋で一時間、街中探検に一時間。 で、昼飯にはまた雲呑屋に戻って昼限定メニューを食べたら丁度彩の出勤時間になるって計算。 どーだ、完璧なプラン」
胸を軽くのけぞらせ威張る秀へ白い目を向けつつも、これ以上逆らったり難癖を付けたところで無意味(押し切られるに決まっている)なことは重重承知しているので、まだ本活動を始めない脳味噌の入った頭をずるりと持ち上げ、ベッドからのろのろ起き出すと、大井が準備してくれていた冷たい井戸水で顔を洗った。
*
「君の友人は、さながら歩く胃袋だね」
僕の奉公先、〈けしもの屋〉こと〈百彩堂〉の老板である玄青師匠が、金色の香り高いお茶を淹れながら、穏やかな笑顔で言った。
「そうなんです。 朝から粥三杯雲呑六杯牛肉麺三杯ですよ、しかも毎回大盛り。 それだけでも胸やけしそうな量なのに、その直後に砂糖のたっぷりかかった拳大の揚げ麺麭を十五個ぺろり。 その上、昼には昼で、三種類の定食に珍宝粽子五個。 僕なんて秀の四分の一以下しか食べてないのに、未だに胃が重くて……。 いったい、どんな消化構造をしているのか不思議でならないですよ。 満腹中枢が壊れているか、胃に入った途端、食べ物が消えて無くなっているとしか思えないんですよね」
今は店番を紅鳥がしているので、僕はお師匠の部屋で、過去の日誌の整理をしている。(白獏はもちろん、自室で寝ている。) 日誌の整理は、僕に任された大切な仕事のひとつで、僕が〈けしもの屋〉の業務全般を理解するための大切な作業であり、お師匠と色々な会話が出来る貴重な時間でもあるのだ。
「彼の場合、身体的活動も並はずれて活発なようだから、消費する熱量も多いんだろうよ。 今も単身、海角の廃墟を探検中なんだろう? 健康的に、しかも美味しく食事が出来ることは幸せなことだよ。 まあ、休みの日の朝一番から付き合わされる彩君には、多少苦労だろうけれどね。 さて、そろそろお茶にしよう」
お師匠の優しい言葉にほろりとしつつ、広げていた日誌をさっと片付けると、勧められるままに、まるい、甘みある香りをたてるお茶を頂いた。 一口含むと、爽やかな蘭の香りが口の中に広がる。
午前中、秀の暴飲暴食に付き合わされ疲れた胃に、優しい温かさが広がりホッとする。
お茶も極上だけど、このゆったりとした静けさがまた格別。 昼下がりの至福なひとときだ。
口中に残る香りの余韻に浸っていると、店の方からカランとドアベルの鳴る音が聞こえた。 珍しいことにお客が来たらしい。 しばらくすると、しゃん、と涼やかな音が廊下を通り抜け、こちらに近付いてきた。 閉じていた眼を開け扉の方へ向けると、淡い朱鷺色の衣に淡黄の領巾をなびかせた紅鳥がぴょこりと現れた。
紅鳥は軽く膝を折りお師匠へ礼をとると、僕に視線を向け、ふわりと舞うように眼の前までやって来た。 僕の顔を見てにこりと微笑むと、僕の右手をとり、手のひらに「客人」と書いて再び花の様な微笑みを見せた。
紅鳥が微笑むと、周囲の空気が共鳴でもするように、しゃらんと鈴の様な音を立てる。
声を持たない紅鳥との会話はいつもこの手段。 紅鳥の小さな手の感触と心地よい清音に包まれて、ついつい顔が緩んでしまう。
「お客って、僕に? 買い物のお客?」
紅鳥は違うと、首を横に振った。
半年に一度来るか来ないかの「買い物客」が、週に三日、午後の数時間しか店にいない僕を指名してくるはずもないか。
誰にしろ、客人が来ているというならば待たせるわけにはいかないと思い、腰を浮かせかける。 と――
「おーい、彩、おーい」
店先から、非常に聞きなれた声が飛んで来た。
中腰の姿勢で固まった僕の手に、紅鳥は「来たのはあなたのお友達」と書くと、杏仁型の大きな眼を少し細め、とにかく愛くるしい笑顔で、早く店先に行こうと僕の手を引いた。
「なんだ、噂をすればじゃないのかね? ちょうどいい、紅鳥。 彩君のお友達をここへ案内しておくれ。 どうせなら皆でお茶にしよう」
「お師匠、そ、そんな、御好意だけで結構ですから――」
紅鳥の手をやんわりと離すと、僕はお師匠に半分懇願に近い視線を向けた。 しかしお師匠は金扇子をはらりと広げ、ふふと笑うと、紅鳥に視線で指示を出した。 紅鳥はしゃららん、と嬉しそうな音を残して店先へ向かった。
「まあまあ、いいじゃないか。 何度白獏君に追い返されても、めげずに再来していた勇気ある少年だ。 彩君が話す彼の活躍を聴く限りでも魅力的な子だからね。 一度話をしてみたいと、以前から思っていたのだよ」
と、美しい顔で微笑むお師匠に言われては、丁稚の僕がどうこう言えるものではない。
紅鳥が迎えに行ってほんの十数秒。 ドドドドドッと地響きに近い足音が店先からこちらへ向かって来、そのスピードを殺さぬまま、スライディングでもしそうな勢いで公孫秀は老板の房間へ入って来た。 興奮の絶頂にでもいるのか、染めたように、耳の先まで綺麗に桃色をしている。
「うわー、まさか中に入れてもらえるとは思わなかった。 うおーっ、室内すげー超豪華。 あ、老板ってあなたですか? ふわー、本当にいい男なんだ。 今どきのイケ面俳優なんて目じゃないっすよ。 入れてくれてありがとうございますっ」
「こちらこそ、突然誘って申し訳なかったね。 公孫秀君。 噂はかねがね聴いているよ。 さあ、彩君の隣に座って」
ゆったりとした笑顔で秀の勢いを受け止めると、お師匠は秀の分のお茶の準備を始めた。
「うわー、すげーいい香り。 オレお茶なんて全っ然わかんないけど、それすげーいいお茶だ。祖母ちゃんが飲んでる茶より良い匂いがする。 オレ一度、この店の中入ってみたかったし、老板とも話ししたいって思ってたんですよ。 うわ―、マジ感動。 茶菓子いっぱい買ってきた甲斐があったー」
立ったまま興奮気味にまくしたてている秀の手には、「何をそんなに?」と問わずにはいられない数の紙袋やビニール袋が抱えられている。 また、探検中に新しい店でも発見したのか。
「いいから秀、落ち着いてまず座れ。 話は座ってからでいいから」
放っておけば、いつまでも立ったまま喋りまくるであろう秀の手首を引いて無理矢理座らせると、手にしていた袋を取り上げて中身を確認。 肉饅頭に牛奶饅頭、月餅に龍髭糖、砂糖黍から焼き芋まで、目についた物は何でも買ってきたようだ。 昼までに食べた食事はすっかり消化され空腹感に襲われたのか、廃墟探検が途中から食い倒れ散策になっていたらしい。
「ひー、ふーみ……あれ、一人足りなくない? あの白い哥哥がいない。 オレあの哥哥とも話してみたいのに、どっか出かけてんの?」
「白い? ああ、白獏君のことか。 彼は今寝ているんだよ。 会いたいのならば起こしてくるが――」
反射的に立ち上がった僕に、一堂の目が集まる。
「お、お師――老板、そ、そそそれだけは止めましょう。 白獏、昨晩は〈仕事〉だったんですよね、明け方近くまでかかったんですよね、疲れてます、すっごく疲れていますから、寝かせておいてあげましょう!」
明らかに青ざめているだろう顔で、僕は制止にかかった。 秀の阿呆、余計なこと言うなっ。 僕の友人の興味本位の為に、自分の貴重な睡眠を妨げられたと知ったら、白獏の銀刀が、僕を的に七八本は飛んでくる。
僕の慌てっぷりを見て、秀は暢気に首を傾げると、自分で持ってきた肉饅頭にかぶりつきながら「そんな深夜まで営業してんの、この店」と、至極当然の質問をしてきた。
秀は〈けしもの屋〉の裏の〈仕事〉を知らない。 いや、秀に限らず、天堂島に暮らす九割九分の人々が知らない。(それ以前に、この店の存在自体を知らない人が多数いるだろうけれど。)
〈百彩堂〉という、数百年続く文房四宝の老舗の裏の顔は、〈けしもの屋〉という、依頼されたものを〈消す〉ことを専門とする、少々アンダーグラウンドな世界に属す店なのだ。
ここでちょっと注釈をいれると、表の顔〈百彩堂〉は、老板であるお師匠の趣味で、消しゴムや修正ペンといった、〈消す〉ことを目的として製造された商品〈消しもの〉ばかりを取り扱っている。 そのためか、裏の稼業を知らない一般の人々も、この店を〈百彩堂〉ではなく「〈消しもの〉ばかりを売っている店」=「〈けしもの屋〉」と呼ぶ場合が多い。 はからずも、裏の名前が表の名前(綽名)と一致してしまったというわけだ。
もっとも、裏の名前の方が、表の綽名に便乗して付けられた風ではあるのだけれど、この経緯は業務上はどうでもよいことだ。
さて、話を裏の〈けしもの屋〉に戻す。
〈消す〉とはいっても、斬ったり撃ったり殴ったりして誰かを抹殺するとかいった、任侠劇のような血生臭いことはしない。(多分……。)
僕が知っている、体験した範囲の〈仕事〉は、悪夢の除去や成仏できない霊の昇華といった、ちょっと非現実的な現実のお困りごとの解決がほとんどだ。 あと、公園の大規模な落書き消し、とか。
これらの業務をこなすのは、僕のお師匠である玄青老板と先輩店員である白獏と紅鳥の三人で、新入り丁稚の僕ができるのは、いまのところ、業務報告書に当る日誌の整理と徴収した作業料金の会計処理くらい。 〈けしもの〉をする〈けしもの師〉は、一朝一夕でなれるような簡単な職業ではない。 はっきり言えば、常人ならば普通はなれない、特殊能力が中心となる特異な分野。 その証に、お師匠は元天界のお役人、白獏は異界からの来訪者、紅鳥は幽霊――と、僕を除く全員が、一般的な人類ではないのだ。 彼等の〈仕事〉に用いる技能は、そういった特殊な出自に依るものが大きい。
しかしお師匠は、それ相当の努力をすれば、ごく普通の人間の僕にも、何かしらの〈仕事〉が出来るようになるかもしれないと言ってくれた。 ただし、修行年数がどれ程かかるか分からないし、どれだけの時間を費やしたところで、成れない可能性も高い、との言葉も一セットで頂いた。
全てを承知した上で、それでも弟子入りを懇願した僕に、お師匠は表向き〈百彩堂〉の臨時店員という形で、僕の入門を許してくれたのだ。 学校は、学生のアルバイトをある一定内の時間ならば、社会勉強の一環ということで認めてくれているので、学校への申請書には「文具店〈百彩堂〉での販売補助」と書いて提出をした。「丁稚」などとはもちろん書いていない。 この呼称は、白獏が最初に言い出したのだけれど、僕の立場的にも心境的にもその呼称は合っていると思ったので、自分の中でもこの呼称を使っている。
丁稚になってそろそろ半年になるけれど、未だ僕には〈けしもの〉の仕事は出来ない。(壁の汚れを落とすとか、除草みたいな〈仕事〉なら地道にできるけど……。)
まだたった半年。 今は焦らず、僕にできることをとにかく地道に、きっちりやることが一番だと思っている。
もちろん、学生の本分である学業の手も抜いてはいない。 二学年になって授業内容も濃いものになったけれど、〈けしもの屋〉の奉公と学年五位以内の成績の維持は、両立させる決心だ。
などと僕が考え耽っている間に、秀はすっかり寛いで、お師匠や紅鳥に自分の持ってきたお菓子を勧めながら、何杯目かのお茶をがぶがぶ飲んでいた。
お師匠も紅鳥も、秀の大袈裟なまでの身ぶり手ぶり付き冒険譚(?)を楽しんでいる様子。 お師匠は金扇子を揺らめかせるのをやめると、新しいお茶の準備を始めた。
「秀君。 君ほどこの天堂島の廃墟を知り尽くしている者はいないだろうよ。 それで君は、行った先々にその手形を残してくるのかい?」
突然のお師匠の言葉に、秀も僕も一瞬ぽかんとした。 お師匠はくすりと笑うと、新しい茶碗を僕たちの前にすすめて微笑んだ。
「冒険者は、自分が訪れた地に己の名を刻むなどして、自分がその地を訪れたことを他人に証明しようとするのだろう? 君のその左手。 その手形一つで、君が訪れた何よりの証になりそうだと思ったのでね」
首を傾げしばし考えた後、秀はポンと手を打つと、爆発しそうな笑顔で立ち上がり、瞳を裸電球のように輝かせながら、左手を大きく開いてお師匠の前に突き出した。
「さっすが、ただ者じゃないオーラ出まくりだけど、老板さん、すっげーいいこと教えてくれた。 そうなんだよ、制覇した地にはオレが行った証を残さなきゃ面白くないんだけど、名前書くのめんどくさいし、他の奴らもいっぱい書いたり刻んだりして残してるから、同じことしても面白くないなーと思ってたんだけど、そっか、手形ってテがあったんだよな、まったく思いも付かなかった! 多謝、老板さん。 さっそく今から手形付けに巡り直すことに――」
「ま、待った――っ!」
僕は前のめりになって、お師匠と秀の会話を中断させる。
「その話は却下です! お言葉ですが、老板、天堂島では他者が所有する建造物への落書き行為は、程度の如何に係わりなく器物損壊の罪に問われます。 秀、解ったか? わかったよな?」
本当なら、敷地に侵入した時点で問題があるはずだけど、そこは今さらのこと、敢えて言うまい。
「ああ、そうかね。 それではいけないな。 すまないね秀君。 前言は聞かなかったことにしてくれたまえ」
お師匠に限らずこの店の店員達は、この世界で普通に生活を送ってはいても、思考の根幹が、現代の人間社会から離れた所に根差したままとみえて、時々今のように、現代社会の一般常識に照らすと、やや問題があると思われる言動を取ることがあるので注意が必要なのだ。
秀は「えーっ」と大きなふくれっ面をしたけれど、たとえどんなに軽微なものと言えど、友人にわざわざ犯罪行為を重ねさせるわけにはいかない。 秀がいくらブースカ文句を言おうが、断固阻止だ。
「ところで秀、いったい何しに来たんだよ。 明日は翠環の誕生日だから、早く帰って光哥と一緒にパーティーの準備するんじゃなかったのか?」
「あー、やっぱ、オレ言ってなかった?」
「……何?」
秀はえへへと笑いながら頭を掻くと、少し上目遣いに僕を見た。
「来月の二日、オレの誕生日だろ。 だから間取って明後日、四妹とオレのをまとめてしようって話になってたりして」
「そんな話聞いてないぞ。 僕明日あると思って、休み頂いてるんだぞ」
「いやー、言ったかどうか探検中にふっと気になってさ。 やっぱ来て良かったなー」
秀の「言ってなかった?」は、実に問題なのだ。 たまに大切な伝達事項を言い忘れていたりする。
「君と妹さん合同の誕生パーティーか。 それは楽しみだね」
「そーなんです。 四妹がすっごく楽しみにしてるんですよ。 四妹、身体が弱くてあんま外に出られないもんで、滅多に賑やかな場所に行けないんだけど、明後日は特別だからって医者の許可も貰ってて、そりゃ大はしゃぎで――」
嬉しそうに話し始めた秀は、一瞬言葉を止めると、また手のひらをポンと叩いて立ち上がった。
「そうだ! 老板さんも紅鳥ももう一人の白獏さんだっけ?も来ません? 何人増えたって没問題だし。 紅鳥は四妹とも歳が近いから、きっと仲良くなれると思うんだ」
既に紅鳥を呼び捨てにする程の親しみっぷり。 相変わらず、何処でも溶け込むのが速い。
招待を受けた紅鳥は、胸の前で手を合わせ、しゃららんと嬉しそうな清音を立てると、お師匠に懇願の視線を送った。
その視線を受け、お師匠はにっこり微笑むと、紅鳥の頭をふわりと撫でた。
「これはお招きありがとう。 ただ、残念なことに日曜は、私と白獏君は仕事があるのでね、紅鳥だけ、お招きにあずかるとするよ。 構わないかな?」
お師匠の言葉に、紅鳥と秀は何故か手を取り合って喜び、室内には秀の笑い声と紅鳥の鈴の清音がかなり長い間響き続けた。
それを僕は嬉しいけれどちょっと複雑な顔で、お師匠は微笑ましげに見守った。
その後もひとしきり賑やかに怪奇現象について語った後、秀はようやく帰るといって席を立った。
店先の小路まで来ると、見送りに来た僕と紅鳥に向かい、秀はお馴染のにかっと笑いをした。
「おかげで今日は四妹にいい土産話が出来たよ、ありがとな。 紅鳥、明後日楽しみに待ってっから」
「じゃ」と、すたすた歩き始めた秀の手を、僕は慌てて引っ張ってビニール袋を握らせた。 袋の中には手のひらサイズの箱が入っている。
「ほら、これ。 龍髭糖、翠環の好物だろう? なんでもごっちゃにしとくから忘れるんだ。 雑に扱って、帰るまでに壊すなよ」
龍髭糖は繊細なお菓子だ。 秀が中身を忘れて袋を振り回しでもしたら、細い絹糸をふんわり繭玉のように丸めた、綺麗で繊細なせっかくの見た目が台無しになる。
秀は袋の中身を確認すると、悪びれもせずにかっと笑い、再び「じゃ」といって、走る様に去っていった。
本日の、公孫秀の滞在時間は二時間半。
台風一過、見上げた空はとても青い。