王城に降り立つ
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本日は、舞踏会当日である。
てっきりミレイユは、開始時間前には登城するものだと思っていたのだが、前日にライオネルから、
「招待客も多いし、早く行ったところで疲れるだけだ。それよりも十分睡眠を取って、ゆっくり準備をする。君が疲れないようにすることのが大事だ」
と、言われてしまった。
というわけで、ただいま、ゆったりと準備中である。
「なんだか、このまま気が抜けそう⋯。大丈夫かしら?」
ミレイユとは、逆に、この日のためにと辺境伯夫人の全身を磨き上げ、化粧を施し、と気合の支度に勤しむセラからは、
「大変よろしいことではございませんか。そのくらいの気楽さで臨まれると、旦那様とのダンスもきっと楽しめますよ」
との答え。
セラは指先を器用に動かし、ミレイユの髪をまとめ上げ、ねじり編み込みをゆるやかに後頭部へと流し込ませていく。
編み込まれた髪は、やがて低めにゆるく結われたシニヨンへと繋がり、少し形を崩しながら、ふわりとした丸みを帯びて形作られる。
耳の後ろや首筋に残された細い後れ毛が、揺らぎと初々しさを添えている。
ドレスと同じ色合いの小さな花飾りが編み込みの途中に等間隔で差し込まれる。
出来上がりを何度も鏡で確認する。まるで魔法のようだ。
「すごいわね、セラ。まさに変身だわ」
ミレイユは感心して呟き、また鏡で確認する。
やっと、舞踏会の実感が出てきた。
いよいよドレスの着付けである。
ドレスは今日の支度前にサイズを確認した。
裏でセラと仕立て屋とライオネルが暗躍していることも知らず、先日、ドレスがキツくなってしまったことに焦っていたミレイユは、運動の成果が出たと思い、ホッと安堵する。
透けるように繊細なチュールが幾重にも重なるスカートは、歩くたびにふんわりと揺れて、春の花びらのように軽やかに広がる。
その中に、花の輪郭をなぞるような刺繍が加わり、さりげない奥行きを添えていた。
色は、朝靄に溶ける花のようなアイスラベンダー。
ほんのりとした紫色が、成長した肌の張りと白さを柔らかく引き立て、一段と洗練された印象へと昇華している。
上半身は、もとのオフショルダーラインを保ちつつ、
胸元からサイドにかけてさりげなく布が足されている。
挿し込まれたまち布には同色系のレースと細やかなビーズ刺繍があしらわれ、あたかも最初からそこに存在していたかのように、自然に馴染んでいた。
曲線を帯びた胸のふくらみと、背面へと滑らかにつながるヒップラインに沿ってドレスは新たな膨らみを受け入れ、形を整えている。
ウエストラインは引き続き絞られており、そのくびれが、豊かなボディラインと鮮やかな対比をなしていた。
背面にはさりげなく垂れる長いリボンと、淡くきらめくビーズの装飾が、可憐さの中に華やぎを添えている。
セラは、ミレイユに気付かれない程度の補正が出来たことに満足し、にっこりと微笑むと、「まるで春を告げる妖精のようですわ」と、ミレイユを讃えるのだった。
ニコニコと嬉しそうに微笑むセラを見るミレイユ。
セラは褒めるけど、化粧を施し、髪を結ってくれたセラと、ドレスを見立ててくれたライオネルのおかげで変身できたのだと、ミレイユは感謝した。
姿見の前で一回りしてみる。まるで違う自分みたい。
ミレイユは、一気に浮足立った。
キラキラと輝く笑顔でセラに、振り返る。
「ありがとう、セラ。わたし今日のことを忘れないわ。ライオネル様にいただいたドレスも一生大切にする!だって、初めてライオネル様にいただいたドレスだもの」
そう言うといっそう嬉しそうに破顔をして、
「おばあちゃんになっても大事にして、こっそり眺めるのよ!」
と、言うのだった。
早くライオネルに、自分の変身した姿を見せたくて、支度室のドアを開けた。
目の前に、通りすがりのエドガーが、びっくりした様子で固まっていた。
「あ、ごめんなさい。エドガー、驚かせてしまったわね」
途端に恥ずかしくなったミレイユは、淑女の姿勢を気取りながら、
「ねぇ、エドガーどうかしら?私似合ってる?」と、聞いてみた。
宝石色の大きな猫目に見つめられたエドガーは、目を逸らしながら
「は、はい⋯。春の女神様かと思いました」
と、褒めてくれた。
お世辞かも知れないが、褒めてもらえて嬉しい。
ニコニコしながら褒めてくれたエドガーにお礼を言おうとした。
何故か目の前に大きな壁ができた。
見上げると、目の前にライオネルの姿が。
いつもとは装いの違うライオネルが、エドガーとミレイユの間に立っていた。
黒に近い濃色は、光の加減によってわずかに赤みを帯び、重厚な存在感を放つ。
ジャケットの輪郭は流れるようなAラインで構成されており、背面には深く入った切れ込みが、剣を携えた際にも動作を妨げない構造となっていた。
その姿は、剣士としての精悍さと、辺境伯としての品格が一糸乱れなく宿っている。
「エドガー、私の奥方をそんな風に褒めてくれると、私の出番がなくなる」
そういうライオネルに、ミレイユもエドガーも、見惚れた。
いつもは、無造作な髪型も今日ばかりは、軽くかきあげられセットされている。
「ライオネル様、すごく素敵です⋯っ!」
「旦那様、さすが僕の憧れ、痺れます⋯っ!」
二人はライオネルを囲い、口々に褒め称えた。
興奮しながらエドガーはその場を退くと、足早に去っていった。
ミレイユは、ライオネルから一歩離れるとまじまじと姿を観察した。
ライオネルの正装は、深いボルドーに染め上げられたロングジャケットを基調としていた。
立ち姿では裾が優雅に広がり、歩けばコートテールが静かに風をはらむ仕立てになっている。
裏地には濃紺の布地が使われ、金の縁取り模様が施されている。動きの合間にちらりと覗くその色合いが、さりげない格式を添えている。
ボタンは古金仕上げの金属製。上部の二つのみが実用的な留め具として機能し、下部は装飾として並ぶ。
それぞれには家紋が刻まれており、双頭の獅子が並ぶ意匠が浮かび上がる。
ボタンホールには濃紺の糸でパイピング加工が施され、見えにくい部分にまで品格が宿る。
左胸には懐中時計のチェーンが飾りとして控えめに垂れており、肩章の代わりに、肩口には騎士としての階級を示す金糸の刺繍が静かに縫い込まれている。
袖口にはレースの代わりに細い革の縁取りが施されており、装飾性と実用性の両立を図っていた。
ジャケットの下には純白のシャツと、襟元にはクラシックなフリルタイ。
腰には鍛え抜かれた剣を携え、片手には手に馴染んだ革のグローブをはめている。
足元は黒の乗馬ブーツで引き締められ、全体のシルエットを一層洗練されたものに仕上げていた。
静けさの中に確かな威厳が宿っている姿に、ミレイユは、
(あら?私、舞踏会でこんな素敵な方と踊るの?え?その前にエスコートされるのよね?)
と、今更ながら緊張してきた。
ライオネルも同じようにミレイユを眺めると、そっと傍に寄って来てミレイユの耳元に唇を近づけた。
たったそれだけの仕草なのに、ミレイユの心臓は早鐘のように鳴る。
「綺麗だ。よく似合っている」
ライオネルの褒め言葉が、ただ嬉しい。
もっと聞きたくなったミレイユは、「本当に?」と問い返してみた。
ライオネルは、微笑みながら、
「ああ、誰にも見せたくないぐらいだ」
と、低く、優しい声で応えてくれる。
(嬉しい⋯)
頭がフワフワする。
フワフワしたままのミレイユは、セラから手渡された外套をライオネルから羽織らされ、ライオネルに連れられるまま、馬車が待つエントランスまで誘導される。
ミレイユの歩調に合わせ、淡いグレーラベンダーのハーフマントが静かに揺れては、月明かりを柔らかく反射させていた。
裾には繊細な花模様の銀糸刺繍があしらわれ、春を告げる夜風のなかでも、ひときわ優美な気配をまとっている。
夢見心地のミレイユを乗せ、馬車はお城へと連れて行く。
これから舞踏会。
お城は初めて訪れる場所。
隣りに座ってくれたライオネルを見遣る。
ミレイユの手を優しく握り、微笑んでくれる。
ミレイユはそれだけで、胸が高鳴り頬は熱を帯び、頭の中は浮かれるのだった。
馬車が止まる気配とともに、扉が開かれた。
外から差し込んだ光に目を細めたミレイユは、次の瞬間、思わず言葉を失った。
石造りの城門を抜けた先に広がるのは、白と金に彩られた――夢のような王城だった。
大理石の階段、純白の柱、その一本一本にまで施された繊細な装飾。
真紅の絨毯がまっすぐに延び、まるで招き入れるように玄関ホールへと続いている。
その光景に、心がふわりと浮かび上がる。
(⋯⋯わあ、まるで子供の頃に読んでいた絵本のよう)
馬車から降り立つミレイユの手を取ったライオネルが、無言でエスコートする。
冷たい夜風と彼の指先の温もりが、心を現実へ引き戻してくれるようだった。
大きな扉がゆっくりと開かれ、二人は玄関ホールへと足を踏み入れた――。
見上げるほど高い天井からは、金の装飾が絡むシャンデリアがいくつも吊るされている。
磨き抜かれた大理石の床に、光が反射して宝石のような煌めきを放っていた。
ミレイユが天井画を熱心に眺めている間に、ライオネルから外套を脱がされ、受付も全てライオネルが済ましてくれていた。
従者に案内され、奥へと進んでいく。
開閉する扉から楽団の奏でる音楽がかすかに聞こえてくる。
外でドアを開けてくれる従者らが待機してくれていて、大きなドアを開けた瞬間、音の洪水に飲まれる。
流れる音楽と、響き渡る談笑の声。
広間を彩るのは、ただの正装だけではない。
煌めくビジューを散りばめたドレス、
背中まで繊細な刺繍が続くローブ、
肩を大きく開いた流線型のシルエットに、羽飾りを揺らす婦人たち——。
貴族の男たちは軍服だけでなく、深い緋色や漆黒の燕尾服。
金糸の飾り紐を施した礼装。
肩章に宝石をあしらったものまで、各々の格式と美意識を競い合っていた。
広い大広間は、絢爛豪華な華やかさに満ちていた。
その光景に、ミレイユは圧倒され息を呑む。
思わずライオネルのエスコートしてくれる手を掴んだ。
「あ⋯っ、ごめんなさい」
ライオネルはなにも言わず、ただ穏やかな瞳でミレイユを見つめた。
彼がそっと手を引いてくれる。
その確かな温もりが、ミレイユを励ましてくれる。
ミレイユは深呼吸をすると姿勢を正す。
ライオネルに恥をかかせないように。
辺境伯夫人で在るように。
誰かがライオネルとミレイユの姿に気付く。
思わず、ほう、と息を吐く。
ライオネルの精悍で厳格な佇まいに並び立つ、ミレイユの優艶ながらも初々しい姿は、招待された人々の目を引いた。
給仕から二人分の飲み物を受け取ったライオネルが、飲み物を渡しながらミレイユに耳打ちをする。
「緊張しているだろう?少し場に慣れて、二、三曲聞き流したら、踊ろうか」
ライオネルからの誘いにミレイユの心は弾む。
踊る人が多くて、きっと上手くは踊れないだろう。
でも、きっとライオネルとだったら、どんな状況でも楽しいはずだ。
あと、二曲、あと、一曲――。
しかし、ライオネルは王太子に、呼ばれてしまった。
なんでも書簡の件らしい。仕事だ。
ライオネルは、「後にしてくれ」と、断るが王太子との謁見だ。
許されるはずがない。
ミレイユはアルコールのせいにして、少し休みたい、とライオネルに言った。
ライオネルは付き添いたかったようだが、それでは意味がない。
一人で風にあたりたい、とその間に謁見を済ましてほしい、とお願いした。
ライオネルは、後ろ髪を引かれる思いでミレイユを振り返る。
ミレイユは、未練を滲ませるライオネルを、笑顔で見送った。
次回エピソードにて、一部に性的・暴力的表現が含まれます。ご留意の上、お進みください。




