初雪、そして初紅(うべ)
ミレイユがシュトラール辺境伯領に輿入れをしてから三ヶ月になろうとしていた頃、奥方付き侍女セラは、誰にも打ち明けることが出来ない、ある悩みを抱えていた。
ミレイユの下着を握りしめ、ため息をつく。
(奥様に、――月のものがこない⋯)
初めてお会いしたミレイユは、やせ細り、血色も悪く、とてもじゃないが血が作れるような、身体つきではなかった。
ライオネルの命令で、地道に栄養のあるものをふんだんに摂取させ、不自由の無いように細心の注意を払ってミレイユを庇護した。
その甲斐あってか、今では朝露を含む薔薇の蕾のように、いつ花開いてもおかしくはない美しさを纏っている。
慈しむライオネルがいつ情欲を芽生えさせるか分からないほどだ。
花開く薔薇を手折るのは、ミレイユの夫であるライオネルだとは、分かってはいるのだが。
そろそろと思っていたものに、来る気配がない。
(月のものがこないと、赤子は授からないわ⋯)
ミレイユもライオネルも、子を授かれ、という王命のもと、夫婦となった。
もし、この先もミレイユに月のものが来ないとなると、離縁。
輿入れ時のミレイユの痩せ細った姿が、生爪を剥がされたと思わしき歪になった足の爪がチラつく。
(いえ、きっと、引取先に返すことは、旦那様が許さないわ⋯。でも、もしこの先も月のものが来ないとしたら⋯)
側室を娶り、その方に子を産ませることになるだろう。
セラの脳裏に、穏やかに微笑み合う、ライオネルとミレイユの姿が浮かぶ。
「どうしよう⋯」
セラは、か細く呟くのだった。
「雪が積もっているのに、なんだか最近、昼餉がとっても豪華ね、」
不思議そうに、だが嬉しそうなミレイユは、テーブルに並ぶ料理を無邪気に眺め、声を弾ませながら言った。
「ちょうど運良くお肉が手に入りましたので」
セラは、にっこりと微笑んでそう答えた。
家令には、奥方様に血が足りないせいで、月のものが乱れている、と伝えてある。
お陰で整えるためにもと、危険を顧みず、この雪積もる中、狩りを手配してもらっていた。
(使えるものは嘘でも使って、早く身体に促さなくちゃ)
(まさか、妊娠している?嫁ぐ前に他の殿方に⋯?いえ、そんなはずはないと思うわ)
最近、頭の中は、無邪気に微笑む目の前の少女の体調のことばかりが気になって仕方がない。
ふと、ミレイユを疑ってしまう自分にも嫌気が差していた。
(とりあえず、やるべきことをやるのよ!)
セラは、血の巡りが良い、と聞くと試してはやめ、試してはやめを繰り返し、己に効くとミレイユに煎じた。
「最近なんだか、身体がポカポカするわ。セラが煎じてくれたお茶のおかげかしら?ライオネル様も温かいって。ふふ。だから昨日、眠るときに、私が包んであげたの」
「こーんなに手を伸ばしても、腕が回らないの!」と、昨夜の出来事を報告するミレイユに対して、セラはなんだか無性に抱きしめたくなった。
その知らせは突然だった。
ミレイユの部屋で掃除をしていたところ、寝室で休んでいたミレイユが泣きながら抱きついてきたのだ。
今朝、ライオネルからミレイユが熱っぽいと知らせを受けていた。
熱が上がって情緒が不安定になってるのかと思ったセラは、驚き、ミレイユを支えると背中を擦ってあげた。
「奥様、大丈夫ですか?ご気分が優れませんか?」
しゃくりあげながらミレイユは、セラに言う。
「セラ⋯っヒッ⋯ど、しよ⋯わた、っし、病気かも⋯っ」
熱の上がり始めは身体も思うように動かなくなる。
寝室のベッドに戻れるように、安心させるかのようにセラは、ミレイユの手を引いて背中を擦って誘導しようとした。
ふと、床を見ると、血が落ちていた―――。
「血⋯?」
反射的にミレイユの足元に目をやった。
「あ⋯」
セラは、思わず声を出してしまった。
ミレイユの反応から全てを悟ったセラは、ここで狼狽えてはいけないと己を叱咤し、仕える奥方になにも不安を覚えることがないよう、努めて冷静を保つことだけに意識を集中した。
口角を引き上げる。そして―――。
「奥様、ご安心なさいませ。これは病気でもなにもありません。
一人でご不安だったでしょう?大丈夫。これは女性特有で、私も時たまに起こるんです。びっくりしますよね。実は、健康の証というお知らせなのですよ」
「さ、お召し替えを致しましょう。床の汚れは気にしなくて良いですよ。私、これでも掃除が得意なんです」
と、努めて明るく冗談も交えてミレイユを安心させた。
その夜、料理長にお願いをして、ささやかながらも豪華な夕餉を用意してもらった。
食後の甘味は、ミレイユの好物だ。
ミレイユの笑顔を遠目で眺めながら、セラは人知れず涙をこぼすのだった。




