その報せは突然に
シュトラール辺境伯領、そこに仕える家令のモーリスの朝は、余裕がある。
他の貴族と違って、客が来ることもほとんどなく、晩餐会が開かれることもない。
当主のライオネルは、華美を好まず、その妻のミレイユもまた贅沢を所望する訳でもなかった。
当主のライオネルは、朝餉は食堂で召し上がるか、執務室で召し上がるぐらい。
メニューもほぼ決まったもの。
出される物にはなにも文句も言わず、所望することもない。
早朝から当主は鍛錬に行き、家令は、その間に本日の屋敷の動きを打ち合わせるぐらい。
鍛錬から戻ってくるライオネルのために、従僕に湯浴みの準備をさせ、家令はその間にお召し物を用意する。
とは、いっても大体同じような衣装である。
それが終わると執務室。
家令自ら掃除を行う。
村や町などシュトラール辺境伯領内の行政の処理は、この屋敷内で行う。
そんなに急ぐ仕事でもない。
静かにペン先を滑らせれば、書類は片付いていく。
ライオネルに処理をしてもらう書類を分けていると、珍しく奥方付きの侍女、セラが訪ねてきた。
「どうした?なにか、あったのか――?」
この時間は、セラは掃除や支度のため、ほとんど奥方のミレイユの私室に篭っているはず。
セラは、焦りのような、戸惑いのようなそんな表情を浮かべて、手に持っていた物をモーリスの前へと差し出した。
セラが手に持っていたのは、敷布だった。
モーリスは、差し出した敷布を見ると、そこには、うっすらとした赤みがあった。
「⋯⋯今朝のものです。月のものではございません」
セラの言葉に、モーリスは信じられない面持ちで凝視した。
「まことか?セラ⋯、旦那様が、まさか⋯。奥方様に他に怪我などは無かったのか?ノイハイム村へ行った際など⋯」
「昨日、湯浴みの際、確認しましたが、なにも⋯」
「⋯ならば、本当に――?」
モーリスの言葉に、セラは静かに頷いた。
「モーリス⋯朝にしては量が多すぎやしないか?」
ライオネルは、朝餉の前で戸惑いを隠せないでいる。
なぜかと言うと朝だと言うのに、ライオネルの目の前には肉が置いてあったからだ。
ライオネルは食事自体、腹いっぱいに量を食べない。
腹が膨れては、咄嗟の時に、動きが鈍くなるからだ。
しかし、今、ライオネルの前にある肉――
(――分厚いし、でかい⋯)
皿に盛られた肉が、食堂の窓から入る朝日を浴びて、キラキラと輝いている。
「朝なので、消化に良くサッパリとした味付けの煮込み料理にしました」
家令がすました顔をしてライオネルに説明する。
「いや、そういう問題ではない⋯」
「旦那様には、精を付けてもらわねばなりませんからね」
と、言うと声を潜めて「昨日は、大変お励みになったようで」と、ライオネルに聞こえるぐらいの声で囁いた。
それを聞いてライオネルは、
(厳密にいうと今朝だが⋯いや、違う)
「⋯報告が遅くなってすまない。ミレイユが体調を崩してしまったので、その間に鍛錬に行っていたのだ」
と、ライオネルは、いの一番に報告をしなければならない家令を蔑ろにしてしまったことへの言い訳をした。
「いえ、旦那様、私のことは良いのです。セラの報告がなければ、家令モーリスは、なにも知らず、なにも知らされず、初夜の儀も果たさないと思い込んで、当主御夫妻に対して、まだかまだか、とせっつくところでありました、が」
家令の嫌味がチクチクとライオネルを刺してくる。
「わかった、すまない。きちんと報告をする。あとでな、執務室で、だ」
「さようでございますか」
そう言うと、家令はニッコリと微笑むのだった。
執務室で改めて、ライオネルから初夜完遂の証言をとると、家令は足取り軽く、ミレイユの体調が戻り次第、豪華な夕餉をいつでも提供出来るように、と料理長のもとへと急ぐのだった。
「⋯ミレイユの体調はどうだ?」
ライオネルは、ミレイユの私室を訪ねると、セラが対応してくれた。
「奥様は、まだ微熱が続いておられますが、消化に良いものを朝餉にお出し致しましたら、少量ですが、お召し上がりになられました。旦那様がお訪ねになられましたら、きっと喜ばれるかと存じ上げます」
「そうか⋯」というと、ミレイユの部屋を後にして、ライオネルは、己の私室から寝室へと続くドアを開けた。
寝台へと近付くと、ミレイユは寝ていた。
額に汗をかいているのか、ライオネルはミレイユの額に張り付いた前髪をといた。
「ん⋯」と、声を上げたミレイユは、目蓋を開け、額に触れる指から腕へと視線を移し、最後にライオネルの顔を認めると、ほにゃりと笑って「ライオネルさま⋯」とうれしそうに相好を崩した。
ライオネルの中に愛しさが芽生える。
そっと、ミレイユの頭を撫で、
「すまない⋯起こしてしまった。あまりにも寝顔が可愛くて、つい触れてしまった」
と言うと、ミレイユは頬を染め、
「謝られることはございません。⋯ライオネル様ならいつでも触れていただいてかまいません⋯。だって、私の夫ですもの」
そう言うと恥ずかしそうに笑った。
(かわいい⋯。顔に力を入れておかないと、私の顔はデレデレと溶けてしまいそうだ)
ライオネルは、ミレイユに悟られないよう微笑むと、近くの椅子を引き寄せ座り、ミレイユの頬に触れ、撫でると軽くつまんだ。
(フワフワしてて可愛い⋯。今ならあの理解不能だった王太子の言動も分かる⋯。自分の妻の魅力による不安から、婚姻神聖保護法を施行したのも分かる気がする)
寝台横に置いている水の入った桶から布を絞ると、ミレイユの額に浮かぶ汗をそっと拭う。
「すまなかった。私の我慢が足りないばかりに、無茶をさせてしまった⋯」
ライオネルは、改めて夜明けとともに行った己の所業を詫びた。
「いえ、あの謝る必要はございません⋯。それに“寸前”がなんなのか理解しましたし⋯」と、ミレイユは、尻窄みになりながらもポソリと呟いた。
「それに、君を置いて、鍛錬に行ってしまった」
ライオネルは、更に続けてミレイユに詫びると、
「それは、私が行くように、とお願いしたことですし⋯。あの私の方こそ申し訳ありません。熱を出してしまい、ライオネル様に余計なご心配をかけてしまって⋯」
ミレイユがそう言うと、ライオネルは
「無垢な身体に、私という異物を受け入れたのだ。熱が出てしまうのは当然のことだと思う」
と返した。
「モーリスがな、とても喜んでいたぞ。君が回復次第、豪華な夕餉を準備すると言っていた。なので、無理をせずにしっかりと休息してほしい」
ミレイユは、その言葉を聞いて「楽しみです⋯」と微笑むのだった。
ふわりと微笑むミレイユを見、ライオネルは
(ミレイユの好物ばかりを揃えよう)
と、決意するのだった。




