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鋼哭の間 【第一章・完結】



 王都に構える屋敷へと戻ったライオネルは、ミレイユの部屋へと急いだ。


 ミレイユの部屋の前では、丁度侍女のセラが部屋から出てくるところだった。


「あ、おかえりなさいませ。旦那様」

 こうべを垂れて出迎える侍女の姿にライオネルは尋ねた。

「ミレイユは?」


「奥様は、先程お眠りについたところです。⋯⋯事情は、奥様から全てお聞きいたしました」


 こうべを垂れたままセラは言う。


「そうか」

と、返事をするライオネルは、続けて

「私もあまり詳しいことは知らんのだ。教えてくれるか?」

とセラに尋ねると、

「承知致しました」

と、隣室で待機している侍女に後を任せ、執務室へと向かった。


 執務室のソファーに対面して座る。

 ライオネルはセラに報告を促した。


「⋯奥様は、引取先の旦那様でもある男爵から、やはり生爪を剥がされることが常態化していたそうです」


「今回、再会をしたことでその事が恐怖となり、身体が動かなくなってしまったそうで。男爵が言った言葉は、断片的にしか覚えていないそうです」

「理解されていなかった事が幸いですが、奥様に向かってかなり卑猥(ひわい)な言葉を吐いていたと推察されます」


 ライオネルは、セラの言葉に頷き、「そうか」とだけ呟くと続きを催促(さいそく)した。


「男爵の行動ですが、まずは、奥様の腕を無理やり取り、何度も腕や手の甲を撫でたようです。その後、後ろにまわりこみ腰を掴み、そこで卑猥な言葉を吐いたようです。そして、うなじを何度も舐め⋯胸に手を⋯、」


 そこで、セラの言葉が切れた。


 ライオネルは、セラを見る。

 セラは、前掛けを握りしめ、ライオネルを見つめながら呟く。

 セラの目からは幾筋(いくすじ)の涙が溢れていた。


「⋯⋯⋯殺しましょう。私、こんなに人に殺意を抱いたのは初めてです。殺します。その男を。生かすことなんて、できません」


 静かな決意だった。セラは続ける。


「奥様は、何度も旦那様や私に対して謝っておられました。ドレスを贈ってくれたのに、だめにしてしまったこと。髪を結ってくれたのに、ボロボロにしてしまったこと。ダンスを教えてくれたのに、踊れなかったこと」


 セラの瞳は、ライオネルを映すことはなく、過去のミレイユを見ていた。


「奥様の傷の手当をした際、頭皮に血が(にじ)んでおられました。余程強い力で髪を引き抜かないと、あんなことにはなりません。舞踏会を楽しみにしていただけなのに、何故このような仕打ちに()わなければならないのか⋯」


 前掛けを握りしめるセラの手は、力を入れるあまり白くなっていた。


 セラの瞳が徐々にライオネルを拾う。


「未遂だから、それで良かった、ではありません。奥様の心をあの男は、踏みにじったのです。わたし、ゆるせません。あの男を殺しても殺しても、ゆるせません」


「奥様は、舞踏会の日を、それはそれは楽しみにしておられました。初めて旦那様が贈ってくれたドレスを、『おばあちゃんになっても大事にして、こっそり眺めるのよ』と(おっしゃ)られて⋯。私が結った髪を何度も鏡で確認し、嬉しそうに微笑んでおられました。叶うなら、あの時間に戻りたい⋯」


 セラはそう言うと、はらはらと涙を零した。


 ライオネルは、セラが語ってくれた舞踏会の準備に舞い上がるミレイユの姿を想像する。気に入ってくれた薄紫色のドレスは、ミレイユに大変良く似合っていた。


 そして、組み敷かれていたミレイユの姿もライオネルの記憶から蘇らせる。


「セラ、すまなかった。全ては目を離してしまった私に落ち度がある」

「あの男には、償いをさせる。君の手は汚させない。王太子が間に入ってくれた。事はうまく進むはずだ」


「君にはつらい思いをさせるが、誤魔化しはいらない。ミレイユがあの男に、なにをされたか、なにを言われたか、私に話して欲しい」




 セラの話を聞き終えたライオネルは、セラを退室させた。


 拳を握って話を聞いていたせいか、ひらいてみると手のひらには爪が食い込み、血が滲んでいた。



 ミレイユが眠る部屋にライオネルは静かに入った。


 あどけなく眠るミレイユを眺めた後、セラが話してくれた傷を確認した。


 魔法を使い、ひとつひとつ傷を治してあげる。

 あの男が付けた傷でミレイユが苦しむことのないように。



 翌日、いつもどおりのミレイユに少なからず安堵(あんど)した。

 周りの皆に対して気遣って演技をしているのか観察したが、そうでもないようで。


 セラの言うとおり、言葉の内容を理解できていなかったのが幸いだったようだ。

 閨事に関する教育を中断しておいて良かった、と心から思った。


 いつの日か、気付くかも知れないが、その時はミレイユ自身が乗り越えてほしいと思う。

 それまで、うんと愛し抜くことライオネルは誓う。



 男爵の件は、少しばかり長引くようだ。

 余罪がボロボロとでてきたと言う。


 少し早いが、前倒しで辺境伯領に戻ることにした。


―――――


 まだ雪が残る辺境伯領内。


 ミレイユは、いつもどおりセラを連れて日課の散歩を続けている。

 遠くで笑っているミレイユを、執務室の窓から眺める。

 とりあえずは、元気そうだ。


 家令がそっとライオネルの傍まで来ると、こう報告した。


「例の者を、鋼哭(こうこく)の間に収監いたしました。向かわれるのでしたら馬は既に準備させております」

家令は、続ける。


「王太子から返却された器具もそちらに準備しております。返り血を浴びても良いように、革の上衣と手袋もそちらに用意しております。替えのお洋服や靴もそちらに。汚れた服は、その場に捨て置いて構いません」


 そこまで言うと、「それと、こちらを⋯」と、家令は懐からある物を取り出して、ライオネル渡した。


 渡されたのは、魔力回復剤。


「屋敷の者達の総意でございます。旦那様のお手を(わずら)わせることとなりますが」


「かまわない。礼を言う」


 ライオネルは、玄関へと向かいながら続ける。


「今夜の帰りはいつになるか、分からない。⋯待ちに待っていたからな。もし、ミレイユが淋しがるようなら、セラの共寝(ともね)を許可しよう。では、行ってくる」


 ライオネルは、馬に(また)がると屋敷から離れた別邸へと向かうのだった。



 鬱蒼(うっそう)とした林の中に、見えてくる別邸。

 人の記憶から忘れ去られたように静かに(たたず)むその邸宅は、ある機能を持っていた。


 ライオネルは、邸宅に入ると、その部屋を目指した。



 鋼哭の間―――。

 それは、犯罪者を監禁、拷問するための場所である。


 ライオネルの代からは、一度も使わず遺物になると思っていたのだが。


(運命は、どう転ぶか分からないものだな⋯)



 魔法の属性は、ひとり一属性まで。

 ライオネルは治癒魔法の使い手だ。

 子供の頃は、もっと強い攻撃魔法に憧れていたものだが。


 今は、高度な魔法まで習得した(おのれ)に感謝している。


 欠損しようが元に戻せるからだ。


 爪を剥ごうがなにをしようが、魔法ひとつでもとに戻る。


 何度でも、ミレイユと同じ苦痛をあの男に味わわせることができる。



 別邸は、収監された者がいるはずだが、人の気配など感じさせないほどに、邸内は静まり返っていた。


 鋼哭の間はどれだけの音を立てようが、一切()れない仕様になっているからだ。


 ライオネルは、黒の皮の上衣を身につけ、革手袋を装着する。

 これから器具を扱うのだ。

 手の感覚を確かめる。


 これならうまく掴んで剥がせそうだ。


 口元を布で覆う。赤い目が異様に光っていた。



「とりあえず、三年分か⋯⋯」


 ライオネルは、そう呟くと、頑丈な扉の錠を外す。


 鈍い(きし)みと共にゆっくりと扉が開いた。

 冷たい空気が、ふっ、と頬を撫でる。



 ライオネルは、暗闇へと足を踏み入れると、ゆっくりと扉を閉めるのだった。

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