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すれ違う想い



 衝立の奥へと消えたセラを見届けると、家令は声量を抑えて、


「まぁ、新婚ですからな、だいたいそう言う場合は、男が羽目を外して痛い目を見るものです。あまり御自分をお責めになりませぬように」


と、ライオネルに言うのだった。


 ライオネルは、その言葉に息が詰まる。


 嫁に近づいて、いつもと違う雰囲気に年上の矜持も忘れ、甘えるつもりが、つい、情欲を掻き立てられて調子に乗り、開けてはならない蓋を開けてしまった。


 閨の時は気をつけていたにもかかわらず、である。


 だから、より一層ライオネルは己を許せなかった。


 家令はまるでライオネルの失態を見ていたかのような口ぶりだったが、


「見ていたわけではございませんよ」


と、家令がライオネルを見ずに言う。


「なに、お父君の大旦那様も新婚の頃は、同じように羽目を外しては、大奥様から大変な拒絶をいただいておりましてな。その度に乳兄弟である、我々兄弟に仲介を求めに来たものです」


 そう言うとライオネルを見てニッコリと目を細め、


「やはり血は争えませんな」


と、懐かしむように言われた。


「⋯⋯」

 

(⋯⋯そんな所は似たくはなかった)


 両親の過去を聞かされて、内心複雑なライオネル。



 セラが二杯目のお茶を給仕してくれた。

 

 れてくれた紅茶を一口飲むと、ライオネルは軽く息を吐き、


「⋯ミレイユには、夫である私から伝える」


「ただし、体調や気力が回復してからだ。あの子が倒れるのは、もう見たくない」



 ライオネルの脳裏に倒れる寸前に見たミレイユの後ろ姿――いつもと違う装いのお下げ髪の姿が蘇ってくる。


(ブルブルと震え、必死になって私から逃れようと抵抗していた。舞踏会での時もあんな様子だったのだろうか。それをあの男は――)


 瞬間、ライオネルの目の前に、舞踏会での光景が広がる。


 初めての王城で緊張していた妻。

 ぎこちない笑顔で自分を見送っていた。

 後ろ髪を引かれる思い。

 王太子の謁見。


 用事を済ませ急いで戻った広間。

 ミレイユが待っていると言って指し示したバルコニー。


 自分に気付いて満面の笑顔で迎えてくれる妻を想像し、ニヤける己の顔を正して、バルコニーへと続く重厚なカーテンをめくる。


 ――そこには、変わり果てた姿で妻は、男にのしかかられていた。



 あの時の光景が――ライオネルの全身に殺気が湧き上がる――


 ピシっ、と微かな音と指に微かに何かが崩れる感触で現実に帰ってきた。

 ライオネルは、慌てて、茶器を持ち替え、一口で飲み干す。

 茶器の持ち手部分は、微かなヒビが入っていた。


「すまない、カップを壊してしまった」


 ライオネルは、素直に謝った。




 ライオネル達が執務室に入っている間、ミレイユは頭の中は、偶然聞いたライオネルの命の期限に頭がいっぱいだった。


(しっかりして、ミレイユ・アーデンハイド。あなたはライオネル・ヴァルト・シュトラール卿の妻なのよ。守られてばかりでは駄目よ。ちゃんと恩返しをして、旦那様のお役に立たなきゃ)


 なにか、なにか命を救う手はないのか⋯、ミレイユは寝台の上から動けないことが、ただもどかしかった。


 

 その時、侍女がミレイユに声をかけた。


「あら、奥様。お顔の色が良くなりましたね。頬に赤みがさしてまいりましたよ」


 どこか、嬉しそうな侍女の声は、ミレイユにとっての光明だった。


「ありがとう。ライオネル様を迎えても大丈夫なようにしたいのだけど、着替えの準備をお願い出来るかしら?」


 そういうと、ミレイユは寝台からおりるのだった。



 それは、ライオネルにとってあまりにも突然の報せだった。



「ミレイユが、いなくなった⋯?」



 ライオネルが、急いでミレイユの部屋に向かうとたしかにミレイユの姿はそこになかった。



「なぜ、なにがあった――?」


 ライオネルは、侍女に問いただす。


「他の部屋にはいないのか?気分転換に庭に出たとか⋯」

 


 ライオネルの真剣な眼差しに、侍女は微かに震えて返答する。


「少し気分転換に歩きたいと仰られました⋯。付き添おうとしたのですが、少ししたら戻ってくるから、その間にお茶の準備をお願いと仰られ――⋯」


 侍女は続ける。


「なにかつまめるものを、と軽食を準備してお部屋でお待ちしていました。ですが、奥様が戻ってくることはなく⋯外に出てお姿を探したのですが、もうその時には既に見当たらなく⋯。申し訳ございません」


 ライオネルは、侍女の話を聞き終えてもいまだに信じられずにいた。


「⋯ミレイユが行き先を告げずに出ていくなど⋯」


(しかもひとりで⋯セラまで置いて) 


 グルグルとライオネルの中に、


 家出?

 かどわかし?

 事故?


 など、不穏な単語が浮かび上がり、頭の中で漂う。

 

 そこへ――



「旦那様!奥様の馬車がございません!」


 家令からの報せにライオネルは目を剥いた。



 揺れの少ない馬車の中で話し相手もおらず、景色に飽きてきたミレイユは、忘れ物がないかの確認をしていた。


(大丈夫。ちゃんとインク壺は忘れていないし、ペンも持ってきている。紙もあるわ。少しだけどお礼のお菓子も持ってきたし――)


「あ」


 ミレイユは、そこで大事なことを思い出した。


「行き先を言わずに出てきてしまったわ⋯」


 ミレイユは、なにか手立ては無いかと考えながら歩いていたら、ノイハイム村での薬草を教えてくれた女性たちの顔が浮かんだ。


 急いで部屋に戻り、知っている知識を全て書き写そうと、筆記用具を用意し、そこにあったお菓子を持ち、馭者ぎょしゃを捕まえ、馬車に飛び乗った。


 不思議と誰にも会わずに来たので、言いそびれてしまった。


「どうしよう⋯きっと心配してるわ⋯」


 しかし、既に馬車は出発し、その上馭者に早めに着きたいと、いつもよりも速度も上げてもらっているせいか、ノイハイム村まであと半分ぐらいの距離だ。


 


「とりあえず、着いてから考えましょう」


 ミレイユは、ライオネルの命を救いたい一心でノイハイム村に向かうことを決意するのだった。




「ミレイユを怒らせたのかもしれぬ⋯」


 シュトラール辺境伯領屋敷、執務室では、ライオネルが今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしていた。


 ミレイユの馬車が無いことを確認したが、賊に拐かされているのならまだ屋敷の中に潜んでいるのかもしれない、と中や外やと全使用人がミレイユの捜索にあたっていた。

 

 

 倒れた影響で錯乱して出ていかれたのでは、という声も出たが、着付けをした侍女曰く、


「目にはいつもより活気が宿っていて、とても錯乱していたとようには⋯」


という。


 もし、

 錯乱でもなく、

 賊による拐かしでもなく、


 自分の意志で、誰にも告げず馬車に乗って姿をくらましたのなら――


 ライオネルは、思い当たるとしたらひとつの事しか無かった。


「私が浮かれたせいで、ミレイユを怒らせてしまった⋯」


 ずん、と落ち込み、魔物の如しとわれる辺境伯ライオネル卿。


 椅子に座るその姿は、今は小物のようにしおしおになっていた。


「しっかりなさいませ、旦那様。奥様の意志で出ていかれたのでしたら、誠心誠意尽くして連れ戻せばよいのです」


と、言いながら家令は地図を眺めている。


「セラ、奥様が知っている場所を教えてくれないか?もし、旦那様がおっしょるとおり、怒って出ていかれたのなら、そこに向かっているはず」


 知っている場所⋯、とセラは独りごちると


「全てと言われれば全てです⋯。領民にご挨拶に周りましたので」


と言い、それを聞いたライオネルは、更に絶望するのだった。


 家令がむぅ、と唸りながら


 「⋯そういえば、そうだったな。⋯旦那様が今にも倒れそうだ。セラ、なにか気つけ薬があれば旦那様に」


と、言われたセラは、思い出したように、


「それなら良いものがございます」


と、言うと執務室を出ていき、しばらくして戻ってくると「こちらを」と、ライオネルに差し出した。


「これは⋯」瓶に入った得体のしれない色の液体だった。


「奥様がなにかと気を疲れていらっしゃる旦那様にと手ずから用意していたものにございます」


「ミレイユが⋯」


「旦那様の気休めになれば、奥様も喜ばれると存じ上げます」


 セラの言葉に、ライオネルは、瓶をじっと見る。


「飲んで無くなれば、ミレイユが私のために、と準備した贈り物が無くなるではないか」


 それを聞いた家令は呆れたようにライオネルを見ると


「重症ですな」と呟いた。


「早くお飲みになって元気になっていただかなければ――特にここ。この場所は放り出した前領主の屋敷でございますが、今は、兵士の寮になっております」


 家令は尚も続ける。


「こちらも新しく入所した兵達が住んでいらっしゃいますな。奥様の身分証は馬車の家紋のみ。不埒者が奥様に近づく恐れもございますぞ」


と、家令の言葉を聞くやいなや、ライオネルは小瓶の蓋を開け、一気に煽ると、すくりと立ち上がり


「行くぞ、モーリス。早くミレイユを見つけねば」


というと、まだ行先も決まっていないのにもかかわらず、さっさと執務室から出ていくのであった。

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