結界綻ぶ森
『半年後、懐妊した聖女の産み月が来るでの。魔物の森の結界に綻びが出ると予測されておる』
『ライオネル、半年までに研鑽を積み、命を賭して戦うのじゃぞ』
と、王太子に一方的に命じられ、部屋から追い出された。
(魔物の森の結界が綻ぶ⋯⋯?)
『魔物の森』とは、隣国とノルデリアとを跨ぐ広大な森である。
ノルデリアに位置する場所は、シュトラール辺境伯領内。
魔物の森には聖女が織りなした結界が張られ、魔物はそこに閉じ込められている。
聖女の能力で魔物が封じ込められている、といえば聞こえは良いが、そうなった原因が――⋯。
聖女の一言が発端だった。
『⋯⋯魔物さん、なにもしていないのに、殺されるなんて、かわいそう⋯』
ライオネルはこの話を人伝に聞いた当時、唖然とした。
そんな価値観は持ち合わせていなかったからだ。
で、聖女がなにを言うにもするにも、可愛くて仕方のない王太子は、その言葉を聞いて『ならば、保護しようぞ!』と。
魔物を狩って生計を立てていた組合からは、反対運動が起こり、魔物の被害に悩まされている村や町からも、反対の声が各所で上がった。
では、局所的な場所で保護しよう、と隣国を跨ぐ森が選ばれた。
なぜか。それは、隣国の王太子も聖女に心酔していて、聖女の考えに賛成を示し、追随したからである。
二人の男は、聖女の前で良い格好を見せたかったのだ。
お互いの国が、昔から森を挟んで小競り合いが起こっていたというのもあり、魔物で両国の境界線を作ろう、と同盟まで組んだ。
そして、条約が結ばれた。
『二国聖和条約』
森は、禁足地となり森に住む魔物は保護対象。
聖女の結界を張るから安心、と謳う。
生け捕りの数が多ければ多いほど、強ければ強いほど、王子達の私財から、報奨金が出される事となった。
反対運動を起こしていた組合の者達も次々と参加し、期日を決め、魔物を生け捕り、そして森へと放られた。
結界も張られ、国を巻き込んだ騒動もこれで終わり、となったが、そう上手く事は運ばなかった。
聖女は、まだ弱く、未熟で、結界は不完全だった。
月日が経つにつれ、結界は徐々に綻び、しばしば魔物が森から飛び出し、近隣の村々を襲った。
まずは、家畜が被害にあった。
家畜がいなくなると、人肉がある。魔物は人間を襲った。
そして、その数は日に日に増えてゆく。
村人は無惨にも殺されたが、森の魔物は保護対象。
抵抗して魔物を殺した者は、罰せられた。
魔物の森周辺に住む村人は、魔物の食料へと変わる。
なにも出来ず、ただ食われるのみ。
魔力持ちの攻撃属性のある者がいれば、追い払い、抵抗できたかもしれないが、悲しいかな魔法至上主義の国。
魔法を使える者は貴族に集中していた。
自警団で寝ずの番など焼け石に水。外に出ている強い男たちから、食われに食われた。
そうなると、あとは、老人や女子供のみ。なす術は無かった。
村への多大なる被害。そして、情報というものは口から口へと伝播する。
魔物の森周辺を管理している領主たちは、財ある内にと、次々と役目を放棄し、領民を見捨て、国に管理するように願い出る。
魔法は使えても、戦い方を知らず自己保身に走る貴族は多かった。
国も方針を変えた。結界の外に出た魔物は討伐対象。
兵も出された。皆戦った。魔物の数は減少を見せた。
あとは、聖女が森へ行き結界を張るのみ。
しかし、聖女可愛さ、王太子がこれを拒否した。
民衆の反発は凄まじいものだった。
ともすれば反乱。
王太子は、仕方なくライオネルを指名する。
この時、ライオネルの辺境伯領は、今に比べると小規模の領地だった。
そして魔物の森近辺の領地で、唯一被害を出していない土地であった。
ライオネルに課せられたのは、王太子と聖女を安全に魔物の森へと届け、結界を張る間は、守り役、というものだった。
引き受けたライオネルは、それはそれは、素晴らしい働きを見せた。
大剣を持てば両断。
魔物が強くなろうとも、数が増えようとも、それは変わらなかった。
ライオネルの赤い瞳は、血のように燃え光り輝き、倒した魔物の数ほど浴びた返り血で黒髪は皮膚にへばりついた。
その異様な光景に、戦いに参加していた城の兵士たちを震え上がらせ、生きて帰った者は、それを土産話にした。
しかし、当のライオネルは、ただ使命を果たすべく、味方がやられれば素早く回復し、代わりに仕留める、という事を淡々とこなしていただけに過ぎない。
ライオネルの活躍もあり、皆で王太子と聖女を守り抜いた。
そうして、無事に結界は張り直された。
二度とこのようなことが起こる事が無いよう、結界は、常に聖女の力が供給される仕様となった。
王太子も、その働きを気に入り、
「ライオネル、そなたの名、しかと覚えたぞ。光栄に思え」
と、不遜に言い、魔物の森を含め手放された領地を、褒賞という名の厄介事を、丸ごとライオネルに押し付け、この事件は収束した。
人々は、この騒動で、『二国聖和条約』を『お花畑条約』と呼び、揶揄するようになった。
(あの騒動が再び起こるというのか⋯)
無事にミレイユと帰国したというのに、半年後に厄介事が起こる宣告とは⋯。しかも今度は命懸けで戦え、と。
「⋯はあ。頭が痛くなるな」
ライオネルは、独りごちると、城の廊下をのそりと歩き出すのだった。
城で用意された部屋に戻ると、ミレイユが笑顔で出迎えてくれた。
ライオネルの部屋も用意されていたが、ミレイユの部屋に入り浸っていた。
「おかえりなさいませ」
ミレイユは、王太子とどんな話をしていたのか、などとは聞かなかった。
それが今は有り難かった。
ミレイユをそっと抱き寄せる。それに応えるようにミレイユの手がライオネルの背へと這わされた。
安心する温もりだ。胸の中に収まる具合も丁度よい。
ミレイユが、ライオネルにとって、無くてはならない存在になっている。
無事に、ノルデリアの国に戻ってきたことが堪らなく嬉しい。
王命が出された意味と今回の件。
(先延ばしに出来なくなってしまった⋯)
ライオネルの跡継ぎが急務であることは、先程の宣告と、サライアの国に名代として行かされたこと。
王太子に言われたあの言葉―――⋯
『サライアの国はお主にはない価値観を持ち合わせておるからして、良い刺激を与えてくれたと思うぞ?』
『奥方を大事にするのは良いことじゃと思うが、ちと遅い。枯れるにはまだじゃろう?』
(全ては、死ぬ前に子を成せ、という事か)
死ぬつもりは、毛頭ない。
しかし、なにが起こるかは分からない。死ぬなら全てを倒して死ね、と王太子は言うだろう。
(私も、ミレイユや、領民を危険に晒したくはない)
半年、生き抜くための準備期間。
ライオネルは、不屈に燃える闘志を滾らせた。
王都の屋敷へ戻ると、家令のマーカスとその妻のアグネス、そして奥方付きの侍女セラは、主人夫婦の早すぎる帰還に目を丸くした。
「先触れも出さずに戻ってすまない」
「いえ、それは、なにも問題ないのですが、どうしたのですか?サライアの国に旅立たれたはずでは?なにか、忘れ物ですか?」
すっかり、忘れていた。
サライアは移動まで月数でかかることを。
秘匿の転移装置で行って戻ってきた、などと言えるわけがない。
慌ててミレイユの肩を抱き、玄関ホールの隅に移動し、『転移装置は、絶対に秘密だ。言うと王太子に恨まれるぞ。説明は私がする』と言い聞かせた。
ライオネルは、くるりと家令達の方へ向き直ると、
「⋯私の聞き間違いだったようだ。すまない。サライアの国の者達がこの近くに来たようでな。王太子の名代として行ってきたのだ。大荷物に驚かれたぞ。はは」
そう棒読むと、慣れない笑い声で場を切り上げた。




