第十話:要塞の萌芽と、盾の誓い
霜原公国での遠征を終え、俺たちは再び灰の谷――灰谷へと帰還した。
三台の馬車には、アイゼンガルドで買い占めた物資が山のように積まれている。それなりの重量があるはずだが、俺が《古紋》を施して摩擦と重心を調整した車輪と、なにより御者台に座るガルドの熟練した手綱捌きによって、旅路は驚くほど順調だった。
「……見えてきたな」
俺が呟くと、客室の窓から外を覗いていたシアが歓声を上げた。
「あ、レオン様! お家ができてる! 黒いお家がいっぱいです!」
シアの指さす先、かつての廃村には、俺たちが発つ前にはなかった異様な「景観」が生まれていた。
しかし、近づくにつれて俺の表情は微妙なものに変わっていく。 そこに並んでいたのは、家と呼ぶにはあまりに無骨で、あまりに閉鎖的な「黒い塊」だった。
「……主殿! お帰りなさいませ! このアゼル、主殿の不在の間、一分の隙もなく領地を護持しておりました!」
村の入り口で、漆黒のフルプレートを揺らし、アゼルが深々と跪く。その後ろには、オルド爺をはじめとした村人たちが、期待と不安の入り混じった顔で並んでいた。
「アゼル、留守を任せて悪かったな。……それで、あの建物なんだが」
「はっ! 主殿の設計された黒金煉瓦を用い、私が腕によりをかけて建築いたしました! いかなる暗殺者の侵入も許さぬよう、壁厚は一メートルを確保。窓という弱点を一切排除した、鉄壁の安息所であります!」
アゼルが誇らしげに胸甲を叩く。……やはりか。 俺の隣で、馬車から降りたボルクが、呆れたように鼻を鳴らした。
「……おい。あれは家じゃねえ。棺桶か、さもなきゃ強固な牢獄じゃ。窓もねえ部屋に人を住まわせるつもりか? 職人を馬鹿にしとるんか、あの鎧野郎は」
「……あ、アゼル様。……倉庫だもん。お野菜を入れるには最高だもん……」
シアのフォローが、逆にアゼルの心に突き刺さったようだった。巨躯の騎士が、目に見えてショボーンと肩を落とす。
「そ、そんな……。主殿の安全を最優先した結果なのですが……」
「……まあ、アゼルらしいよ。防衛拠点としては満点だ。……後の改修は、ボルク親方に相談してくれ」
俺は苦笑しつつ、村人たちに向き直った。
馬車から次々と物資が運び出される。 アイゼンガルドで購入した上質な布、鉄の鍋、新しい靴、保存用の干し肉、そして医療用の薬や農作物の種。
「お、おい……。これは全部、わしらのものなのか?」
オルド爺が、震える手で厚手の布を撫でた。
「ああ。公国で塩が最高の値で売れた。……これは施しじゃない。あんたたちが泥水をろ過し、灰を捏ねて、俺の仕事を手伝った報酬だ」
俺が告げると、村人たちの間に静かな、しかし確かな感動が広がった。 自分たちの労働が、こうして目に見える「富」に変わる。その実感が、彼らの死んでいた瞳に、明日を生きるための強い光を灯していく。
「さて、みんな。新しい仲間を紹介する。盾のガルドと、鍛冶のボルク親方だ。……ガルド、ボルク。ここの連中だ。無愛想な奴もいるが、よろしく頼む」
ガルドは無言で会釈し、ボルクは「へっ、シ気たツラしおって。まあ、今日からは俺が叩き直してやるわい」と悪態をつきながらも、村の子供に氷砂糖を握らせていた。
ひとしきり歓迎が終わると、ボルクは早速アゼルの「黒い塊」へと向かった。
「おい、鎧野郎。そこをどけ。……家ってのはな、光と風が入って初めて生命が宿るんじゃ。……指示を出す。お前のその人外の腕力を貸せ」
「……主殿に必要ないと断じられたこの腕、創造に役立てというのか。……承知した。ドワーフの老兵よ、指示を」
アゼルが手刀に魔力を込め、煉瓦の壁を豆腐のように切り裂いていく。そこにボルクが、アイゼンガルドから持ち帰った木材で、機能的な窓枠を次々と嵌め込んでいく。
◇
それからの数日間、灰谷は劇的な変化を遂げた。
リリスは、俺に「一番賢いお前にしか、子供の教育は任せられない」とおだてられたこともあり、上機嫌で教壇に立っていた。 黒金煉瓦の建物の一つを教室にし、子供たちに読み書きと計算を教えている。
「いいですか、劣等種……いえ、生徒の皆さん。この『理』を理解せぬ者は、一生誰かの影を歩むことになります。……さあ、復唱なさい!」
リリスの指導は苛烈だが、公国での一件で「無知の恐怖」を知ったシアを筆頭に、子供たちは食い入るように彼女の言葉を吸収していた。
一方で、農業も始まった。 灰谷の大地は、積もった灰と澱んだマナによって石のように硬い。 だが、俺にはアゼルがいる。
「アゼル、あっちの区画を三尺(約一メートル)ほど掘り返してくれ。……全力でな」
「はっ! 魔剣、今こそその一撃を土壌への慈悲に!」
アゼルが抜剣し、地面に突き立てる。 ドォォォォォン! という衝撃と共に、大地が爆ぜ、地割れのような巨大な溝が掘り起こされた。普通の人間なら数ヶ月かかる開墾が、数秒で終わる。 そこに俺が古紋を描き、マナの循環を整える。 オルド爺たちが、信じられないものを見るような顔で、その「ふかふかになった土」に種を撒いていった。
「……さて。教育、仕事、治安、そして食料。……ようやく、村の体裁が整ってきたな」
◇
夕暮れ。
窓枠が付き、生活の匂いが漂い始めた煉瓦の家々を眺めながら、俺は温かいお茶を啜った。
シアが子供たちと笑い合い、ガルドが若者たちに号令をかけ、リリスが優雅に髪を整え、アゼルが防壁の建設に勤しんでいる。
この光景は、王都の連中から見れば、不気味な異形の集団に見えるかもしれない。 だが、俺にとっては、これが世界の何処よりも確かな「理」によって結ばれた居場所だ。
「……そろそろ、周辺の『隣人』たちも、黙ってはいられない頃かな」
俺は、森の奥からこちらを窺う、獣のような野生の気配を感じ取り、口元を緩めた。 拒絶するか、共生するか。 いずれにせよ、灰谷は、もはや誰にも止めることはできない。




