唇に残る紅
ミレイユは寝台の中にいた。
ひとりが不安だと思っていたのに、何故だか心安らぐ。
目を瞑り力を抜く。寝台に溶け込むような感覚になる。
(⋯そばにいてくれれば誰でも良い、ということでも無いのね)
瞼の裏に会いたい人ーーライオネルを思い描く。
いつものミレイユに見せる、穏やかな表情を思い描いた。
泣きたくなるほど恋しい。
そのライオネルが今、自分の目の前にいた。
ライオネルの広い肩幅、鍛え上げた筋肉、その胸に飛び込みたい。いつものように優しく抱き留めてもらいたい。
でもなぜだか、出来ない。
「ミレイユ」
低く穏やかな声で、ライオネルが呼びかけてくれる。
ミレイユも応えるために、声を発しようとするが、
「すまない、ミレイユ。お前を連れては帰れない」
優しく、穏やかに、ライオネルから無情の一言を告げられた。
告げたライオネルの傍らには、サライアの衣装を身にまとった褐色の肌の女性。顔は見えない。
ライオネルの視線がミレイユから外され、傍らの女性を見る。
ミレイユにいつも見せていた穏やかな表情で。
その光景を目の当たりにし、ミレイユに突き上げられるような怒りが沸いてきた。
いつにない情動に突き動かされるままミレイユは、叫ぶ。
「いやっ!!」
発した自分の声で、ミレイユは、目が覚めた。
見慣れぬ天蓋。まだ夜は深い。どうやら、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
心臓が、ドッドッドッドッと軋むほど早く鳴り響く。
はあぁ、と深く息を吐いた。
夢で良かった。そう思うと同時に、
ジャリールの口の動きを思い出した。
“会いたくない”
ミレイユは、枕に顔を埋めると、安堵から出たものなのか、不安から出たものなのか、分からないまま涙を流すのだった。
翌日の視察は、ノルデリアの衣装を着用した。
ジャリールが、訪ねてこなかったからだ。
去年の既製服と違って、イチから寸法を測って仕立てたそれは、ミレイユの身体に沿うように形づいてくれる。
裾が自然に揺れる。深いスリットの下には仕込まれた白の薄布が柔らかく動き、歩くたびにふわりと広がると、足元に涼やかな影を落とした。
背中や袖は透けるような薄布、涼し気な色香と日焼けを極力抑えたい、というセラの意向だ。
生地は触れるとヒンヤリとする、サライアの工業製品。
(きっと、サライアの女性の衣装と同じ生地だわ)
さらりとした生地に触れながら、ミレイユはセラの気遣いを嬉しく思う。
上衣の生地の色は涼し気な勿忘草色に統一され、詰め襟から始まる切り返し部分の布には、胸のあたりから裾まで銀糸の刺繍が華やかに施されていた。
刺繍のかたちは、蔓草の模様や小花。淡い輝きが動きに合わせてきらめく。
袖口には、サライアの伝統文様が幾何学的に織り込まれ、ノルデリアの衣装に異国の息吹をまとわせていた。
(セラが忙しく動き回っていたのは、一からデザインをサライアの風土に合わせていたからなのね)
王城の侍女たちが、ドレスに合わせて髪型や化粧を施してくれる。
日除けに頭から上衣と同色の薄布を被れば、本日の視察の衣装の完成だ。
備え付けの全身を映す鏡で確認をすると、透け感のある肩口や背中を見せるように白金の髪の毛は緩く結い上げられ、花を模したかんざしや、垂らして揺らめくかんざしなどが所々に挿され、華やかさを演出している。
化粧は、サライアの工業製品。技術が発達した国での最新の製品だそうだ。
乾燥に負けないしっとりとした仕上がりとなっているという。
唇もなんだか紅を塗っているというのにプルプルとしていて、ノルデリアと違い、赤一色ではない。
セラを始め女性使用人へのお土産は、化粧道具にしようと決めた。
「素敵ね、ありがとう」
と、ミレイユは微笑んでお礼を言うと、侍女たちは控えめにお辞儀をし、片付けを始めだす。
ミレイユはなんだか、邪魔をしては悪い気がして、頭に被る薄布を手に持つと、早めに部屋を後にすることにした。
廊下に出ると、ジャリールにばったり会ってしまった。
「おはようさん、ミレーユ。今日はノルデリアの衣装なんだな」
てっきりジャリールに憤慨されるかと思ったミレイユは身構える。
だが、予想に反してジャリールは、微笑むと、
「おめーが俺に、ノルデリアの衣装を見せたがったのも分かるわ。俺達の国の布や伝統柄を取り入れてたんだな。頭の飾りも、うちの国の花を模してる」
そう言うと、しゃらり、とミレイユの耳のそばで音がする。
ジャリールがかんざしの飾りをそっと触っていた。
「綺麗だな⋯。やっぱ、お前を手放すのは惜しいな」
と、ポツリと呟いた。
ミレイユが、なにかを言う前にジャリールは、「ちょっと早いが、行こうぜ」と、ミレイユの腕を掴むと集合場所へと向かうのだった。
集合場所へ辿り着くと、遠くにライオネルの姿があった。ミレイユの胸が弾む。思わずライオネルの傍に寄ろうと、歩みを進めた。
しかし、すぐに足が止まる。
物の影に隠れていて分からなかったが、ライオネルは、女性といた。サライアの女性だ。
夢で見た光景が思い出されて、ミレイユの胸が軋む。
サライアの女性は、なにかを言いながら所々自分の肌を指で指している。その指した部分をライオネルは触れていた。
サライアの女性は一人ではなかった。
ライオネルの影に隠れて、もう一人いた。
先程の女性と同じように、所々女性が指をさしては、ライオネルは触れていた。
それが終わると女性は、両手をライオネルの腰に回し抱きつき替わると、もう一人の女性も同じように抱き着き、二人は、ライオネルに手を振って別れた。
ライオネルは、二人を見送るとミレイユのいる方向を振り向いた。
目が合う。久しぶりに目が合ったライオネルに対してミレイユは笑顔を作りたかった。
しかし、先程の光景が。夢の光景が。
ミレイユの笑顔を作る邪魔をする。
肩を軽く叩かれる。心をライオネルに残したままミレイユは、叩かれた方向を振り向いた。
目の前にジャリールの顔があった。
唇になにかが触れる。
ジャリールの顔が離れると、ジャリールの唇は先程ミレイユが侍女に差してもらった口紅と、同じ色が付いていた。
「え⋯」
不意打ちで、なにも抵抗出来なかった。
ジャリールは、自分の唇を指で触れ、確認をすると、
「あ、紅が落ちちまったな。まだ時間もあるし、塗り直しに戻ろうぜ」
と、なんでもないことのように言い、ミレイユの手を掴むと、先程来た道を戻るのだった。




