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春の村で



 ミレイユがシュトラール辺境伯領に嫁いでそろそろ九ヶ月目という頃。


 辺境伯夫人として領民たちにお披露目するため、ライオネル一行は、領内の村々を訪れていた。


 以前訪れた村と今回の村は別だが、厳しい冬の気配を帯びる秋の繁忙期と違って、春の領民は皆笑顔で歓迎してくれたことにミレイユは内心、安堵していた。



 そんなミレイユの手を、今小さな手が握っている。


「おくさま、こっちです!」

「はやく、はやく!」


 舗装されていない道を一生懸命、小走りでグイグイとミレイユを引っ張る子供たち。


 よく動いて働くからか、痩せていて、爪の中まで土の入った指だが、ミレイユの手を握るその手は、細く小さいながらも、力強い。


 興奮してるのか、じんわりと手のひらから汗も滲んでいる。


 こちらを振り返るその額にも小さな汗が光っている。


 表情は生き生きとしていて、頬は紅潮し、元気いっぱいの様子だ。


 手が汗ですべらないように、ミレイユもしっかりと握り返した。


 視察を訪れた際、領主でもあるライオネルは、村の子供たちにあることを頼んだ。


 妻のミレイユを連れて村の中を案内して欲しい、と。


 そんなライオネルは、村長と打ち合わせがあるという。


「こーら、アンタたち!そんなに、グイグイ引っ張ったら奥様がびっくりするでしょうが!⋯ああ!服も汚れてらっしゃる!」


という、女性の大声が聞こえてきた。


 ミレイユと子供たちは、驚いて立ち止まり、声のする方を見ると、恰幅の良い女性がこちらを見ていた。

 女性の表情は、粗相をしてはいけない、という焦りが見えていた。


 慌てて子供たちは、手を離して、気まずげにミレイユを見上げる。


「だいじょうぶです!汚れても良い服ですので。⋯お心遣いありがとうございます!」


 ミレイユも女性に負けじと大声でそう返事をすると、子供たちを見、「さあ、行きましょう!案内してくれるのよね?」と、尋ねた。


 子供たち同士で顔を見合わせると、一人の少女が、「うん!」と力強く頷いて、後ろ手に服でゴシゴシの手を拭うと、ミレイユと手を繋ぐ。


 他の子供たちも女の子を倣い、服で手を拭うと、一人はもう片方のミレイユの手を握り「行こう!」と掛け声を出して走り出す。


 ミレイユもまた、引っ張られる形で小走りで走り出すのだった。

 


 ミレイユは、内心ドキドキしていた。


 物理的にも心臓は早鐘を打っている。

 

 子供たちには歩きながらの案内をお願いし、その声に耳を傾けているものの――。


 ミレイユにとっての大声は、怒りの合図だった。


 引取先で浴びた罵声の数々は、子供だったミレイユの柔らかい心に、その認識を深く植え付けた。


 なので、咄嗟に自分の口から出てしまった予想以上の大きな声に関しても、


(私の声、かなり大きかったけど、失礼に思われなかったかしら?⋯大丈夫かしら?)


と、先ほどの自分の行動が心配になってきていた。


(⋯先程の女性の声にはビックリしたけど、身体が石のようには固まらなかったわ)


 ミレイユはふと、辺境の地へ来てからのことを思い出す。


(別の村の村長さんも相変わらず遠くまで抜けて行く声だったし、ライオネル様もたまに声量が上がるわ。でも、ちっとも嫌ではないわ。どうしてかしら?)


 ミレイユは不思議に思う。


「⋯私の大声、怖くなかった?」


 つい、子供たちに聞いてしまった。

 

 子供たちはきょとんと不思議そうな表情で「大声?」と聞いてきた。


「さっき、私、女性に向かって大きな声を出したでしょ?」


 ミレイユは、再度聞き返した。


「えー、ぜんぜん」

「あんなのふつうだよ〜」

「わたし、おじいちゃんとしゃべる時、もっと声大きいよ」


と、口々に言われた。


「⋯普通のことなのね」


 ミレイユにとっては、不思議な感覚だった。

 

「だって、とおくの人に声かけなくちゃいけない時、声が大きくないととどかないでしょ?」


 子供の至極真っ当な意見に、ミレイユは微笑み、


「そうね、たしかに大きくないと遠くまで聞こえないわね」


と、いつぞやの村中に轟くほどの大声の村長の姿が重なると、ミレイユは、声に出して笑った。



「わたしね、領主の奥さんだけど知らないことがたくさんあるの。大きな声もみんな怒ってるから出してるのかと思ってた。でも、違うのね」


 そう話すミレイユに子供たちは頷き、「大人なのに変なの」と、言い「じゃあ、おくさまの知らないことがあったらみんなで教えるよ」と、言ってくれた。


 その後も、子供たちはミレイユを連れて畑の様子を見せてくれたり、「こうやってやると食べるよ」と、小屋にいた鶏に草をあげてみせた。


 ミレイユも子供たちに渡された草を手に持ち、見様見真似でコケコケ鳴いている鶏にそっと草を近づけた。


 こちらを見ているような見ていないような目で、目の前の草を啄むようにブチブチと食べていく。

 指に伝わる引っ張られるような振動に、ミレイユは小さく驚いた。


「わ、勢いが良いのね。あっという間に草がなくなったわ」


と、つい、鶏の足元を見ると半分とはいかないが結構な量の、草が千切られ落ちていた。


「⋯まあ。⋯千切りたかっただけかしら?」


 ミレイユの様子に子供たちは、笑う。


「たのしいよね!」

「もう一回やりなよ」


と、また草を渡された。


 言われるまま、そっと草を鶏の前に差し出すと、鶏は左右に頭を振りながら、ブチブチと啄んで草はあっという間に無くなった。


(⋯⋯楽しいかも)

 

 少し怖いと思っていた鶏がだんだん可愛く見えてくる。


(ライオネル様に頼んだら飼ってもらえるかしら⋯?)


「ねぇ、セラ――、」


と、振り向いたところで、セラがいないことに気付いた。


「⋯っ!大変!セラを置いてきちゃったわ!」


 常に静かに付き従ってくれているセラがいるものとばかり思い込んでいた。


 ミレイユの言葉に子供たちは反応し、一人が「おれが呼んできてやるよ!」と、もと来た道を走って行った。


「まあ、あっという間に見えなくなったわ。走るのが速いのね」

と、感心していうと他の子らが口々に


「あの子、村で一番脚が速いんだよ!」

「はやいの!すごいの!」

「すぐに連れてきてくれるよ!」

と、自分の事のように自慢をしていた。



 ミレイユと他の子供達は待っている間、鶏が好きだという草を一緒に探した。


 屋敷の周りを歩く散歩の時と違って、屈んで草を探していると春の風に乗って草の匂いや肥のにおいやらが漂ってくる。


 屋敷の時とはまた違う。


「私、この草食べていたわ」というと、「えー!領主の奥様って、草食べるの!?ごちそうじゃないの!?」と、いつしか食べれる草探しへと変わった。


「こっちに行くと野苺もあるけど、お母さんたちが取っちゃだめって。ジャムにするからかな」


「村の外もたくさんなってるけど、危ないからって。遠くの森にも近付いちゃダメって」


「領主様のとこの見張りもいるもんね」


「でも、大きいお兄ちゃんたちは、肝試しって森の近くになってる赤い実を取りに行くよね」


「森の近くの赤い実?」


「うん、取って帰ってこれないと、大人の男になれないんだって」


「取った実はどうするの?飾るの?」

 ミレイユは、疑問に思い聞いてみた。


「飾らないよ〜。見つかったら怒られるもん。ヤギにやる」

 

「ヤギに?」

 なぜヤギ?と思い聞いてみると、子供は声を潜めて、


「うん、たくさんあげちゃダメだけど、それ食べると乳の出が良くなるんだよ。お母さんたちにも内緒だけど」

と、教えてくれた。


「へぇ?あなたたちは食べないの?」


と、聞いてみると、「「食べないよ〜」」と声を揃えて返事をされた。


「だって、まものの実だもん」


「魔物?」


 いきなり、物騒な単語が子供の口から出てきた。


 一人の子供が遠くを指差した。


 遠くに見える山々の間に鬱蒼と広がる森が見える。


「あそこの森には魔物がたくさんいるんだって」


「まものの実は、そこの森の近くにたくさんなってるの」


「大人たちは魔物が食べるものだから、あぶないから食べちゃダメって」


 子供たちは、口々にミレイユに教えてくれた。


 それを聞いていた小さな男の子が


「聖女さまが結界はって出てこれないのに、まものが食べに来るって。おかしいの」


 そう言うと、みんなケラケラと笑った。


 お喋りをしていると、村一番の俊足という少年がセラを連れて戻ってきた。

 

「ごめんなさい、セラ。置いていってしまったわ」

と、いうミレイユに、セラは微笑んで、


「楽しく走っていく姿に、私がいては邪魔になると思いましたので。ところで、ロバはご覧になられましたか?」

と、セラの問いかけに子供たちが反応した。


「おくさま、ロバが見たかったの?」

「こっちにいるよ!」


 子供たちに引っ張られ、ロバのいる場所へと案内された。


 柵の中に白っぽい小柄な馬がいた。シュトラール家の軍用馬に比べると、胴が太くて足が短い。


「気にしたことなかったけど、馬に比べて耳が長いわ」


 しかし、柵の中にいるロバは、お尻を向けて振り向かない。


「あのロバ、ボッツィって、名前なんだよ」

「おーい!ボッツィ!」

「ボッツィー!」


 子供たちが次々と名前を呼ぶが、ボッツィは、お尻を向けたまま。


「ダメだ、あいつ。振り向きもしねぇ」

「ボッツィ、大人の言うことは聞くのにね」


 どうやら、ロバは子供たちと関わりたくないようだ。


「おくさまも呼んでみてよ」

「え?わたし?」

「大人だから振り向くかも!」


 子供たちから「呼んで!呼んで!」とせがまれたので一応「⋯ボッツィ〜」と、呼んでみた。


 ⋯⋯耳は声に反応し、尻尾を鬱陶しく振るだけで、ロバのボッツィは、全く振り向かなかった。

 

 ちなみにセラも同様だった。


「⋯⋯新入りにも厳しいのね」


 子供たちからボッツィが振り向くまで村に遊びに来てね、と言われた。


 子供たちと一緒にライオネルのもとに戻ると、既に村長と打ち合わせが終わったのか、ミレイユ達が戻ってくるその様子を佇んで眺めていた。


「ライオネル様、ごめんなさい。随分とお待ちしましたでしょう?」

と、申し訳なく尋ねると、ライオネルは微笑み、


「いや、全く」

と、言うと革手袋を外すと、ミレイユの頬に触れた。


 ミレイユの周りで子供たちが「ひゃ⋯」と小さく呟くと慌てて年上の子供が、その子の口を押さえた。


「土が付いてる」

と、ライオネルは、周りの反応を気にせず優しく拭う。


「あ、ありがとうございます」

 

 頬に触れるライオネルの指が、ミレイユの頬を拭った後に軽くつまむ。革手袋をしていたせいか、少し汗ばんで、ひやりと冷たかった。


 馬の手綱を握るための革手袋だ。


 ミレイユは、ライオネルを待たせていたことを指先から知り、「全く」と言わせた気遣いに申し訳なさと同時に、胸の奥がじんわりとした温かさで広がる。

 

 軽くつまんだ頬を、指の背でさらりと撫でられた。


 ミレイユの頬のそげ具合を確認していた頃の名残が習慣化した、ライオネルの癖である。


 汚れても良い服装で来たが、指摘されるとさすがに恥ずかしく、ミレイユの頬は赤らむ。


 春の風にサラサラと、木々を揺らす音が駆け抜けていった。

 

 そんなミレイユの様子にライオネルは優しく微笑むと「楽しかったか?」と尋ねた。


「はい、ニワトリって可愛いんですね。それに友達も増えましたのよ」


と、ミレイユははにかみながら、子供たちを紹介した。


「そうか、それは良かった。うちの妻をよろしくな」

と、ライオネルは子供たちに声かけると、子供たちは紅潮した頬で元気よく、


「「はい!!」」


と声を揃えて返事をした。


 その瞳はライオネルに対しての憧憬なのか、キラキラと輝いていた。


 馬車の中で着替えを済ますと、セラがカーテンを開けてくれた。


 見送る子ども達が一生懸命手を振ってくれた。


 ミレイユもそれに応えるよう手を振りながら、次の村へと向かうのだった。


 その夜、ミレイユはライオネルと寝る前のお喋りに興じた。


 ボッツィのいる村は、子供たちが多かったことを不思議に思い、聞くと、再興した村で、手伝いに来た若者たちがそのまま住み着いたためだという。


「他の村に比べて税金も安くしているし、土地が肥沃なこともある。それも理由なのかもな」

とのことだった。


 その村にいるロバのボッツィに無視された話をするとライオネルは、可笑しそうに笑ってミレイユを愛おしげに見つめるのだった。


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