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第二話:悪魔の初仕事は大掃除でした

 空間の割れ目が閉じきる前から、その「音」は聞こえていた。  

 カサカサ、カサカサと、硬い爪が石を弄ぶような生理的な不快音。それが重なり合い、やがて地鳴りのような咆哮へと変わっていく。


「……領主様! 逃げてください、鼠です! 『灰喰いキシャ』の群れが来ます!」


 広場の隅で腰を抜かしていた村長が、裏返った声で絶叫した。 闇の向こう側、村を囲む荒野が物理的に「盛り上がって」見える。  


 数千、いや、数万。大地の淀みに当てられて変異した鼠たちが、俺の描いた魔法陣の輝きに引き寄せられ、無数の赤い瞳を灯していた。


(うわぁ、前世の修羅場よりえげつない数が集まってきたな)


 だが、俺は逃げない。というか、逃げる必要がどこにある?


「……いい集まり方だ。ちょうどこの土地の『大掃除』をしたいと思ってたんだ」


 俺は指先に残った炭の粉をパパッと払い、隣に立つ「規格外」の二人に視線を送った。  深界の公爵リリスと、処刑人アゼル。  歴史上、一度も同時に現れたことがないはずの最強種が、今は俺の足元に跪いているのだ。


「主殿。あのような下等生物、一息に。……我が剣圧で、この地平線ごと塵にしてもよろしいか?」


 漆黒の甲冑に身を包んだアゼルが、やる気満々で闘気を漏らした。 彼が背負った大剣が鞘の中で「ギチギチ」と鳴る。それだけで、最前列にいた鼠たちが圧死して弾け飛んだ。いや、物理法則が仕事してないだろ。


「待て待てアゼル! それだと村の家まで吹き飛ぶだろ。ここは俺のこれからの領地なんだ、無駄に壊すのは禁止。もっと『丁寧』にやれ」


「……っ! はっ、御意! このアゼル、主殿の所有物を損なうなど万死に値する愚行……。以後、慎みます……!」


 アゼルが目に見えてショボーンと肩を落とした。巨躯の鎧騎士が仔犬みたいになるな。 すると、隣でリリスが妖艶な唇を吊り上げた。


「ふふ、不器用ねぇアゼルは。……レオン様、ここは私の『鎖』を使いましょうか? 血の一滴も流さず、美しく掃き清めて差し上げますわ♡」


「ああ、頼む。リリス、俺の描いた外周の陣に魔力を通せ。アゼルは、万が一漏れたやつがいたら……指先でピンッて弾く程度で仕留めろ。いいか、『デコピン』だぞ?」


「「——仰せのままに!」」


 リリスが優雅に、ダンスでも踊るような所作で魔法陣の縁に指先を触れた。 その瞬間、俺の描いた図形が、人族の魔導師が見れば卒倒するほどのマナを帯びて脈動した。


 ——古紋術式:『七星の聖別(セプタグラム・ソート)』。


 魔法陣から、漆黒の光を放つ魔力の「鎖」がシュババババッ!と数万本射出された。 それは意志を持っているかのように空中で踊り、迫りくる鼠の一匹一匹を正確に捕捉していく。


 キィ、キィィィィッ……!


 鎖に触れた瞬間、鼠たちは悲鳴を上げる暇もなく「存在の定義」を解除され、灰よりも細かい粒子——純粋な魔力へと還元されていく。  数万の群れが津波のように押し寄せていたはずが、魔法陣の境界線に触れた端から「消えて」いく。


(おお、凄いなこれ。前世のオカルト本にあった『大宇宙の浄化』の魔法陣をそのまま応用したけど、まさかここまでとは)


 それは戦闘というより、まさに「神事」。  血生臭い匂いもしない。肉の焼ける嫌な音もしない。ただ、不純物が、あるべき無へと還されていくだけだ。


 その時、群れのリーダー格と思われる牛ほどもある巨大鼠が、鎖の隙間を縫って跳躍した。 俺の頭上へ牙を剥いて飛びかかる。


「不届き者め。主殿の御前であるぞ」


 アゼルが動いた。  彼は剣すら抜かず、俺の言いつけ通り「デコピン」の構えで空気を弾いた。


 ドォォォォォォォンッ!


 ……空気が爆ぜた。  衝撃波が空間を叩き割り、巨大鼠はミンチにすらならず原子レベルで粉砕された。


「アゼル……お前、デコピンの定義を知ってるか?」


「はっ! 『愛の鞭』と聞き及んでおります!」


 その愛は重すぎる。  


 ……数分後。  


 そこには完璧な静寂が戻っていた。 鼠の死体はおろか、足跡ひとつ残っていない。


 村の家々から、恐る恐る村人たちが顔を出す。 彼らが目にしたのは、月明かりの下で「ふぅ、終わった終わった」と手を叩く俺と、その後ろで完璧な姿勢で控える美しき悪魔たちの姿だ。


「……鼠は……? 数万の鼠が、一瞬で……?」

「神様だ……。いや、あんな禍々しい力を従えるなんて、やっぱり魔王様だ……!」


(いや、魔王じゃない。ただのオカルト好きの領主だからな?)


 畏怖する村人たちの視線を背中に受けながら、俺は次の作業に移ることにした。


「騒がしいのは片付いたな。……さて、次は約束通り、『水』をなんとかしよう」



 村の端にある、あの呪われた井戸の前に立つ。 鼻をつくような硫黄と腐敗の匂い。泥水ですらない、マナが腐敗した汚物だ。 俺は井戸を覗き込み、前世で編集した『秘説・風水地理学』の知識を掘り起こす。


「なるほど。土地の血管である『竜脈』がここで捻じれて、出口を失ったマナが壊疽を起こしてるわけか。なら、流れを正してやるだけでいい」


「主殿、私にお任せを! この大地を一度割り、流れを正して参ります!」


 アゼルがまた大剣に手をかける。だからお前は……!


「待て待て、アゼル。そんなことしたら水脈が消滅するだろ。魔導の神髄はね、力任せに壊すんじゃなくて、自然に『正しい循環』を与えてあげることにあるんだ」


 俺は井戸の石枠を、炭でガリガリと塗りつぶしていく。 描くのは、己の尾を噛む蛇。    


古紋術式:『円環の補完(ウロボロス・ループ)』。


 不純物を濾過し、常に最良の状態へ自己再生させる陣だ。 前世の文献では「魂の不滅」なんて仰々しいことに使われてたけど、要は「究極の自動浄化フィルター」である。これを生活用水に使うのは世界で俺だけだろう。


「リリス、ここにマナを。……いいか、さっきの掃除みたいにドカンとやるなよ? 熟睡してる赤ちゃんを撫でるくらい優しく、そーっとだぞ」


「ふふ、もう。レオン様ったら心配性ですね。……はぁ、その繊細な指使い……素敵ですわ……」


 リリスがうっとりしながら指先を陣に置いた。    


 ゴゴゴ、と地底から重低音が響き、井戸の底で泥が泡立ったかと思うと——。


 シュアァァァァァッ!


 噴水のように、透明な水が舞い上がった!  月光を反射して銀色に輝き、周囲の悪臭を一瞬で吹き飛ばすほどの、清涼な香りが広がる。


「……水だ。綺麗な水だぞ!」


 一人の男が駆け寄り、両手でその水を掬って口に運んだ。  


「——っ!? 甘い……! こんなに美味い水、王都の最高級酒より美味いぞ!」


「お、俺にも飲ませろ!」

「わあ、顔が洗える! 泥が落ちるぞ!」


 村人たちが集まり、泣きながら喜びを爆発させる。 竜脈の歪みを直し、古紋で聖分を整えた「至高の清流」。 ただの水を飲んだはずの村人たちの肌に艶が戻り、先ほどまでの絶望が嘘のように消えていく。


「……ああ、よかった。とりあえずこれで一晩で死ぬことはないな」


 俺が小さく息を吐くと、リリスが熱っぽい視線で隣に並んだ。  


「……素晴らしいですわ、レオン様。ただ浄化するだけでなく、土地の理そのものを整えてしまうなんて。神殿の連中が行う、あのお粗末な『お祈り』がゴミのようですわね」


「そうかな? まあ、仕組みを理解すれば当然の結果だよ」


「いいえ。その仕組みを見出すことこそが、真の覇者の領域。……主殿、やはり貴方は、この腐った世界を書き換えるべきお方ですわ♡」


 リリスの期待がどんどん重くなっている気がするが、まぁいい。



 その頃。王都アルグレイン公爵邸。


「——熱い! なぜだ! なぜ冷却の詠唱が効かんと言っている!!」


 深夜の大広間に、義兄ルーカスの絶叫が響いていた。  

 

 かつて春のように快適だった広間は、今や100%天然の蒸し風呂。  窓を開けても熱風が入るだけで、さらに悪いことに、豪華な絨毯にはどこからともなく湧いた不気味な塵が雪のように積もっている。


「も、申し訳ございません! 魔導師を二十名投入しておりますが……。何かがおかしいのです! この屋敷に根付いた『見えない法則』が、我々の魔法をすべて不純物として弾いてしまうのです!」


「なんだと……!? あの無能が描いた、あの『落書き』のせいだと言うのか!」


 ルーカスが銀杯の水を飲み込もうとして、激しく咽せた。  


「……げほっ、なんだこの水は! ぬるい上に、鉄臭いぞ! 前はあんなに冷えて透き通っていたのに!」


「はっ……。レオン様の術式が消滅した現在、ただの古い配管を通った井戸水でございます……」


「おのれ……! おのれ、レオン……!」


 ルーカスは汗でべたついた高級シャツを引きちぎらんばかりに握りしめた。  彼らが「無能の趣味」と蔑んでいたものの恩恵が、これほど巨大だったとは、失うまで想像すらしていなかったのだ。


 一方その頃、俺は。 「リリス、このハーブティー、今の水で淹れたからか最高に美味いな」


「うふふ、お口に合って光栄ですわ、レオン様♡」


 最強の悪魔にお茶を淹れさせながら、俺は辺境の清々しい夜風を浴びて、ぐっすりと眠りにつくのであった。

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