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抱擁が呼び覚ますもの【注意※性的脅迫表現あり】



 ミレイユが辺境伯ライオネルの元へと嫁いで、十一ヶ月が過ぎた頃、季節は夏。


 執務室では、ミレイユに対しての報告会がなされていた。


「本日の奥様のご予定ですが、昼餉ひるげの後は、ノイハイム村へと伺う予定となっております」


と、言うとセラは続けて


「最近の奥様のご様子ですが、村の女性たちに教えていただいた薬草作りに大変ご興味がおありのようで、お庭で薬草を乾燥させたり、部屋でも乳鉢を擦るのに夢中になって取り組んでおります」


 その報告を聞いたライオネルは、合点がいった表情になり、


「先日、部屋に入ると夏だというのに、暖炉に火をべて、なにやら一所懸命、鍋をかき回していたのは、ふむ、薬草作りだったか。こちらが聞いても『秘密』としか答えず、なんだか子供の頃の火遊びを思い出したよ」


と、口に笑みすらこぼして言うのだった。


 それに対してセラが、


「奥様はなにやら、旦那様に手ずからのものを渡したいと意気込いきごんでいるようです」


と、にこやかに報告した。


 執務室でセラとライオネルがそんな会話をしているとも知らず、ミレイユは、風通しの良い場所で薬草を干すのに夢中だ。

 

 ミレイユがここで薬草を乾燥させるようになってからは、庭師が好意で、簡素だが風が吹き抜けていく棚まで作ってくれた。


 侍女たちと一緒に土を落とした薬草を、乾きやすいように浅いカゴの中で適量にほぐし分けていると、ふわりと青臭い匂いと一緒に洗濯に使う石鹸の香りに気付いた。


 ミレイユが遠くを見ると屋敷の向こうで、ミレイユに付き添っていた侍女たちが、楽しそうにたらいの中で足踏みをしている。


 ミレイユに割いている人員の分、ミレイユの姿を確認できる距離でなら、と他の仕事の手伝いにいくようにしているのだ。


「⋯わたしも今度、お手伝いにまぜてもらえないかしら?」


 ミレイユはその光景を少し、羨ましく思いながら独りごちる。


 子供たちにせがまれて村に訪れるようになったが、最近ではミレイユ自ら進んで村に訪れている。


 子供たちと家畜の世話をしたり、畑の世話をしたりと、土に汚れながら体を動かすのが楽しい。


 気を取り直して、鼻歌交じりに作業を進める。


 昨年と比べて体力もついて、少々の事でも疲れにくくなった。


 春から外での活動が増えたことで、うっすらと日にも焼けた。


 ミレイユ自身は健康的な町娘のような雰囲気で気に入っていたのだが。


 しかし、それは侍女たちが口に出さないまでも、見るからに残念そうな表情をするようになってしまった。


 悩んだ末に庭師に相談すると、美白に効果があるという薬草を教えてくれて、さらに庭の隅にその植物を植えてくれた。


 煎じて飲み続けていたら、いつの間にか、肌がまた元の病弱そうな白さに戻ってしまったが、支度の最中、鏡越しに見る侍女たちはホッと安心したような嬉しそうな表情だった。


(まあ、日に焼けてしまったら、今持っている衣装も新調をしなきゃだしね)


 残念に思う気持ちを、そう言い聞かせ納得させた。


 ドレスはミレイユの肌の白さに合わせて、淡い色が多い。


 筋肉もついてきたが、骨自体が細いのか、肉が付いても全体的に細いままだ。ミレイユの理想には程遠い。

 

 顔にもだいぶ肉が付いて、以前は痩せてギョロついた目つきだったが、けた頬がふっくらしてきたことにより、だいぶ埋もれてきたと思う。


 侍女曰く

「奥様は、御自分の容姿に対して、ご謙遜けんそんしているのかと思っておりましたが、気付かれていらっしゃらないのですね」


とのことだった。


「この透き通るような肌も、国の女性達が喉から手が出るような白さですし、奥様の豊かなお胸からは信じられないほどの細腰も、華奢な手足も、全てが女性の憧れなのですよ」


と、興奮した口調で付け加えられた。


 侍女の言葉を思い返すのに集中していて、背後まで気に留めていなかった。

 

 するりと、侍女が褒めていた腰に腕が回った事に気付いた時には、ライオネルから抱きすくめられていた。


「ライオネル様」


「セラからここにいると聞いてな」


 背後を抱きすくめられたまま首だけ巡らし、洗濯をしていた侍女らを探したが、ミレイユとライオネルの他に人の気配はしなかった。


「薬草を乾燥させるのに干していたのですよ。ライオネル様は、執務はよろしくて?」


 ミレイユは問うと、ライオネルは何やら嬉しそうに


「お前の顔が見たくてな。つい足を運んでしまった」


と、言われた。


「あら?でも執務中でしたら、お戻りになられては?そんなにくっついては、服も汚れてしまいますし」

と、返せば


「我が妻は、冷たいな」


と、頭上に唇を寄せた。


「いえ、あの、汗をかいておりますし、私自身が汚れておりますので」


 髪は、三つ編みにしたおさげ。

 額が蒸れるので、帽子は被っていなかった。

 服も汚れても良いような、服装で。

 軽く汗もかいている。


 ライオネルがわざわざ探してきてくれたことは、飛び上がるほど嬉しいが、今現在ミレイユは、淑女とは程遠い格好で作業をしていた。


(ライオネル様が執務中だからと、どうせ着替えるからと油断していたわ⋯。恥ずかしい⋯)


 ライオネルに後ろから抱きすくめられた状態で、うつむくミレイユのうなじに、ライオネルが顔を埋める。


「ひゃ⋯っ、あ、あのライオネルさま⋯」


(汗が⋯っ)


「だめです⋯、離してくださいまし⋯!わたし、そのあの、汗のにおいが⋯っ」


と、訴え、なんとか首から顔を離してもらおうと必死に身をよじったが、抱きすくめられた身体はびくともしない。


「なぜ?良い匂いだ」


と、ライオネルから、後ろ首に鼻を寄せられ深く吸われた。


 羞恥しゅうちで体温が上昇し、ますます汗をかく事態となった。


 身動きすれども、びくともしない。


 そうしていると、さわり、とライオネルの手つきが不埒ふらちなものへと変わった。


 あれから、度々行為がされていたので、いくらそちらの方面が勉強不足なミレイユでも、なんとなく手つきで察するようになってきた。


 しかし、あれだけ乱れさせられても、まだ寸前とライオネルはいう。


 ⋯寸前は未だに謎のまま。セラからの閨事ねやごとの授業もミレイユのやりたいこと優先でおろそかとなっている。


 後ろ首を匂うライオネルから、そのまま汗を舐め取られ、腰から胸元へと手が這わされた。

 鼓動がドクリと脈打つと、ゾクリと肌があわ立った。



(⋯逃げなきゃ)


 ――何故かそう思った。


 視界がブレる。


 頭の中なのか、今目の前に映し出されているのか、判別つかない。


 夏の青空、木漏こもれ日の下だったのに、王城でのバルコニーが目の前に広がる。


 芋虫のような指。

 

 厚いカーテン越しの、遠くに響く楽団の音。


 早くここから逃げねば――と思った。


 ぶちぶちと髪が抜けていく頭皮の痛みがよみがえる。

 二度と味わいたくない痛みだ。


 腰に回した手を、なんとか外そうともがいた。


(いやだ、いやだ、いやだ)


「ミレイユ?」


 ハッ、ハッ、と呼吸が浅くなる。うまく酸素が取り込めない。


(こわい、こわい、こわい⋯ッ!)


 ミレイユの耳元に、いないはずの声が響く。


『ああ、辛抱たまらん。なんという、けしからん身体じゃ』


『こんなことなら肉でも食らわせてもっと太らせて、初物ついでに身籠れる身体か試せば良かったのぅ』


『一回ぐらいの味見じゃ。閣下には、バレまい』

 

 おぞましい声だった。

 

 身体が震える。指に力が入らない。


 必死にもがいた。


「ミレイユ!ミレイユ!」



 この声は、ライオネルだ。分かっているはず。


 なのに――


 絞り出すように声を出した。


「――いや、⋯たすけて、⋯ライオネルさま――!」



 世界が、暗転した。



 ―――人の話し声でミレイユは目が覚めた。


 天蓋てんがいとばりから漏れる光に、まだ午前中なのだとなんとなく察する


(――私、いつの間に眠っていたのかしら?)



 仰向けになっていたミレイユは、さきほどから声のする方に、顔を向けた。



「⋯私の軽率な行動が、ミレイユの心の傷を呼び起こしてしまった⋯。すまない」


 この声の主は、ライオネルだ。


 ライオネルの言葉でミレイユは、自身が眠っていたのではなく、意識を失ったことを思い出した。


 ミレイユを抱きすくめていた時の弾んだ声とは違い、ひどく沈んだライオネルの声色に申し訳なさを感じる。


 ミレイユは、返事をしようと口を開きかけたところで、


「差し出がましく申し訳ございません」と慣れ親しんだ声はセラ。


 しかし、その声はかたい。


「旦那様のせいではございません。全てはゼルバン氏のやったこと。ミレイユ様は被害者ですが、旦那様も被害者なのです。ご自分をお責めにならないでください」


 普段、ミレイユに語りかける優しい声音のセラと違う、別人のような静かだが冴え冴えとした声だった。


(ゼルバン⋯ゼルバン男爵のことだわ⋯。私の引取先だった)


 盗み聞きは良くないと思いつつも、身を固くして、耳をそばてた。


「しかし、私は自分に誓ったのだ。ミレイユに降りかかる災難から守り抜くと⋯なのに⋯私が」


 普段ミレイユに見せる余裕のあるライオネルではなく、今にも消え入りそうな、そんな弱々しい声が聞こえてくる。


(――落ち込んでいるのは、わたしのせい?)



「しっかりなさいませ、旦那様」家令の声も聞こえてきた。


「過ぎたことをクヨクヨと悩んでていても仕方のないことです。まさか、今回のことでまた閨事を延期なさるのではありますまいな」


との問いかける声に、


「⋯⋯そのまさかだ」


 ライオネルの抑揚よくようのない返事に、間髪を入れず家令が反応した。


「なんとっ!?慈悲深いのもほどほどになさいませ!もう日はないのでございますよ⋯っ!」


「それに王命に加えて王太子からも子作りを催促されていますというのに!事はお家存続にも関わること!」


「悠長に待っている時間なんぞ無いに等しいのです!」


 帷の外での様子は見えない。まくし立てるような荒らげた声しか聞こえない。

 ミレイユは、息を潜めた。


「⋯⋯モーリス、声がでかい。ミレイユが起きてしまう」


 家令は自身の口でも押さえたのか、衣擦れの音とともに


「⋯失礼致しました」


と、声が発せられた。


 そこに二人の様子を伺うようなセラの声色が聞こえてきた。


「あの、⋯王命に期限が設けられたのでしょうか⋯」


 セラの問いかけに、


「別にそういうわけでは――」「ありますでしょう」


 応えるライオネルの言葉を、被せるように家令の応える声がする。


 先程やり取りといい、普段の家令ならこんな態度は取らないはずだ。


 その様子からもよっぽどの事が起きている事は、ミレイユでも察しがついた。


「あと数カ月も経たずに、旦那様の命も危うい事態になるというのに、それを呑気に、」


「モーリス、⋯口を慎め」

 小言を言いだした家令に、ライオネルは、低く唸るように家令を牽制けんせいした。


(―――え?)


 現実味のない言葉に、理解ができなかった。


「旦那様⋯、まさかご病気かなにかで⋯っ」


 詰まるような、セラの問いかけが聞こえてきた。


 ライオネルは「モーリスが大袈裟に言っただけで、病気ではない」と唸るように声が聞こえると、軽く溜息をついて、


「ここでは話せない。詳しくは、執務室で話す」


と言い、程なくして扉が閉まる音がして、三人は出ていった。


 ミレイユは、帷の向こうで繰り広げられていた出来事がまるで劇の一幕のように、現実味もなく感じた。


(ライオネル様が⋯まさか、そんな)


 入れ替わるように控えめに入室を伺う音と扉が開く音。

 別の侍女が来たのだろうか。


 帷が少し、開いて侍女が顔をのぞかせた。


「あ、申し訳ございません、奥様。起きてらっしゃいましたか」


 侍女の問いかけに「今、ちょうど起きたところよ」と微笑んでみせた。


(うまく、笑えているかしら⋯ぎこちなくなっていないかしら)


 ミレイユが起き上がろうとすると、帷を開けてた侍女に素早く介助され、背中にクッションを挟まれた。


 眼差しひとつで水差しから水が移され、グラスも落ちないようにと手を添わされ、飲むのさえも介助された。


「大げさね、でもありがとう」と礼を言うと「もったいないお言葉です」と微笑んだ。

 ミレイユの言葉で、足元に影を作っていた帷を天蓋の柱にくくりだす侍女から


「でも、奥様は、ひどい顔色です」


と、指摘された。


 ミレイユは、自身の頬に触れながら、


(ライオネル様の事があったから⋯?)


と、先程の三人での話が気になり、寝台から抜け出そうとして、いつの間にやら寝衣に着替えていることに気付いた。


「着替えさせてくれたの?手を煩わせたわね」

と、言うと


「旦那様ですよ」

と、返された。


「全て旦那様がなさいました。私たちは、お召し物やお飲み物の取り替えの準備だけです」


「⋯そう」と、思わず寝衣に触れる。


「大変ご心配なさっておいででしたよ。片時も奥様から離れず、痺れを切らした家令殿が呼びに来たぐらいです」


 先程のライオネルの沈んだ声が、思い出される。


(朝は、あんなに嬉しそうな声だったのに⋯)


「奥様が乾燥させていた薬草の続きもセラの指示の元、きちんと干しておきました。乾燥が済みましたら、後でお部屋にお持ちしますね」


 セラの機転と侍女の気遣いがありがたい、そう思ったミレイユは、


「⋯ありがとう」

 と。礼を言い、続けて侍女に


「ねぇ、着替えたいの。手伝ってもらえる?」


と、お願いした。が、


「はい。でも、まだお顔色が⋯。旦那様もご心配なさいますし、せめてもう少しお身体を休まれてから⋯」


 返事はされたものの、ミレイユを寝台から下ろしたくないようだ。


「そんなに心配しないで、外の空気を吸いたいだけなの」


 落ち込んだライオネルが心配だった。

 

(それに数カ月の命って⋯)家令の言葉が気になって仕方がない。


 詳しく聞きたかった。


(でもここでは聞かせられないって⋯。私を起こしてしまうから?それとも私には秘密にしたいの⋯?)


 そう考えると、鉛を飲み込んだようにズシリと心が重くなる。


(なにも力になれない⋯役立たずだから)


 不意にふわりと空気が変わった。

 草、土――外の匂いがした。室内の温度も少し上昇した気がする。


 侍女が窓を開け放したようだ。


「こうすると外の空気が吸えますよ」


 どうやら、寝台からは下りることは出来ないようだ。


(夫の役にも立てない⋯。守られて庇われてばかり。しかも夫の手を拒否して倒れて)


(妻の役目を果たさない。こんなの――ただのお荷物じゃない)



 ミレイユは、そう強く思うことしか出来なかった。


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