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ミレイユの秘密



 それはミレイユからライオネルへ、突然の申し出だった。


「外出許可?」

「はい、あの、駄目でしょうか?」


 シュトラール邸へ到着した翌日の朝食中である。


「なにか、必要なものでも出来たのか?それなら、遣いを出すが?」


「いえ、あのその⋯」

と、歯切れの悪いミレイユ。


(まさか、外まで歩くのか⋯?)

 昨日、セラから、ミレイユのドレスのサイズが変わってしまった事で、ミレイユが運動量を増やそうとしている、という報告を受けた。


 体を動かすことは良いことだが、屋敷の外となると話は別だ。


 ミレイユの意思を尊重してやりたいが、危険なことはさせたくない。

 外出するなら、護衛を付けねば。


「ならば、護衛の者をつけよう」


と、いうライオネルの提案に、

「あ、いえ。そこまでしていただくほどのことではないのです。

すみません。取り消します。お手を煩わせました。申し訳ございません」


と、ミレイユは、頭を下げ、素っ気なくライオネルからの提案を拒んだ。


(⋯え?)

 ミレイユから拒まれると思わなかったライオネルの心に、隙間風が吹く。


 朝食中もライオネルは、ミレイユを盗み見た。

 いつも、美味しそうに食べるミレイユだが、なんだか表情も暗い。

 食べる速度は、いつもと変わらずのようだが。


 朝食を終えると、ライオネルは執務室に、奥方付きの侍女であるセラを呼び寄せた。


「ミレイユの外出許可申請の件について、なにか聞いていないか?」


 セラが入室して、ライオネルは開口一番に質問した。


 セラは申し訳なさそうに、

「それが、特になにも⋯。奥様は、自室の窓から外を眺めていては、浮かない表情をなさっていて⋯」

というセラの返答に、


(そこまで、体型を気にしているのか⋯?)


と、心配したライオネルは、


「ミレイユが気にしているのであれば、兵士たちをも音を上げる、しごきメニューで身体を絞ることも出来るが⋯」


と提案したが、セラから


「旦那様⋯僭越ながら⋯、しごきは余計かと」

と、言われてしまった。


(しごきは、余計だったか⋯)


 セラは、“ミレイユは、体型を気にしている”という考えに固執してしまったライオネルの様子を(うかが)いながら、言いにくそうに声を上げた。


「旦那様、差し出がましく申し訳ございませんが、あの、奥様に外出許可を出してみて、様子をうかがうというのは、いかがでしょうか」

  

 腕を組んで執務机を睨んでいたライオネルは、セラの言葉に反応し、セラを仰ぎ見た。


 ライオネルの赤い瞳に見つめられながらも、尚もセラは続ける。


「私が、供をすれば良いのでしょうが、それも拒まれましたら後をつけるぐらいしか手がありません」


(あとを⋯つける?)

「あとを、つけるのか?ミレイユの」


 ライオネルの問いに、セラは気まずげに、

「⋯はい、そうです。奥様は、私たちには悟られたくない、なにかをされたいのだと思います。しかし、安全の面が心許なく。それでしたら、護衛のものを連れて、私が奥様の後をつけます」


(私たちに、知られたくないミレイユの秘密⋯)


 ライオネルの好奇心がムクリと頭をもたげた。


「ならば、私が護衛役を務めよう」


 自分の容姿が目立つことを忘れているライオネルの言葉に、一瞬、セラの顔がひきつる。

が、すぐに口を引き結び、深くこうべを垂れた。


「⋯承知致しました。では、ミレイユ様に市井に溶け込む変装を条件に、外出の許可をお願い致します。私は、旦那様と奥様と自分の変装用の衣装を準備致します」


 セラが退室した後に、ミレイユを執務室に呼び出した。


 聞けばミレイユはセラの予測どおり、外出は一人が希望だと言う。


 ならばせめて、馬車で目的地に送る、と提案したが断られてしまった。

『歩きたい』のだそうだ。


(やはり、体型を気にしているのではないか?)と、思ったが口には出さずに部屋を出るミレイユを見送った。



 そして現在、ライオネルは、街中で一人歩くミレイユの後ろを離れた場所でセラと二人で尾行している最中である。



 カツラを被り、上質な生地ながら地味で控えめなドレスを着用し、眼鏡をかけた金持ち商家のお嬢様風のセラ。

 くすんだ色のフード付きマントをまとい、フードを目深にかぶった護衛風に扮したライオネルは、前を歩くセラに問いかけた。


「ミレイユの格好だが、可愛すぎやしないか?さっきから、男どもがミレイユに目線を送っているのが気になるのだが」


 その問いにセラからは、


「申し訳ございません。奥様の変装姿が今回限りと存じましたので、心ゆくまで手を尽くしました」


 そんなミレイユの姿は、まさに街娘そのものだった。


 淡い生成(きな)りのブラウスは、首元が少し開いており、リボンで軽く結ばれている。

 袖はふんわりと七分丈で、上から重ねた編み上げのベストには、小さな花の刺繍が散っていた。


 ふくらはぎまで届くスカートは歩くたびに揺れ、裾には控えめなフリルがあしらわれている。


 靴は旅路で履き続けた、使い込まれたレースアップのブーツ。

 肩口からは日除けの薄いショールを掛け、頭には耳まで覆うように薄藍の布を頭に巻いて、後ろで軽く結んでいた。


 髪は結わえられ緩く後ろでまとめられている。

 歩く度に頭巾の裾が揺れ、ミレイユの白金と白いうなじがのぞく。


 時折、辺りを見渡すミレイユの横顔が見つめる。

 朝食時に盗み見た憂鬱そうな表情とは違い、顔色も良い。


 遠目から見るミレイユの頬は、色白の肌と相まって薔薇色のようだ。


 男どもの目線を掻っ攫うのも頷けるほど、魅力的な街娘である。


 ミレイユは、花屋へと立ち寄る。

 どの花にするかは決まっているようだ。

 迷わず選んでいる。

 ミレイユの可愛さに、別の花を一輪サービスされている。

 店主も好感度を上げたいらしい。


 ミレイユは、目的地を見失ってしまったのか、辺りをキョロキョロし始めた。

 気付いた青年が人の好さそうな顔をして、ミレイユに近付くと声を掛ける。


 雑踏に紛れてその様子を眺めていたライオネルから

「なんだ、あの小童(こわっぱ)は⋯、不埒(ふらち)な」

と、低い声が漏れる。


 セラから、

「旦那様、落ち着いて下さいませ。あの青年は、人助けのつもりです。多分」

と、(いさ)められた。


 青年が、指差す方向に、ミレイユはお礼を言ったのか会釈をして離れていった。

 ホッとしたのも(つか)の間、青年がミレイユの後ろ姿をじっと見つめていると、後をつけるかのように歩き出した。


 一瞬、ミレイユがまた道に迷ってしまったのかと思ったが、そうではない様子。


「セラ」ライオネルは警戒を含んだ声音で、セラに声を掛ける。

「承知しております」ライオネルの声にセラは、応える。


 男が行動に移してもすぐに捕まえられる距離まで、二人は歩を進めた。


 ミレイユの目的地は、教会だった。

 しかし、教会の中には入らず、墓石(ぼせき)が並ぶ場所へと行ってしまう。


 青年の目的は、やはりミレイユのようで、気付かれないように後に続いて行動していた。


 物陰から様子を見ていたライオネルとセラも後へと続く。


 敷地に入って、二人の姿を探した。

 ライオネルとセラの目に飛び込んできたのは、青年がミレイユの腕を引いて、墓石とは違う方向へと歩いていく様子だった。


 青年が目指す方向は、人目を隠すような木々が生い茂る場所。


「ミレイユ!」

ライオネルは、名を叫ぶなり、駆け出していた。


「貴様ァ!!その娘をどうするつもりだ!!!」

 駆けながら叫ぶライオネルの怒声と威圧感に、驚いた青年はミレイユの手を離すと、急いで裏門から逃げ出した。


 声でライオネルだと気付き、ミレイユは息を呑んだ。


「ライオネル様⋯!?どうして、ここに。え!!セラも!?」


 ライオネルの後を追ってきたセラが眼鏡とカツラを外すと、ミレイユはさらに驚いた。


「すまない、ミレイユ。護衛も付けず外出をする君のことが気になって⋯」


 ライオネルの素直な謝罪にミレイユも

「いえ、私の方こそ我儘(わがまま)で結果的にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」

と、謝るのだった。



「母の墓を探している?」


 ミレイユから事情を聞いたライオネルとセラは、墓探しを手伝うことにした。


 先程の青年は“墓の場所を知っている”と言い、ミレイユの腕を取って案内しようとした──そうだ。


(んな、馬鹿な)

ライオネルは、そう思いつつも木々へと近付き墓らしきものを探した。

 案の定、木々の(そば)に墓石などあるはずも無かった。


 教会の関係者に聞いてみた。

 母親個人の墓だと思っていたが、ミレイユと教会関係者の会話を聞いていると、どうやら共同墓地に眠っているらしい。


 案内された共同墓地に行く。

 名前なんて記されてもいなかった。

 ミレイユは花を手向ける。母親の好きな花のひとつだそう。


 墓の前でしゃがんだまま、ミレイユはぽつぽつ、と語り始めた。


「⋯母は、元々身体の弱い人でした。父が捕まり、母は、少しの着替えと換金できるものをバッグに詰めると、私を連れて古い建物を借りて、そこで一緒に暮らし始めました」

ミレイユは、そこで一旦言葉を切ると、記憶を手繰るように黙り込み、やがてまた話し始めた。


「母は働くようになりましたが、元々身体が弱かったせいと父が捕まったショックが大きかったのか、すぐに寝たきりになりました」

「母の薬は高くて、母は購入を拒みましたが、私は母に生きてほしかったので、お金に変えれるものは、ほとんど薬代へと消えました」


 そこで、ミレイユの言葉が詰まる。

 ライオネルはミレイユの背後にしゃがむと背中を擦った。

 ミレイユは、礼を言うと、また話し始めた。


「食べ物を求めて街へ行くと、街の人達が私たちの噂をしていました。病弱な母はいつの間にか、父を禁忌に触れることをすすめた性悪に。私たち母娘(おやこ)は、父を犯罪へと導いた母娘へとなっていました」


ミレイユは、感情を乗せず、続ける。


「母が亡くなり、ここの教会へ相談すると、母を埋葬してくださいました。それから程なくして、父が牢獄の中で亡くなり、私はひとりになりました」


 ふわり、と風が吹いた。

 ミレイユの頭に被っていた薄藍の布が揺れる。

 風が止むと、ミレイユは再び口を開いた。


「母の元へ行きたかった私は、自分を殺すことにしました。でも、死にきれませんでした。何度も何度も試みたのですが」


 ミレイユは、そこで言葉を切った。

 続きは言えなかった。

 今度こそ死ねる、と喜んだのも束の間、父の顔が何故か思い出されて、意識を失うこと。

 死なずに目を覚ますこと。


 自分が死ねないのは、父が罪を償わずに死んでしまったからでは、と思うようになったこと。


 父の代わりに罰を受けるのが役目だと思っていたこと。


 生爪を剥がされることも、人々から罵倒されることも。


 自分に責があるからだと。


 引取先の親子から、(わら)って話された残忍な辺境伯との王命は、従うことが罪を償うことだ、と思っていたこと。


(きっと、この話をしたらライオネル様は、傷つくわ)


 自分との婚礼が罰だったと、そのつもりで私が来たのかと。


(ライオネル様の穏やかで鮮やかな紅い瞳を、曇らせたくない)


 それに幸せなのだ。

 ライオネルの元に嫁いで。

 心のままに抱きしめると優しく抱き返してくれる手を、ミレイユは離したくなかった。


 思考の海に沈んだミレイユを包み込む温かさに、ミレイユは我に返った。

 ライオネルが、後ろから抱きしめてくれていた。


 ライオネルの声が首筋をくすぐる。

「いまは⋯、」


「今は、どうだ?ミレイユ。まだ、死にたいと願うか?」


 ライオネルの問いにミレイユは、「いいえ、」と答えた。


「今は、私はライオネル様と共に、シュトラール辺境伯領で、生を全うしたいと願っております」


「そうか」

ミレイユの答えに、ライオネルは言葉を続ける。


「私もだ、ミレイユ。お前とともに、この命ある限りお前を慈しみ、守りたいと思っている」

そう言うとライオネルは、続けて「私は、お前に我儘を言うよ」という。


「どうか、私のために生きてくれ、ミレイユ。お前が死にたいと願った時、私の顔を思い出してくれ。お前無しじゃ生きられない男を、思い出してくれ。私は、お前のために生きるから、お前も私のために生き抜いてくれ」


 ライオネルは、そうミレイユに(ささや)くのだった。


(ライオネル様は、やさしい⋯。我儘だなんて、ちっとも我儘じゃないわ。こうやって優しい言葉で私を繋ぎ止めてくれる)


「⋯はい、ライオネル様。私の心はライオネル様と共にあります」


 ミレイユを抱きしめているライオネルの腕に、静かに(こぼ)れ落ちた(しずく)が温もりを伝えた。



 かつてミレイユが過ごしたと話していた生家は、更地へと変わっていた。


「両親が亡くなって、ふと、自分の家に帰りたくなり、ここまで歩いてきました。そこで、引取人の旦那様に初めてお会いしたのです」


 ミレイユは、その日の内にその旦那様とやらの家に引き取られたという。


 ミレイユの引取人――グラファム・ド・ゼルバン男爵


 婚礼支度金を(かす)め取り、ミレイユに遣われるはずだった辺境伯領までの路銀まで奪い取った男。


 ミレイユは話さないが、ミレイユへの虐待の跡もある。


「母の墓も埋葬の時のみで、参らずに去ってしまった恩知らずの娘でしたが、今日こうして参ることが出来ました。ありがとうございます」


 ミレイユの言葉に、ライオネルの思考は中断される。


「墓は、定期的に遣いの者に参らせよう。君が教えてくれたら、母君の好きな花を手向けることを約束する。私がしたいのだから、させてくれ。君の母上だ。私にも大切にする権利はある」


 そう言うとライオネルは、「家へ戻ろう」と、ミレイユを促した。


 ミレイユはかつて生家だった場所に一礼をすると、ライオネルの腕を取る。

 帰れる場所を作ってくれたライオネルに改めて感謝するのだった。

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