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十二話:蒼狼の民

 アイゼンガルドから持ち帰った莫大な「富」は、灰谷はいだにという廃村を、たった数日で活気のある豊かな村へと変貌させていた。


 夕暮れ時、黒金煉瓦くろがねれんがで組み上げられた家々からは、幾筋もの煙がまっすぐに立ち上っている。


 かつての、死を待つだけの澱んだ空気はもうどこにもない。そこにあるのは、俺が生み出した白塩で味を調えられた、贅沢なスープの香りだ。  


 開墾されたばかりの畑に目を向ければ、俺が《古紋こもん》を刻んでマナの循環を整えた大地から、早くも小さな緑の芽が顔を覗かせている。通常なら芽吹きに数週間かかる種が、異常な速度で成長を始めていた。  


 広場からは、ガルドの厳しい号令に合わせ、若者たちが盾を構える気合の入った声が響く。ボルクの工房からは、リズミカルで力強い槌音が絶え間なく鳴り響き、子供たちの無邪気な笑い声がそれに重なる。

 

 灰に覆われ、世界から見捨てられた谷が、今や俺という「心臓」を得て、力強く脈動しているのを感じる。  だが。その調和のすぐ外側で、世界は静かに悲鳴を上げていた。


「……静かすぎるな」


 俺は、村を囲む境界線、防壁の建設予定地に立ち、森の暗がりに視線を向けたまま呟いた。  


 隣には、俺の影のように寄り添う漆黒の騎士アゼルと、退屈そうに自分の爪を眺め、時折不穏な魔力を指先から漏らしているリリスがいる。  


 森からは、本来聞こえるはずの鳥の羽ばたきや、小動物が落ち葉を踏む音が完全に消えていた。それは、この数週間でアゼルが行ってきた「安全確保」という名の徹底した排除の結果だった。


「主殿、ご安心を。周囲の森は、このアゼルが数キロ圏内にわたって、害なす魔物および害獣を根こそぎ排除いたしました。いかなる脅威も、主殿の視界に入る前に塵となるでしょう」


 アゼルが、兜の奥で誇らしげに報告する。忠誠心の塊である彼は、俺に最高の安全を提供しようと、文字通り「掃除」をしてしまったのだ。  俺は、こめかみを押さえながら小さく溜息をついた。


「アゼル。……お前の『完璧』が、森の生態系を壊しちまったんだよ」


「生態系……、ですか?」


「動物を根こそぎ狩れば、その動物を食べていた捕食者たちは獲物を失う。……そして、行き場を失った狩猟者たちは、どこへ向かうと思う?」


 アゼルがハッとしたように、あるいは自分の至らなさに絶望したように体を強張らせた。


「……より豊かな、獲物のいる場所へ。すなわち、この村へ、ですか」


「正解だ。お前の掃除は、周辺の連中にとって『兵糧攻め』と同じ意味を持っちまったんだよ」


 俺は指先を動かし、空中に古紋を描いた。大気中に漂うマナの揺らぎを可視化する術式だ。  


 青白い光の線が、空間に映像を映し出す。そこには、森の奥からこちらへと押し寄せる、切実で、重厚で、そして「飢え」という名の狂気を帯びた魔力のプレッシャーがはっきりと映し出されていた。  


――その時。森の影を割って、巨大な「獣」が姿を現した。


 いや、それは獣ではなかった。  灰褐色の厚い毛皮を纏い、筋骨隆々とした体躯を持つ、狼の耳と尾を備えた戦士。手には使い込まれた戦斧と、魔物の皮で補強された盾。  


 獣人族――『蒼狼そうろうの民』の戦士たちだ。  

 

 彼らは一人ではなく、十数名の小隊を組み、殺気というよりは「生存への執着」を剥き出しにして、村の境界へと歩み寄ってきた。


「……止まれ。これより先はレオン・アルグレイン領主の直轄領だ。武器を引け」


 ガルドが、自警団の若者たちを背後に下げ、重厚な鋼鉄の盾をガツンと地面に突き立てて立ち塞がった。訓練を始めて間もない若者たちは、本物の獣人の戦士たちが放つ野生の威圧感に、顔を青くして震えている。無理もない。彼らはつい数日前まで、泥水を啜って死を待っていただけの村人なのだ。


 そんな中、獣人たちの中心から一歩前に出たのは、一際巨大な体躯を持つ男だった。  その男は、深く刻まれた古傷のある顔を歪め、空を仰ぐようにして鼻を鳴らした。


「……美味そうな肉の匂いだ。それも、ただの肉じゃねえ。……この森から消えた、俺たちの『食い扶持ぶち』の匂いがする」


 男の声は、地底から響く唸り声のようだった。  

 

 彼の背後で控える戦士たちは、一様に痩せ細っていた。自慢の毛皮は艶を失い、頬はこけ、目は血走っている。アゼルが「安全」のために周辺の魔物を狩り尽くした結果、古くからこの地で狩りをしてきた彼らは、その日の糧を完全に奪われてしまったのだ。


「人間どもよ……。我が名は――ガルルーン・トーテムハート。俺たちの獲物を奪ったのは、貴様らだな? この数週間、森は墓場のように静かになった。……代わりに、この谷だけが肥え太りやがった。……それを返してもらう」


「……こちらの事情で森の理を乱したことは認める。挨拶が遅れたな。俺がこの村の領主、レオンだ」


 俺はガルドを制して、彼らの前に出た。丸腰で歩み寄る俺の姿に、獣人の戦士たちがざわつく。 ガルルーンは戦斧を強く握りしめ、その黄金色の瞳を俺に固定した。


「領主だと? ……ガキが。……俺たちは、奪いに来たんじゃねえ。生き残るために、『取り返し』に来たんだ。……その荷車にある肉を渡せ。さもなきゃ、村ごと食い潰してやる。……誇りも何も捨ててな」


「脅しにしては、足が震えてるな。空腹で斧をまともに振れるのか?」


 俺の言葉に、ガルルーンの顔が激昂に染まる。だが、その怒りの影には、リーダーとして一族の餓死を何としても防ごうとする、深い悲哀と覚悟があった。


「……笑ってろ、人間! 野垂れ死ぬくらいなら、牙を剥いて果てるのが俺たちの生き様だ!」


 ガルルーンが咆哮を上げた。それを合図に、周囲の木々の影からさらに数人の獣人が姿を現す。


「リリス。アゼル。……あまり派手にやるなよ。彼らはただの泥棒じゃない。……俺たちが生み出した『不整合バグ』の被害者だ」


「……承知いたしました。……主殿。手加減というのは、四肢を残しておけばよろしいのでしょうか?」


「ふふ、レオン様は甘いですわね。……わたくしが、その誇り高い牙を一本ずつ、甘美な絶望で抜き去って差し上げますわ♡」


 その瞬間、灰谷の境界線が、戦場へと変貌した。



 獣人たちの咆哮が、灰谷の夕闇を震わせた。それは単なる鬨の声ではない。追い詰められた種族が、最期に放つ叫びだ。


「奪え! 奪わねば死ぬのみぞ!」  


ガルルーンの先導で、二十名の戦士たちが一斉に境界線を越えた。その動きは野性的でいて、極めて統率が取れている。空腹で痩せ細りながらも、一人一人が熟練の猟師であり、戦士だった。


「――深淵より出でよ、我が愛しき『縛鎖ばくさ』たち」


 リリスが、不機嫌そうに、しかし優雅に指を鳴らす。  


 次の瞬間、獣人たちの足元の影が不自然に波打ち、そこから漆黒の鎖が無数に噴出した。それは金属の音を立てることなく、意志を持つ蛇のようにしなやかに、かつ落雷のような速度で獲物を捉える。  


 先陣を切っていた十九名の戦士たちは、反応することさえ許されなかった。


「なっ……がぁっ!?」

「なんだ、この鎖は!?」


 次々と上がる悲鳴。漆黒の鎖は、獣人たちの屈強な四肢を瞬時に絡め取り、地面へと縫い止めた。引きちぎろうと悶えれば悶えるほど、鎖は肉に食い込み、魔力を吸い取っていく。リリスが設計した『捕縛の理』は、抗う心さえもエネルギーとして奪うのだ。  


わずか一瞬。二十名の襲撃部隊のうち、十九名が文字通り「指先一つ」で無力化された。


 だが、たった一人――リーダーであるガルルーンだけが、その理不尽な捕縛を掻い潜っていた。


「……おおおおおっ!」


 ガルルーンは野性の直感だけで鎖の軌道を見切り、紙一重の回避を繰り返しながら地を這うように疾走する。彼の瞳には、自らの背後にいる守るべき一族の顔が映っていた。ここで止まれば、部族は滅びる。その執念が、彼を限界を超えた超常の域へと押し上げていた。


 ガルルーンの狙いは、俺だ。  


 彼は戦斧を大きく振りかぶり、俺の喉元へと肉薄する。その一撃は、岩山をも両断するほどの質量を伴っていた。


「死ねええええ、人間!!」


 風を切り裂く戦斧。だが、その刃が俺に届くことはなかった。


 ――ガギィィィィィィン!!


 火花が散り、鼓膜を劈くような金属音が響き渡る。  


 俺の目の前数センチ。ガルルーンの全力の戦斧を、アゼルの魔剣が完璧に受け止めていた。アゼルは抜剣すらしていない。鞘に入ったままの重厚な剣を、ただ片手で添えただけだ。


「……無礼である」


 アゼルの兜の奥で、紅い瞳が冷徹に輝く。  


 ガルルーンは驚愕に目を見開いた。渾身の一撃を、鞘越しに片手で防がれるなど、彼のこれまでの戦士人生には存在しない「理不尽」だった。


「……どけっ、鎧の化け物め!」


 ガルルーンは力任せに斧を引き、狂おしいまでの連撃を放つ。胴を払い、逆袈裟に斬り上げ、さらに渾身の力で脳天を砕こうと振り下ろす。一つでもまともに受ければ、鉄の家すらひしゃげるであろう破壊の嵐。  だが、アゼルはその全てを、最小限の動きで封殺した。


 ――ガッ、ギィン、ゴンッ!


 アゼルは一歩も引かず、ただそこに「壁」として存在していた。  


 本来のアゼルなら、瞬きをする間にガルルーンを細切れにできる。だが、彼はあえてカウンターを入れなかった。  アゼルは、俺が以前語った「組織」と「個」の話を理解していた。


 この獣人は、自分と同じく、何かを「守る」ための器としてここに立っている。その意志に対する、アゼルなりの礼儀だったのだ。


「……まだだ。まだ、終わってねえ。……俺たちの、子供たちの飯を……取り返すまでは……っ!」


 ガルルーンは最期の力を振り絞り、咆哮と共に飛びかかった。それはもはや技術ではなく、命を燃やした突撃。  アゼルは、鞘に入った魔剣を静かに垂直に立てた。


 ――ドォォォォォン!!


 ガルルーンの体が、アゼルの絶対的な「拒絶」に激突し、弾き飛ばされる。衝撃波で周囲の地面が丸く窪み、土煙が舞い上がる。ガルルーンの戦斧は手から離れ、虚しく地面に突き刺さった。


 土煙が晴れると、そこには力なく地面に倒れ伏したガルルーンと、彼を包囲するように冷徹に立つアゼル、そして不満げに微笑むリリスの姿があった。


「……殺せ。……だが、俺たちの部族に……手は出すな……」


 ガルルーンは泥に塗れた顔を上げ、掠れた声で懇願した。 レオンは、倒れ伏したリーダーの前にゆっくりと歩み寄り、その目線まで腰を落とした。


「リリス、鎖を解け。……アゼル、もういい」


「……レオン様? せっかくの収穫なのに」


「いいから」


 リリスは指を弾き、鎖を霧散させた。アゼルもまた、殺気を消して俺の背後に控える。


「……な、何を……。情けをかけるつもりか?」


 困惑するガルルーンに対し、俺は懐から一つの小袋を取り出した。中に入っているのは、アイゼンガルドで手に入れた最高級の乾燥肉と、そして――純白の『灰谷の白塩』だ。


「情けじゃない。……謝罪だ、ガルルーン」


 俺の言葉に、その場にいた全員の時間が止まった。

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