第七話:再燃の槌音、強欲の自爆
アイゼンガルドの裏通り、冷え切ったボルクの工房に、数年ぶりに「魂の火」が灯ろうとしていた。
それは魔力を燃料とする魔導炉の火ではない。ボルクが自らの手で熾し、ふいごを引いて育てた、職人の意地の火だ。
「……信じられん。何度叩いても、響きが一点も狂わねえ。不純物が一つもねえ証拠じゃ」
ボルク・グレンは、シアが持ってきた『黒金煉瓦』の欠片を金床に置き、愛用の槌を振り下ろしていた。 キィィィィィン! 透明な鐘のような音が、工房の埃を払い、空気を震わせる。その音を聞くたびに、ボルクの濁っていた瞳に、若かりし頃の鋭い光が戻っていく。
「リリス様、見てください! ボルクおじいちゃん、さっきよりずっと元気なんだもん!」
シアが嬉しそうに声を上げる。その横では、リリスが優雅に椅子に座り、ボルクがどこからか出してきた北方名物『雪解け蜜のタルト』を幸せそうに頬張っていた。
「ふふ、まあ、素材が良いのは認めますわ。わたくしが『焼成』したのですもの。……ボルクといったかしら? あなた、口は悪いけれど甘味と素材の目利きだけは一流ですわね」
「……フン、ドワーフの工房に甘いもんは必需品なんじゃよ。集中力が切れたら良い刃は打てんからのう」
ボルクは照れ隠しに鼻を鳴らすが、その視線は煉瓦から離れない。
「お嬢ちゃん、シアと言ったか。……お前の主、レオン様といったか。あいつは、これを作ってどうするつもりじゃ?」
「ええと……これで、村に丈夫なお家を建てるんだもん! 冬が来ても寒くないように、魔物が来ても壊れないようにって、レオン様が言ってたんだもん!」
「……家だぁ? この魔導伝導率を誇る素材を、ただの建材にするというのか……? カカッ! とんでもねえ贅沢野郎じゃな。だが、気に入った!」
ボルクは槌を置き、真っ直ぐにシアを見た。
「シア。お前は、自分の足で立ちたいと言ったな。……俺も同じじゃ。弟子を失い、酒に逃げて、炉を冷やしちまってた。だがな、こんなモンを見せられちゃ、寝てられねえ。……この煉瓦に合わせた『究極の火』を、もう一度作ってみたくなったわい!」
ボルクの宣言に、シアはパッと顔を輝かせた。リリスはタルトの最後の一口を飲み込むと、満足そうに微笑む。
「よろしい。レオン様も、腕の良い職人は歓迎するはずですわ。……さて、シア。市場の調査という『お仕事』は完璧に終わりましたわね。次は、レオン様と合流しましょうか。お代わりのスイーツも確保しなくてはなりませんし♡」
◇
一方その頃、アイゼンガルド中央城。摂政執務室。
俺は、銀髪の麗人リディア・ヴァレンと対峙していた。
俺は懐から、アイゼンガルドの管理局が発行した「暫定押収令状」を机に置いた。
「デインという鑑定官が、俺の白塩を差し押さえた。嫌疑は密輸と盗品だそうだ。……公国の摂政として、君はどう思う?」
リディアの瞳に、鋭い冷徹さが戻る。
「デイン……。あの男、またやったのね。……レオン。公国は今、一部の腐敗した役人が各所に根を張っていて、私の命令すら末端まで届かないことがあるのよ。彼らは古びた法を盾にして、私腹を肥やすことしか考えていないわ」
「だろうな。……リディア、俺がそのゴミを掃除してやる。その代わり、俺に『正当な領主』としての交易許可証を発行してくれ。……それと、灰谷を俺の正式な直轄領として公認すること」
リディアは僅かに目を見開いた。
「灰谷を……? あそこは王国との国境に接する吹き溜まりよ。あんな場所を領地にして、どうするつもり?」
「楽園にするんだ。……俺と、俺の大切な配下たちのためのね。君も遊びに来たくなったら歓迎するよ」
俺の不敵な笑みに、リディアは僅かに頬を緩めた。彼女は引き出しから一通の羊皮紙を取り出し、公国の印章を力強く押し、俺に差し出した。
「……いいでしょう。正式な交易許可証よ。これであなたは、公国において『追放貴族』ではなく、『灰谷領主レオン・アルグレイン』として扱われる。……期待しているわよ、レオン。この国のゴミを、あなたのその理不尽な力で一掃してくれることを」
「ああ、任せておけ。……ついでに、学生時代からのよしみだ。この部屋の空気も少しだけ良くしておいてやるよ」
俺は指先で机の角に小さな円を描いた。古紋術式――『大気の循環と浄化』。それだけで、部屋を包んでいた澱んだ熱気とストレスが、吸い込まれるように消えていく。
「……っ!? 空気が……軽くなった……? レオン、あなた、本当に便利……いえ、凄いわね」
「サービスだ。じゃあ、また明日。……デインが派手に自爆する頃に会おう」
◇
その日の深夜。管理局の地下倉庫。
カチリ。
暗闇の中、ランプの灯りを頼りに忍び込んだ影があった。鑑定官デイン・ヴァルガである。
彼は正式な鑑定を待つつもりなど毛頭なかった。一箱抜き取り、馴染みの闇商人に流す。そうすれば、鑑定結果がどうなろうと、莫大な富が自分の懐に入る――。
「……ふふふ。あのガキ、封印だの焼き切れるだのと脅しやがって。……あんな『落書き』に、世界の理を変える力があるはずがない。……さて、宝の山を拝ませてもらおうか!」
デインは震える手で、最も端にある木箱の封印――俺が炭で描いた古紋に手を触れた。 そして、無理やりその蓋を抉じ開けようとした、その時。
パキリ。
「――!? 熱い、熱熱熱っっっ!!」
絶叫を押し殺し、デインは手を引っ込めた。 木箱の中から、**シュアァァァァッ!**という激しい音が上がる。 爆発ではない。だが、箱の内部温度が一瞬にして数百度まで跳ね上がったのだ。
恐る恐る中を覗き込んだデインの顔が、絶望に染まる。 そこにあったのは、宝石のように輝く純白の塩ではなかった。 熱によって一瞬で灰と化し、黒い塊へと変わり果てた、無価値な「ゴミ」の山だった。
「……ば、馬鹿な……。本当に、焼き切れたのか……? 俺の……俺の金貨がぁぁ!!」
デインはパニックに陥った。一箱失った。これがバレれば、摂政リディアの耳に入り、免職どころか投獄は免れない。
「……どうする……。そうだ……! 俺のせいじゃない……! これは、あの騎士だ!」
デインの脳裏に、運搬を担当した騎士ガルドの顔が浮かんだ。
「そうだ……ガルド・ヴァルツ。あの融通の利かない無能が、運搬中に箱を乱暴に扱い、術式を暴走させたことにすればいい。……管理不行き届きだ。責任を取らせて首を跳ねれば……証拠は消える! くくく……運がなかったな、ガルド!」
◇
翌朝。宿の部屋。
俺は窓の外から聞こえる喧騒を聞きながら、リリスに淹れてもらった最高級のお茶を啜っていた。
「レオン様、上機嫌ですわね。……デインというゴミが、網に掛かりましたの?」
「ああ。さっき、管理局の方でボヤ騒ぎがあったそうだ。……一箱、綺麗に『炭』になったみたいだな」
「ふふ、愛おしい主のトラップですもの、当然の結果ですわ。……さて、シア。ボルクを連れてくる準備はいいかしら?」
シアは、ボルクから譲り受けた立派な革の鞄を背負い、気合十分で頷いた。
「うん! ボルクおじいちゃん、外で待ってるんだもん! 『レオンとかいう若造の顔を見せてみろ』って、鼻息がすごいんだもん!」
「ははは、いい返事だ。……よし、行こうか。……騎士ガルドを救い、デインを地獄に突き落とす。……灰谷流の『正しいお裁き』の時間だ」
俺は立ち上がり、リディアからもらった交易許可証を懐に収めた。
アイゼンガルドの冷たい空気が、今日は少しだけ、希望の熱を帯びているように感じられた。




