戸惑いの朝
翌早朝、ミレイユは、大好きな匂いを嗅ごうと手探りで抱きつき、愛しい男の首筋に顔を埋めた。
⋯⋯違う匂いがした。
「⋯、⋯え?」
ミレイユが目を開けると、目の前に金茶の髪が目に入った。
瞳の色は、瞑ってて分からない。
しかし、目鼻立ちをまじまじ見ても、ミレイユの求めた黒髪赤眼の人ではなかった。
モゾモゾと離れて見ると褐色の肌の男性だった。
「だれ⋯?ライオネル様じゃない⋯」
ミレイユの呟きに、褐色の肌の男性の目蓋がうっすらと開いた。
ミレイユを瞳に映すと優しげに微笑み、
「⋯おはよーさん、目が覚めたか、ミレーユ」
と、声を掛けられた。
どこかで見た顔だと思ったら、第二王子のジャリールだった。
「え⋯?」
部屋を見渡す。
昨夜、案内されたミレイユの部屋で間違いない。
「どうして、王子様が私の部屋にいらっしゃるのですか?」
部屋を間違えたのだろうか?
自分の家なのに?
そんなことがあるだろうか?
ミレイユの頭の中を、疑問符がグルグル回る。
ミレイユの問いに、ジャリールは枕に頬を埋めたまま、にやりと笑った。
「いやぁ、昨日お前んとこ行ったらさ、寝てるくせにうなされててよ。気になって近寄ったら、いきなりギュ〜ッて抱きついてきたんだよ」
ジャリールの言葉を聞きながら、ミレイユは昨日のことを回想する。侍女の手を繋いだことまでは覚えているが、その先の記憶がない。
ジャリールの言葉は続く。
「離してくれねぇから、“しょうがねぇな”ってそのまま一緒に寝てやったってわけ」
さらりと言い放つその口ぶりは、悪びれるどころかむしろ楽しげだった。
(昨日は、侍女に手を握ってもらって、安心して眠りについたけど、そんなにひどくうなされていたのかしら⋯)
困った侍女がジャリールを呼びに行ったのかと思ったミレイユは、
「ご迷惑おかけしまして、申し訳ございません」
と、寝台の上で身を正してジャリールに謝った。
謝るミレイユの腕をジャリールは、強引に引き寄せた。
バランスを失ったミレイユは、ジャリールの胸に倒れ込む。
謝り、体勢を立て直そうとしたミレイユの背中をジャリールの両腕が押さえ込んだ。
抵抗しようと、ジャリールの身体に手をかけて気付く。
ジャリールがライオネルの襯衣を羽織っていることを。
(そうか、私、ライオネル様と間違えちゃったのね⋯)
「なんで、そこで謝んだよ」ジャリールの言葉で思考が戻される。
ミレイユを拘束しているジャリールの力が強まった。
「⋯ちょっと、人違いをしてしまいましたので⋯」
ミレイユは、正直に話した。
ガッチリと拘束をしたまま理由を聞いたジャリールは「ふーん」と言うと
「んじゃあ、人違いが無かったら、俺はミレーユからあんなに熱烈に抱きつかれることは無かったって事かぁ、ツイてたな」
と、言うと「ヘヘッ」と、笑うのだった。
返答に困るミレイユをよそにジャリールは続ける。
「それとよ、“王子様”なんて呼び方、くすぐったくてかなわねぇ。──ジャリール、って呼べよ」
「呼べたら、解放してやる」と、ジャリールは、意地悪く言う。
ジャリールの胸板に肺が圧迫され若干苦しくなってきたミレイユは、早く解放されたかった。
「⋯ジャリールさま⋯」
と、呼んでみたがジャリールから「ジャリール」と催促された。
「⋯恐れ多くてそれは、」
と、ミレイユは断るが、解放する気はないようだ。
ミレイユは、軽くため息をつくと、
「では、ジャリール。胸が押されて呼吸が苦しいので、拘束を解いていただけませんか?」
と、ジャリールを見つめながら、伝えてみた。
「わりぃっ」
と、ジャリールは謝ると、パッと腕を離しミレイユを解放した。
身を起こしたミレイユは新鮮な空気を吸う。その背を、同じく身を起こしたジャリールがそっと擦る。
「ごめんな、ミレーユ。浮かれすぎちまった。大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。それと支度をしたいので、城から伴った侍女を本宮から呼び寄せてもらえませんか?昨夜は訪れなかったので⋯」
ミレイユはのお願いに、反応の鈍いジャリールは、「ああ、」と思い出したかのような表情をした後、
「わりぃ。忘れてた。⋯俺んとこの侍女じゃダメか?」
と、すまなさそうに言うジャリールに、ミレイユは答える。
「そうですね⋯、ノルデリアの衣装の着付けは難しいでしょうから」
と、答えるミレイユに、ジャリールが身を乗り出しながら
「俺んところの国の衣装じゃダメか?俺の国はあちぃぞ。今は屋内だからそうでもねぇーけど。今日は視察だろ?ノルデリアの服じゃ熱くてバテちまうぞ」
グイグイと迫るジャリールに気圧され、気付けばシーツの海に倒れていた。それでも、ジャリールの勢いは止まらない。
「それに比べて俺の国の衣装は、重ねりゃ砂塵や、照りつけてくる太陽の暑さも防げる。布の面積が少ないのは、体の熱を放出させるためでもあるんだぜ」
言いながらミレイユの腰を、ツツ、と指で撫でながら、
「それによぉ、あの衣装の布だって触りゃ、ひんやりとするしなぁ」
と、喋り続ける。
腰を撫であげるジャリールの手がくすぐったい。
「あの、ジャリール様、くすぐったいのですが⋯、」
止めて欲しい、という意味合いで言ったつもりだったが、ジャリールの手は止まらない。
「え〜?ミレーユ、ここ弱いんだァ?」
と、意地悪く笑うとミレイユの腰をくすぐりだす。
「え!?あ、だめ⋯ッ!あは、アハハハ!!」
気付けば大声で笑っていた。
「あは、ダメです!ジャ⋯アハハ!やめてくだ⋯あははは⋯ッ」
このままでは笑い死ぬ。
ミレイユは、ジャリールのくすぐる指を外そうとするが、巧みに躱される。
「お願い⋯あははッ、ジャリールさま⋯っ!あははは⋯ッ!」
「止めて欲しいのかよ?なら、“ジャリール”ね、“ジャリール”
ほら、言うてみ?」
「あははッ!ジャ、ジャリール!アハハ!止め⋯アハハハ!」
ジャリールのくすぐる手は止みそうにない。
⋯止めてくれるのではなかったのだろうか?
「もう、ジャリール!あは、アハハ!ジャリール!あは⋯っダメです!ダメってば!アハハ!」
何度も名前を連呼したが、全くジャリールのくすぐる手は止まりそうにもない。
ミレイユは身を捩って逃れようとするが、腰を捕まれ引き戻されては、くすぐられる。
気付けば、寝衣は開け、くすぐっていたジャリールの手はいつしか露わになったミレイユの太ももを撫でていた。
「はぁ、はぁ、⋯笑い死ぬかと、思いました」
ミレイユは、身を起こそうとすると、それを阻止するようにジャリールから抱きすくめられる。
「⋯ジャリールさま」
「ジャリール」
ジャリールは、間髪入れずに訂正を求めてくる。
抱きすくめて覆いかぶさってくる、ジャリールを重いと思いつつ、それを抗議すると次は何をされるのやら、とミレイユは、観念することにした。
「⋯ジャリール、どうしましたか?」
酸素を求めて上下するミレイユの胸を枕にしたジャリールが、ミレイユに顔を向けるとニヤリ、と笑い、
「俺と友だちになってよ、ミレーユ」
と、言うのだった。
「⋯ともだち?」
ミレーユは、聞き返す。
「そ。友達なら名前呼びが基本だろ?恐れ多いことなんてねぇよ。ダチっていうのは、名前で呼び合うもんだ、なあ?」
と、ジャリールはミレイユに同意を求めた。
「なあ?と、言われましても⋯友達と呼べるような方は、今までにおりませんでしたので、わかりません⋯」
「なら、俺が初めての友達だな!よろしくな、ミレーユ!」
有無も言わさず、ニカッと歯を見せて笑むジャリールは、続けてこう言う。
「ついでにダチって言うのは、かしこまって喋るもんでもねぇ」
と、言うジャリールに、
「ライオネル様のお立場もありますので、それは、難しいと思います」
と、ミレイユは断るが、
「なら、俺と二人っきりならどうだ?友達同士で二人っきりだ。それなら畏まる必要もないだろう?」
ジャリールは引き下がらない。
そして、ミレイユは、友達がどういうものなのかも知らない。
「そういうものなのでしょうか?」
「そういうものなの!」
ジャリールに半ば強引に決められてしまった。
「あ、でも」とミレイユは、言いかける。
「今度はなんだよ」
ジャリールが反応する。
「男女は、不用意に近付いてはならないと教わりました」
と、いうミレイユの言葉には、
「不用意!?俺たちゃ友達だぜ?なんで友人に用心する必要があるんだよ。悲しいよ、ミレーユ。俺は、悲しい⋯。友達なのに⋯」
と言うと、ミレイユの胸に顔を埋めて泣き真似をするのだった。
その姿を見、友達付き合いが初めてのミレイユの胸中に、罪悪感が走る。
「ごめんなさい、ジャリール。そういうつもりでは⋯」
と、言うと、ジャリールは顔を上げ
「だよな!」
と、笑顔で言うのだった。
「あと、ダチだから俺の国の服着てな!」
と、お願いされてしまった。
「それは、ライオネル様にお伺いしないと⋯」
と、ミレイユは断るが、
「なんで!?他国のモンが俺の国の服着てくれんだぜ!?うちの国民に対してこれほど友好を示す手はないだろう!?」
ジャリールの勢いにミレイユも
「そういうものなのでしょうか?」
と、聞く始末。
「そういうものなの!だーいじょーぶだって!お前の旦那には俺から言っといてやるからよォ。なんてたって、ミレーユと俺は友達だからな!」
そう言うと、ジャリールはミレイユを見、ニヤリと笑う。
「あと、さっきから畏まってんじゃねーかぁ、ミレーユぅ〜?畏まりひとつにつき、くすぐりの刑な」
と、ミレイユをくすぐりだすのだった。
「あ、ダメ、ジャリール!」
制止したが、ジャリールの手は待ってはくれない。
身を捩るにも、ジャリールに抱きすくめられて覆いかぶさられて身動きもとれない。
ジャリールは、器用にもミレイユを抱きすくめた格好のままくすぐる。
ジャリールは、ミレイユの耳の中まで舌を這わせて舐めてくる始末。
くすぐったくてミレイユは、笑い死ぬ前に抜け出すことに必死だった。
ミレイユは抵抗するため、脚を動かしていると、ジャリールのある一点を擦りあげた。
「アハ⋯ッ、あ、」
ジャリールの動きが止まる。ジャリールの顔を見ると、気まずい顔をしていた。
「ハァ、ハァ、⋯ジャリールも、鍛錬を、しているの⋯?も、う朝だから、早く行ったほうが、良いんじゃない?」
と、息も絶え絶えにミレイユは聞いてみた。
「はあ?鍛錬?」
ジャリールが怪訝な表情で聞き返してくる。
呼吸を整えたミレイユは、
「だって、木剣を持ち込んでるでしょ?ライオネル様もお忙しいみたいで、たまに寝所に木剣を持ち込んでいるわ」
ミレイユの言葉を聞いてジャリールの瞳の奥が変わる。
だが、ミレイユは気付かず喋り続けた。
「そして、所用、って鍛錬に行ってしまわれますの。男性は厄介な生き物だって、仰ってたわ。よっぽど鍛錬が好きなのね⋯て、ジャリール?」
ジャリールは、ミレイユを解放して、起き上がると肩を震わせていた。
「⋯そうか、お前らって、やっぱそうなんだな。そうかな、とは、ちーっとばかし思ってたがよ」
そう言うとジャリールは、ミレイユに目線を合わせると、
「お前の言うとおりだ、ミレーユ。俺は鍛錬に行ってくる⋯とその前に」
ジャリールはミレイユに近寄り、頬に唇を落とした。
「友人は、触れ合いも大事なんだぜ」
と言うと、寝台から降りて「じゃーな」と部屋から出ていくのだった。




