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第八話:見えざる証拠、騎士の誓約

 アイゼンガルド管理局の広場は、早朝から野次馬の野卑な興奮に包まれていた。

 

 中心に立たされているのは、昨夜の警備担当であった騎士ガルド・ヴァルツだ。その周囲を、鑑定官デインが数人の部下を引き連れて、まるで獲物を追い詰めたハイエナのように歩き回っている。


「――おやおや、黙り込んでどうしたのですか、ガルド君。君の『管理不行き届き』のせいで、押収品の白塩が一箱、無惨な炭に変わり果てたのですよ? これは公国にとっての明白な損害、いや、もはや背任行為と言っても過言ではありませんねえ」


 デインは整えられた口髭を指で弄りながら、甲高い声でガルドをなじった。 彼の顔には、隠しきれない優越感と、自らの失敗を他人に押し付けられた安堵感が、醜い笑みとなって張り付いている。


「……身に覚えがない。私は夜通し、倉庫の扉の前で一歩も動かず警備に当たっていた」


 ガルドは岩のように動かず、絞り出すような声で反論した。誠実すぎる彼は、「自分の管理下で事故が起きた」という事実そのものに、己を深く責めていた。


「記憶にない? くくく! 君が居眠りでもして箱をぶつけたか、あるいは魔力認証もなしに中身を覗こうとしたのでしょう? 君のような、落ちぶれた平民騎士の分際で!」


 デインが勝ち誇ったように憲兵へ合図を送ろうとした、その時。


「――朝から、ずいぶんと騒がしい『お芝居』を上演していますね」


 雑踏を割って、涼やかな、しかし芯の通った声が響いた。  


 現れたのは、俺――レオン・アルグレイン。後ろには黒衣を纏ったリリス、羊皮紙を抱えたシア、そして巨大な槌を担いだボルク親方が控えている。


「レオン……殿……」


「おや、灰谷はいだにの『無能』殿ではありませんか。ちょうど良かった、君の持ち込んだ欠陥品のせいで事故が起きましてね。賠償の話は後でじっくり……」


「欠陥品? 聞き捨てならないな。俺の古紋こもんによる封印は、正当な理由なく中身を盗もうとした『泥棒』にしか反応しないようにできているんだが」


 俺はデインを無視し、ガルドの前に立った。


「ガルド。あんた、箱を開けたか?」


「……していない。誓って」


「だろうな。だったら、あんたが悪くないって証明してやるよ」


 俺は懐から一通の羊皮紙を取り出し、デインの目の前に突きつけた。公国の印章が刻まれた、正式な『交易許可証』だ。


「なっ……公国の印!? なぜ君のような追放者が、摂政リディア様の許可証を……!?」


「リディアとは旧知の仲でね。これで俺は正式な灰谷の領主だ。つまり、あんたが行っている『暫定押収』は今この瞬間から、正当な領主に対する不当な内政干渉になる」


 デインの顔が引きつったが、彼はすぐに狡猾な笑いを取り戻す。


「ふ、ふん! 許可証があったところで一箱壊れた事実は変わりません! 管理不備で損失を出したのはこのガルドだ! それが公国の法ですよ!」


「損失、か。……デイン鑑定官、あんた自分の手に包帯を巻いているな? 昨日はそんなもの、していなかったはずだが」


 俺の指摘に、デインは反射的に右手を隠した。


「こ、これはただの擦り傷です!」


「ほう。なら証明してやろう。俺の古紋は、犯人の『指紋しもん』を記録する」


 俺は、炭化した白塩が詰まった箱の前に立った。


「指の先には人それぞれに異なる渦の模様がある。そしてそこからは、微量のマナ……『魔力の残滓』が常に漏れ出している。……リリス、励起れいきを頼む」


「はい、レオン様♡」


 リリスが優雅に指を鳴らす。  


 俺が箱の蓋に手をかざし、古紋術式――『インビジブル・トレース(不可視の痕跡)』を発動させた。


 瞬間、木箱の蓋の「誰かが触れた箇所」が、ボウッ……と青白く発光した。そこには、はっきりと人の指の形をした『光の跡』が浮き上がっていた。


「……なんだ、あの光は!? 指の形だぞ!」 「誰かがそこを触った跡か?」


 広場がどよめきに包まれる。俺は冷徹な瞳でデインを射抜いた。


「デイン、あんたの指の形と、そこに残った魔力の波形……。一致するかどうか、今ここでリリスに調べさせてもいいんだが?」


「ひ、ひぃぃ……っ! ば、馬鹿な! こんな出鱈目な光が証拠になるものか! 公国の法には『指紋』などという概念は存在しない! 法廷に出せば、認められないのは君の方だ!!」


 醜い足掻き。だが、論理の穴を突いた防御だ。法が真実を定義していない以上、デインは逃げ切れると踏んだのだろう。


 ガルドは再び俯いた。


「……やはり、法には勝てぬか……」


 その時、俺はクスリと笑った。


「……デイン。あんた、勘違いしてないか?」


「……何だと?」


「俺は、あんたを裁くためにこれをやってるんじゃない。俺にとって、塩一箱の賠償金なんて、どうでもいいんだよ」


 俺はデインを完全に見限り、ガルドに向き直った。


「ガルド・ヴァルツ。あんた、このままこの街にいて、この『法』とやらに守ってもらえると思うか?」


「……思わない。私は今日、全てを失った」


「なら、捨てちまえよ。そんな安っぽい看板しごと


 俺は、ガルドの前に手を差し出した。


「デイン鑑定官。賠償金は請求しない。その代わり、ガルド・ヴァルツの身柄は俺が預かる。この男の『価値』に比べれば、塩一箱なんてゴミみたいなものだ」


「なっ……!?」


「法が真実を見ないというなら、灰谷へ来い。……ガルド。俺の領地には、あんたのような誠実な盾が必要なんだ。どうだ? 俺の配下として、新しい『掟』を作ってみないか?」


 広場に静寂が訪れる。シアが「ガルドおじいちゃん、一緒に来ようよ! レオン様は嘘をつかないもん!」と声を上げ、リリスが微笑む。


 ガルドはゆっくりと俺の手を見つめた。今まで守ってきたもの、公国への忠誠、騎士としての誇り。それら全てを裏切ったのは、自分ではなく、公国そのものだったのだ。


 ガルドは力強く、俺の手を握り返した。そしてその場に膝をつき、己の盾を地面に突き立てる。


「……ガルド・ヴァルツ。主殿、貴殿を『真実を観る主』と認め、この盾を捧げよう。これより、我が命は貴殿の古紋の一部とならん」


 瞬間、ガルドの腕に、俺の古紋――『誓約』の微かな輝きが宿った。


「あ、ありえない……! 騎士が、追放者に跪くだと!?」


「――狂っているのは、あなたの頭脳の方のようですね、デイン鑑定官」


 群衆を割って現れたのは、公国の憲兵隊。そして、摂政リディアの秘書官だ。


「デイン・ヴァルガ。白塩の横領未遂、及び過去の着服容疑で、摂政リディア・ヴァレンの名において逮捕します」


「な、なぜだ! 証拠はないはずだ!!」


「こちらで入手した『過去の収支データの不整合解析』……。それだけで十分でしたよ。連れて行け」


「ひ、ひぃぃぃっ! 待ってください! 私は、私はただ……っ!!」


 デインは失禁しながら憲兵たちに引きずられていった。その姿に、野次馬たちからは一転して嘲笑の嵐が巻き起こる。俺は軽く肩をすくめた。


「さて。邪魔者はいなくなったな。シア、ボルク親方。残った十九箱、最高の値で売り捌くぞ。……ガルド、あんたは早速仕事だ。この荷車を護衛してくれ」


「……はっ! 御意に!」


 ガルドは晴れやかな顔で立ち上がった。その背中は、公国の騎士であった時よりもずっと大きく、頼もしく見えた。


 軍事の柱、ガルド・ヴァルツ。  生産の柱、ボルク・グレン。


 灰谷はいだにの陣営は、最強の布陣へと進化を遂げた。

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