第八章・悪夢の復活(2)
そこは心落ち着く空間だった。有沢は人数少ない新幹線の自由席の車通を歩いていた。しかし前に進んでいる感触が無くスローモーションが掛かったようにゆっくりと動いている。そこには自分のテリトリーを守っているように曰くありげな人物達が座っていた。そこに野球帽を深くかぶった男の子が有沢の前へ走ってきた。
「僕だよ、おじちゃん待っていたんだ」
その男の子は無邪気な笑顔で言った。
「君は誰だい?」
有沢は男の子の視線にしゃがんだ。
「覚えていないの?それとも知らないの?」
その男の子は笑顔から急に悲しい顔に変わった。
「あぁ、ごめん・・。歳が行くと度忘れが激しいんだ・・」
有沢はしどろもどろに誤魔化した。
「僕ね、お友達が出来たんだ。いつも楽しいよ」
男の子の無邪気な笑顔が戻った。
「それはよかったね。いつも楽しいんだ・・」
有沢の頭の中は男の子を思い出すためフル回転していた。
「それで言っていたよ。どんな事があっても信じていて欲しいって」
「んっ、誰が・・?」
「それからこんな事も言ってた。人間は変わってしまったって。どういう事か分からないけど」
男の子の意味を持たない話に耳を貸さず、有沢はただ男の子を思い出すのに必死だった。
「おじちゃん、どうも君を覚えだせないんだ。降参だ。君が誰だか教えてくれないか?」
有沢は男の子に手を合わせ頼み込んだ。
「えっー!本当に忘れちゃったの。僕だよ・・・」
「君が・・!」
有沢の目が霞み意識が薄れてきた。夜が明けていくようにその空間はかき消されていった。
「有沢!有沢!」
有沢は心地よい夢の空間より揺さぶり起こされた。しかめながら目を覚ますとそこには山崎が有沢の両肩を持ち体を大きく振っていた。
「俺の熱いコーヒーはまだか!ミルクも砂糖もいれないブラックのホットコーヒーだよ!」
有沢は目の色を変えて言っている山崎の顔を見て疎ましく思えた。今まで尊敬して憧れてもいた司令官が情けない姿に映る。そのヒステリックな山崎の行動に減滅した。
「分かりましたから放してください」
有沢は山崎に向かって険しい視線を向け腕を振り解いた。いままでの司令官に対する思いは幻覚だったのだろうか・・。有沢は今の司令官の挙動不審な行動を見てつくづく嫌気を感じた。有沢がコーヒーを買いに行こうと立ち上がった瞬間、ひとつの疑問が頭の中に生まれた。
「これも夢の中のひとコマだろうか・・?」
そう思った途端、目まいがして倒れこむようにして椅子に腰掛けた。
「前に目覚めた時、狭い部屋に俺はいた。何人かの同志が俺に銃を向けていた。それにすぐ脇にパイプベッドに横たわる司令官の死体があった・・」
有沢はゆっくり隣に座る山崎に視線を向けた。そこには俯きうな垂れている山崎がいた。
「こいつは誰だ・・」
有沢の隣に座る山崎が名も知れぬ赤の他人に見えた。それ以上に敵に思えた。
「この場所はいったい何処なんだ・・」
有沢は窓硝子に映る自分の顔を眺めた。
「どうもおかしい・・」
有沢は窓に顔を近づけた。
「真っ暗すぎる・・。景色はもちろん無いし、光が入ってこない」
有沢は目を凝らしじっくりと見た。その時、何かが横切った。
「魚・・!」
有沢は驚き反射的に窓から顔を離した。そして瞬時に思った。
「海の底・・。光が無い訳だ。そうか思い出したぞ」
「お客様、乗車券を拝見させていただきます」
有沢の頭の中で点と線が結びつこうとした時、突然乗務員が声を掛けてきた。
「えっ!ちょっと待ってください」
咄嗟の不意打ちに有沢はポケットを探った。
「お客様、見付からないのですか?お二人分の地獄行きの片道切符ですよ」
その乗務員はけし掛けた。
「えっ!」
有沢はその乗務員の顔を見た。そこには小佐井蛍子が立っていた。
「お気の毒。さようなら・・」
二発の鈍い銃声が車内に轟いた。
有沢は目を見開いた。そこは狭く小さな鉄格子の中だった。・・・つづく