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第三話:白い塩と漆黒の煉瓦

 灰谷はいだにの朝は、本来なら肺を焼くような不快な毒霧と共に明ける。

 だが、俺の目の前にあるのは、どこまでも澄み切った、甘い香りのする空気だ。


「レオン様、目覚めのハーブティーでございますわ。昨夜、貴方が浄化されたあのお水で淹れましたの。……ふふ、私の魔力で少しだけ、貴方の魂が安らぐ『秘術』を加えておきましたわ♡」


 妖艶な微笑みを浮かべてリリスがカップを差し出してくる。

 深界の公爵。本来なら一国を滅ぼす災厄そのものである彼女が、今はエプロンを付けて俺の「秘書兼メイド」のように振る舞っている。


「……ありがとう、リリス。良い香りだ」


 一口啜る。驚いた。身体の隅々まで染み渡るような感覚。これが魔族のトップクラスが振るう魔力操作の賜物か。


「主殿! 本日の警備も万全であります! 村の周囲を徘徊していた出来損ないの魔物どもは、すべて我が剣圧で塵にしておきました!」


 ドォォォォォン、と地鳴りのような重低音を響かせて現れたのは、漆黒のフルプレートに身を包んだアゼルだ。彼が歩くだけで地面が僅かに震える。


「ああ……お疲れ、アゼル。でも、あまりやりすぎないでくれよ。地形が変わると、俺の描く魔法陣の計算が狂うからな」


「はっ! このアゼル、主殿の深いお考えに及ばず……! 次は、指先一本で済ませるよう精進いたします!」


 ……いや、そういう問題じゃないんだが。

 俺は苦笑しながら、手元の羊皮紙——かつてオカルト雑誌の企画書を書いていた時の癖で、領地の改造案を書き殴った設計図に目を落とした。


「さて、二人とも。今日はこの村の『経済』と『住環境』の基盤を作るぞ。まずは——この土地を殺している『灰』を、金に変える」



 村の中央にある、干上がって久しい「塩井戸」の前に立った。

 村長が、杖を突きながら、信じられないものを見るような目で俺を見ている。


「領主様……。その井戸は、もう何十年も前から泥しか出ませぬ。水が澱み、塩水どころか毒の味しかしなくなっております」


「仕組みを知れば、毒も薬も紙一重だよ、村長。万物は流転し、形を変える。……リリス、この井戸から水を汲み上げてくれ。泥ごとでいい」


「はい、レオン様♡」


 リリスが指先を動かすだけで、井戸の底から大量の泥水が浮き上がってきた。

 俺はまず、村人たちに「ろ過」を指示する。

 何重にも重ねた布と砂、それに砕いた木炭。前世の知識を魔法陣で強化した、簡易的な「魔導浄化装置」だ。


「ろ過……ですか? 魔法で一瞬にして消し去るのではなく?」


 村人の一人が首を傾げる。


「魔力は有限だ。人間が自分の手でできることは、世界のことわりに従うのが一番効率がいい。魔法は、その『最後の一押し』に使うものだ」


 ろ過された水は、まだ濁っているが、ここからが本番だ。


「リリス。この平鍋に水を入れて、下から加熱してくれ。ただし、ただ燃やすんじゃない。表面が揺れるか揺れないか、そのギリギリの熱……『霊的な静止』を保て。水分だけを空へ還し、純粋な結晶だけを残すように導くんだ」


「ふふ、愛を育むような繊細な火加減……。私にお任せくださいませ」


 リリスの掌から、淡い紫色の炎が上がる。

 彼女は俺の指定した「適度な温度」でピタリと熱を固定してみせた。

 しばらくすると、鍋の底にキラキラとした粒が浮き上がってくる。


「……っ!? 白い……雪のように白いぞ!」


 現れたのは、王都の最高級品すら泥に見えるほど、透き通った純白の結晶。

 不純物を徹底的に排除し、リリスの超精密な熱管理で「再結晶化」させた至高の塩だ。


「『白い金』……塩だ。これを《灰谷の白塩》と名付けよう。村の最初の特産品だ」


 一粒摘んで口に含めば、角のない、まろやかな旨味が広がる。泣きながら塩を拝む村人たち。だが、俺の手は止まらない。


「次だ。アゼル、出番だぞ」


「はっ! 何処を斬ればよろしいか!」


「誰も斬るな。……次は、お前が踏み潰してきたその『灰』を、煉瓦れんがにするんだ」


 村の周囲に降り積もっている「灰」。 それはこの土地で作物を育たなくしている原因。  

 だが、俺の眼で見れば——粘土質と石灰、それに微量な魔金属が混ざった「最高の建材」の予備軍だった。


 俺が木箱で作った型に、破損防止の『古紋こもん』を施し、灰と泥を詰める。


「アゼル。お前の剛腕で、この泥を上から押し込め。一国を砕く力を、この小さな木箱の中に凝縮するんだ。隙間をゼロにして、力で一つの塊にまとめあげろ」


「……ぬんっ!!」


 アゼルが型の上から指で「突いた」。

 爆発は起きない。アゼルが完璧に重圧を「圧縮」へと変換した証拠だ。取り出されたのは、金属のような光沢を放つ、漆黒の煉瓦の素。


「仕上げだ、リリス。今度は一気に千百度以上まで上げろ。内部の不純物を焼き尽くし、魔金属を定着させるんだ」


 シュアァァァァッ!と、青白い炎が煉瓦を包む。

 焼き上がったそれは、もはや石ですらなかった。

 黒く、重く、魔力を通すと仄かに青く光る《黒金くろがね煉瓦》。


「よし、この煉瓦で『かま』を作るぞ。……アゼル、さっき獲ってきたアレを出せ」


「はっ! こちらに!」


 アゼルが誇らしげに担いできたのは、この辺りでも一際巨大な魔物『ランブルボア』の肉だった。



 夕暮れ。

 村の広場には、出来立ての黒金くろがね煉瓦を積み上げて作った臨時の石窯が鎮座していた。


「いいか、この煉瓦はただ硬いだけじゃない。熱を内部に溜め込み、それを『均一な放射』として跳ね返す性質がある。火で焼くのではなく、この『世界の温もり』で包み込む方が、肉は美味くなるんだ」


 俺が石窯の構造を教えると、リリスが感心したように目を細めた。


「まあ、熱を閉じ込めて逃がさない……。まるで私とレオン様の愛の巣のようですわね、レオン様♡」


「……例えが不穏だが、頼むぞリリス。火は窯を温める程度でいい。あとは煉瓦が仕事をしてくれる」


「ええ。このリリス、世界で最も贅沢な火加減をご披露いたしますわ」


 リリスの操る炎が窯の内側を黄金色に満たし、黒い煉瓦が仄かに赤みを帯び始める。  その中で、厚切りにされた魔物の肉が——ジチジチと、食欲を暴力的に刺激する最高の音を立て始めた。


 黄金色の脂が弾け、芳醇な肉の香りが広場いっぱいに広がる。  俺は仕上げに、昼間作ったばかりの『白塩』をパラリと振りかけた。


「……さあ、食べてくれ。味付けはこれだけだ」


 俺が告げると、恐る恐る村人たちが肉を口に運んだ。  一瞬の静寂。そして。


「――っ!! 美味い、美味すぎる!!」

「肉が……口の中で解けるようだ! それにこの塩、肉の甘みをこれでもかと引き立てて……!」


 空腹に耐えてきた村人たちが、次々と肉に食らいつく。

 野性味溢れる肉を、不純物ゼロの純白の塩が引き締める。 煉瓦が溜め込んだ熱で芯まで柔らかく蒸し焼きにされた肉は、噛むたびに極上の肉汁を溢れさせていた。


「主殿、これは……素晴らしい。破壊することしか知らぬ我が腕が、このような至高の味を生む手伝いになろうとは。……このアゼル、一生付いて参る所存です!」


 アゼルも巨大な肉の塊を咀嚼しながら、武人の瞳に熱い感動を宿している。


「ふふ、レオン様、あーん♡……どうかしら? 私の火加減は」


「……ああ、最高だよ。これなら何枚でもいけるな」


 笑顔で食事を楽しむ村人たち。灰に覆われていた死の村に、初めて「幸福」の匂いが漂った。



 その時。

 村から離れた荒野の陰に、一人の男が潜んでいた。


 アルグレイン公爵家の代官、バルゼンの放った密偵——ジャックだ。

 彼は追放された「無能」が、飢えに苦しみ、泣いて助けを乞う姿を報告するためにここへ来た。


 だが、望遠鏡越しに見える光景は、彼の常識を根底から粉砕するものだった。


「……馬鹿な。ありえない、何だあれは……」


 彼の視界の先では、数日前まで死に体だった村人たちが、見たこともない贅沢な肉を食らい、活気に溢れて動いている。

 広場には、王都の市場ですら見たことがないほど輝く「塩」の山。


 そして、伝説上の悪魔のような化け物たちが、その少年の前で忠実な犬のように控えている。


「……水が。あの呪われた井戸から、聖なる泉のような水が噴き出しているだと!? 神殿の『極位浄化』でも不可能だったはずだぞ!」


 ジャックは震える手で報告書を書き殴った。


『レオン・アルグレインは死んでいない。それどころか、正体不明の化け物を従え、灰谷を「宝の山」に変えつつある。……あれは、魔王だ。魔王の再来だ!』


 彼は慌てて馬に飛び乗り、王都へと駆け出した。


 一方、レオンは。

 古紋で組み上げた「簡易警戒網」が、去りゆく馬の振動を検知したのを確認し、口元を緩めた。


「……リリス、お茶のお代わりを。どうやら、もうすぐ『最初のお客さん』が来るみたいだ」


「ふふ、歓迎の準備は、過剰なくらいがよろしいかしら?」


「ああ。とびきり『理不尽』なやつを頼むよ。……俺の平穏を邪魔する奴らには、世界のルールを教え込んでやらないとな」


 月光の下、灰の谷に不敵な笑い声が響いた。


 俺の「世界の書き換え」は、まだ始まったばかりだ。

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