雪の戯れ、熱の代償
最近のミレイユは、窓に釘付けだ。
本日も、しんしんと雪が降り積もっている。
見慣れた光景だが、ミレイユにはそうは映らないようで、飽きもせずに窓から外の様子を眺めている。
「そんなに外が珍しいか?」
ライオネルがミレイユに尋ねた。
「ええ、とっても!だってこんなに真っ白なんですもの!」
猫目の宝石色の瞳をキラキラと輝かせ、ミレイユは笑顔で答えると、また窓へと目を移す。
少しおもしろくない気分になったライオネルは、ミレイユの傍まで歩み寄り、同じように窓から外を見た。
さして変わらない、毎年見る、毎日の風景としか思わなかった。
眼下のミレイユに視線を落とす。
綺麗に結わえた白金の髪から覗く長い睫毛、楽しそうな表情、外の景色よりも今ライオネルが見ている景色の方が見ていて飽きることはなさそうだ。
見ている景色が自分を見た。
ふふふっ、と笑いながら「わたし、作戦があるんです」という。
「作戦?」聞き返すと、ミレイユは「ええ」と、頷き、
「外に出てもセラからすぐに『お部屋へ戻りましょう』って言われるんです」
そう言うと、ミレイユはまたふふふ、と笑うと、
「ですので、セラや侍女たちがお部屋の掃除をしている間、こ〜っそりと、抜け出しますの!そして、思いっきり雪と戯れるんです!たしか⋯、明日ぐらいかしら?いつもより掃除が念入りの日がありますの!」
そう言って、ミレイユは無邪気に微笑んだ。
「だ、そうだ」
「作戦⋯ですか」
ミレイユの作戦は、毎日行われる報告会で筒抜けとなった。
「ならば、せめて温かい服装を心がけておきます」
「頼む。その日は、私が代わりにミレイユを見守ろう」
こうして、ミレイユの作戦とやらに2人は協力することにした。
こ〜っそり抜け出すミレイユの姿を背後の物陰から様子を伺っていたライオネルは、ミレイユの服装に不備がないか、まずは確認をした。
セラは、宣言したとおりミレイユの頭の先から爪先まで、防寒に次ぐ防寒を行ったようで、一瞬、雪だるまが歩いてるのかと我が目を疑った。
どうやって、ミレイユにバレずにあの格好をさせることが出来たんだ⋯?と、ライオネルはセラの手腕に舌を巻きつつ、コソコソと歩くミレイユの後ろ姿を追うのだった。
無事に玄関から外に出る事が出来たミレイユは、何をすることもなく空を見つめ、ただ佇んでいた。
玄関から出るとミレイユに見つかってしまうので、裏口から回ったライオネルの目に飛び込んだのは、何故か綱渡りでもしてるのかというほど激しく揺れる、ミレイユの姿だった。
「え?」と、一瞬、驚いたライオネルだったが、冷静に前後に大きく揺れるミレイユを観察する。
どうやら、凍った水たまりの上に乗ってみたらバランスを取ることとなったようだ。
転けそうで転けないミレイユを助けてやりたいが、(しかし、あれも“戯れ”かもしれん)と、ハラハラしながらも見守るライオネル。
ライオネルの心配をよそにダン!と大股で氷のない部分に足を着いて、肩で大きく息をするミレイユの後ろ姿にライオネルもたまらず、声を出して笑ってしまった。
その声に、驚いて、振り向くミレイユ。
焦りなのか、恥ずかしさなのか分からないが、顔が真っ赤になっていた。
「⋯⋯見ましたわね?」
「わ、悪い⋯くっ⋯あまりにも令嬢らしからぬ動きで⋯くっ⋯はっは」
ライオネルは、ひとしきり笑うと、はぁ、と息を整え、ミレイユの側まで来ると、
「昨日、ミレイユの話す“戯れ”だと思ってつい見てしまった。
すまなかった。お詫びにエスコートさせてもよろしいだろうか?」
と、右手を差し出した。
「ちょっと好奇心で乗ってみましたの。割れるかな?て。
まさか割れずに、あんなに滑るとは思いませんでした⋯」
と、言いつつミレイユは、ライオネルの手に手を重ねるのだった。
しばらくふたりは歩きながら雪景色を眺めていたが、ミレイユがふと、立ち止まり、するり、とライオネルの腕から手を引き抜くと、雪がこんもりと積もる前へと立った。
なにをするのだろうか、とその様子を見ていたライオネルだったが、突然、
ばふん。
と、ミレイユが雪山に向かって倒れた。
唖然としたライオネルだったが、我に返り慌ててミレイユを助け起こそうとした。が、それよりもいち早く、ミレイユはガバリっと起き上がると、ライオネルに振り向いて、
「⋯一度やってみたいと思っておりましたの!」
と、雪だらけになりながらも、ツリ目気味の猫目をふにゃりと細めて、ライオネルに笑いかけた。
「まあ、まるで、雪だるまが倒れたみたい!」
自分の人型を確認して驚くミレイユだったが、ライオネルが自分の妻の突拍子のない行動に、岩など下になくて良かったと、安堵と共に込み上げくる可笑しさに肩を震わせている間、せっかくセラが着込ませていた上着を脱いでしまうと、倒れた雪だるま跡の隣に、また倒れ込むのだった。
「今度は、私の形だわ」
嬉しそうなミレイユの服に付いた雪をライオネルが払いやると、
「雪ってこんなに服に付くものなのですね」
と、無邪気に言うのだった。
ライオネルは、ミレイユが雪の上に放おった上着を拾い上げ、雪を払ってミレイユに着せてやる。
ミレイユは、大人しく従いながらライオネルを見上げた。
思ったよりも近いライオネルの顔に、一瞬、ドキリとしたが、顔がそのまま近づいて来て気付いた時には唇が重なっていた。
呆然とするミレイユに、ライオネルは「冷たいな」と一言そう言うと、もう一度唇を重ねるのだった。
唇を離すとライオネルは微笑み、ミレイユに付いた雪を払ってくれる。
しかし、雪は、あっという間に溶けて、ミレイユの髪を濡らすのだった。
「風邪をひく、戻ろう」と、ライオネルに腕を引かれるミレイユだったが、ギクシャクとした足取りに、またライオネルは吹き出すのだった。
屋敷へ戻る道中も、ミレイユは、雪山の前にしゃがみこみ、雪だるまを作りライオネルに「可愛く出来ましたわ!」と顔を火照らせながら見せ、歩き出すとまた腕から手を抜き、雪をかき集めて真上に投げる、ということやって見せ、ライオネルの目を白黒とさせた。
ミレイユ自身も気持ちが舞い上がり、自分が何をしているのか、楽しみにしていた雪遊びのはずが、頭の中はライオネルの微笑みでいっぱいだったし、胸を打つ鼓動がライオネルによるものなのか、雪遊びに興奮しているせいなのかも分からなかった。
ミレイユはその晩、熱を出した。
セラから何度も謝られたが、ライオネルからミレイユの原因は自分にあると、責めることはなかった。
セラを休憩に入らせ、ライオネルはミレイユの看病のために寝室へと入った。
寝台で眠るミレイユの傍らの椅子に座る。
熱いのか布団から半身を出し、汗をかいて苦しそうな姿に胸が痛む。
ライオネルは立ち上がると、新しく水を張り替えた桶に手拭いを濡らし絞り、ミレイユの額を拭う。
そして、また濡らし、冷やした布をそっと首元へ。
そのときだった。
ミレイユが、ひたり、と布に頬を寄せると、
小さく、「気持ち⋯⋯いい⋯」と呟いた。
すり、と布越しのライオネルの手に頬ずりをする。
その様子に瞳孔が開いたのが、自分でも分かった。
指にかかる少女の吐息が熱い。
寝間着越しに大きく浮き沈みをする胸の膨らみに、ライオネルの喉が無意識にごくりと鳴った。
視界が、歪んだ。
時が、止まったようだった。
乱れた前髪。
首筋をなぞる汗。
寝間着の襟が、わずかに開いて鎖骨がのぞいた。
彼女の体温と、薄く開いた唇、悩ましげに閉じた目蓋、白い肌——
全てが、艶やかに見えた。
手拭いをギュッと握りしめ、
ライオネルは目をそらすため、無理やり顔ごと天蓋を仰ぎ見る。
ぎゅっと目を瞑った。
血液がある個所へ一点に集中するのを感じる。
妻に触れたい、放出したい欲に耐えながらも心の中で己を止める。
(耐えろ⋯⋯ライオネル!!相手は病人だ⋯!!
これは、鍛錬!!己を強く持て⋯!)
手を伸ばしたのは、ベルの紐。
鳴った音に応じて、控えていた侍女が現れる。
「彼女を、頼む」
それだけ告げて、ライオネルは急ぎ足で踵を返す。
——ライオネルはそれから暫く、私室から出ることは無かった。