涙の願いに誓うもの
つま先立ちのままバランスを崩し「あ、」とよろけるミレイユの背を支える。
ミレイユとの顔との距離がぐっと近くなる。
「ありがとうございます。あの、ライオネル様、私、ライオネル様とこうして近くでお会いする事が出来て、嬉しいのですのよ?なのに、そんなに悲しい顔をされてしまいますと、淋しいですわ」
そう言うと、ミレイユはノルデリアの辺境伯では当たり前だった仕草――ライオネルの首に腕を伸ばした。
ライオネルは、反射的にミレイユを抱え上げると、足は自然と寝台へと向かう。
ミレイユを抱えたままライオネルは、寝台へと腰を下ろす。
が、辺境伯領屋敷とは勝手が違うせいか、そのままバランスを崩し、ミレイユ が倒れないようにと支えたため、ライオネルは後ろへとひっくり返ってしまった。
「⋯びっくりしました」
寝台に倒れたライオネルは、気がつけば、まるでミレイユに押し倒されたような格好へとなっていた。
ふわりとこぼれ落ちるミレイユのゆるく波打つ髪と、身に着けている布地の感触がさらりと肌を滑る。
部屋に戻り早々、夢中でミレイユにしがみついてしまったが、
「そういえば、装いを正したのだな⋯。ひとりでか?」
と、ポツリと声が洩れた。
ミレイユを抱くなら筋を通してから、と己に言い聞かせ部屋から飛び出したものの、何故だが着込んだ姿を見るとちょっと淋しい。
ライオネルの心情をよそに、ミレイユは満面の笑顔で見下ろすと、ライオネルの胸に座り直し、
「そうなんです!脱いでて分かったのですが、一人でも着れる仕様だったのです!」
と、朗らかに答えた。
「きっとセラが今日のために、色々と工夫をしてくれたんだと思います!帰ったらお礼を言わなくちゃ⋯⋯、あ⋯」
ミレイユは、自身がノルデリアに帰ることは難しいことを思い出し、はっとした表情になると、ぎこちなく微笑んだ。
「セラや皆に化粧品を買って帰ろうと思ったのですが⋯残念です⋯」
諦めたように力なく笑うミレイユに、ライオネルは手を伸ばす。
「いかがされました⋯?」
ミレイユは尋ねながら、頬に触れたその手を両手で掴むと、ライオネルの手のひらにチュ、と音を立てて口づけをし「ふふっ」と、いたずらっぽく笑った。
その途端、ぽろりとミレイユの瞳から涙が零れた。
「あ」と、ミレイユは声に出したが、涙はあとに続けとばかりに、とめどなく零れ落ちる。
ミレイユは、掴んでいたライオネルの手のひらに自身の頬を力強く押しつけると、
「帰りたい⋯っ」
と、声を漏らした。
「帰りたい⋯ライオネルさま!セラや皆に、ありがとうも、さよならも言えないままお別れだなんて⋯。帰りたい、辺境伯領のお家に、皆に会いたい⋯」
「ミレイユ⋯」
「我儘を言ってごめんなさい⋯。でも、涙が止まる間だけ。⋯明日はちゃんと笑顔でお見送りいたしますので」
ライオネルは、自由の利く片手でミレイユの頬を伝う涙を拭う。
「見送りは不要だ。私もここに残る。もう決めた。お前を連れて帰る」
「ライオネル様⋯」
「それに嫌なら嫌だと言って良い。第二王子に対しても私に対しても、だ」
と、言うと、ライオネルは身を起こす。
ミレイユの身体は自然とずれ、ライオネルの足の付根で着地した。
向かい合うように見つめ合った。
「ライオネル様⋯」
「それと外交官が何を言ってきても一切その声は、聞かなくて良い」
「ライオネル様⋯」
ミレイユに呼ばれた何度目かでライオネルは、返事をした。
「なんだ?」
「⋯今私に当たっているものは、木剣ではないのですのよね?」
ミレイユの顔には半信半疑という色が出ている。
ライオネルの言葉よりも、今、己の尻に当たっているものの存在が気になるようだ。
素直なミレイユは素直なままに質問をした。
「⋯⋯⋯木剣だ」
「でも、サライアの方達が⋯」
というと、ミレイユはその木剣と主張するものを撫でた。
「⋯っ、ミレイユ!なにを⋯っ」
絶妙な力加減で撫擦られる木剣は、大剣へと変化する前にライオネルから止められた。
「誰にこうしろと教わった!?」
驚き、尋ねるライオネルに、ミレイユは、
「サライアの女性の方々がこうすると、殿方は素直に教えてくださいますよ、と」
素直に話すミレイユに、ライオネルはさらに驚愕し、
「直ちに忘れるんだ⋯!」と、半ば叫んだ。
しかし、ミレイユは、更にライオネルの心臓を試す。
「そういえば、ジャリール様も木剣を隠し持っていいましたけど、そうではなかったのですね」
ミレイユからの爆弾発言である。
慌てたライオネルは、思わず、ミレイユの両の二の腕を掴んだ。
「いつ!?なにが!?どういう状況で、そうなった!?」
そうなる条件も状況なんてたくさんあった。
ライオネルは、ミレイユがまだ無垢であることに感謝した。
「決して、決して、ジャリールがそうなっても、撫でるような行為は、してはいけない⋯っ!それでその木剣で串刺されて怪我するのは、ミレイユなんだぞ⋯っ!」
ライオネルは、必死な形相でミレイユに言い聞かせた。
「まあ。では、ライオネル様も?」
ミレイユは、首を傾げて聞いてみた。
「私は、可能な限り、誠心誠意、心を尽くす」
と、ライオネルは必死な表情から、たちまち真面目な表情に変わると、つい正直にそう宣うのだった。




