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第六話:酒場と鉄槌と小さな背中

 アイゼンガルドの朝は、氷を含んだ風が石造りの街並みを叩く音で始まる。  


 宿の窓から見える銀色の城を見据え、俺は隣で「レオン様の寝起きの顔が尊すぎて、このまま結晶化して保存したいですわ……」と不穏なことを呟いているリリスと、気合十分なシアに向き合った。


「いいか、リリス。シア。俺はこれから摂政リディアと面会してくる。昨日のデインの件も含めて、政治的な根回しが必要だからな。その間、二人は予定通り街の調査を頼むぞ」


「ええ、レオン様! 街中の商人の金庫の場所から、昨夜の晩餐のメニューまで、すべて暴いて差し上げますわ♡」


「私は……私は、ちゃんと相場の調査をします! 昨日はお塩を取られちゃったけど、今日は負けないんだもん。レオン様の役に立つんだもん!」


 シアは小さな拳をギュッと握っている。昨日、目の前で理不尽に自分たちの努力(白塩)を奪われそうになったことが、彼女の「自立心」に火をつけたようだ。


「リリス。シアを頼むぞ。……それと、あまり目立つなよ? 街を影で沈めたりするのは禁止だ」


「ふふ、心得ておりますわ。レオン様に恥はかかせませんわよ」


 優雅に微笑むリリスだが、その口元がすでに「何か美味しいものの匂い」を察知してピクピク動いているのが少し不安だが、俺は銀色の城門へと足を向けた。



 アイゼンガルドの市場。  そこはまさに「北の宝物庫」だった。シアはレオンからもらった羊皮紙を広げ、真剣な表情で炭を走らせる。


「ええと……干し肉が銅貨十枚。あ、こっちの布は少し高いんだもん。……シア、メモするんだもん」


 自分が「灰谷の代表」であるという自覚が、彼女を強くしていた。だが、そんな健気な努力を揺るがす強敵が、すぐ隣にいた。


「あら……? 何かしら、あの甘く、冷たく、わたくしの理性を深界の底まで引きずり落とすような芳香は……」


 リリスが足を止めた。視線の先には、公国名物『氷雪糖の果実掛け』の屋台。


「リリス様? あ、今は調査中だよ!」


「シア。……これは『調査』ですわ。この国の糖分濃度を計測し、レオン様に報告するための不可欠なプロセスですの。決して、わたくしが個人的に食べたいわけでは……ああ、身体が勝手に……っ!」


 最強の悪魔、甘味に敗北。リリスは吸い寄せられるように屋台へ消えていった。


「あ、待ってリリス様! ……あう、行っちゃった。……ダメだもん。リリス様が食べてる間に、私はもっと情報を集めて、レオン様を驚かせるんだもん」


 シアは、一歩路地裏へ踏み出した。そこには、屈強な男たちが集まる酒場『折れた鉄槌』があった。


(おじいさんたちが集まるところなら、きっと大事なお話をしてるはず。情報はこういう場所に集まるって、レオン様も言ってたんだもん!)


 シアは勇気を振り絞り、重たい扉をエイッと押し開けた。



「……んあ? なんだぁ、迷子かぁ?」


 酒場の中は、安酒の臭いと怒号が渦巻いていた。一人の酔った男が、ニヤニヤしながらシアに近づく。


「お嬢ちゃん、ここはガキが来るところじゃねえ。……その持ってる紙はなんだ? 宝の地図か?」


「これは調査の紙だもん! 私はお仕事で来てるんだもん!」


「ハハハ! お仕事だとよ! なら、俺たちの『お仕事』にも付き合ってもらおうかぁ!」


 男の汚い手がシアの腕を掴もうとした、その時。


――ゴン!


 地響きのような音が響き、男たちが硬直した。


「……五月蝿いぞ、三下。酒に雑味が混じるだろうが」


 酒場の隅、空瓶の山に座っていたドワーフの老人――ボルク・グレンが、重い口を開いた。傍らには、使い込まれた巨大な槌。


「……なんだとぉ、ボルクのジジイ! 引退した名無しが!」


「引退してようが、お前らの首をへし折るくらいの筋力は残っとるわい。……その子から手を離せ。さもなきゃ、その薄汚い腕を次の仕事の『金床』にしてやるぞ」


 ボルクの底知れない瞳に射抜かれ、男たちは捨て台詞を残して逃げ出した。


「あ、ありがとうございます……!」


「……フン。礼など要らん。ガキ一人がこんな場所に入るんじゃねえ。……死にたいのか」


 ボルクは不器用に酒を煽ろうとしたが、瓶が空であることに気づき、忌々しそうにそれを置いた。シアはその寂しげな背中に、かつての自分たちと同じ「壊れた何か」を感じた。


「……リリス様がいない間に、ちゃんとしようと思ったんだもん。……私、やっぱりダメだもん……」


 シアの瞳から涙がこぼれる。それを見たボルクの表情が、僅かに歪んだ。


「……おい、泣くな。見苦しい。ほら、これを食え」


 ボルクがポケットから出したのは、少し潰れた干し果実だった。シアがそれを呆然と受け取ったその時――。


「――シアに、触れないでくださる?」


 酒場全体の温度が、一気に氷点下まで急降下した。  


 扉が粉々に砕け散り、そこからリリスが歩み寄ってくる。右手には食べかけの『氷雪糖』。しかし口元には白いクリームがベッタリと付いており、恐怖とシュールさが同居していた。


「リリス様! お口にクリームついてる! 怖い顔して食べないで!」


「シア、離れていなさい。この不潔な巣窟ごと、かき氷の台座にして差し上げますわ……っ!」


「待って、リリス様! このおじいさんは助けてくれたの!」


 シアが必死にリリスを止め、ようやく冷気が収まった。ボルクはリリスの異常な力を感じ取り、目を細めた。


「……カカッ。こりゃ驚いた。公国の騎士団でも拝めねえ化け物じゃ。……おい、お嬢ちゃん。……俺の工房へ来い。誰も来ねえ廃屋だが、安全だ」



 街の外れにある、冷え切ったボルクの工房。


「……で。灰谷から来たと言ったか。あんな死の地で、何をしてる」


 シアは語った。レオンが来て、村が救われたこと。自分が自立したいと願っていること。ボルクは黙ってそれを聞いていた。


「……ヘッ。生意気なガキだ。……で、何を売りに来た」


「お塩! ……あと、これの相場も知りたいんだもん!」


 シアが鞄から取り出したのは、『黒金煉瓦』の欠片だった。それを見た瞬間、ボルクの「職人の魂」が咆哮を上げた。


「……な、なんだぁ……こりゃあ……」


 ボルクの手が震える。表面の滑らかさ、異様な重量感、そして微かな魔力の脈動。


「……ただの石じゃねえ。……金属か? いや、煉瓦……!? この魔導伝導率、王都の特注触媒より上じゃぞ! おい、小娘。これを誰が作った!」


「レオン様だよ! リリス様と一緒に、灰で作っちゃったんだもん!」


「……バカな。灰から、これほどの『真理』を打ち込んだというのか……?」


 ボルクは槌を手に取り、欠片を軽く叩いた。  キィィィィィン、と。  高純度の金属だけが奏でる、透明な鐘のような音が工房に響き渡る。


「……美しい。不純物が一つもねえ。……おい。これを俺の炉で焼いたらどうなる。俺の腕で、もう一度叩き込んだら……」


 ボルクの濁っていた瞳に、少年の輝きが戻っていた。


「……お嬢ちゃん。面白い。お前の主、そのレオンとやらに会わせろ。……このボルク・グレンの腕が、まだ錆び付いてねえか……試してみたくなったわい」


「うん! レオン様なら、絶対喜ぶもん!」



 一方その頃。アイゼンガルド中央城、摂政執務室。


「……久しぶりですね、レオン。公爵家を追われたと聞いた時は心配しましたが。……まさか『白塩』を持って現れるとはね」


 銀髪の麗人、摂政リディアが不敵に微笑む。


「俺も必死でね、リディア。……ところで、君の部下のデインという男。あれは公国の『不利益』にしかならないゴミだと思うんだが。掃除の手伝い、必要かな?」


「ふふ。同感ですわ、レオン領主様」


 商談、謀略、そして新たな仲間。  アイゼンガルドの冷たい風は、レオンの野望を乗せて、熱く燃え上がろうとしていた。

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