召喚された少女と呪われた不死の騎士
1.
鬱蒼と茂る森を騎士は見つめていた。人間の目では先に何が潜んでいるか一向に見えない。黒い存在がこちらを見返している気がして、不意をつかれて取り込まれるのではないかと彼はぞっとする。
帯刀した騎士剣を握りしめる。
死の最前線。
人間に許された死と生の境界線。
森の先に人間が踏み入れることはできない。
「異常はないか」
「今のところ」
彼は二回りは年上の傭兵に声をかける。
大男の深く皺が刻まれた頬が彼に見えた。傭兵は騎士に比べれば簡素な服を着ていた。街で見る一般的な服とさほど違いはない。
戦線は一進一退を繰り返し、騎士は減少の一途を辿っていた。
それを補填するため、急募の志願兵をかき集め、しまいには得体の知れない傭兵までも雇うようになっていた。
今や騎士は彼一人しかいない。
「連中、今日は動かないんじゃないですかね」
傭兵の呑気な言葉に、彼は頭を振った。
「油断はできない。何しろ相手は人外だ。目も利く」
彼らが直面している敵は同じ人間ではなかった。多種多様な魔物の群れだ。力は強く、動きは速く、炎や酸を吐く、統率された集団だった。
数十年、数百年、小競り合いを起こし続け、領土を奪い合い、数度の大規模戦を繰り返している。
単体では人間が敵う要素はなかった。人間側にある有利な点は人数と多少の知恵だけだった。
ヒョウ、と空で何かが鳴いた。
傭兵が地面に置いてある弓を持ち立ち上がる。
「いや、鳥だ。敵襲ではない」
「そうですかい」
安堵の顔をして、傭兵が火のそばに腰を下ろし直す。
「旦那、噂を耳にしたんですが」
「何だ」
恐怖を紛らわすためか、傭兵は騎士に話しかける。
「この国の騎士は『不死の騎士』と呼ばれているそうですね。何でも魔女の加護を受けているとか」
「そうだ」
「それは、名誉の話ですかい?」
「いいや、事実だ」
騎士は、革手袋を外し、右手で持つ剣の先に左手の人差し指を這わせた。表情を変えることなく、指から鮮血がこぼれ落ちる。
「何を」
「見ていろ」
騎士が空に向け、太陽にかざす。
傷口が塞がれ、出血も止まった。
騎士はこともなげに言う。
「我々騎士は、首を刎ねらなければ死なない。回復には時間がかかるが、骨が折られても、肉が抉られても、たとえ幾千の槍で突かれたとしても、死ぬことはない」
「痛みは」
「当然ある。慣れる者もいるが、苦痛がなくなるわけではない」
「まるで地獄だ」
「何を言う。この世は元から地獄だ」
率直な感想を漏らした傭兵に、騎士は吐き捨てる。
「所詮騎士は国の所有物だ。民の剣であり、盾だ。傷がつけば使えるように直されて、また戦地へと送られる。もはや騎士は、人間ではない。むしろ森奥の化け物どもと仲良くできるかもしれん」
自嘲気味に騎士は言う。
「ただ旦那には大義がありましょう、国民を守り、正義を完遂するという大義が。しかし、我々にはそういった大仰なものはありません。敵を殺した数を銀貨に換え、日々を凌ぐ露にするだけです。我々は矢です。落ちていたら再利用する、折れていれば捨てる、戦記に名を残すこともなく、記されるのは散っていった数だけです」
「ならばその弓を鍬に替え、畑を耕せば良いだろう」
騎士の言葉に、傭兵は、わかりきったことでしょう、とでも言いたげに笑った。
どの国でも、飢えるものが増えている。
騎士の国でも例外ではなかった。
だからこそ、森林地帯の資源開拓は死活問題だった。
人間が生き残るための選択肢はもう他になかった。
「『敵』の大将ですが」
「ああ、『魔女』か」
その容姿は長く髪を伸ばした少女だと報告書には書かれている。その情報は国民には知らされてはいないものの、兵士達の間では周知の話だった。
「旦那は知っているんですか?」
騎士は問われ、もう一度空を仰いだ。
「知っているとも。魔女は私に奇跡を与えた張本人だ」
2.
「顔を上げて」
透き通る声で騎士に語りかける。
魔女と騎士以外は誰もいない。
「はい」
跪いていた騎士は、その姿勢のまま魔女を見据える。
彼が魔女と顔を合わせるのは初めてだった。
魔女は腰まである黒髪と深い色の黒い瞳を持つこの世界では珍しい姿をしていた。この世界では貴重な白い絹の衣服をまとい、その白い肌との境目を曖昧にしていた。
それらを除けば街にいる少女と何も変わらない。
「若いのね」
「十四になります」
人材不足のこの国でも、彼ほど若い騎士はいない。騎士になるためには宣誓だけでなく、実績が必要なのだ。彼は異例の早さで騎士まで上り詰めた。
「私と同じ」
魔女に年齢があるのか、と騎士は思った。
魔女は別世界から呼ばれた、高次の存在であると言われている。
その世界がどのようになっているのか、彼は知らない。
知ったとしてもどうしようもない。
「両親は?」
「先の戦で、魔物に殺されました」
「そう、辛かったのね」
「いいえ、それが彼らの使命です」
真っ直ぐな瞳で騎士は見られて、顔を逸らしたくなってしまった。
「大礼の儀を行います。こちらへ」
神の招きに従い、騎士は彼女の傍まで歩み寄る。
「質問があります」
神は騎士を見下ろしながら、微笑む。
「貴方は何のために戦うの?」
「国のため、民のため、我ら騎士団のため、正義のため」
淀みなく騎士は答えた。
「憎しみではなくて?」
「違います。血のためではありません」
おかしい、と彼は思った。
先輩の騎士から儀式については十分に教えられている。
必要以上の会話をするなどとは聞いていない。
彼らが口をつぐんでいた可能性もある。
もしこの質問にさきほどの答え以外を口にしていたとするなら、騎士にとって恥ずべきことだ。私怨で戦うなどもってのほかなのである。
「よろしい。皿を」
彼は事前に言われていた通り、横に置かれていた銀の皿を持ち、恭しく掲げる。
彼女は台にあった細身の銀ナイフを、左手首に当てる。
手首は赤い線を描き、そこから赤い血が滴り落ちる。
血はぽたぽたと皿へと移される。
「良き世界になりますように」
「良き世界になりますように」
簡単な儀式を終える。
「飲みなさい」
「はい」
彼は皿を下ろし、口元まで運ぶ。
彼の口の中に、この世のどんな飲み物よりも濃く甘い味が広がった。
3.
「魔女がなぜ」
傭兵が質問をする。
「我々にはあずかり知らぬ。どちらにせよ今は反逆者だ。もし相対することがあれば迷わず首を刎ねろ。騎士と同じ魔法がかかっている、それ以外では死なん」
「厄介ですね」
ヒョウと空で音がした。
「また鳥ですか」
「そうだろう」
二人が空を見上げる。雲一つない快晴だ。
低い位置にある太陽を中心にして、鳥がぐるぐると回っている。
「いや、待て」
騎士が声を上げた。
一羽が旋回しているだけに見えた空から、重なるように耳をふさぎたくなるほどの鳴き声が響きだした。一羽、また一羽と数を増やしていき、見る見るうちに数百羽が空を覆い尽くしていく。
さすがに異常を感じ始めた他の兵士達も空に注目していく。
気の早いものは弓を構えていた。
太陽を隠し、大量の鳥の影ができる。
世界が薄暗くなっていく。
バサバサと一際大きな羽ばたきが聞こえ、それから咆哮が鳴り響く。
鳥達が命令を受けたように、塊となって森側へ飛んでいく。
「なんてことだ」
鳥がいなくなり、また太陽が地面を照らすかと誰しもが思ったが、光は戻らなかった。太陽がなくなってしまったのだ。
彼らの目に映ったのは、太陽よりも大きく、金色に輝く月だった。
鳥の点の代わりには、小さな光が煌めいていた。
騎士は長らく流していなかった汗が額を通るのを感じた。
「魔物の仕業に違いない! 気をしっかり持て!」
鼓膜を破くような低い咆哮が近くで聞こえた。
森側の空からやってきのは、竜だ。
騎士剣も通らない褐色の鱗に覆われ、人間を消し炭にする烈火を吐き、鳥よりも速く空を駆ける、この世界の生物の頂点に君臨している。
人の味方ではなかったが、森の魔物達の味方でもなかった。逆鱗にさえ触れなければ、人間が襲われることなかった。
この状況で、竜が出てきたことは偶然だと言えない。
彼らは必然、竜が魔物側に与したと考えた。
人間たちの一人が、竜の背に乗る物体を目視した。
「魔女だ!」
声が届いたのか、竜はゆっくりと下りてくる。木々の頭よりも低いところまで下りて、はっきりと騎士にも姿を認めることができた。
黒い髪と黒い瞳を持つかつての彼の魔女。魔女は黒に染められた服をはためかせて竜に乗っていた。
優しい声で、魔女は彼に言う。
「久しぶりね」
黒の背景に浮かんだ巨大な満月を背にして、竜に乗った魔女は騎士を見下ろす。
「なぜ我々を裏切った!」
「裏切ってはいません」
「何を! 現に魔物の味方など!」
「いいえ、私は魔物の味方をしているわけではありません。貴方達の敵ではありません。この竜も同じです。私の意志に共鳴して力を貸してくれているだけです」
「戯れ言を。弓を! 矢を放て!」
騎士の号令で、立ち向かう気力の残っていた幾人が弓を引いた。
矢は最初こそ勢いが良かったものの、すぐに彼らと魔女の間にある、何かの壁に当たったかのように失速して落ちた。
「どうするつもりです。我々をその竜の吐息で焼き尽くすつもりですか」
ふるふると魔女は首を振った。
「いいえ、それも無益なことです。元よりこの戦いに義はどこにもありません」
清流のような声で魔女が言う。
「では何のために」
「一つお願いをするために来ました」
しん、と空気が凍る。
「休戦をしましょう」
4.
彼女は静かに座っている。
「怪鳥の群れに襲われ、騎士二名が首を裂かれました。その他騎士五名が聖堂で回復を行っています。兵士の死者は十名です」
淡々と彼は報告をした。
今回の遠征もさしたる成果は出なかった。
ますます人間側は防戦を強いられることが多くなっている。
「貴方はどこへ行くの?」
「仲間の回復を見に行きます」
美しく響く神の声に、彼は答える。
「心配だわ。私も行きましょう」
「いいえ、彼らは貴女に与えられた体に傷をつけられたことを恥じています」
「そう」
騎士が損傷しているところを魔女に見せることは規律により禁じられていた。
彼は部屋を出て仲間のいる聖堂へと向かう。
扉を開けると、そこには無残の光景が広がっていた。
聖堂とは名ばかりで騎士達の休息所となっていた。以前は並んでいた長椅子が取り払われ、等間隔にベッドが置かれている。窓からは今日も太陽の光が注ぎ込んでいる。
壊れた騎士達がベッドに寝かされている。
怪我などと生やさしい言葉では表現することができない。
彼らは足をもがれ、臓腑が飛び散り、喉を潰されたのだ。
「頼む、頼む、俺を殺して、首を刎ねてくれ」
両腕のない騎士が通りかかった彼に叫ぶ。
「安心しろ、気の迷いだ。すぐに落ち着く。魔女の加護を」
騎士は勝手に死ぬことは許されない。
騎士は魔女の加護を受け、国民の期待を背負った道具だ。
それが彼らの価値だった。
彼は鳥を追い払い、四散した仲間の部品を集め、街まで撤退してきた。
彼自身も仲間を庇うために左腕を折った。しかし加護で骨はすでに修復されている。
一晩経てば、彼らも傍目には五体満足に見えるだろう。
そうすれば、また戦地へ赴くことができる。
地獄だ、彼は誰にも聞かれないように呟いた。
5.
「休戦、だと?」
「そうです。一時休戦をし、森に不可侵の境界線を引きましょう。お互いにルールを決め、殺し合いをやめるのです」
「何をふざけたことを」
彼はもちろん、騎士団の誰も、国民の誰もが考えたこともなかったことだろう。この戦いは、どちらが絶滅するまで続くに違いない、続かなければならないと思っていた。
「どうしてもと言うのであれば」
魔女は右手を水平にかざした。
それを合図に金属がぶつかり合う音が彼らの周囲から聞こえた。
「囲まれてます!」
傭兵が叫ぶ。
研ぎ澄まされた騎士の感覚でも生き物の気配がまったく感じられなかった。
森の間から現れたのは、甲冑を着込んだ人間達だった。右手には剣を持っている。しかし、彼らの甲冑は割られ、汚れ、剣は刃先がぼろぼろになっている。兜で隠れて顔は見えない。その場で確認できるだけでも二十人はくだらない。
騎士にはそれらが誰であるかすぐにわかった。兵士達もその姿が横にいる者と同じであることから察していた。
「貴女はなんてことを!」
不死の騎士団。
居並ぶのは彼のかつての仲間だった騎士達だった。
今は骸の騎士団として、彼女の傍にいる。
「貴方の言いたいことはわかります。犠牲を増やさないための苦肉の策です。どうか、許してください」
月光を浴びる魔女の表情は騎士からは見えない。
「許されるわけがない!」
彼が魔女の騎士団に気が付かなかったのも当然だった。彼らは誰ももう生きてなどいないのだ。
首を刎ねられ絶命した騎士はその場に捨てられる。死を免れた騎士を運ぶのに手一杯で、墓地まで連れ帰ることも埋めて弔う余裕もなかった。いずれ魔物に食われることも仕方ないと諦めて放置していた。
その死体を魔女は自身の魔法で蘇らせ、配下の騎士団を結成していた。
彼にとって、それは騎士への冒涜だ。
彼は戦い続けるだけの騎士に名誉など必要ないと思っていても、強制された生から逃れた彼らにはせめて安住の地を与えてほしかった。
生きているだけで、あの苦しみを繰り返したのだ。
死してなお、戦い続けなければいけないとしたら救いがなさすぎる。
「彼らに個々の意識はありません。でも、剣技は以前のままです。貴方達の今の戦力では対抗することはできないはずです。それでも戦いますか?」
「くっ」
一人一人が彼と同等の能力を持つ骸の騎士達と、向かい合うことさえはばかれる竜、そして魔法を操る魔女、どれ一つをとってもまず撤退を考慮する戦力差だった。
「どうしますか。拒否をするならいくら貴方でも、私は私の力で、彼らに剣を振るってもらうことになります」
「ただの脅迫ではないか」
「そうとってもらって構いません。まずは話を聞いていただきたいのです」
屹然とした態度に、彼は剣を下ろした。
「ありがとうございます。まずは申し出のお知らせです。手始めに、敵意がないことを明らかにするためにやってきました」
「そのためにわざわざ……」
「果実酒と、蜂蜜酒も用意してあります。申し訳ありませんが、肉は用意していません。代わりに森で取れる木の実や山菜でよければ豊富にあります」
「それが毒ではないと言い切れますか」
「攻撃の意思があれば最初からしています」
「しかし、そんなことを信じろと言われても」
「そうですね、確かにそうです。では」
魔女が竜を地面まで下ろす。静かに着地したつもりだろうが、地響きが彼の足元まで伝わってきた。
魔女はそこから飛び降りて、つかつかと彼の前まで歩を進める。魔女と知って誰も手を出そうとする者はいない。
魔女が彼の正面に立ち、彼は剣を構え直す。徒手であることを示すように魔女は両手を広げた。だからといって魔女は何ができるかわからない、彼は剣を下げない。
「貴方が私を信用できないというのであれば、貴方の剣で首を刎ねてください。その覚悟はあります」
それは、聖堂で見る彼女と同じ真っ直ぐな瞳だった。
幾度目かの出征、幾度目かの敗戦。
狂気の沙汰の繰り返しが続く。
何度折れた骨が肉を突き破ったのか、何度眼球を潰されたのか、何度それらを自分の手で拾い逃げ帰ってきたのか、もう数えることができない。
今の自分が最初の頃の自分だったのか、彼は確信できなくなっていった。
彼女の加護のおかげだろう、彼女の呪いのせいだろう、それでも体が元通りになると戦意がみなぎってくるのだ。痛みの記憶は蓄積していくが、体は勝手に次の戦場へと行こうとする。
それでも騎士団は徐々に減っている。不死に近いとはいえ、首を刎ねられることはある。彼女の加護を受けることができる適性者が減っている、というのもあった。
すでに彼は歴戦の騎士となっていた。
内臓を引きずり出された彼は、聖堂で一人横たわっていた。傷跡はもうない。血を吐くこともない。
青々とした空を恨めしい目で見た。
騎士になってからの記憶が少しずつ曖昧になっていっているのを感じていた。
それと引き替えに、彼は最近、両親がいた頃を思い出すようになっていった。何も知らず、彼自身の世界は平和で、何不自由ない生活だった。裕福ではないが、暖かい寝床と、湯気の立つスープがあった。
それが今や国民も知らされない、現実の先頭にいる。化け物を殺しては殺され、仲間の体をかき集めて、また先頭に立つ。
何も知らないまま死ねたとしたら、その方が幸せだったのではないかと、頭の片隅に浮かべるようになった。
国民を化け物から守るため、という役割はいくらか果たしているだろう。彼と騎士団の犠牲によって、救われた命もあることだろう。自分にはまだ正義はある。そう言い聞かせるしか彼には残されていなかった。
彼には睡眠も食事も必要ない。冷たい大理石と、焼けた喉を抑えるための水だけがあれば良かった。
彼はまた明日には戦地へ向かう。
明日ですべてが終わったとしても。
彼は誰もいない広々とした聖堂で言う。
そのとき、扉が開いた。
「この場所に立ち入ることは許可されていません」
黒髪を揺らし入ってきた魔女に、騎士は体を起こし告げる。
「知っています」
「であれば、立ち去っていただきたい。これが知られれば、私が罰せられます」
「それは困るわ」
「でしたら」
「貴方が黙っていれば良いのでしょう?」
神は笑顔で首を傾げた。
「それとも、無理矢理連れ出す?」
「いいえ、私が立ち去りましょう」
加護を与えた魔女に触れてはいけない。騎士団では強固に守られている掟の一つだった。そもそも魔女が出歩くことなどないのだから、今まで彼はその掟を気にすることもなかった。
「いいの、ここにいて。そう命令すれば良いのかしら?」
「おふざけを」
根負けした彼は再び腰を下ろす。
その横に神も座った。
「どうされたのです?」
「どうもこうも、退屈だから」
「退屈、ですか」
得体の知れない存在だと思い込んでいた神が、退屈だと言ったことに彼は久々に溜息を漏らした。
「そう、お話して、貴方の昔のことでいいわ」
「特に語ることはありません。平凡なものです」
神は首を左右に振る。
その仕草は子どもそのものだ。以前、魔女が自分と同じ年齢だと言っていたのを彼は思い出す。
「貴方には平凡なことでも、この世界をよく知らない私には新鮮かもしれない。貴方達の言う魔物だって、私は見たことがないの、この城から出たことないし」
「いないのですか?」
「うーん、動物っていうのはいたし、人が襲われたってニュースも見たことがあるけど、そういう言われ方はしていなかった」
「そうですか、平和な世界だったのですね」
「まあそうかもね、戦争とかはあったし、そういうのは学校で習ったよ、全然行ってなかったけど」
「学校?」
今度は騎士が首を捻る。
「ああ、ええっと、何だろう、同じ年の子どもが集まって勉強するんだよ、義務教育って言って、みんな行かないといけないの」
「なるほど、効率的な教育方法ですね」
「違う! ぜんっぜん! 面白くないの!」
「そうですか、貴女は嫌だったのですね、魔女などともなれば退屈なのでしょう」
「あのさー、その、魔女って言い方やめてくれない?」
「なぜですか?」
「当たり前でしょ、私には名前があるんだから。貴方にだってあるでしょう?」
当たり前、と言われ、騎士ははっとする。
魔女に名前があることもそうだが、彼は自分に名前があることもれていたのだった。
「あ、今、考えてもみなかった、って顔してた」
「申し訳ありません。私はもう行きます」
気恥ずかしさが勝って、騎士は立ち上がる。
「また一緒にお話してくれる?」
「駄目だと言っても仕方がないのでしょう」
「そうね」
魔女が騎士に向き、両手を伸ばす。
「あら、貴方って温かいのね」
白い手のひらは彼の両頬を包み込んだ。
「やめてください」
「いいのいいの、じゃあ、明日ね」
彼は明日も生き残る理由ができた。
6.
酒宴が行われていた。
傭兵達は魔女の言う通り、森から持ち込まれた酒を丸い月を肴にして飲んでいる。それも、普段は命をやり取りする魔物達と一緒に、だ。
魔女は伏せる竜の横で楽しそうにそれらを眺めていた。
骸の騎士団は隅に固まっている。
騎士は、一人離れたところから全体を俯瞰していた。
彼は自分自身でも魔女の幻術にかかっているのではと思っていた。
「横、座ってもいい?」
魔女が騎士に言う。
「嫌と言っても座るのでしょう」
「当たり」
魔女は彼の承諾を得る前に彼の横に場所を取った。
「久しぶり」
差し出された杯を騎士は受け取り、喉を潤す。味のある水分を摂ったのは数ヶ月ぶりだった。少しだけ彼女の血のような味がした。
「まったく、貴女は何を考えているのですか」
「何だろ」
彼女は陽気な笑顔を崩さない。屈託のない彼女にいつの間にか彼も気を許していた。
「良い光景だと思わない? 昨日まで敵同士だった者が笑いあってお酒を飲んでいるんだから」
「そうでしょうか」
「メチャクチャ緊張したんだから、貴方がいて良かった。他の人だったら問答無用で矢の嵐だったもんね」
「それより、あの話、本気ですか」
休戦の申し出だ。
「本気も本気、超本気、私は本気です」
「はあ」
「もう、こっち側の了承は取っているようなものだからね。あとはそっちの了承が取れればオーケーなの」
「了承するわけありませんよ」
「どうしても?」
「我々人間にとって、森の奪取は悲願ですから。ここまでの犠牲を無駄にするわけにもいきません」
「そうだよねえ、そうなんだよねえ、難しいねえ」
正面を向いて、彼女は遠い目をしていた。
7.
変わらぬ日常。
戦い、傷つき、逃げ、休む。
しかし、今の彼にはもう一つ、彼にとって重要な行為が増えていた。
束の間の休息、魔女と騎士は見たこともないお互いの世界の話をするようになっていた。それが今の現実を変えられないことは二人とも知っている。
騎士は遠征した先々の話をした。
「どうしたの? 今日はいつもよりずっと暗い」
冗談っぽく魔女が言う
「いえ、此度の戦いで、騎士団はついに私だけになってしまいました。もう団ではないですね」
彼は今日、初めて禁忌を犯した。
仲間の首を刎ねたのだ。
森の中で酸を吐く黒犬と戦っていた彼らは、今回も苦戦を強いられていた。何とか目の前の敵を倒し、彼は息をつくことができたが、背後には死体が山積みになっていた。その中から、彼は唯一の騎士仲間へと向かう。
その騎士は顔が酸で焼け、呼吸も絶え絶えだった。両手の指は敵の鋭い牙で失われている。回復に一晩はかかりそうだが、それでも連れて帰れば元通りになる。彼が肩を取ろうとしたとき、倒れている騎士は彼に向かって懇願をした。
「たの、む、だれもみて、いない、くびを」
「大した傷ではない。すぐに治る」
「もういいんだ、もういいんだ、お願いだ」
彼にしても、この騎士にしても、この程度なら何度も経験してきた。だから、死ぬことはないというのはわかっている。
ただ、蓄積された痛みは体ではなく心を蝕んでいた。
騎士は長く戦えば戦うほど、無意識に死にやすそうな戦い方をし始めるのだ。騎士も首を刎ねられれば終わりだ。意識的には微塵も思っていないとしても、無謀な戦い方を好むようになる。
「魔女の加護を」
彼はお決まりの言葉を告げ、いつものように倒れた騎士を担ごうとしたところでふと動きを止める。
気が付けば、彼は剣を振り上げ、味方の首へと下ろしていた。
死んだ騎士は満足そうに目を閉じていた。
「また独りになりました」
「何言ってるの! 私がいるじゃない!」
魔女が胸を張る。
小柄な魔女は自分で叩いた胸が痛いのが咳き込んだ。
「そうですね」
彼が答えるが、何故か魔女は悲しそうな顔をしていた。
翌日、魔女は城から姿を消した。
8.
天高くあった月が沈み、太陽が地平線の彼方からいつものような威光を出し始めていた。
眠りこけている兵士も多い。魔物はそれでも彼らを食おうとはしなかった。
それまでうとうととしていた魔女が真剣な声で騎士に聞く。
「どうして言わなかったの?」
「何をですか」
薄々、彼女の言いたいことが彼にはわかっていた。
「騎士のこと、私の魔法のこと、貴方のこと」
やはり、と彼は思った。彼女は自分が騎士達にかけた魔法がどのような呪いになっているか知らなかったのだ。彼女はせいぜいかけた相手を強くする、程度にしか思っていなかったのだろう。
「だから、貴女は血を与えることを拒んでいたのですね」
あるときを境に、騎士が作られなくなっていた。最初は適性の問題かと思われていたが、それにしても補充が遅い。彼女が何かと理由をつけて血の呪いを与えることを拒否していたのだ。
「言ってほしかったな」
「言ったところで変わらないでしょう。それに私は後悔していません。この体になったことを光栄に思っています」
彼の返事は半分は本当で、半分は嘘だった。
死を奪われた痛みは大きい。
それでも、彼女に出会えたのも、騎士故だった。
呪いがなければ、彼女に会うこともなかっただろう。
「本当に本当?」
「ええ、まあ」
「良かった」
彼女が胸をなで下ろしている。
「これからどうするんです」
「うーん、どうしよっかな」
指先を口元に当てた。
「竜と騎士団を連れて、第三勢力にでもなるつもりですか」
「あ、そういう手もあったか。敵の敵は仲間って言葉もあるし」
「まったく、考えなしなんですか」
「いやー、やっちゃったね、飛び出したまでは良かったんだけどね」
ばつが悪そうな年相応の顔で彼女が言う。
「勝手にいなくなってゴメンね、怒ってる?」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「怒ってよー」
それは駄々をこねる子どもそのものだ。
「こっちも作戦も練らないと」
彼女が杯を傾け、中にあるものを一気に飲み干す。
「私ね、嬉しかったよ」
彼女の独白だ。
「私がいた世界は、私なんて関係なしに回っているし、いなくなったって誰も困らないだろうし、こんな世界なんてなくなっちゃえ、とか思っていたし。だから、こっちに喚ばれて、役割を与えられて、しかもそれが私にしかできないことで、みんな期待してくれてるし、頑張らなくちゃなーって思って、張り切ってたんだ。結構気張って、格好良く話していたでしょう?」
あの厳かな話し方は演技だった。彼と会話をするようになってから、少し砕けた口調になっていたのは地だった。
「でも貴方達のことを知って、私が何をしていたのかも知って、飛び出しちゃったんだ。最初はすぐに戻ろうとしたんだけど、なんだか戻れなくて、気が付いたらこっちの森に来ちゃってたんだよね」
「なんという無謀な」
「まあ、いざとなれば、逃げるくらいはできるかなって。そしたら、たまたま貴方達が魔物と呼ぶ獣にも出会って、話をしてみれば、私、どうやら魔法で彼らと話しができるみたいなの、それでね、聞いてみれば、魔物側では人間のこと勝手に森を荒らして侵略してくる生き物で、迷惑しているから、自衛をしているだけだって言うじゃないの。いい加減にしてほしいって」
向こうにしてみれば、そういう感覚もあるかもしれない。
「で、思ったんだ。本当に私しかできないことは貴方達に魔法をかけて彼らを滅ぼすことじゃなくて、お互いの主張を聞いて取り成すことじゃないかって」
彼女は空になった杯を沈みかける月に合わせる。
「すごく難しいことだっていうのは、わかってる、つもりだよ。一筋縄じゃいかないことも。そっちの事情もわからないわけじゃないしね」
彼が彼女に言ったように、森の資源がなければ人間側はもう立ちいかないところまで来ている。来るなと言われて、すんなり了解できるわけもない。
「そのためには無理も通すし、埒も明けなきゃ」
騎士は何も言わず聞いていた。
彼女の悩みのほとんどは、彼には理解できない。
「伝えることはしましょう。結果は見えていますが」
「ありがとう。ついでに、お願いがあるんだけど」
彼女が両手を合わせる。その意味を騎士は知らないが、先に続けようとする言葉はわかっていた。
「私は行きません」
「そっか」
彼女の申し出を騎士が断る。
「貴方に騎士団をまとめてもらえれば楽だったんだけどなあ」
「私は誉れある騎士団です。貴女の騎士団を許すこともできません。貴女が無意味に思おうとも、私には民を守る役割があります」
「そう言うだろうと思ってた」
「はい」
「うん、それじゃ、もう行こうかな」
彼女は立ち上がり、腰の土埃を払って背伸びをした。
「そうですか」
「いい? ちゃんと城に戻ったら伝えてね」
「わかりました、言うだけですが」
「わかってる。まずは最初の一歩」
「はい」
「そんなわけで、行ってきます」
「お元気で」
「覚えていてね、次は敵かもしれないけど、貴方は私の唯一の生きた騎士なんだから。決して勝手に死なないように。あと、こっちの陣営に来たかったらいつでも言ってね、歓迎しちゃうから」
「覚えておきます。貴女も私の魔女ですから、無茶はしないようにしてください」
二度と会えないかもしれない相手に、会ったとしても剣を向けなければいけないかもしれない相手に、彼は自然と緩んだ表情を見せていた。
「良き世界になりますように」
「良き世界になりますように」
彼女の言葉に、彼も合わせる。
目指すものは違えども、口にする言葉は同じだ。
「皆さん、朝が来ました!」
彼女が広場の方へ声をかける。
眠っている兵士達が薄目を開けて起き始める。
「人と獣よ、幸あらんことを! 以上、本日は解散!」
張り上げた彼女の声に反応して、魔物が森の中へ駆けていった。ぞろぞろと列をなして骸の騎士団も森へと消えていく。
兵士達がその様子を見ていた。彼らが街へ戻ったとき、これをどう表現して回るのかわからないが、彼らが今までと同じ気持ちで弓を引くことはできないかもしれない。彼女はそれも見越しているのだろう。
竜が翼を震わせ、空へと上がっていく。
「次は戦場の火の下で会いましょう。不死の騎士よ」
魔女が笑った。
※今のところ長編化の予定はありません。




