一輪の花、剣に囲まれて
ミレイユが嫁いできて、一ヶ月ほど経ったシュトラール辺境伯領。
領主屋敷の執務室では、毎日恒例となったミレイユについての報告会が開かれていた。
奥方の部屋付きの侍女セラからは、
「最近の奥様は、お肉もお魚も、しっかりよく召し上がっていらっしゃいます。三食の他にもティータイムのお茶菓子も楽しみにしております。テーブルマナーも元々教育を受けていたようなので、癖も抜けつつあります。
そろそろ、お部屋食から食堂でお召し上がりなっても良い頃合いかと存じます」
その報告を受けてライオネルは頷くと
「たしかに、頬がふくふくしてきたな。良い事だと思う。好き嫌いも今のところ見受けられない、と先日聞いたな。
そうだな、ミレイユさえ良ければ、今晩共にしよう」
セラは嬉しそうに微笑むと「それと」と、続けた。
「奥様の冬のご衣装を準備いたしたいと思いますが、いかがいたしましょう?」
セラの言葉にライオネルは感慨深げに顎に手をやり、
「⋯そうか、もう、そんな季節になるのだな。
秋も既製服で間に合わせただろう?
冬は、あの子が風邪を引かないようにしっかりとした服を準備してやってくれ。予算は、超えても構わない」
「承知いたしました」
セラは、ライオネルの心意気を、微笑ましく感じた。
家令の報告では、ミレイユを取り巻く環境の人々についての報告だった。
「奥様は、体力づくりのため、日課として館内とその周辺の散策をいたしております。使用人との仲も良好で、人となりのおかげか、都からの噂を鵜呑みにしている使用人は、今はほとんどおりません。
鍛錬場にもよく足をお運びになっておられるようで、奥様が参ると鍛錬している兵士たちも活気づくようです」
「ほう」ライオネルの赤い瞳が、鋭く光る。
「私が鍛錬場での不在時の様子も聞かせてくれるか?」
ライオネルの質問にセラが応えた。
「奥様は、鍛錬している様子の旦那様に、とてもご興味が湧いているようです。兵士の方々に訓練の様子や、日頃兵士たちにどういうお心配りをなさっているのか、とても興味深そうにお聞きなさっておいででした。まだご覧になられていない旦那様の鍛錬のご様子も拝見できたら、とも仰られておりました。」
セラの言葉の節々が、全て自分に関係していることだと知ったライオネルは面映ゆく「そうか」とだけ呟くのだった。
「あ!奥様ぁ〜」
ミレイユは、最近の体力づくりに欠かさず向かう場所は、屋敷から少し離れた鍛錬場だった。
ここに来ると、兵士の皆がライオネルについての話を聞かせてくれるからだ。
「皆様、ごきげんよう」
ミレイユが挨拶すると兵士たちも、ニコニコの笑顔で
「「ごきげんよぉ〜」」
と挨拶を返してくれる。
鍛錬を中断してまでミレイユの元まで来てくれるのはなんだか、申し訳ないが、皆ライオネルから受けた仕打ちなどを面白おかしく話してくれるのだ。
なので、ついつい聞き入ってしまう。
今日も散々あれこれ質問して、話を聞いてしまったので、ミレイユはお礼を言うと、これ以上鍛錬の邪魔をしてはいけない、と急ぎ足で場内を後にした。
小さくなるミレイユにいつまでも手を振る男性兵士達は、ミレイユが見えなくなると、
「「はぁ〜。俺達の奥様、可愛い〜」」と口々に言い始める。
「可愛いよなぁ〜、ちっこくて。あの目に見つめられたら恋せずにはいられないよ」
「閣下の話ししてる時なんて、目がキラキラに輝いちゃってさ。プクプクしたほっぺも染めて。可愛いよなぁ〜」
「閣下の話ならどんな話でも聞いてくれるから、つい話しちゃうんだよなぁ〜」
「まだ生娘なのも良いよなぁ〜。奥方なのに、生娘って。俺あの子来たらつい鍛錬、張り切っちゃう」
「わかる!良いよな!キラキラした目で見てくれてさ!でも、話したいから手止めるけど」
「なんか、手違いとか起こったりしないかな〜?
奥様が俺の筋肉に惚れちゃったりとか⋯ッテ!イッテ!叩くなよ!人が良い気分なときに⋯って閣下!?ヒェ、なんで!?いっつもこの時間来ないのに⋯っ!?」
仲間に黙るよう思いっきり肩を叩かれ、ライオネルの姿を確認した瞬間、顔面蒼白になった男性兵士を置いて、兵士皆は蜘蛛の子を散らすように鍛錬へと戻っていった。
「いや、なに、最近部下たちの活気が盛んだと聞いてな。
どれどれ、と様子を見に来ただけだ。
⋯特に、貴様は、鍛錬を張り切りたいようだな?ん?」
滅多に見ないライオネルの微笑みに、ブルブルと震える男性兵士は、「いや、その、あの」としか言えない。
笑顔のライオネルは、尚も続ける。
「私も執務ばかりで、少々身体を動かしたいと思っていたところだ。どれ手合わせをしてやろう。私も久々に手加減をせずにやろう。⋯三日は動けんかもしれんがな」
悪鬼のごとく剣を振るうで有名な、ライオネル閣下の手加減無しとは⋯。
男性兵士を人身御供にした他の兵士たちは
(三日で動けたら、閣下の温情だな)と、自分でなくて良かった、と胸を撫で下ろすのだった。
翌日、ミレイユは、日課の鍛錬場を訪れた。
ミレイユの姿を認めた兵士たちは、「ひぇ!?奥様!?」と、どこか驚いている様子。
「皆様、ごきげんよう」と、挨拶するも、いつもなら笑顔で返してくるところが「ご、ごきげんよぉ〜⋯」と、どこかよそよそしい。
兵士の様子に小首を傾げ、ややつり上がった大きな瞳の宝石のような色合いで皆の様子を不思議そうに見るミレイユに、男性兵士たちは胸を抑え、ときめきながらも己の鍛錬に集中した。
いつもなら駆け寄ってくる兵士たちだが、本日はその様子もなし。ミレイユはセラと2人、ポツンと鍛錬の様子を眺めながら、ひとつの答えを導き出した。
(毎日毎日、訓練の邪魔をするから皆様きっと怒ってらっしゃるんだわ!)
ミレイユは、「お忙しい中、邪魔をして申し訳ございません!」と、謝ると踵を返して、歩き出した瞬間、勢いよくなにかにぶつかり後ろに倒れそうになる所を、誰かに抱き寄せられた。
「も、申し訳ございません、前を見ず⋯⋯え!?ライオネル様!?」
ぶつかった相手は、ライオネルだった。
「執務中ではございませんの?」ミレイユは、はにかんだように頬を染めながら、咲きほこる花のような笑顔を見せてライオネルに尋ねた。
そんなミレイユの頬を優しく撫で軽くつまみながら、ライオネルは
「気晴らしに、な」
と答えると、ミレイユを抱き上げた。
「最近、ライオネル様は、私をよく抱き上げますね?」
と、頬を染めて疑問を投げるミレイユに、ライオネルは、優しく微笑みながら、
「こうすると、よく顔が見えるからな。それに、ミレイユも見上げてばかりだと首を痛めるだろう?」
と、言った。
年の差と身長差もあって、てっきり子供扱いかと思っていたが、そうでは無かったことにミレイユは安堵して「でも重いでしょう?」と尋ねてみたが
「羽のように軽い」
と、一蹴されてしまった。
ライオネルの進む先には既にセラがいて、壁際の椅子を軽く拭き上げ、ハンカチを広げ置くと軽く会釈した。
ライオネルは軽く頷き、そこにミレイユを座らせた。
「セラから私の鍛錬の様子を見たいと聞いたが?」
と、ライオネルから尋ねられた。
「はい、一度は拝見したく⋯もしかして、見せてくださいますの?」
期待を込めてミレイユは、ライオネルを見ると「奥方の所望だからな」と、身を寄せ合って震える兵士たちの元へと、歩いていった。
「ライオネル様って、すごくお強いのですね」
食堂での夕餉の時間。
長テーブルのライオネルの席のそばに設けられたミレイユの席では、ミレイユは興奮冷めやらぬ様子で、初めて見せてくれたライオネルの木剣を振るう姿についての感想を述べていた。
「ライオネル様の剣技も素晴らしかったですけども、それを受け止める部下の方達も大変お強いのですね。ライオネル様も、兵士の方々もとても頼もしく、素敵に思います」
命がかかっているので、受けとめる側は命がけなのだが、ミレイユはそんな兵士らの必死さに気付かず、ただただ感嘆の意を述べた。
「そうだな。最近、必死さも出てきて実戦では頼もしくなるだろう。⋯しかし、まだ鍛錬は足りないようだな」
と、ライオネルが言ったところで、家令がそっと寄り添いライオネルの耳元で
「これ以上、怪我人を出されては、いざという時に欠員が響きます」
と、釘を差すのだった。