第五章・我等が為に鐘はなる。ー第二部/夜の紋白蝶ー(1)
世の女たちはすべて夜に迷い込んだ紋白蝶。迷いながら光を求め舞い飛ぶ紋白蝶。いつしか純白の白が薄汚れてゆき感性を忘れた蛾に変わる。自分の姿が変わったことに気づくことなくいつものように舞い飛ぶ。次第に心までもが汚されてゆき思考が薄れていく。しかし自分は紋白蝶のままだと思い舞い飛び続ける。感覚が元通りに戻らないことも知らずに・・。
俺は毎日、日中の労働が終わると彼女に会いに行った。毎日、毎日彼女のいるところへ通い続けた。彼女も俺のことを覚えていてくれた。イヴの夜、寒いベンチで出会ったことを覚えていてくれた。一緒にいる時間、俺は幸せだった。いつまでも続く単調な労働をかき消してくれた。心の中は彼女の想いで満たされていった。しかし幸せな時間は早く過ぎてゆく。別れを告げ、にこやかに微笑む彼女に手を振り薄暗い家路に向かう。そんな日々がここ毎日続いている。帰り道いつものように24時間スーパーに立ち寄り加工食品を買う。何気ない、いつもの日常だが、ある日自分のカードがどこまで使えるのか考えてみた。レジでは値段など表示しない。給料をいくらもらい残高がいくらあるのかも分からない。“どうせなら、とことんまで使え”俺は短絡に考えていた。
その年の大晦日。俺は嫌な噂を耳にした。“労働に適さない者は消されていく”というものだ。俺はよくあるデマのひとつだと聞き流した。そういえば彼女もそんなことを言っていた。「よく来る常連のご老体がこのごろ見かけないと・・。」俺と二人の時は他の男の話はして欲しくないと言った時だ。そんなことよりもうすぐ今年も終わる・・・。今夜は彼女と二人で年を越そう。
その日の労働が終わった帰り道、彼女の居場所を教えてくれた男が呼び止めた。なにやら切羽詰った様子で尋常ではない。今晩、俺に見せたいものがあるらしい。俺の断る暇も無く、待ち合わせ場所と時間を記したメモを手渡し走っていった。彼女と会おうと思っていたのに・・。まぁいいか・・。カウントダウンは深夜だ。
そのメモに書いた場所に時間通り着き男を待っていた。5分、10分待てど男はやってこない。いたずらだったかと帰ろうとした時、物陰から呼び止める声が聞こえた。その男だ。何故かと理由を問いただせば俺が尾行され監視されていないかと注意していたらしい。誰に!・・。俺と男は足早に次の目的地へ向かった。男が案内した先は高台にある診療施設だった。身を低くし隠れるように身構えた。男が小声で喋るには“あの噂”は本当だと。労働に適さない人間、邪魔な人間は何らかの理由で診療施設に送り込まれ処分されるという。つまり生きて帰れないということだ。俺が半信半疑でいるとついて来いと合図する。二人は暗闇に紛れて施設に侵入した。ここも労働作業と同じく24時間動いているようだ。宿直のスタッフが大勢いる。ばれないように俺は男の後を追っていった。行き着いた場所は湿った地下通路だった。男が指差す向こうには真っ暗なトンネルが口を開いていた。
ひんやりとしたその場所はまさにこの世のものではなかった。長く続く闇は不気味に思え俺さえが生きて帰れないと不安に怯えた。ペンライトの光は小さく乏しい。その光に照らし出された男の顔が見えた。男は立ち止まり目の前には壁で覆い尽くされていた。行き止まりだ。俺はため息をついた。次に男はその壁にしがみつき登っていた。一瞬俺はきょとんとした。と、同時に安心した。俺もその後に続いた。下を見ると地面がだんだん遠退いていく。一歩間違えれば転落だ。恐る恐るゆっくりと手を伸ばし、確かめながら登っていった。男は止まり上でなにやらしている。出口の蓋が閉まっているようだ。男がこじ開けるたびに上から埃が降ってくる。目をつぶり我慢した。ようやく貫通したのか男は這い上がって行った。俺も埃だらけの目の痛みをこらえ男に手を引っ張られよじ登った。そこはフローリングの埃まみれの床だった。もっと驚いたのは真正面に大きなステンド硝子の聖母マリアが俺たちに手を差し延べていた。古い大聖堂だ。いったいここは何処なんだ!・・。・・・つづく