地獄の縫い目【注意※性的脅迫表現あり】
【ご注意】
このエピソードには、暴力・性的脅迫を含む描写があります。
該当表現に不快感を抱かれる方は、閲覧をお控えください。
ライオネルを見送り、風に当たろうと人気のないバルコニーへと出たミレイユ。
大広間から外に出ると、分厚いカーテンが音を遮り、直ぐそばにも関わらずどこか遠くの喧騒のように聞こえる。
ミレイユはライオネルとのダンスのため、どの曲でも踊れるように口ずさみながらステップの確認をしていた。
そこへ――
「これは、ミレイユ。久しゅうぶりだのぉ」
何故だが身体がギクリと、硬直した。
ゆっくり振り向いた先には、遠い親戚というミレイユの引取先の主、グラファム・ド・ゼルバン男爵がいた。
「あ⋯」
ゼルバン男爵の姿を認識したミレイユの身体が固まる。
もう過去のことだと吹っ切れていたはずの恐怖が、ミレイユを襲う。
男爵は、ミレイユの姿を下から上へと舐めるように何度も見回すと、
「変わったのぉ」
と一言。
離れているはずなのに、吐く息からは異臭がした。
「んむー。変わった変わった」と、独りごちながら重そうな身体をユッサユッサと揺らして、ミレイユの傍へとやってくる。
ミレイユの足は、その場に縫われてしまったかのように、動けない。
ゼルバン男爵は、グッと断りもなくミレイユの腕を掴む。
ミレイユの脳裏に、爪を剥がされた記憶が蘇る。
思わず、「ヒッ」と声が漏れた。
取られた腕、撫でられる手の甲が、ブルブルと震える。
輿入れする前なら、こんなにも震えることも、恐怖を感じることもなかった。
反応するだけ、悦ぶ親子だった。
いつしか痛みは鈍化していった。
生爪を剥がされることも、「またか⋯」と思うようになった。
でも、知ってしまった。
両親からではない人達の優しさを、温もりを。
愛されることを――。
感情が芽生えてしまった。
その感情がミレイユをその場に縫い留めてしまった。
怖い怖い怖い―――。
イモムシが這うように、男爵は何度も何度もミレイユの腕を撫でた。
「まるで絹のような手触りだのう。それでいてモッチリと吸い付くようじゃ。さぞかし、他の部位もこのような柔肌だろうて」
じゅるり、と舌舐めずりをしながらミレイユを見遣る。
男爵の言葉は、ミレイユの耳に全く入ってこなかった。
自分を這うこの指が、あの金属の器具を持って自分の爪を剥がすのか、その事だけがミレイユの頭の中を占めていた。
「良い顔するのぅ。ワシは恐怖に震えるおなごをいたぶるのが好きでのう。昔のお前は何するにも反応がなくてつまらなんだ。
唯一、親指の爪をメリメリ、と剥がした時は、イイ声で鳴いたのう」
愉快そうに、ホホッと笑うと男爵はミレイユの背後に周り、ガっと腰を掴むとやわやわと指を動かす。
「なんじゃ、この細腰は。どこもかしこも豊満に育っているというのに。腰だけは、キュと細いではないか。堪らんのう、たまらん⋯!」
「毎夜この腰を閣下は掴んで、お前をヒィヒィ啼くまで揺らしておるのか。ん?どうじゃ、閣下の魔物は?既に飼いならしておるか?」
言うと男爵は、ひとりグフグフと笑い、ミレイユの腰を掴んでいた芋虫のような太い指を、徐々に上へと移動させる。
「やはり若い娘は良いのぉ〜。肌も違う。ニオイも違う」
そう言うと、ミレイユのうなじに舌を這わせて、ベロベロと舐めてきた。
「⋯っ、イ、ヤ⋯」
か細く小さな抵抗の声。
しかし、大広間の楽団によりその声は、かき消されてしまう。
ミレイユは、震える動かない腕を叱咤し、なんとか男爵の指を離そうと抵抗する。
「おほっ。ワシは、嫌がり抵抗するおなごが大好物なんじゃ。力が弱いのう。ほれ、そんな細腕じゃワシの指は外れんぞ。ほれ、もう少し力をいれんか」
男爵は、震え、必死で己の身体から指を剥がそうとするミレイユを煽るように声を掛ける。
しかし、男爵の指は、ミレイユの身体から離れることはなく、容赦なくミレイユの身体に指を這わす。
「お、⋯⋯ああ。なんだこれは、たまらんのう。指から溢れそうな豊満な乳じゃ。ほれ、ほれ、もっと抵抗せねば、指がドレスの中に入ってしまうぞ」
そういうと、グヘグヘと笑い、
「ああ、辛抱たまらん。なんという、けしからん身体じゃ。こんなことなら肉でも食らわせてもっと太らせて、初物ついでに身籠れる身体か、試せば良かったのぅ」
そう言うと、「まぁ、いい」と舌舐めずりをし、
「一回ぐらいの味見じゃ。閣下には、バレまい」
と、言うと、ミレイユにのしかかり、そのまま床に押し倒して、後ろからドレスをたくし上げてくる。
本能的に、逃げなければ、と思った。
無我夢中でミレイユは、抵抗した。
夢の中にいるように身体が思うように動かなかったが、それでもミレイユは必死で抵抗した。
足にブヨブヨとした感触があった。
何度も蹴った。
必死で四つん這いになりながらミレイユは、逃げる。
あと少し、あと少し、カーテンを開けば、人がいる。
足首を掴まれた。
そのまま、引き摺られる。
着ていたドレスが床に擦れて、ビリビリという音がする。
ライオネルが選んだドレスが―――。
セラが結ってくれた髪を乱暴に掴まれた。
毎日丁寧に梳いてくれた髪が、痛みとともにブチブチと抜ける音がした。
髪に挿してくれた飾りが床へと落ちていく。
男爵が覆いかぶさってくる。
下着が剥かれた。
「イヤ、イヤ、⋯ライオネルさま―――」
怖くて、恐ろしくて目を瞑った。
目蓋の裏に愛しい人がいた。
「―――なにをしている」
声に反応して男爵の動きが止まった。
「――――なにをしている、と聞いている」
ライオネルの、聞いたこともない声だった。
愛しい人、助けに来てほしかった人、でも今は顔が見れない。
怖くて、怖くて――。
「は、あ、いや、ああ、これはこれはシュトラール卿。娘のミレイユがお世話になっておりまして。久しぶりの義理の娘に会えた懐かしさで抱擁を交わしておりましたところ、いきおい余って倒れてしまいまして、へへ」
「そうか。そうか、貴様がグラファム・ド・ゼルバンか」
と、言うやいなや、ライオネルを見上げヘラヘラと笑うゼルバン男爵の顎を蹴り上げた。
ライオネルの蹴りに後ろに吹っ飛んだゼルバン男爵は、バルコニーに背中を打ちつけるとぐったりとした様子で動かなくなる。
ミレイユにのしかかっていた重みが消えた。
しかし、ミレイユは俯せのままその場から動けなかった。
せっかくライオネルが、作ってくれたドレスが。
セラがこの日のためにと結ってくれた髪の毛が。
楽しんできて、と見送ってくれた家令や使用人の声に応えられなかったことが。
ただただ、申し訳なかった。
フワリと、ライオネルの香りに包まれた。
ライオネルが着ていたロングジャケットを羽織らされたようだ。
そのまま優しく肩を掴まれ、ゆっくりと上体を起こされる。
ボロボロに崩れた髪の間から、穏やかな瞳のライオネルがいた。
「ライオネル様⋯。ごめんなさい、ごめんなさい⋯」
涙が溢れた。
うわ言のように謝罪を繰り返すミレイユを、ライオネルは、そっと抱きしめた。
「ミレイユ、お前はなにも謝るような事は、していない。偶然、災禍に遭ってしまっただけの被害者だ。悪いことはなにひとつとして、していない」
「謝るのは、私の方だ。ミレイユ。お前を一人にさせてしまった。お前に怖い思いをさせてしまった。お前に悲しい思いをさせてしまった。⋯すまない、ミレイユ。すまなかった」
そう言うと、ミレイユを今度は強く抱きしめた。
ミレイユの肩に顔を埋めたライオネルから、良い匂いがする。
大好きな香りだ。
スゥッ、と大きくライオネルの匂いを吸い込んだ。
固く縮こまった心がほぐれてくるような安心感があった。
ふと、気付く。
ライオネルが触れる肩口が濡れていることを。
男爵に舐められたのは、うなじだった。
――じゃあ、肩口のは⋯?
「ライオネル様、泣かないでくださいまし⋯」
自然と言葉に出ていた。
ライオネルがミレイユの肩から顔を上げる。
精悍なライオネルの目から、涙が幾筋も流れていた。
「すまない。私に泣く資格はないのに。ミレイユに味わわせてしまった恐怖を想像すると⋯。本当にすまなかった⋯」
「良いのです。ライオネル様は、助けてくださいました。ありがとうございます」
ライオネルに支えられながらゆっくりと立ち上がる。
「あ、」とミレイユが声を上げた。
「どうした?」とライオネルが声を掛けると、
「下着が⋯先程、旦那様⋯ゼルバン男爵様から脱がされてしまって⋯。お尻を叩こうとしたのでしょ⋯」
と、言い終わらぬ内に、「ミレイユ」とライオネルから声をかけられた。
「あの男を見ないように背中を向けて、耳を塞いでおいてくれ。
私が『良い』と言うまで、塞いだ手は決して外さないように」
と、言うとミレイユが目を瞑り耳を塞ぐのを確認すると、ライオネルは倒れて動かないゼルバン男爵に追加の制裁を与えるため、ユラリ、と黒い殺気を滾らせ、近づくのだった。
追加の制裁で当分動かないであろうゼルバン男爵は、一旦捨て置いて、ライオネルはミレイユに声を掛けると、下着の再装着を確認後、髪を手櫛で優しく整えてあげた。
羽織らせていたロングジャケットを、ミレイユの頭からすっぽりと被せてしまうとボタンをきっちりと留め、横抱きにし、その場を後にした。
大広間を壁伝いに大股で歩くライオネルを、何事かと見る者もいたが、ただならぬ殺気に皆、目を逸らす。
城の兵を呼び、控えの間で待つセラの呼び出しと、停めてある馬車の手配をお願いする。
ミレイユを抱えた広い廊下でライオネルは、不安で仕方なかった。
城の一室を借りて、一旦休ませたが良いのか、馬車ですぐに帰らせたが良いのか⋯。
セラは、急いでやってきてくれた。
息を切らして、ライオネルの顔色を見て何事かと訝しんでいる様子。
「馬車までミレイユを送る。二人は先に帰ってくれ。そして、ミレイユの手当を頼む」
セラは、ライオネルの言葉に息を呑む。
「理由は、私が帰ってから話す。だが、当分は帰れそうにはない。これから、王太子に謁見を申し出る」
足早に城の外へ出て、停めてある馬車へと乗り込み、座椅子にミレイユをそっと下ろす。
ロングジャケットの前を開け、頭からすっぽりと被せていたミレイユ顔を出してあげると、ライオネルは、ミレイユを見つめ語りかけた。
「ミレイユ、すまない。帰りは遅くなる。先に休んでいてくれ。もし、ひとりが怖いならセラが付き添ってくれる」
優しく言うライオネルの眦は、赤い。
「愛している、ミレイユ。誰よりも」
そういうと、ミレイユの唇に唇を重ね、馬車から出、外で待機しているセラと言葉を交わすと、城へと戻っていった。
セラが馬車に乗り込み、「奥様、失礼します」というと、隣に座ってそっと身体に腕を回してくれた。
セラの温もりを感じながら、ミレイユはセラに語りかける。
「セラ⋯、あのね、私、なにが起こったのか、よく分からないの。ライオネル様は、とてもお怒りだったけど⋯」
そういうと、今日あった出来事をポツポツと話しだすのだった。




