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侍女の眼差し

申し訳ございません。

昨日の投稿で注意書きを入れずに投稿をしてしまいました。



 ミレイユの部屋を出て、執務室へと向かうライオネル、家令、セラ。


 セラは、前を行く二人をじっと観察していた。


(家令殿は、焦っている様子だったわ。でも旦那様は御自分の命よりもミレイユ様の様子が大事なよう)


 ライオネルの言うとおり、家令が大袈裟に言っているのか、考えあぐねていると執務室へと辿り着いた。

 

 部屋に入ると、報告会でいつも座っている席へととおされる。


 セラはその前にと急いでお茶を準備するため茶器が置いてある場所へと向かった。


 執務中のこの時間は、いつでもお茶が飲めるようにと家令が完璧に用意しているはず。

 

 衝立ついたての向こうに茶器を見つけると、胸の奥のもやもやを押し込めるように、手早く準備に取り掛かる。


「大体、モーリスは、大袈裟なのだ。そこまで声を荒げることでも無かろう⋯――はあ」


 ライオネルが口火を切った。


 言葉尻の溜息に、家令が反応する。


「それを口に出しております時点で、旦那様が悠長にかまえていると、私は判断をしてしまい焦ってしまうのです。もう少し御自分のお立場というものを自覚してくだされ」


 家令は止まらない。


「せっかく奥様との仲も進展したのです。こんなに喜ばしいことはございません。なのに、小石のような矮小な男ひとりに振り回され、旦那様は遠慮までなさろうとする。それを奥様はお望みでございましょうか」


 家令の問いかけに、


「お望みだろうがなかろうが、身体が拒否しているのだ。私の前で倒れたのだぞ。王命だろうが王太子が催促してこようが、私は、ミレイユに無理強いはしたくない」


 そうキッパリとライオネルは、家令に伝えた。


「それに、その矮小な男からミレイユを庇えなかったのは、私の落ち度だ。私が原因を作ったようなものだ」


 その声色には、あの男を蔑む以上に自らを責める響きがあった。


「何度も言っておりますが、旦那様のせいではございません。王太子殿下から召されたのでしたら、すぐさま向かうのが臣下の務め」


「そもそも辺境伯夫人でもあるミレイユ様に、不埒な気を起こして近付いた、あの男こそが元凶なのです」


 家令の言葉に、セラも心の中で何度も同意する。


「ゼルバン⋯か。命も家名も取られたから、ただのグラファムだな。生きている時に奴に聞いた。何故ミレイユを襲ったのか、どういう風に襲ったのか、なにをしたのか」


 セラの心臓がドクドクと音を立てて鳴り出した。


 自分の大事な女主人を襲った男の名――グラファム・ド・ゼルバン。

 

 ミレイユからかいつまんで聞いていた。しかし、男の動機までは知らなかった。


「奴は最初、覚えていないと言った」


 ライオネルの声に、セラは耳を欹てた。


「舞踏会のあの夜、皆が注目する視線を追うと、ミレイユがいたんだそうだ。ちょうどひとりになったその隙に、近付いた、と――」


 セラの持つ、茶器が震えた。


 零さないように慎重にカップに注ごうとしたが、いつかの記憶が蘇る――⋯

 

(奥様が私に話してくれた。この後に踊るダンスを楽しみに、バルコニーで微かに聞こえる音楽に合わせて、ひとりステップを踏んでいた、と)

 

「あいつは、なにをしたのか覚えていないと言いながらな、興奮していたよ。――舞踏会で襲ったミレイユの姿を、奴はお気に召したんだろうな」


 静寂の中、淡々とライオネルの声が響く。


 セラの淹れる紅茶の匂いが辺りに漂う。


「嫌がるミレイユも、恐怖に震えるミレイユも、奴にとっては愉悦の対象」


 ライオネルの語る言葉で呼び起こされる、セラの記憶――帰りの馬車に映るミレイユは、ドレスは破れ、きれいに結い上げて送り出した髪は、ボロボロになっていた。


 ライオネルが手ぐしで整えてくれた、と言っていたが、それでも――


 楽しみにしていたミレイユの瞳は輝きを失い、ただ虚空を映していた。


 ライオネルの上着で隠れていたミレイユの手には、自分が挿した髪飾りが、握られていた。


 あの時の、感情が呼び起こされ、セラの胸の奥は、引き絞られるような痛みを覚える。


「自白剤を使ったらボロボロと喋りだした」と、ライオネルの声と、頬を掠める湯気の温かさに、セラは現実に戻された。


 いつの間にか茶器に注いでいた紅茶は溢れていた。


「覚えていないと言っていたが、あのクソ野郎は、しっかりと覚えていたよ。ミレイユを見てなにを思ったのかも全て――そんな男がいる会場に、私は⋯あの子を、ひとりにしてしまった」


 ライオネルの後悔が――言葉によって紡がれる。


「⋯私は、どういう風に襲ったのか聞いていたのにな。決してすまいと誓っていたのに、つい浮かれてあの男がした行為と同じことを、ミレイユにしてしまった」


「その結果、恐怖を呼び起こさせてしまった⋯」


 大きな身体がシュン、と丸くなる。


 セラは、入れ直したお茶をようやく二人に提供した。


「旦那様、どうか温かい内にお召し上がりください」


 セラの言われるままライオネルは、紅茶に口を付けると、溜息を漏らした。


「ミレイユがセラの淹れるお茶を気に入っていて、いつも褒めているよ。心がほぐれるようだな」


と、褒めてくれた。


「勿体ないお言葉です」と返すと、


「私の淹れるお茶は、心がささくれ立ちますからな」


と、すかさず家令が揶揄ってくる。


 ライオネルはそんな家令の言葉に「そうは言っていないだろう」と返した。


 家令から、「旦那様は紅茶には、甘いものを召し上がる。容器の中に準備してあるから、一緒にお出ししてやりなさい。ついでにセラも呼ばれなさい」


と、言われたので、家令の言葉に甘えて二人分用意した。


 今朝の朝食に出した柑橘の、削いだ皮を練り込んだ焼き菓子だ。


 ライオネルが、菓子を口に含むのを見て、家令に視線を送った。


 家令が頷くの見て、セラも一口、焼き菓子を口に含むと、鼻に抜けるように蜂蜜とバターの甘い香りが口の中に広がった。

 

 刻んだ柑橘の香りとほろ苦さも混じり、夏の涼風のような爽やかさだ。

 

 先程の重い空気を一掃するような、美味しさ。


 固くなっていたセラの心も、ふわりとほぐれた。


(再現して奥様に教えて差し上げましょう)


と、ライオネルに贈り物を手作りしたいミレイユに、セラは味を記憶するようにしっかりと噛み締めた。



「旦那様の事情は承知しました。しかし、問題はあと数カ月後のこと――」


 菓子を食べ終え、ライオネルが、紅茶のカップを離すタイミングで、そう家令は口にした。


 ライオネルは、溜息ひとつ吐くとセラを見て、


「セラ、何のことだかさっぱり分からないお前に簡潔に説明すると、魔物の森に張り巡らされている結界が、懐妊している聖女の出産予定月に、崩壊予定だ」


と、ライオネルの口から、簡潔にして強烈な説明が、セラの耳に直撃した。


「王太子の命令では、森から出てくる魔物たちを身体を張ってでも食い止めろ、とのことだ」


「予測で結界が綻ぶ、と言っていたが人に命を賭して、と命令する時点で、まぁ崩壊するのだろう」


 ライオネルは、顎に手をやり頷きながらひとり呟く。

 落ち着きすぎて、まるで他人事のようだ。

 

「何度聞いても、無茶苦茶な命令ですな」


 家令が呆れたように呟く。


 ライオネルは、その呟きに一瞥し、軽く頷き、なおも語る。


「今は、兵士の増員と武器と食料、領民の避難時期とそこは動いているのだが、王太子は、私に子を成すことも催促してきてな。サライアに向かわせたのも、私に発破をかけてのことだった」


「危うく嫁を置いていくところだったが」

と、聞き捨てならない言葉が、ライオネルの口から溢れたが、今は聞かなかったことにした。


「しかし、私はミレイユの心の傷を呼び起こしてしまった。私としては、こうなってしまっては事は急ぎたくない。周りが何と言おうともな」


 ライオネルの意思は固い。


「お家存続がかかっているというのに⋯」

 家令がぼやくのをライオネルは、薄目で見遣ると、セラに目線を寄越し、


「と、まあ、家令にとっては私は種馬扱いだ。しかし、私は、ミレイユを跡継ぎを産むための道具にはしたくないのだ」


「種馬も仕込まねば、愚馬ですがな」


と、辛辣な家令の言葉に、ライオネルは「頑固な愚馬で悪かったな」と返した。


「魔物の森は、数年、禁足地とされている場所。その間に増えた魔物の数も推測できません。それを国は、たかだかの辺境伯に食い止めよ、というのはあまりにも愚策と思いますがな」


 家令の言葉にライオネルは


「痛烈だな」


と、口の端を持ち上げ一言いうと、そのまま押し黙った。


 セラは数年前の事件を思い出していた。


 若い夫婦の軽はずみで始まった政策。


 その代償は大きく、セラの家でも次々に運ばれる怪我人の応急処置に奔走した。


 それを今度は、どれだけ数を増やしたか分からない魔物たちが森から出るから、辺境伯領の者たちで身体ひとつで食い止めよ、という。


「あまりにも⋯無茶です」


 家令が焦るのも分かる。


 いくらライオネルの剣の腕が立とうとも、回復魔法が使えたとしても、数が多ければ体力も気力も消耗する。


 持久戦ともなれば、人間側が不利になるのは明白ではないか。


「聖女の産み月になるか、ならないかの時期にミレイユは王都に避難させようと思う」


 ライオネルからの提案の言葉に、セラは動揺した。


「あの⋯、お言葉ですが旦那様⋯、奥様には何と?」


(説明するのだろう⋯)


 セラの疑問に、しかし、ライオネルは首を横に振り、「何も⋯」とただ一言。


(――何も知らせずに?もし、万が一、旦那様がお亡くなりになった場合は――)


 覚悟も出来ずのまま、ある日突然、訃報を知らされることになるのか――。


「それは、あまりにも酷なのでは⋯」


 セラの言葉に、ライオネルは、


「ミレイユには⋯なにも不安に思わず、健やかに過ごしてほしいと願っている」


と、静かに告げた。


 その言葉に家令は深くため息を吐き、


「優しさを、履き違えておりますな」


と呟くと、その言葉に目を見張るライオネルを見据え、


「旦那様、奥様は王命を携えて輿入れにきたのですぞ」


と、言葉を放った。


 家令にとってライオネルは、生まれた時から見ていたからか、


「なのに、夫は王命には従わない。先の戦も告げない。今生になるかもしれない別れも告げさせない」


 夏の日差し、照らされた執務室で、家令の声が静かに響く。


「夫人としての覚悟もさせず、鳥籠に入れて愛でるだけ。果たしてそれは、夫婦の形と言えるのでございましょうか」


と、諭すように言い聞かせた。


 セラは、家令の言葉を聞きながら、自分の中で燻っていたモヤモヤとした感情を、家令がひとつひとつ言葉にしたような、そんな感覚を味わっていた。だからか、


「あの――、」


 自然と発言していたことにセラは、小さく驚いた。


 ライオネルと家令が、セラを見遣る。


 セラはコクリ、と息を呑むと、


「⋯奥様に仕える内の、ひとりの侍女の戯言と思い、聞いて下さい」


と、告げた。


「昨年、奥様が嫁いできた際の姿は、顔色も悪く、頬も痩けるほど痩せていて、まるで吹けば飛ぶような状態でした」


 セラは、初めて皆の前で紹介されたミレイユの姿を思い出し、そう語りだす。


「都での噂の奥様は、わがまま放題で、家を取り潰す憂き目にあわせた原因を作ったひとりと言われていて、警戒したものです」


 懐かしさで目を伏せると、二人の飲みかけの紅茶が残り僅かなのが目に入り、侍女としての務めが頭をよぎりながらもセラは言葉を続けた。


「それが来たら大違い。オドオドとして声も小さく、常に不安そうな表情をされておりました」


 セラの言葉に、二人は頷きながら、


「馭者に荷物もかばんが一つと聞いて、あの時は驚きましたな」


 と、懐かしむように、家令が合いの手を入れた。


「ええ、本当に。着ているものも着丈も年齢にもそぐわない、地味な格好でございました」


「髪も痛そうにひっつめていた」


 ライオネルも加わった。


「虐待の疑いも浮上して、皆で額を突き合わせて、奥様の健康状態について話し合いも致しましたね」


 セラの言葉に、


「ミレイユは寝台に私が座ると、軋みで己の身体も支えきれず、倒れ伏したんだ。あれには度肝を抜かれた。驚くほど軽くて、薄くて⋯」


 ライオネルが大事にしようと、決心した事柄を思い出し、懐かしむように言葉にする。


 

「それが今では、自ら村へ赴き、子供たちと交じって、土いじりまでなさっておいでです」


 セラの言葉に、ライオネルが嬉しそうに微笑んだ。


「御自分で何がしたいか、どういったものに興味がお有りか選択し、自ら進んで夢中になって取り組んでおります」


 セラは続ける。


「奥様は、常々、旦那様のお役に立つように考えておいでです。薬草を御自分で学びたい、と興味を抱いたのも、たまに難しい顔をなさっている旦那様の気休めにならないだろうか、という考えがきっかけにございます」


 ライオネルは、セラの言葉に、まるで呆けた子供のような表情になった。


「旦那様のご尽力のお陰で、奥様は、年頃の女性と同じように健やかにお育ちあそばし、今では御自分の意志で、したいこと、したくないことも選択できるようにもなりました」


「今は⋯心の傷のせいで弱ってしまっておいでですが、私は、私の仕える奥様ならきっと、ご自分の御御足で乗り越えてくれると信じております」


 ミレイユの足の指――剥がされ、生えた爪の形を思い出す。

 

 セラはそこで言葉を切ると、ライオネルを見据え、


「――いかがでしょう、奥様に事情を話し、選択の余地をお与えになるのは」


と、問うと、ライオネルは口を開け閉めし、逡巡するような表情になった。


 セラはそれを見、「一介の侍女のほんの戯言でございます故」と頭を垂れると、新しく茶を淹れるため、席を立つのだった。


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