第一章・侵略組曲(5)
「熱いコーヒー・・買ってきてくれないか・・・。ミルクも砂糖も入れないで・・・」
またいつもと同じ場面だ!ひと気の少ない自由席車両の一番最後の座席に座り、窓には激しい雨が叩きつけられ、隣の座席には山崎という名の男が肩を落として座っている。
いきなりのその状況に驚いてしまい窓際の男である板倉は拍子抜けした返事をした。
「あぁ・・分かった・・・」
そう言うといつものように屈みこんで座る山崎の前を跨ぎ通路へと出た。
変わることなく幾度も同じ動作が繰り返される。
「温かいの買ってくるから待っていろよ」
そういうと服に付いている砂ぼこりを叩き目の前の自動ドアに向かった。
その時・・・。
「有沢!そっちじゃない!」
突然山崎が怒鳴った。それに驚き反射的に振り返ると何かを訴えかけるような眼差しで睨みつけていた。
「あぁ・・そうだったな・・・」
山崎のその鋭い視線と表情に恐れおののき思わず一歩あとずさった。そしてその時初めて自分の名前が有沢ということを知った。
「じゃ、買ってくるよ・・・」
ぎこちない返事で山崎を促し進行方向へと足をかえた。
頭のなかではあらゆる疑問が渦巻いている。自分自身が何者であるのか。あの山崎とどういう関係があるのか。何故先ほどの方向ではいけないのだろうか。あの男は何を隠しているのだろう。ましてや新幹線の中にいる自体不思議でならなかった。訳のわからないまま、もやもやとした気持ちの悪いものを感じた。そんなわだかまりの残るなか、ゆっくりと空席が目立つ座席を見渡しながら歩き出した。そこには数名の乗客が一定の間隔をあけ座っていた。
ビジネススーツで身を包みノートパソコンをしきりに打つ青年。くたびれたジャケットを無造作にはおりいびきをかいて眠る中年男。駅弁を一心不乱にむさぼる老婆。誰しもが自分のテリトリーを守っているような感じだった。そこへ電子音の音が耳に入りその方向を覗いてみた。そこには野球帽を深くかぶった小学生くらいの少年が一人で静かにゲームをしていた。
「ここはいったいどこなんだ・・・」
穏やかに時が経つ。有沢という名の自分。脈絡のない新幹線の中という場面。目的さえも分からない。ようやく車両を結ぶ自動ドアの前まで来た。自分のいた座席からここまでかなりの時間がかかったような気がする。そこから車両全体を眺めてみた。立っている足元にはいま歩いてきた通路が長く延びており、その両側には空席の目立つ座席が通路に沿って並んでいる。まぶたを閉じればこの空間と同化して深い眠りに落ちてゆく・・。そんな錯覚さえ覚える。
目を閉じてその時間が止まったような空間を全身で味わっていると、不意に背を向けていた後ろの自動ドアがゆっくりと開いた気配がした。
「うっ・・・」
小さな熱いものが背中から体の中へ物凄いスピードで貫いていった。体が徐々に重くなっていく。目の前に地面が近づいてくる。体中に激しい痛みを感じ長く伸びる通路にスローモーションをかけたようにゆっくりと倒れこんだ。背中から胸へと開いた傷口からは赤いどろどろとした血が通路を染めていった。ゆっくりと首を後ろに回し背後に立つ者を見上げた。
そこには銃口から煙の出たピストルを手にしたあのウェイトレスが微笑みながら見下ろしていた。
「残念ね、ここまで来て。もう少しだったのに」・・・つづく