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第十五話:愚兄再来、異端の進軍  

 灰谷はいだにへと続く街道を、鋼の波が埋め尽くしていた。  


 俺が境界線に設置した《古紋》の監視網が、震えるような金属音と、統制の取れた重い足音を伝えてくる。


 遠眼鏡を引き寄せ、レンズの焦点を絞れば、そこには見覚えのある、そして反吐が出るほど高慢な紋章がはためいていた。  


 アルグレイン公爵家の私兵、五百。  


 王都の治安を担う精鋭たちを、兄——ルーカス・アルグレインは惜しげもなくこの辺境へと引き連れてきやがった。  


 一際豪華な馬車が軍列の中央に鎮座している。その屋根の上には、熱を遮断し、大気を清浄に保つための「祈祷魔導具」が幾つも設置されているのが見えた。  


 ……滑稽だな。俺という「快適さを提供する仕組み」を追い出しておきながら、その穴を埋めるために高価な魔導具を買い漁り、結果として俺を連れ戻しに来るなんて。


 古紋の集音機能を最大まで高めると、馬車の中から漏れる兄の声が、ノイズ混じりに聞こえてきた。


『——ああ、忌々しい。なぜ私自らがこのような辺境へ出向かねばならんのだ。汗が止まらん。不愉快だ』  


絹のハンカチで額を拭う兄の姿が、揺れる影となって見える。


『……捕らえた後は、死ぬまで地下室で魔法陣のメンテナンスをさせてやる。あの無能の指先には、それくらいの価値しか残っていないのだからな』


 なるほど、討伐じゃない。兄貴の狙いは『道具』の回収だ。  


 俺がいない公爵邸が、どれほど不便で不快な場所に成り下がったか、容易に想像がつく。俺が壁の裏側に仕込んだ数千の古紋。それらがなければ、あの屋敷はただの石造りの蒸し風呂でしかない。  


 だが、その隣に座る男の気配は、兄のような俗物とは根底から異なっていた。白装束を纏い、感情を削ぎ落としたような冷徹な瞳。聖教国の『異端審問官』だ。


『ルーカス殿。あの者は悪魔に魂を売り、神の秩序を乱す存在です。……捕縛よりも、その魂を浄化することこそが我らの使命』


 不気味な声だった。神の正義を口にしながら、その実、自分の理解できない理を根絶やしにしようとする、独善的な暴力。  


 彼らにとって、この灰谷で芽生え始めた希望や、必死に土を耕す人々の営みなど、最初から視界に入っていないのだろう。踏み潰すべき路傍の石。あるいは、浄化という名の殺戮の対象。  


 俺は奥歯を噛み締め、遠眼鏡を強く握りしめた。



 俺たちの「楽園」が牙を剥かれる前、森の向こう側で悲劇が起きた。  


 ルーカスの軍勢は、灰谷へ至る近道として、蒼狼そうろうの民——ガルルーンたちの里を通る道を選び、そして、蹂躙した。  


 軍の補給という名目の略奪。家畜以下の存在として扱われる獣人たち。


「――レオン様! 里が、里が燃えてるんだもん……っ!」


 村の入り口。シアが、ボロボロになって逃げ込んできた獣人たちの姿を見て、声を震わせた。  


 俺の目の前に、一族を背負って辿り着いたガルルーンが膝をつく。彼の自慢の毛皮は焼け焦げ、黄金色の瞳には、かつてないほどの激しい憤怒と、守りきれなかった絶望が渦巻いていた。


「……レオン。すまねえ。……奴ら、いきなり里へ踏み込んできやがった。冬を越すための肉も、酒も、全部……っ」


 ガルルーンの背後には、五十名ほどの獣人たちが肩を寄せ合っていた。震える子供、怪我を負った若者。彼らは、あの理不尽な鋼の暴力から、必死の思いでこの灰谷へと逃げ延びてきたのだ。  


 シアがすぐに駆け寄り、泣きじゃくる獣人の子供を抱きしめる。


「大丈夫だよ! レオン様が助けてくれるから! ここは、レオン様の掟がある場所なんだもん!」


 シアの真っ直ぐな言葉が、絶望に沈んでいた獣人たちの心に、小さな波紋を広げた。ガルドが自警団の若者たちに指示を出し、彼らを速やかに黒金煉瓦の家々へと誘導していく。  


 灰谷の元々の住民六十名に、避難民の五十名が加わり、総勢百十名。  


 平和だった開拓村は、一瞬にして重苦しい「軍事要塞」としての緊張感に包まれた。


「……ルーカス。あの馬鹿が、俺の逆鱗を自分から踏み抜きに来やがったか」


 俺は、怪我をした獣人の子供の頭をそっと撫でた。  


 かつて俺が、前世で「読み物」としていた物語には、理不尽な悪がよく出てきた。だが、現実にそれを目の当たりにすると、脳の奥が沸騰するような冷たい怒りがこみ上げてくる。  


 ボルク親方が工房から出てきて、地面に溜まっていた灰を思い切り踏みつけた。


「ヘッ、言われんでも工房にある試作の大型弩いしゆみを全部出させたわい。……若造、お前のクソ兄貴、この灰谷の土に埋めてやる準備はできとるぞ」


「ボルク殿、無理は禁物だ。……防衛戦の指揮は、私が」


 ガルドが鋼の盾をガツンと叩く。その隣では、リリスが優雅に、しかし氷のような殺気を孕んで、空中に漆黒の術式を編み上げていた。


「五百、ですか。……レオン様、やはりわたくしが今すぐあの軍勢の『影』を実体化させ、互いに食らい合わせるのがよろしいかと。……下等な生き物が悲鳴を上げる旋律、きっと良いお耳直しになりますわ」


「待て、リリス。……相手には神殿の『異端審問局』がついている。あいつらの祝詞は、深界の住人であるお前やアゼルの力を弱める、不純な光だ。……今回は、俺の古紋を全面的に使う。リリスとアゼルは、最後の一押しまで力を温存しておいてくれ」


 俺は広場に集まった村人と獣人たちを見渡し、静かに宣言した。


「……みんな、聞いてくれ。南から、俺を追ってきた軍がやってくる。奴らの目的は、この村を潰し、俺を連れ戻すことだ。逆らう者は、一人残らず浄化されるだろう」


 村人たちがざわつく。恐怖が広がろうとする中、俺はさらに声を張り上げた。


「だが、ここは俺たちの『居場所』だ。……誰にも、一歩も譲るつもりはない。俺に従え。そうすれば、五百の軍勢だろうが神の奇跡だろうが、すべてこの谷の底に沈めてやる。……俺たちの掟を、世界に教え込んでやるんだ」


 俺の瞳に、冷徹な光が宿る。  


 俺は、指先から滴る魔力伝導インクで、地面に巨大な古紋を描き始めた。


 それは単なる防壁の強化じゃない。この谷の地形そのものを「巨大な魔法陣」として利用し、戦場のルールを根底から書き換える、禁忌の術式。



 夕暮れ時。  


 村を囲むように、ルーカス率いる五百の軍勢が陣を敷いた。 かがり火が灰の谷を赤く染め、鋼の擦れる音が不気味に響く。


 馬車から降りたルーカスが、拡声の魔導具を手に、勝ち誇った声を上げた。


「——さあ、無能のレオン! 今すぐ降伏し、這いつくばって私の靴を舐めろ! そうすれば、お前という『便利な道具』だけは助けてやろう! ……さあ、どうする!? この圧倒的な神の軍勢を前にして、まだ震えて動けぬか!?」


 ルーカスの嘲笑が谷に響き渡る。  だが、村の門は固く閉ざされたまま、返答はない。  


 不気味なほどの静寂。  


 それこそが、俺が描いた『歓迎の儀』の始まりだった。


「……ふん、愚かな。……審問官殿、やりなさい。教育の時間は終わりだ」


「――承知いたしました。……神よ、迷える子羊を、等しく光の檻へ」


 白装束の審問官たちが、一斉に天に向かって祈りを捧げた。 空がパキリと割れ、眩い黄金の光が灰の霧を突き抜けて降り注ぐ。  


 そこから現れたのは、六体の『天使』。  


 翼を持ち、光り輝く剣を手にした、実体化された高密度の魔力の塊。神殿が「神の使い」と称する、Sランク級の召喚生命体。


 それらが空中に整列し、灰谷を見下ろす。 村人たちの悲鳴が上がる。  


 神殿の権威、圧倒的な光、そして絶対的な力の象徴。


「……へぇ、本物を持ってきたか。神殿も随分と奮発したもんだな」


 村の防壁の上。俺はそれを見上げ、不敵に口角を上げた。  


 隣に立つキリハが、牙を剥いて俺の外套を掴む。


「レオン! あれは……あれは、アゼル様やリリス様でも危ないんじゃ……っ!」


「ああ、確かにあいつらは『特効薬』だ。……だが、それは『正面からぶつかれば』の話だろ?」


 俺は、足元に広がる巨大な古紋に、最後の一滴を落とした。 地面が仄白く脈動し、灰の谷全体の空気の密度が変わる。


「アゼル。リリス。……準備はいいか?」


「……主殿。お任せを。……あの雑魚の翼、引きちぎって御覧に入れます」


 アゼルが鞘から魔剣を僅かに抜き、深淵の波動を解き放つ。 リリスが優雅に髪をかき上げ、影の鎖を無数に空中で踊らせた。


「ふふ、天使の泣き声……。地獄の旋律としては、最高に贅沢な響きになりそうですわ♡」


 110 対 500。  


 加えて、空を舞う六体の神の使い。  


 誰の目にも絶望的に見えるその戦力差こそが、俺が描いた『逆転の仕組み』を最も際立たせるための最高のスパイスだ。


「……さあ、始めよう。追放されたゴミの逆襲を」


 俺の合図と共に、灰の谷が、意思を持った獣のように唸り声を上げた。

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