届かぬ腕
仄かな灯を頼りに、ジャリールは寝台へ眠るミレイユに近付く。
「ミレーユ」
声を掛けたが、起きる気配はない。
侍女が座っていたと思われる椅子に座り、眠るミレイユを眺める。
「かわいい⋯」
ぽそり、と心の声が出る。
ミレーユと今日初めて会ったが、俺の理想が服を着て現れてくれたのか、と思った。姿形、寸分の狂いもなく。
(なのに、人妻ときたもんだ)
「まぁ、俺にはカンケーねぇけど」
強大国サライア。欲しいものはなんでも手に入れてきた国。
武力も資源も財力も技術も、全てが揃っている。
やろうと思えば、どの国も意のままだ。
しばらく、ミレイユの様子を眺めていたら肌が冷えてきた。
ブルっと身震いをしたジャリールの目に入るのは、ミレイユの枕元にある襯衣
「ちょっと、借りるぜ」
着てみると男物だった。大きさからいってあの旦那のだろう。
ミレイユの旦那の姿が脳裏に浮かぶ。
少し面白くない気分になる。
「うん⋯、」
寝返りを打ち背中を向けたミレイユが、何かを探すようにシーツに手を滑らす。
その手が諦めたように動くのを止めると今度はうなされ始めた。
(そういえば、独り寝ができないって言ってたな)
てっきり、嫁を取られるのを危惧した旦那の戯言かと思っていたら。
寝台を回り込みあがると、軋みに反応してミレイユの手が動き出す。
そっ、と添い寝をすると、ミレイユの方から手を伸ばしてきてギュッとジャリールに抱き着くようにしがみついてきた。
なんだか幼い妹を思い出す。
(怖い夢をみた、って抱きつかれたことあったっけな)
そっと背中を擦ってあげた。繰り返していると身体が弛緩していくように柔らかくなっていく。
ジャリールは、ホッとしてミレイユを抱きしめた。
女性特有の柔らかさと良い匂いがする。
ミレイユの顔を覗くと安心したように眠っている。
その表情は、あどけなく可愛らしく、庇護欲をそそられる。
ジャリールは、ミレイユの額に口づけを落とすと目を瞑るのだった。
一方ライオネルは、思ったよりも酔いが回っていたらしく、湯浴みをした後は、寝台へと早々に寝入っていた。
どのくらい時間が経ったか分からない。
寝台の軋む気配に意識が覚醒した。
閉じた目蓋を開けて、軋む方に目をやった。
ライオネルの足の間に、見目の整った第二王子の護衛がいた。
「うわっ!」
驚いて、飛び退いた。
全く気配がしなかった。
なんという気配のなさ、武勲を上げていた話は伊達じゃない。
ライオネルは、間合いを取ると相手の様子を見遣る。
王子の護衛が寝床を襲うなんて。
夫であるライオネルに刺客を放って亡き者にしたいほど、王子はミレイユに本気らしい。
ミレイユが心配になってくる。
手練れの護衛なんて相手にしている暇はない。
ライオネルは、背中を見せぬようジリジリと壁伝いに沿い廊下への出入り口の扉の前まで来ると、扉を開けた。
サライアの男女が雪崩込んできた。
「な⋯っ!?」
どうやら、刺客は、護衛だけではなかったらしい。
しかし、雪崩込んできた者たちは、ライオネルを襲うことも無く口々にサライア語でなにか言っている。
『アイタタタ⋯、ちょっと早くどきなさいよ!』
『まさか、ドアが開くとは思わなかった』
『誰よ、盗み聞きしようなんて言ったやつ』
『仕方ないじゃない、既に先客がいるなんて。先客がいるなら様子みなきゃでしょ』
こんなに口々に喋っているのに、全く扉の向こうに気配を感じなかった。
驚愕と動揺ライオネルは、つい口にする。
「お前たち、全く気配が感じられなかったが、相当な手練なのか⋯?」
ライオネルの問いに態勢を立て直したサライア人達は
「まあ、経験を重ねてなんとなく?慣れっていうか、ねぇ?」
『夜這いが、文化みたいな国だし?』
皆その言葉に頷く。
(なんとなく⋯だと?)
サライア人の未知の戦闘能力に戦慄くライオネルだったが、ミレイユの安否が気になった。
「どけ!!」
ライオネルはサライア人たちを押しのけ、ミレイユの部屋を目指して猛然と走るのだった。
迷路のような宮殿をライオネルは、走り続けた。
ジャリールの私室がどこにあるのか分からない。
ライオネルは、己の勘だけで休むこと無く走り続けた。
途中、出会い頭の侍女に叫ばれる。
しかし、ライオネルは構うこと無く走った。
絨毯、壁紙が豪奢になった気がする。
多分この先は、王子の私室。
ライオネルは、走るのを止め、息を整えるとミレイユの部屋を目指すのだった。
衛兵が二人、廊下に立ってライオネルに気付くと制止の声を掛けた。
「止まれ、客人。ここより先は、王子の私室。何人たりとも入れぬことは叶わぬ」
「私の妻のミレイユ・アーデンハイドに用がある。この先の部屋にいると聞いたが」
「王子の許可なくば通せん。しばし待たれよ」
ライオネルは、律儀にも待った。
しかし、戻ってきた衛兵はライオネルに告げる。
「王子はただ今、御不在の故、出直されよ」
(部屋にいないとならば、ミレイユの部屋にいるのでは?)
猛烈な不安が、ライオネルを襲った。
我に返った時には、衛兵が二人とも廊下の地面に突っ伏していた。
どうやら気絶しているようだ。
止める人間がいないのなら、とライオネルはミレイユの部屋を目指す。
廊下に一人の侍女と思わしき女性が佇んでいた。
ライオネルに気付いて腰を抜かす。
侍女の目に映るライオネルは、身体は見上げるほど大きい上に、真っ赤な目が爛々と輝いていたからだ。
「ミレイユ・アーデンハイドの部屋はどこにある?」
大男は、侍女に尋ねた。
侍女は、ブルブルと震えながらミレイユの部屋を指差す。
ライオネルは、指差す部屋の扉の取手を握る。
⋯開かない。
ライオネルは、ドアを蹴破ろうとした、が
「待って!」
制止の声がする。声のする方を振り向くと先程の侍女が。
「そ、そのドア、ものすごく、ものすごーく高いんですッ!だからお願い、蹴破らないで⋯ッ!」
ブルブル震えながら、侍女は、仕事をこなした。
ライオネルは、感心する。
「鍵、鍵なら、ここにあります⋯!」
侍女は震える手で、己の服を探ると鍵を取り出した。
ライオネルは、侍女から鍵を受け取ると侍女の気概を買い、慎重にドアを開けた。
広々とした部屋を見渡したライオネルは、寝台へと歩みを進める。
ふたつの影が重なっているのが見えた。
ミレイユと第二王子、ジャリールが抱き合って眠っていた。
ミレイユの顔を見る。
あどけない表情でジャリールに擦り寄るように眠っていた。
ライオネルの胸に、ずしり、と重たい鉛が落ちた。
ドクン、ドクンと心臓の音がやけに耳に響く。
息が詰まり、呼吸のひとつひとつが重くなる。
衝動的にミレイユを起こそうとした手を引っ込める。
目覚めたミレイユが――襲われたでもなく、自ら過ちを選んだのなら、その時、ライオネルに見せる表情を、ライオネルは受け止める自信がなかった。
先程までの勢いは鎮火し、ただ恐怖した。
ライオネルは口を引き結ぶと、静かに部屋を後にした。




