第一話:追放されたオカルトオタク、最果ての地で「真理」を画く
「——以上だ、レオン。貴様は本日をもって嫡男の座を剥奪。北の果て、《灰谷》へ永久追放とする。命があるだけ感謝するのだな」
ルミナ王都を見下ろすアルグレイン公爵邸、その豪奢な大広間。
父である公爵の冷徹な声が響き、義兄のルーカスが勝ち誇ったような歪んだ笑みを浮かべる。
周囲の貴族たちは、扇子で口元を隠しながら「当然の報いだ」「公爵家の恥が消える」と囁き合っていた。
この国で魔法とは、神や精霊に祈りを捧げる『詠唱』である。
だが、俺にはその才能が欠片もなかった。どれほど祈っても奇跡は起きず、俺ができることといえば、部屋に籠もって羊皮紙に奇妙な幾何学図形を描き続けることだけ。
ゆえに、俺は「無能」と呼ばれた。
(……ああ、ようやく。ようやくこの息苦しい場所から出られる!)
俺はうなだれた振りをしながら、内心で激しいガッツポーズを決めていた。
俺には、前世の記憶がある。
東京の片隅で、胡散臭いオカルト雑誌の編集者として泥のように働いていた男——黒瀬玲央としての記憶が。
前世で読み漁った『ソロモンの鍵』、『エメラルド・タブレット』、そして古今の神秘学。
この世界に転生して気づいた。ここの連中が「神への祈り」と呼んでいる現象は、実は世界の深層へアクセスするための稚拙な手段に過ぎない。
奴らの詠唱は、鍵の形も知らずに扉を叩いているようなもの。効率が悪く、不安定で、出力も低い。
だが、俺が知る『魔導図案』と『神聖幾何学』は違う。
それは世界の理そのものを記述する「言葉」だ。
祈る必要なんてない。ただ、真理に基づいた図形を描けば、世界は勝手にその通りに動く。
「……謹んで、拝命いたします。父上」
俺は声を震わせ、絶望に打ちひしがれた演技で一礼した。
去り際、俺は義兄のルーカスにだけ聞こえるように、静かに告げた。
「兄上。この屋敷の壁や床に僕が描いた『落書き』……消さない方がいいですよ。あれ、この屋敷の空気を整えていたものですから」
「ふん、負け惜しみを。お前の不気味な模様など、すぐにでも洗い流してやるわ! 清浄なる神殿の加護があれば、お前のオカルト趣味など不要だ!」
——馬鹿だなあ。
あの「落書き」こそが、この屋敷の猛暑を払い、埃を消し去る術式の核だ。
あれを消せば、三日と持たずにこの豪華な邸宅は、ただの蒸し風呂のような石造りの箱に成り下がるだろう。
俺は未練一つなく、最低限の荷物と、愛用の魔力伝導インクを鞄に詰め、公爵邸を後にした。
◇
数週間の旅は、想像を絶する過酷なものだった。
北へ向かえば向かうほど、大地は痩せ、空はどんよりとした灰色に染まっていく。
そして辿り着いた俺の領地、《灰谷》。
「……これは、また。なかなかの地獄だな」
目の前に広がるのは、ひび割れた大地と、腐敗した沼のような毒霧。
かつては砦だったらしい石造りの家々は、屋根が抜け、窓は割れている。
出迎えてくれたのは、骨と皮ばかりになった数人の村人と、絶望を煮詰めたような目をした村長だった。
「領主様……。見ての通り、ここは世界の『吹き溜まり』です。竜脈は滞り、井戸からは泥水しか出ません。夜になれば、闇から《灰喰い鼠》の群れが襲いかかり、すべてを食い尽くします。我らはただ、死を待つだけの存在なのです」
村長の声は、風に消えてしまいそうなほど弱々しい。
領民たちは俺を、王都から捨てられた憐れな生贄として見ているようだった。
だが。
俺の『眼』には、まったく別の光景が見えていた。
「滞っている、か……。なるほど、つまりここは、行き場を失った莫大なエネルギーが溜まりに溜まった『宝の山』ってわけだ」
前世の知識が、歓喜に震える。
竜脈が詰まっているのではない。ここは巨大な霊的な「蓄電池」なのだ。
出口を作ってやり、適切な回路を通せば、どんな奇跡だって量産できる。
「村長。今日からここが俺の領地だ。まずは晩飯を食いたいが、この水じゃ無理そうだな。……よし、ちょっと『掃除』をしよう」
「掃除、ですか? そんな、魔法使い様を何十人も呼ばねば、この呪いは——」
「一人で十分だ。それと、夜になったら何が起きても外へ出るな。……怪我をしたくないならな」
俺は、村の中央にある荒れ果てた広場へと向かった。
鞄から炭を取り出し、ひび割れた石畳の上に、記憶の中にある『大奥義』を展開する。
◇
夜。
月明かりすらない暗闇の中、俺は一人で地面に這いつくばっていた。
描くのは、円。内側には七芒星。
その隙間を埋めるように、異界の文字である『ルーン』と、精緻極まる幾何学模様を走らせる。
大地の下で唸りを上げるマナの奔流を感じる。
それは荒れ狂う奔流だが、俺の描く図案が、それを従順な「力」へと変換していく。
(……ああ、いい。この感覚。世界の歯車を、自分の手で組み替えている実感がする)
俺の心臓は、恐怖ではなくワクワクとした高揚感で脈打っていた。
オカルト雑誌の編集者時代、深夜まで机にしがみついて記事を書いていたあの執念が、今、魔導の極致となって大地に結実する。
その時だ。
キィィィィィィィ!
闇の向こう側から、無数の赤い目が迫ってきた。
灰喰い鼠。
一匹一匹が小型犬ほどの大きさがある、歪んだマナの獣だ。その数は数千。
領民たちが怯えていた「地獄の軍勢」が、俺を食い殺そうと牙を剥く。
「タイミングがいい。ちょうど『動力源』が欲しかったところだ」
俺は最後の一線を閉じた。
そして、魔法陣の中央に、俺自身の指先から絞り出した血を一滴、落とす。
「——万物の照応に従い、彼方の門を開け。黄金の比率をもって、秩序を再構築せよ」
唱えたのは詠唱ではない。ただの「起動命令」だ。
ゴォォォォォォッ!!
瞬間、大地が激震した。
魔法陣が目も眩むような漆黒の光を放ち、天に向かって巨大な柱を打ち立てる。
飛び込んできた鼠たちが、光の境界に触れた瞬間、消滅した。
いや、消えたのではない。彼らの持つ「生命エネルギー」が分解され、陣の燃料へと変換されたのだ。
そして、空気が凍りついた。
バリバリと、空間が「物理的に」引き裂かれる音が響く。
漆黒の亀裂から、一人の女が優雅に、まるで散歩でもするかのように踏み出してきた。
背中には、夜を塗りつぶしたような黒い二対の翼。
頭上には、禍々しくも美しい一対の角。
その瞳は、深紅の宝石のように妖しく輝いている。
「……あら。ずいぶんと『古臭くて、正しい』呼び方をされたものね。私を現世に引きずり出すなんて、どんな大魔導士かと思えば——」
女——深界の公爵、リリスが、面白そうに俺を見つめる。
その背後から、身の丈二メートルを超えるフルプレートの騎士が現れた。
背負った大剣から漏れ出る圧格だけで、周囲の石畳が砕け散る。
「リリス。……信じられん。召喚の代償が、この土地の『淀み』だけで完結している。術者に一切の負担がかかっていないだと?」
深界の処刑人、アゼル。
神殿の記録では、一国を滅ぼしかねないとされる最強級の悪魔二人だ。
彼らは周囲を見渡し、そして足元の精密すぎる魔法陣を見て、戦慄したように息を呑んだ。
「人間よ。貴様が我らの主か? ……何を望む。復讐か? それとも、この世界の蹂躙か?」
アゼルが大剣を地面に突き立て、問う。
その声には、逆らう者を一瞬で塵にするような威圧感がこもっていた。
普通なら、ここで腰を抜かすか、あるいは「自分を追放した奴らを殺せ」と叫ぶ場面だろう。
だが、俺はパンパンと手の砂を払い、爽やかに笑って言った。
「ああ、来てくれて助かるよ。リリス、アゼル」
俺は村の端にある、泥水の湧く井戸を指差した。
「とりあえず、その井戸を浄化してくれ。あと、この村に漂ってる変な霧も邪魔だから消して。……それから、あっちの壊れた家を住めるように直したいんだ。手伝ってくれるか?」
「…………は?」
リリスが、美貌を呆然とさせた。
アゼルもまた、構えていた大剣を落としそうになるほど硬直している。
「な、何を言っているの? 私たちは深界を統べる者よ? 世界の理を壊すほどの力を——」
「知ってるよ。だから呼んだんだ。その凄い力があれば、この領地、あっという間に住みやすくなるだろ?」
俺の目は、真剣そのものだ。
復讐? そんなの、この地を世界で一番快適な場所に変えて、兄貴たちが「返してくれ」と泣きついてきた時に冷たくあしらえば十分だ。
今はそれよりも、うまい飯と、温かい風呂と、フカフカのベッドが欲しい。
「……ふ。ふふふ……あははははは!」
沈黙の後、リリスが抱腹絶倒した。
彼女は俺の前に跪き、その白い指先で俺の顎をクイと持ち上げる。
「いいわ、レオン。あなたのその、狂ったほど真っ直ぐな欲望……気に入ったわ。このリリス、あなたの『便利な杖』になってあげましょう」
「……御意。このアゼル、主殿の描く『真理』がどこへ向かうのか、その特等席で見守らせてもらおう」
こうして。
最強の悪魔二人を「便利屋」として従えた、俺の辺境開拓が幕を開けた。
この時、俺はまだ知らなかった。
俺が「ちょっと住みやすくしよう」と書き換えた世界の仕様が、やがて神殿や近隣諸国から「魔王の再来」と恐れられ、歴史を根底から塗り替える戦記へと繋がっていくことを。
「よし、まずは水だ! 美味しい水で、お茶を淹れるぞ!」
俺の声が、再生を始めた灰谷の空に、明るく響き渡った。
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