第三章・アンドロイドたちの夜(1)
喧騒とした慌しい日常よりほんの少しだけ現実を忘れ、自由に想像を膨らませ空想の部屋へお越し下さい。お付き合いいただけるひとときの間、あなた様はどのような夢を見ていただけますでしょうか。
それは、砂時計の砂が下に落ち時を刻むように静かに正確に動いていた。
それは、私たちの知らない場所にありながらすぐ側で進化していった。
それは、誰しもが皆気づくことなく確実に広がっていた。
それは、皆が注意していれば防げたかもしれない。しかし私たちの感覚は麻痺されそれを見過ごしてしまった。
もう何をするにも遅すぎる。止めることなどできはしない。
それは、着実に一寸の狂いも無く私たちとともに動いている。
意識を失っていたようだ。気づくとそこは真っ暗な場所だった。かすんだ目を擦り、朦朧とした意識をはっきりさせようと眉間をおさえた。何か様子がおかしい。傾いている。その斜めに傾いた壁際に倒れこんでいた。次第に暗闇に目が慣れてきた。
「こ、これは・・、どういうことだ・・・」
目の前に広がる信じがたい状況に顔がこわばった。そこには割れた窓ガラスが粉々に散乱し、砕け散った窓からはひとしきり横なぶりの激しい雨が入り込んでいた。雷光が周りを照らし出す。そこは紛れもなくいつもの新幹線の車両のなかだった。
「どうしたことだ・・・」
頭のなかが混乱している。今いる自分の状況が飲み込めない。呆然と壁に手を付きふらふらと立ち上がった。ばりばりとガラスを踏む嫌な音が足元から聞こえてくる。
「列車事故・・・」
最悪の言葉が脳裏をよぎった。他にこの状況から何を推測できるだろう。激しい雨が吹き込む割れた窓を見つめ高ぶった神経を抑えていた。斜めに傾いた体を支えていた足元に何か触れるものがある。雷光に照らされたそこには、ガラスの破片が無数に突き刺さったあのウェイトレスの女が目を見開いたまま死んでいた。虚ろな眼差しで足元に倒れている女を見下ろした。何度も自分の命を狙い、そして奪っていった女が先に死んでいる。この女はいったい何者だったのだろう。車内に流れ込んだ濁流のような雨がその女の体をぬらしガラスの刺さった傷口から赤い血が尾を引き流れていた。
「山崎・・」
足元の女を蹴飛ばし慌てて自分のいた座席へと急いだ。しかし傾いた車両と流れ込む雨が勢いよく水かさを増し足にまとわり邪魔をする。座席の背もたれを杖に必死に前へと進んだ。雷鳴が轟き雷光が惨たらしい車内を照らし出す。雨は激しく叩きつけ行く手を拒む。他の乗客がいないことも気づくこともなくようやく自分がいた座席にたどり着いた頃には雨水は胸元まできていた。
「山崎!」
そう叫んだとたんに足を滑らせ雨水の中に落ちてしまった。倒れた体を起こしたとき既に山崎の姿はなかった。雨水は怒涛のごとく人の背丈を越え天井いっぱいまで浸透していった。
「うっ・・・」
息をするのが精一杯になってきた。水かさはどんどん増すばかりである。不意に何かに足をとられ雨水の中に沈んでいった。よどんだ水のなか目を見開くとそこにはウェイトレスの女が妖しく微笑みながらガラスの破片が刺さった細い腕で自分の足首をきつく握っていた。恐怖のあまり叫んだ泡が大きく上がっていった。這い上がろうともがいたが暗い底へと引きずり込まれていった。
あとには一定の間隔に並んだ誰も座っていない座席が雨水につかり沈黙を守っていた。・・・つづく