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第四話:白塩を売りに、霜原へ

 夜の帳が下りた灰谷はいだにに、静謐な空気が流れている。

 村の中央、俺が『古紋こもん』で組み上げた「魔導警戒網」が、微かな振動を伝えてきた。地面を叩く、一定の周期――馬蹄の音だ。それも一頭。速度からして、こちらを窺っていた偵察者が王都へ向けて引き返したのだろう。


「……行ったか」


 俺、レオン・アルグレインは、焚き火の爆ぜる音を聞きながら呟いた。

 隣で控えていたアゼルが、漆黒の兜の奥で瞳を鋭く光らせる。


「主殿、やはり追わせましょう! 我が影に命じれば、夜明けまでにあの鼠の首を……いえ、なんなら王都の城門にその首を飾り付けてご覧に入れますが!」


 アゼルがやる気満々で巨大な大剣の柄に手をかける。忠誠心が強すぎて、時々発想が物騒なのがこの騎士の困ったところだ。


「いいよ、アゼル。今は泳がせておく。彼らが王都へ戻って報告すれば、俺が『生きている』こと、そして『灰谷がおかしなことになっている』ことが伝わる。奴らが次にどう動くか、それを見極めるための布石だ」


「……っ! あえて敵を誘い出し、その喉元を喰らうための布石……! 流石は我が主、その深淵なる智謀に、このアゼル、改めて感服いたしました!」


 アゼルがカシャリと甲冑を鳴らして膝をつく。いや、そこまで深い意味はないんだけどな。


 だが、ただ待っているつもりはない。

 王国――アルグレイン公爵家や、その裏にいる神殿が、灰谷の変貌を黙って見過ごすはずがない。「無能」と蔑んだ俺が、彼らも手に入れられなかった『至高の塩』を生み出していると知れば、間違いなく奪いに来る。

 奪われる前に、自らの足場を固め、交渉のテーブルを自ら用意しなければならない。


「アゼル、リリス。明朝、遠征に出るぞ」


「遠征……! ようやく、どこかの国を滅ぼしに参るのですな!? このアゼル、今から素振りを一万回ほど済ませておきます!」


「違うからな? 物売りだよ。外貨を稼ぐんだ。……俺たちの目的地は、北の隣国、《霜原しもはら公国》だ」



 翌朝。

 村の広場に、主要な面々を集めた。

 昨日までの死んだような目はどこへやら、村人たちは俺が井戸から噴き出させた真水で顔を洗い、少しだけ血色のいい顔をしている。


「これから俺とリリス、そして数名で霜原公国へ向かう。目的は、昨日作った『灰谷の白塩』の売却、そして村に必要な物資の調達だ」


 俺は羊皮紙に書き連ねたリストを広げる。前世でオカルト雑誌の台割だいわりを作っていた時のように、必要な項目を優先順位ごとに整理してある。


「買うものは多い。鉄の工具、上質な布、釘、薬、農作物を作るための種。……それから、できれば『交易許可証』のツテも探したい」


 村人たちがざわつく。彼らにとって、霜原公国は「極寒の商業国」であり、そう簡単に近づける場所ではないからだ。


「王国側の街道は避ける。徴税官や監視の目がうるさいからな。……俺たちは、西の『深森』を抜けて直接公国へ入る。リリスがいれば魔物は問題ない」


「ふふ、当然ですわ。レオン様を傷つけようとする不浄な存在は、影も残さず消し去って差し上げます。……ところでレオン様、道中の夜は寒いですわよね? わたくしが暖房代わりとして、レオン様の外套の中に忍び込み……」


「却下だ。リリス、お前は最強の魔除けとして期待してるんだからな」


「……っ! 『期待している』……! ああ、レオン様の愛が重いですわ……! 今の言葉でわたくし、古代龍アンシェント・ドラゴンすら素手で三枚おろしにできる気がします!」


 リリスが頬を赤らめて身悶えしている。……愛ではなく、ただの役割分担のつもりなのだが。


「留守はアゼルに任せる。お前は村の防衛と同時に、建設を進めてくれ。黒金煉瓦くろがねれんがで倉庫と家をさらに増やし、石窯をもう三つ作るんだ。村の連中の指揮は、最年長のオルド爺さんに委任する」


「……領主様。そんな大役、わしのような老いぼれに……」


 オルドが震える声で言う。


「お前しかいない。俺は『ことわり』を書き換えて仕組みを作ったが、それを動かすのはお前たち村の人間だ。アゼル、爺さんを助けてやれよ」


「はっ! 承知いたしました! オルド殿、案ずるな。もし不埒な者が現れたら、このアゼルが村ごと空中へ浮かせて退避させてご覧に入れます!」


「……家がバラバラになるから、普通に地上で守ってくれ」


 脳筋騎士の物騒な提案を訂正し、俺は出発の準備を整えた。



 旅支度を進めていると、背後から服の裾を引かれた。

 振り返ると、孤児の少女シアが立っていた。浄化された水で洗った顔は綺麗になり、目だけが、やけに真っ直ぐだった。


「……あの、レオン様」


「どうした、シア」


「私も……私を、一緒に連れて行って……欲しいの」


 その言葉に、一番に反応したのはリリスだった。


「あら。霜原はレオン様を付け狙う不埒な輩がいるかもしれない場所。足手まといを連れていく余裕なんてありませんわ。……何より、レオン様のお側は、わたくし一人で十分です」


 リリスの微笑みが、わずかに温度を下げる。シアはびくりと肩を揺らしたが、それでも引かなかった。


「……助けられるだけは、もう嫌なんだもん。レオン様が来て、みんな笑うようになったの。でも、それは全部レオン様がくれたものだもん。……私、何もしてないもん。このままじゃ、私たちはまた死ぬのを待つだけの抜け殻に戻っちゃう」


 彼女の目は、本気だった。


「外を知って、どうするつもりだ」


「村に持ち帰るの。何がいくらで売れるのか、外の人が何を欲しがっているのか。……それを覚えないと、私たちはレオン様の『家畜』になっちゃう。そんなの、絶対に嫌。私は、レオン様を助けられる人間になりたいんだもん」


 彼女は灰谷の住人を代表して、「自立」を求めていた。


「リリス。シアも連れていくぞ」


「……ええっ!? レオン様、本気ですの!?」


「ああ。シア、お前の役割は『取引記録係』だ。霜原で何を買い、何をいくらで売ったか、すべて記憶しろ。そして、街の相場を見て回るんだ。わかったな?」


「はい! レオン様!」


 シアの瞳に、ぱっと光が灯る。一方で、リリスは盛大に溜息をつき、不満げに頬を膨らませた。


「……仕方がありませんわね。……でもシア? レオン様の睡眠を妨げるようなことがあれば、あなたの影を呪いでおやつにして食べますわよ?」


「えっ……」


「冗談ですわ♡ ……七割くらいは」


 ……リリス、顔が笑ってないぞ。



 出発は正午。

 商品は、昨日リリスの火加減で精製した『灰谷の白塩』。

 アゼルが用意した頑丈な荷車に、白金のように輝く塩が二十箱、積み込まれている。各箱には、俺が炭で描いた『不変のアタナシウス・シール』を施した。湿気や振動から中身を守る、前世の秘術を応用したパッケージングだ。


「さあ、行くぞ。シア、荷札の数は間違いないな?」


「うん! 全部で二十箱、確認済みだよ!」


 シアは新しい役割に張り切り、羊皮紙を抱えてテキパキと動いている。

 西の深森へ向かって、荷車が動き出す。



 王国軍ですら迂回する「深森」だが、リリスにとっては単なる散歩道でしかなかった。


「……レオン様、三時の方角に下等な多頭蛇ハイドラが。少々騒がしいので、お掃除して参りますわ」


 リリスが優雅に指を鳴らす。

 次の瞬間、森の奥から聞こえていた咆哮が、ぷつりと途絶えた。

 虚空から射出された漆黒の鎖が、巨大な化け物を一瞬で「因果」ごと解体したのだ。


「……ひっ。……死んじゃった。あんなに大きかったのに、一瞬で消えた……」


 シアが顔を青くしながら、手元の羊皮紙に何かを書き込み始めた。


「シア、何を記録してるんだ?」


「はい! 『リリス様の機嫌を損ねると、消滅する』とメモしたの!」


「……正解だけど、それ商売に関係ないよね?」


 リリスが「ふふ、よく分かっているじゃない。シア、後でおやつをあげますわね♡」と、なぜか得意げに胸を張る。この二人、案外いいコンビかもしれない。



 三日間の強行軍の末。

 深い霧の森を抜けると、空気の質が劇的に変わった。

 鼻を突くような鋭い冷気と、どこか鉄に近い硬質な匂い。

 目の前に広がったのは、白い石材で築かれた、堅牢極まる城壁だった。


「……すごい!! こんなに大きくて綺麗なところ、初めて見た!」


 シアが目を輝かせてはしゃいでいる。その姿は、ようやく年相応の子供に見えた。

 霜原公国、首都アイゼンガルド

 北方の物流の要衝であり、市場からは活気ある怒号がここまで聞こえてくる。


 門前には、分厚いプレートメイルを着込んだ門兵たちが立ち、入る者一人一人に鋭い視線を送っていた。


「止まれ。旅の商人か? ……ん? 嬢ちゃん、そんなキラキラした目で街を見てどうした。観光か?」


 門兵の軽口に、シアが胸を張って答えた。


「はい! 世界一美味しいお塩を売りに来ました!」


「ははは、大きく出たな。どれ、その『世界一』とやらを拝ませて……――っ!?」


 俺が荷車の蓋を少しだけ開けると、そこから純白の輝きが溢れ出した。

 曇天の空の下、白塩の結晶が自ら発光しているかのように反射し、門兵の目を焼いた。


「……な、なんだこの輝きは!? まぶしすぎる! これ、本当に塩か!? 宝石の間違いじゃないのか!?」


「ああ。灰谷の白塩だ。不純物を一切除いた、ことわりの結晶だよ。……公国の商人たちに会わせてもらおうか。商談の時間だ」


 兵士の顔から疑念が消え、貪欲な好奇心が湧き上がる。

 背後で、シアが誇らしげに、しかし少し緊張した面持ちで羊皮紙を握り締めていた。

 

「行くぞ、二人とも」


 俺は不敵に笑い、公国の巨大な門をくぐった。


 ――辺境領主生活、七日目。

 世界を書き換えるための経済の歯車が、今、アイゼンガルドの冷気を受けて激しく回転し始めた。

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