第一章・侵略組曲(4)
今日も朝の日差しが眩しい。夢のなかの天気と違って雲ひとつない空が毎日続いている。
今年は空っ梅雨だ。
男は大きく背伸びをしてベッドから上半身だけ起き上がり、すぐ横にある窓から中庭の景色を眺めた。中庭の周り全体は常緑樹が生い茂り鮮やかな緑を醸しだしている。地面には芝生が敷き詰められ、その中央には何かのオブジェを象った大きな噴水があり勢いよく水を噴き上げている。そこには朝の新鮮な空気を吸いに出てきているのか数人の患者の姿も見受けられた。
ベンチに座り新聞を読む者、芝生の上に寝そべる者、ただ散歩する者とさまざまだが思い思いの時間を過ごしている。
体を癒すにはもってこいの環境だ。
つくづくそう思った。窓から見える自然の緑に心を和ませ静かに時間が経つのを楽しんでいるとそこに聞きなれた明るい声が部屋へ入ってきた。
「おはようございまーす。あら、また嫌な夢みたのですか?」
いつもの看護婦がえくぼをつくっていた。
「なぜ分かる?」
「パジャマが汗でびしょびしょ」
あの嫌な夢をみた朝は目覚めが悪い。それが汗で湿ったパジャマの所為だと思うと納得する。
「この検温が終わったら早くシャワーを浴びてらっしゃい」
そう言って体温計を渡した。
「新しいパジャマも置いておきますからね」
汗で冷え切った体に浴びる熱いシャワーほど気持ちよいものはない。じめっとした感触がその勢いよく出るお湯によって流され爽快感がよみがえってくる。
新しいパジャマに着替え中庭にでて芝生に備え付けられているいつものベンチに腰をかけ、たばこに火をつけ思いにふける。いまのところそれが日課になっている。そんな繰り返し続けられる日々がもう一ヶ月にもなる。たばこを吹かし緑一色に包まれた木立を何気に見ながら、ふと今までの自分の人生を振り返った。
男の名前は板倉一郎、歳は三十歳。大手企業のビジネスマンとして第一線で活躍していたのだが、これからという時に過労で倒れこの小高い丘にある病院に運ばれた。当初気を失い気がついたときにはベッドの上だった。それから何日もしないうちに薄い封筒が会社から送られてきてリストラされた。仕事を生きがいにしてきた自分としてみれば大変ショックだった。また会社からみれば利用価値が無くなればいらない存在になる。ただ過酷な競争に敗れ使い捨ての駒として扱われただけだった。
「不運な末路だ」
口からぼそっとでた。入院して以来ひとりも見舞いにも来てはいない。
気がつくと中央のオブジェの噴水を何気に眺めていた。止め処となく噴出している大量の水が今までのことを洗い流してくれるような思いを心によせた。
「たばこどこまで吸っているんですか」
いつもの愛らしいえくぼの看護婦が横から急に顔を出した。
「あちっ!」
たばこの灰が長く垂れ下がり火種がフィルターまできていた。
「たばこやめてくれるって約束しませんでした?」
彼女の名前は遠藤広子、歳は二十六歳。担当看護婦として板倉の面倒をみている。
「あの日はやめたのだよ」
「一日やめただけじゃ駄目です。ずっと続けなくちゃ」
彼女の顔からえくぼが消えていた。少し怒っているようだ。
「明日からやめます・・・」
それからひと時たわいもない世間話をした。
板倉の入院しているこの病院は都会の雑踏を離れた山のなかにある。古い教会を改装したのか総合受付になる玄関は高く伸びたつ時計搭となっている。天辺には大きなチャペルの鐘が吊り下がり一時間ごとに鳴り時を知らせる。その入り口からなかに入ると真正面に縦長の大きな聖母マリアのステンドグラスがはめ込んで在り、来る者の心を落ち着かせてくれる。
その先は四本の渡り廊下が扇状に延びてあり各専門の棟へと繋がっている。そのひとつのリハビリセンターに板倉はいる。
遠藤と別れたあと、ぽかぽかとした気持ちのよい暖かい日差しに包まれ、ついうとうととそのままベンチで転寝をした。
「コーヒー・・・」
「えっ!」
気がつけばまた新幹線の中にいた。・・・つづく