アサシン・メイドと人形姫
わたくしのお仕えするエレオノーラ様は、公爵家の御令嬢です。エレオノーラ様には何人もの兄弟姉妹がおられますが、皆様一癖も二癖もあるお方ばかりです。
その中でエレオノーラ様は、最も穏やかで淑女らしい方のようにお見受けします。屈託なく笑い、多少そそっかしいところはありますけれど寛容で、メイドや下働きの者たちの失態を責めるような苛烈な性格ではありません。……侍女のわたくしが主家について私見をはさむものではありませんから、これは内緒ですよ。
わたくしの朝の仕事は、エレオノーラ様の起床を手伝うところからはじまります。大抵エレオノーラ様はお目覚めになっていて、窓を開けてバルコニーにお出になっています。
「エレオノーラ様、おはようございます」
「おはよう、アンリエッタ」
「お支度をお手伝いいたします」
「よろしくね」
「今日のお召し物はいかがなさいますか」
「さっきお庭を見ていたら、新緑が目に眩しくて。……緑色の服は避けたいわ。だって色が混ざって、見えづらくなってしまうもの」
「かしこまりました。それでは、淡いミモザ色のお召し物などいかがでしょう。小花模様がかわいらしく、春らしいお召し物ですよ」
「それでお願いするわ」
侍女のわたくしにも、このように気軽に接してくれる、大変心優しいお方です。夜着を脱いでシミーズドレスの上から締め付けないようにコルセットを巻き、ふっくらとしたパニエを着て、その上に淡いミモザ色のお召し物をまとったエレオノーラ様は、大変お綺麗です。膝下の丈のお召し物に、ぴかぴかに磨いた上等な皮のブーツを履かれて、清楚ながら活動的な印象もある装いです。
「本日は、アレス様がおいでになりますね」
「……ええ」
アレス様というのはエレオノーラ様の婚約者で、この国の第七王子であられます。エレオノーラ様とアレス様は幼馴染というほど親しい仲ではございませんが、ご幼少のみぎりから幾度となくお会いしているはずです。それなのに、エレオノーラ様は浮かない顔をしてらっしゃいます。
「どうかなされましたか?」
「……アレス様はこのところ、やきもちを妬かれることが多くて」
「まあ、愛されておられますね」
「……だといいのだけれど。わたくしが何かを好きだと言ったら、躍起になってそれを貶しはじめるので、困っているの」
エレオノーラ様の長いまつ毛がそっと伏せられ、震えているのがわかります。エレオノーラ様がこわごわとため息をつくのを聞いて、わたくしの胸の奥がカッと熱くなりました。
エレオノーラ様が認めたものを貶すことで、自分がその位置に取って代わろうとするなんて、まったくもって器の狭い男です。きっとエレオノーラ様のお好きなものの悪評や短所を羅列して、好きなものを嫌いにさせることで自分の相対的順位を上げようとしているだけの人物に違いありません。自分で努力をするわけでもなく、魅力を磨くわけでもなく、エレオノーラ様のお気に入りのものを踏み台にすることで、まるで自分が上になったかのように悦に入る……もしかしたなら「そんなくだらないものを好むエレオノーラ様も大したことがない」と胸の内で見下しているかもしれません。
──ああ、なんというろくでもない男でしょう! 本当に王族の身分にふさわしい方なのかしら。
……いけません。頭に血が上り過ぎて、かなり言葉が過ぎました。わたくしはこの家では、出過ぎた真似をしない一介のメイドで通っているのでした。本当はこの通り、毒舌ならばスラスラと立板に水を流すごとく言葉が出てくるのですが、内緒ですよ。うっかり職をなくしてしまっては困りますから。口は災いの元と昔から申します。
「エレオノーラ様、今日のお髪は、どのような形にしましょうか。ボンネットをつけますか? それともおリボン? 髪を結い上げるのもいいかもしれませんよ」
「……髪は飾らなくていいわ。アレス様が、わたくしの髪を触るのに邪魔だと言うから」
──あのポンコツクソ王子が!!
言葉にならないほどの怒りが、私の全身を瞬時に駆け巡りました。アレス様は第七王子ですが、上のお兄様方には大変優秀な方が多く、コンプレックスを持っているのではないかと推察します。エレオノーラ様から以前聞いたように、すぐに自虐なさったり、拗ねたりなさるのは、きっとそういうことに違いありません。
エレオノーラ様が……自分の婚約者が美しい装いをすることを邪魔だと言うなんて、よほどのゴミ男気質です。まだ「自分と会うために美しい格好をして、待っていてくれた」と言う方が、よほどマシです。それはそれで、エレオノーラ様がご自身のためになさった装いを自分のためにすり替えてしまう自意識過剰ぶりが、鼻につくのですが。
わたくしは朝の日差しの差し込む窓辺で、エレオノーラ様の絹糸のような繊細な髪にブラシをかけながら、ある決意をしました。
──アレス様の素行調査をする、という決意を。
***
そうと決まれば、話は早いものです。侍女というものは気配を消して行動することができますし、貴族や王族の屋敷には大抵大勢の側仕えがいるものですから、目立たずにことを成し遂げることが可能です。
エレオノーラ様がアレス様にお会いになる間、わたくしはバルコニーで待機して、ガラス戸の隙間からそっと耳をそばだてました。雑巾も忘れていません。もしも見咎められたなら、バルコニーの掃除をしていたと言い張ります。
「やあ、エレオノーラ。いい子にしていたかい?」
──このロリコン王子が!!
私はガラス戸を目一杯開けて部屋に突入したいのを堪えて、雑巾を持った拳を震わせました。
アレス様の物言いは、まるで小さい子供に向けたものです。貴様は長期滞在先から久しぶりに本宅に帰ってきたお父さんか。エレオノーラ様のような淑女に対する言葉ではありません。
わたくしが薄いレースのカーテン越しにそっと覗いていると、アレス様はエレオノーラ様の長い髪を手に取り、口付けしました。そのままエレオノーラ様の頬に自分の頬を押し付けようとして、さらりとかわされています。さすがはエレオノーラ様です。
ところがアレス様は、やんわりと押し返したエレオノーラ様の手首をつかんで、ぎゅっと抱き寄せます。アレス様がエレオノーラ様の耳元に唇を寄せます。
──なんという破廉恥!!
怒り狂った私の靴の先が、思わずガラス戸に当たってしまいました。
「ふふふ、小鳥が僕たちに妬いているのかもしれないよ」
──ちょっとしたことにも妬いて、エレオノーラ様を困らせているのは貴様だろうが!
破廉恥王子は、物音にも動じません。うつむいたエレオノーラ様の目には涙が滲んでいます。
「そんなに熱っぽく潤んだ目で見つめられると、そそられるものがあるね」
「やめて」
「嫌よ嫌よも好きの内ってね」
「そういうものではありません。本当にやめてください」
──嫌知らず? 嫌知らずなのか?
エレオノーラ様は本気で嫌がっています。けれどもあの破廉恥王子は、「王子である自分の好意を嫌だと言うはずがない」と思い込んでいるのです。
それは! 無駄な! 自信!
自信というものは、ときに困難を乗り越える勇気を奮い立たせるものですが、あの破廉恥王子の自信は間違いなく無駄な自信です。
「エレオノーラ、君に首輪を用意したんだ。きっと似合うよ」
「……首輪」
──首輪! ペットにつける首輪じゃあるまいし、ネックレスと言いなさい!
わたくしが卒倒しそうなほどの怒りに震えている前で、破廉恥王子はチョーカーを持ち出し、エレオノーラ様の首に巻こうとします。エレオノーラ様がびくりと身体を震わせて、おびえています。
──エレオノーラ様から離れろゴミカス野郎が!
チョーカーにはきらりと光る宝石のようなものがついていますが、遠目から見てもイミテーションです。王子の癖に、ケチったな?
「最近、君は他のものを好きと言わなくなった。僕にくびったけってことさ!」
「違います。私が好きなものに、アレス様が嫉妬しているように思えたから──」
「はっ! バカにしないでくれよ! どうして王子の僕が、下々に嫉妬しなくてはいけないんだい!」
「ではどうして、貶されるのですか?」
「だってこの僕が目の前にいるというのに、君が好きだというから」
──手遅れだ!
これはもう、教育でどうこうできるレベルではありません。王家は何をしているんでしょう。第七王子ともなれば、教育が面倒になるのでしょうか。目が行き届かないのでしょうか。
わたくしは一介のメイドではありますが、公爵家のメイドは皆、護衛訓練を受けています。ベラドンナ、ギョウジャニンニク、水仙、スズラン、リコリス……そういった毒物の扱いにも長けています。植物だけでなく、ネズミやコウモリ、犬などの動物を使ったものや、水銀や鉛を使った暗殺などもお手のものです。犬? と不思議に思う方がおられるかもしれませんね。狂犬病の犬は、大変危険です。
「申し訳ありませんが、わたくし、体調がすぐれません。今日はお帰りいただいてもよろしいですか?」
「なんと! それはいけない! さあ! そこのソファーに横になりなさい!」
破廉恥王子がズボンのベルトを緩めはじめたのを見て、わたくしは怒りのあまり頭痛がしました。もう我慢ならない。遂に部屋に突入します。
「失礼致します。エレオノーラ様、お身体の具合がすぐれないと伺いましたので、お迎えにあがりました」
「ありがとう、アンリエッタ」
わたくしがバルコニーのガラス戸を勢いよく開けてやってきたことを意にも介さず、エレオノーラ様はほっとしたご様子で涙ぐんでおられます。わたくしを見て、表情が明るくなったのです。先ほどの表情との違いと言ったら!
破廉恥王子はズボンのベルトをだらりと垂らしたまま、舌打ちをしました。体調がすぐれないと言っているエレオノーラ様に、このクソ王子はいったい何をするおつもりだったのでしょう。俺の特製お注射をしてあげるよとでも言うつもりだったのでしょうか。わたくしのエレオノーラ様に、薄汚い手で触りやがって!
よろよろと退室するエレオノーラ様を支えて廊下に送り出した後、わたくしはギッと破廉恥王子を睨みつけました。
「ヒッ!」
破廉恥王子の叫びなど聞こえないふりをして、わたくしはバタンと大きな音をわざとたてて、応接室のドアを閉めました。エレオノーラ様がチョーカーを外しておられます。まるで首を紐で絞めたように、うっすらと赤い痕がついていました。そんなに? そんなに強く引っ張ったのですか、あのバカ王子は! もはや絞殺未遂レベル!
わたくしは足を持ち上げて、閉まっているドアを蹴り上げました。大きくドアが鳴りましたが、これは偶然足が当たってしまっただけです。そういうことにしておきましょう。
「こ、殺される……!」
ドアの向こうから破廉恥王子の悲鳴が聞こえたような気がしますが、わたくしは知りません。エレオノーラ様に絞殺未遂レベルの真似をしたこと、決して許せません。
***
このところ、アレス様の態度には目に余るものがあります。エレオノーラ様はあっという間に元気をなくして萎れていき、以前のように屈託なく笑うことも少なくなりました。
以前はさまざまなものに目を輝かせては好きだと教えてくださったのに、今はそのようなこともほとんどないのです。
エレオノーラ様は屋敷から出かけることもめっきり少なくなり、臥せる時間が長くなっていきました。始終めまいを起こし、吐き気をもよおし、歩くことさえままならない日もあります。ベッドに横になっていても、目から静かに涙を流しておられる日もあれば、長く眠っておられる日もあります。
わたくしはこっそりと、破廉恥王子がよこしたチョーカーを燃やしました。こんなものがあるから、エレオノーラ様は萎れてしまうのです。
そんなとき、わたくしの耳に、社交界での噂が飛び込んできました。エレオノーラ様が、人形姫と呼ばれているというのです。
人形のようにあまり動かず、表情も変えず、家の中に閉じこもっている……そんな理由でつけられたあだ名のようですが、エレオノーラ様は決してそんな方ではありません。
人形姫の噂はさまざまな内容で、概ねその中身は悪評です。いわく、手練手管で方々の貴族男性を誑かしているだとか、既婚者と不倫関係にあるだとか、手ひどい失恋をしただとか、思わせぶりな言動で人を惑わすだとか、他人の手柄を横取りにしただとか、自分の都合のいいように事実をねじ曲げて解釈するだとか、いつでも他人を見下しているだとか……。
それらの悪評は、どれもこれもが根も葉もない噂や、他人の悪事をなすりつけられたと思しきものです。きっとエレオノーラ様は、この謂れのない悪評を私よりもずっと前から耳にしていたのでしょう。体調を崩されるのも、外に出たくなくなるのも当然です。なんとおいたわしい!
一介のメイドであるわたくしでさえ、エレオノーラ様の悪評を聞いたとき、地獄の業火も真っ青になるほどの怒りが腹の底からわきあがったのです。エレオノーラ様本人の耳に届いたときには、きっともっと深く傷つかれたことでしょう。大勢でよってたかって、事実無根の言いがかりでエレオノーラ様をあんなになるまで追い込むなんて、この国の社交界にはクソみたいな連中しかいないのか! 掃き溜めか!
けれどもエレオノーラ様が体調を崩して外にあまりお出にならないので、社交界でその悪評を払拭する機会もなかなかありません。
きっとお会いになれば、本当のエレオノーラ様のことを知っていただけるはずなのにと、わたくしは歯噛みする思いでした。
あまりにも悔しいので、わたくしは八方手を尽くして悪評の出どころを確かめました。
すると、あの破廉恥な第七王子アレス様の取り巻きや、アレス様に恋焦がれている貴族女性たちが噂の出所であることが発覚しました。
アレス様は腐っても第七王子です。アレス様がご執心のエレオノーラ様を蹴落とすことで、自分が婚約者の座を奪えると考えた貴族女性たちがいるようでした。また、エレオノーラ様に惹かれてあれこれと心を砕く貴族男性が多かったために、嫉妬した貴族女性たちもいたようです。エレオノーラ様はあんなに嫌がっていたというのに。
通常、こんなことになれば婚約者の破廉恥王子が悪評を消すために奔走するのが道理でしょうが、破廉恥王子は破廉恥王子で、エレオノーラ様の居場所がなくなれば自分の元にエレオノーラ様を繋ぎ止められると考えているようでした。
──こと、ここに至るにあたっては、もはやあの破廉恥王子を暗殺せねばならない。
日に日にやつれていくエレオノーラ様を見て、わたくしはそう決意しました。エレオノーラ様の輝かしい未来を奪い、不幸の種を撒き散らしたのは、あの破廉恥王子です。
わたくしは一介のメイドですから社交界には出入りできませんが、それならそれなりの方法があります。貴族たちに特別な品をいくつか用意しました。鉛入りの白粉、ベラドンナ入りの惚れ薬、水銀の入った長寿薬──どれもこれも、貴族たちには大いに売れました。主の無念を晴らすのは、その家に仕える者の務めです。
命がなくなるとも知らずに、エレオノーラ様を貶めた貴族たちは、特別な品を使います。どれもこれも、歴史ある品ですものね。
噂の出所が息絶えて、ようやく社交界が静かになってきた頃、アレス様が亡くなりました。惚れ薬で命を落としたようですから、浮気をしていたのでしょう。エレオノーラ様の色恋沙汰の悪評を流れるがままにしていたのは、きっとご自身が、浮気をされていたからなのでしょうね。
破廉恥王子が亡くなっても、わたくしの怒りは、ちっとも冷えません。エレオノーラ様の好きなものを一つ一つ、浮気と言い張って消し去っていったことへの怒りが、エレオノーラ様の目の輝きを奪った者たちへの怒りが、消えるわけはないのです。
わたくしは、今日もブーツの中に仕込んだ毒塗りの刃や、ガーターベルトにはさんだ毒物入りの細いガラス管を、メイド服の長いスカートの下に隠しています。
我が主、エレオノーラ様を傷つけるものは、王族であろうと決して許しません。
<おわり>
お読みいただき、ありがとうございました!
今回は断罪ではなく、毒殺によるざまぁ系にしてみました。
タイトルを思いついて、一気に書き上げた作品ですが、お気に召していただけたなら幸いです。
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励みになります。
2026.5.13 網笠せい
参考資料
クリエイターの為の植物辞典




