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昨夜の余韻と森の警鐘



 昨夜の失態が、もう家令の耳に入ったのか「また、負け戦でしたか⋯」と、翌朝の執務室。家令から憐れみを帯びた声音で言われた。


「⋯⋯ちょっと、度肝を抜かれただけだ」

 ライオネルは、憮然(ぶぜん)とした面持ちで返した。


 そんなライオネルの様子も気にせず、家令は続ける。


「旦那様。夫婦の寝室でいちいち度肝抜かされては、肝がいくつあっても足りませんぞ。奥方を大事になさるのは良いことだとは思いますが、こう毎度毎度⋯」


 まだ、言い足りないのか家令は続ける。


「それと、頭は大事になさいませ。それが原因で死ぬ者もおおございます。⋯初夜の儀で頭打って亡くなるとなれば以後、教本の事例に記載されますぞ」


「⋯うるさい」

 ライオネルは、苛立たしげな表情に変わると、家令に一喝して耳を塞いだ。

 治したはずのたんこぶに痛みを覚える。


「お前の心配は、分かっておる。ちょっと予想と違って驚いただけだ。昨日話した予定どおり、私は領地の様子を見てくる。あとは、頼んだぞ」


と言って、部屋を出ていった。




「ライオネル様は、視察に向かわれましたの?」


 ミレイユは、支度を済ませ食堂に向かうと、ライオネルの姿は既に無かった。

 

 朝食は、私室で済ますことが多いが、今日はライオネルの様子が気になり食堂へとやって来たのだ。


 昨夜のライオネルは、寝台から転がり落ちた後、しばらく動かなかった。


 頭を打った人を揺すってはいけない、と教えられていたミレイユは、寝台からそっと下りると、ライオネルの肩を叩く。


「もし、ライオネルさま⋯」


 ライオネルは、ゆっくり目蓋(まぶた)を開くと、ミレイユを見、


「すまない、あまりの光景に動揺してしまった」


と、言った。


「⋯⋯認識がちがいましたか?」と、ミレイユは不安げに聞いた。


「いや、まあ、認識は、正しいが、格好が⋯」

と、仰向けのまま腕組みを始め、しどろもどろなライオネル。


 その様子を見たミレイユは、顔を赤らめ恥ずかしそうに、


「⋯私もあの格好は、気絶するほど恥ずかしくて⋯。ただ、サライアの女性の方達が“これぐらいやらなきゃ初夜は迎えられない”、と」

 

 と、話すとライオネルは、


「まあ、夫婦の数だけ初夜を迎える形があるのかもしれないが⋯。⋯⋯私の場合は、驚きのあまりこうなってしまうので、控えてくれると助かる。それに、前にも話したが、そんなに気負わずとも良い」


と、言うと組んだ腕をほどいて、ミレイユの頬にそっと触れた。


「それと、扇情的(せんじょうてき)で、私の理性が保たない」


と、言うとライオネルは、困ったように微笑むのだった。


「奥様?」と、呼ばれたミレイユは、ハッとして、現実世界に引き戻された。

 

 声を掛けたセラは、引いた椅子の背もたれ掴んだまま、いつまでも来ないミレイユの様子を(うかが)っている。


 食堂の窓からは、朝日が入り込み、磨き上げられた床に反射してキラキラと眩しい。


 ミレイユは、食堂の入口に立ったまま昨夜の事を思い出していたのだ。


 心配そうに近くに寄ってきたセラが、

「お顔が赤うございますけど⋯」

と、不安げに尋ねてきた。


 言われてミレイユは、気付く。

 頬が、自然と赤らんでいたことに。

 

「な、なんでもないのよ⋯ッ!」


 ミレイユは、慌てて誤魔化した。


「お腹空いちゃったわ!今日の朝食はなにかしら?」


と、恥ずかしさを誤魔化すように、明るく振る舞い、椅子に腰を下ろす。


 しかし、朝食が運ばれてくるのを待っている間、昨夜の事がまた蘇る。


(⋯あの恥ずかしい格好は、やっぱり駄目だったのね。でも、理性は⋯、夫婦なのだから、気にしなくて良いと思うのだけども⋯)

と、考えたところで、ライオネルの言葉を思い出す。


(扇情的、て言われたわ。まだライオネル様の理想の体つきには、ほど遠いと思うけれども⋯。それに私、あの時、なんて答えれば良かったのかしら⋯?)


 ミレイユは、赤らめた頬を両手で触れながら思案するのだった。



 その頃、ライオネルは、部下とふたりで村をひとつひとつ馬で巡回していた。

 

 魔物の森から、遠く離れた村は変わりがない様子。


 長い冬を越え、ようやっと訪れた春。


 緑豊かな草原に、放牧している様子や、村人たちが農作業に勤しむ様子が、長閑な風景として広がっていた。


 ライオネル達の姿を見つけた村人たちが、手を降って挨拶してくれる。


 ライオネルと部下もそれに応えて手を上げた。


 村長からの話でも、さして異変はないという。


 ついでに収穫時期を早めてもらえるかどうか聞いてみた。


 「今さら⋯」と言うと、頼むなら雪解けの時期にしてくれたら良かったのに、と渋い顔をされたが、なんとか了承をもらえた。


 ライオネル達は次の村を目指した。

 

 眼前に広がる隣国とを隔てる山々が、徐々に近付いてくる。


 馬を走らせるライオネルは、それを眺めながら、


(まだ雪が残るあの裾野(すその)辺りは、昨夜のミレイユの艶めかしい白い足のようだな⋯)


と、思わず連想して、不埒(ふらち)な己の頬を張り倒したくなった。

 

 馬と部下が驚くので、寸前で止めた。


(仕事中になにを考えているのだ、私は)


 思わず連想してしまうほど、昨夜のミレイユは、強烈だった。

 

(家令には嫌味を言われたが、頭を打ちつけて良かった。お陰で正気が保たれた)


 一旦、ミレイユの事は、脇において、ライオネルは走ることに集中することにした。


(しかし、緑が綺麗だ。ミレイユにも見せてあげたい)


 

 脇においたミレイユを、すぐに取り出してくるライオネルであった

 


 そんなふうに取り留めのない思考を繰り返しながら、しばらく走っていると、山々の間に広大な森が見えてくる。


(もう少し走ると、魔物の森から一番近い村だな⋯。なにも異変が起きていないと良いが)


 森の異変は、過去にも何度かあった。


 突然、結界が揺らぐのだ。

 目には見えないが、魔物が森から飛び出てくるので、そこで異変が分かる。


 しかし、数は、ごく僅か。

 たまに一体や一頭やら。


 森から抜ければ討伐対象。 

 攻撃魔法を使えるものを見張りとして立たせているので、あっという間に討伐していた。


(数が増えていないと良いが)

 

 魔物を結界で押さえている内に、王太子が内側から爆殺してくれれば良いものを⋯、と思いつつも


(あの御方が言ったことや決めたことを、後から曲げることなんて天と地がひっくり返っても無さそうだな)


と、早々に諦めた。


(そういえば、結界は魔物以外は、通すのだったな。ならば爆殺は駄目だな。他にも被害が及ぶ)


と、考えを改めた。


 魔物の森から一番近い村へと着いた。


 ここは、壊滅した村から入村希望者を募って出来た、新しい村だ。

 

 貢納(こうのう)は、生活が安定するまで取り立てなかった。

 そして、今は他の村よりも、低く取り立てている。


 そのおかげか続々と入村希望者が増え、現在は他の村との住民数と変わりない。


 村の様子をぐるりと見渡す。


 巡ってきた村々とそう変わりのない様子。


 農作業に勤しみ、放牧もしていた。他の村と違って魔物の森へと近づかないようにと、村は、放牧地を囲うように、二重の柵で覆っている。



 村長を訪ねてみた。


 見張りがいて下さるおかげで夜も安心して眠れ、暮らしていけている、と言われた。


 ニコニコと笑顔の村長に収穫の時期を早めてくれるか尋ねてみた。


 笑顔が渋面へと変化した。


 渋る村長に、結界が揺らいでしまうかもしれないこと、そのためにも期日が近付くよりも前に、全村人の避難を強行する予定であると、伝えた。

 

 混乱を避けて結界が綻ぶことは言わなかった。


 結界が壊れ、森から出てきた魔物に、この村が壊滅に陥ったのは、記憶にも新しい事件である。


 村長は、「ひぇっ!魔物が!?」と、驚き、過去の騒動を思い出したのか身震いをし、途端に収穫の時期を早めることを了承してくれた。

 


 魔物の森を見張りをしている者たちにも様子を伺いに行った。


 石造りにすると守られているという安心感から、油断を招く可能性があるため、木を組み立てただけの簡素な作りである。


 冬は積雪が邪魔をするのか、魔物すらも凍死するのか、確証はできないが、魔物が森から出て来たことがない。


 なので、見張りも春先から秋の終わりまで、雪が本格的に積もり始める前に撤退をしていた。



 見張りのものに変わった様子は無いか、聞いてみた。


 見張りのものは、思い返すように森を見つめた後、


「森が騒がしいです。鳥なのかな?騒がしい時もあれば恐ろしく静かなときもあるって感じですね。まあ、僕も交代したばかりなんで、通常なのかもしれないですが」と、言った。


「そうか⋯」


 部下の応答にライオネルは森に目を遣った。


 鬱蒼(うっそう)と広がる森は、やたらと木々が高い。

 魔物が近くにいる気配はない。

 (うごめ)く影もない。


 奥深くに潜んでいるのだろうか。



 森の入口にはぐるりと囲んで杭が打ってあり、ロープで繋がっていた。


 誰も入らぬようにしている。


 魔物の森の事件が風化し、うっかり村人が森に入らぬようにと森の周囲を柵で張り巡らし、看板を立てたところ、例の王族夫婦が(うるさ)かった。

 

 結界が一重だと心細い、と騒動が収束してからのある日、聖女が不安を吐露したことで、王都から大勢の護衛を引き連れ王太子夫妻が訪れた時のことであった。


 森を取り囲む柵を一目見た彼女は、


『こんなことまでしなくても良いのに⋯』と一言。



 それを聞いた王太子から柵の撤去を求められ、やむを得ず従った。


(あの聖女が、裏で魔物と繋がっていても、私は驚かない)


と思うほど、聖女は魔物に肩入れをする。


 従う方も従う方だが、聖女は自分の発言力の強さを理解していないのか、不要な一言ばかりだ。


(なにが、聖女だ。私から言わせると災女(さいじょ)だな)


 犠牲になった者達のことを考えると、(はらわた)が煮えくり返りそうだ。


 王太子夫妻が来なくなると、ライオネルは、すぐさま杭を打ち込み、ぐるりと森を囲んだ。


 苦々しい過去の記憶を呼び起こしたライオネルは、溜息を付くと、屋敷に戻り次第、通達事項があることを見張り中の部下に告げた。

 通達内容は、半年後の聖女の出産と結界の綻びについてだ。



(森が騒がしいのが気になる。万が一のため、見張りの増員が最優先だな)


 ライオネル達は、次の村へと向かうのだった。

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