綻びを告げる夜 ※若干シモ話
ここは、シュトラール辺境伯領主屋敷、執務室――。
「旦那様、一応の確認ではございますが、念のため。既に奥様には、例の件は、お話になられておいでで?」
家令のモーリスに問われて、はて?なにかあったかな、と思う、ライオネル。
その表情に家令は、呆れた表情で
「旦那様⋯。もしや、結界の綻び自体を忘れているのではありますまいな?」
その問いにライオネルは、ハッとする。
(そうだ、すっかり⋯話すのを忘れていた)
何故忘れていたのだろうか、と思い巡らし、あまり思い出したくない先日の出来事を思い出した。
(そうだ、乳の薬⋯)
ライオネルにとっては、軽い心の傷になっていた。
ミレイユの手ずから調合された薬草の煎じ薬。
その薬を飲んだ途端に、ライオネルの身体に異変が起きたのだ。
ミレイユの手技に翻弄されたのは、ライオネルの胸の中にそっと仕舞っている出来事だ。
そっと仕舞ったせいで、ミレイユに打ち明けることすら、そっと仕舞っていたようだ。
ライオネルは、胸の中に仕舞っていたものを、急いで取り出すと、「もちろん、覚えている。忘れるわけがない。ミレイユとは機会が合わないだけだ」と、誤魔化した。
家令が疑うような目でこちらを見ていた。
「まあ、そうですか、結界が⋯。――では、ライオネル様はそちらに赴かれるのでございますか?」
夜の寝所の寝台の上。
ミレイユとライオネルは、向き合って座っていた。
打ち明けてみると、案外けろり、としているミレイユの様子に、ライオネルは拍子抜けする。
ライオネルは、ミレイユの両の指先を取ると、キュッと握った。
「そうだ。それで、君にはその間、身の安全を考えて王都の屋敷に移ってほしいのだ」
ミレイユは、一瞬、ライオネルの言葉に呆けた顔をしたが、すぐに微笑むと、「承知いたしました」と了承した。
何故だが、ライオネルの胸には、安堵と、同時に淋しさが湧いた。
なので、つい
「その⋯私と離れて、淋しくはないか⋯?」
と、聞いてしまった。聞いてしまった後で後悔が湧いた。
――「ちっとも」なんて言葉、聞きたくない。
ミレイユは、その言葉に逡巡した後、
「お寂しいですけど、私、ライオネル様を信じておりますもの。ライオネル様のお強さは、私にとっても誇りなのです」
そう言うと、ミレイユは、ライオネルの手を握り返し、得意げに笑んだ。
ライオネルは、思わずその表情に吹き出して、
「⋯そうだな。では私もミレイユに誇れるように、頑張らねばな」
と、微笑んだ。
ライオネルの表情をじっと見つめていたミレイユから、
「それに、ライオネル様が不治の病ではないと知って、そちらの嬉しさが勝っていて⋯。帷の向こうで盗み聞きをしてしまってごめんなさい」
と、謝られた。
「私こそ、ミレイユに余計な心配をかけさせて、悪かった」
と、お互いに謝罪をした後、二人で微笑み合う。
なんだか良い雰囲気――⋯(もしや今夜は⋯)と、思うライオネルの脳裏に、家令の顔が浮かんだが、敢えて無視した。
だって、ライオネルも寂しい。とても淋しかった。
ミレイユに打ち明けて、哀しまれるのが嫌だった。
しかし、実際に話してみると、妻はそれを笑顔で受け止めて、ライオネルは、己が離れがたいことを知った。
ライオネルは、ミレイユに口づけようと若干、前屈みになったが、「あ」とミレイユの発した声に、思い留まった。
「私、ライオネル様にお渡ししたい物があるんです」
と、言うと、ライオネルから手を離して寝台から下りると、私室へと行ってしまった。
その後ろ姿が、戻ってくると分かっているのに、自分を置いて行ってしまうようで、ライオネルの心に、冬の凍てつくような風が吹く。
程なくして扉が開き、続いてミレイユは「よいしょ」と箱を抱えて戻ってきた。
ライオネルは、寝台から下り、ミレイユが抱える箱を代わりに持った。
「ありがとうございます」と、ミレイユはお礼を言うと、示す寝台横の机の上に、ライオネルは抱えた箱を置く。
ミレイユが、箱を開けると、中からどっさりと小瓶が出てきた。
(⋯この色、見たことあるぞ⋯)
ライオネルの胸中、心の傷が疼く。
「ライオネル様のお身体の事を一番に考えてお作りした、薬草の煎じ薬ですわ」
と、ミレイユは、にこやかに話した。
「――⋯ミレイユ、この煎じ薬は、先日の乳の薬では――」
(ミレイユの心は、有り難いが出来れば飲みたくは、ない⋯)
ミレイユに、腫れ上がった股間をヤギの乳のよう、と言われた事を思い出す。
戦場で、アソコを腫らして戦うなど出来るわけがなかった。
「乳の薬――⋯?ああ、あの時は、たくさん出ましたわね」
と、思い出されたミレイユからニッコリと微笑まれ、ライオネルは、顔から火が出ると思うほど赤くなる。
あの時は、つい誘惑に負けて導かれるままに空き部屋へと入ってしまった。
そして――、年上の夫という矜持も、サライア式を叩き込まれたミレイユの手技の前に、全てが霧散した。
あの時の感触をライオネルは思い出し、つい、寝衣を押し上げそうになるのを、瞬時に思い浮かべた家令の顔が阻止してくれた。感謝。
「ミレイユ⋯すまないが、乳の薬は⋯。気持ちだけ受け取りたい」
と、断るが、ミレイユから「あの薬はつい、気力を向上するのにいつもよりも多めに薬草や他のものを入れてしまいましたの。今回の煎じ薬は、普段の量と変わりない程度に」
「それで、私が試し飲みをして効能があったものだけをご用意いたしましたの」
と、説明された。
それから、「これは、頭痛に効く薬」「これは、腹痛」「これは、血が増える」だの、ありとあらゆる効能をそれぞれ教えてくれた。
よく見ると、小瓶ひとつひとつにきちんと、どの薬効かが表示されていた。
「効果は即効で覿面に効きますわ。通常の煎じ薬の倍ぐらいですわね」
――どんな混ぜ方をしたらそうなるのだろう、聞いてみたが、『秘密』と言われた。
「これを入れましたの。他の薬草と混ぜると効能を高めてくれるみたいなのです。村の子供達からいただいたもので、材料は、私と子供たちだけの秘密ですわ」
と、謎の粉末が入った小瓶を見せられた。
「この粉だけ煎じて飲まれますと、効能は、そうですわね⋯。女性は血が増えて、男性は、ヤギの乳のように下腹が膨れますわ」
と、ミレイユは、ニッコリと明るく説明してくれた。
「⋯⋯」
ライオネルは、微笑んでミレイユの説明を聞いていたが、
――⋯もし、この粉末をもらったところで、使うことはないだろう、と思うのだった。




