王都、シュトラール邸
更に一週間の旅路を経て、ようやく王都にあるシュトラール邸へと到着した。
ライオネル御一行をにこやかに迎えたのは、辺境伯領で留守を預かっているはずの家令のモーリスだった。
「え?え?」
ミレイユは驚き、目をぱちくりとさせた。
セラが後ろからこっそりと耳打ちしてくれる。
「家令殿には、双子の弟殿がいらっしゃいます」と。
双子の弟と言われる家令そっくりの男性は、ミレイユに対してにっこりと微笑むと、
「お初にお目にかかります、奥方様。わたくし、ここの管理を夫婦で務めさせていただいております。マーカス・ラングレーと申します。こちらは、妻のアグネスで、手伝いの息子のエドガーです」
アグネスは、人好きするような笑顔で、
「この度はご結婚おめでとうございます。お会いできて光栄です」
と挨拶してくれた。
エドガーは思春期らしく、ペコリ、と頭だけを下げた。
ライオネルから、「用事がある時のみ使用する別宅で、王都に建てているからそんなに広くはない」と、事前に話されていたが、閑静な区域に建つこの屋敷も、ミレイユにとっては十分な広さを誇っていた。
「お疲れでしょう。まずはお部屋へご案内いたしますね」
アグネスの案内に従う。
ライオネルは、マーカスと打ち合わせだそうだ。
アグネスの後ろに続きながら思わず天井に目をやる。
玄関ホールの広い天井──漆喰の白に浮かぶ装飾模様から、壁際の半立体の彫刻へと視線が移る。
思わず、見入ってしまった。
(あれは、なんの模様かしら⋯?)
玄関ホールを抜けると長く続く廊下に出る。
磨かれた床の上中央には、紺色の絨毯が丁寧に敷かれていて、靴音は吸収され、歩く度に足裏がやわらかく包まれる。
(旅で疲れた足に、優しい廊下だわ)
しかし、聞くと普段は絨毯は敷かれていないらしい。
侵入者の足音が消されてしまうため、なのだとか。
今回のために、わざわざ骨を折ってくれたのか、と夫妻の気遣いが胸に沁みる。
横の窓からは木漏れ日が差し込んでいた。
やわらかい日差しが、春の訪れを告げている。
近くで、鳥の声がする。
高く短く鳴いて、またすぐにどこかへ飛んでいくように、木々の揺れる音がした。
(ここは、すっかり春なのね)
冬が残る辺境伯領屋敷とは違う、王都の春の別邸。
賑やかな王都のはずなのに、この邸宅は静寂が約束されていた。
いくつもの部屋を通り過ぎ──アグネスが足を止めた。
「こちらが、奥様のお部屋となっております」
ミレイユは、アグネスの声に反射的に、頭を下げた。
「まあ。私のような者に礼など、ありがとうございます。でも、奥方様、辺境伯夫人であるならば、目下の者には小さく頷くだけに留めて下さいませ」
よくセラに言われることを、アグネスにも言われてしまった⋯。
引き取られた家でのことを思い出す。
お前みたいな役立たずは、使用人に対しても深々と頭を下げろ、と言われた日々を。
(気をつけて、なおさなくちゃ)
「ありがとう、アグネス。ちゃんと叱ってくれて。心強いわ」
ミレイユは背筋を正すと、堂々とした足取りで案内された部屋へと入るのだった。
部屋の中は、穏やかな日差しが差し込む造りだった。
窓の向こうには手入れされた庭が見え、壁紙は草花を模した刺繍柄が淡く浮かぶ。
小さな花瓶には、アグネスが飾ったと思われる季節の花。
柔らかな寝具のベッドに、刺繍道具の置かれた机――。
部屋を見渡していると、荷物を抱えた男性従者と部屋への案内役のセラが遅れてやってきた。
「あ!ドレス!」
ミレイユは、思い出したように声を上げた。
王都に着いたら必ずしよう、と決めていたことがある。
それは、ドレスの試着だ。
何故か王都に着くまでの一週間、ライオネルとセラから給餌される日々だった。
馬の休憩とともに周辺を歩いていたけども。
まだ、舞踏会まで少し日がある。
不測の事態に備えて余裕を持って出発したのだから。
まさか不測の事態が、己の体型の変化になるとは考えていなかったが。
「⋯き、きついわ」
不測の事態が起こってしまった。
腰周りはそうでも無かったが、胸周りと、ふんわりと広がるドレスのはずが、尻周りがどうにもキツイのである。
(ダンスの一歩目から裂ける自信しかないわ⋯)
ミレイユのショックをよそにセラからは、
「女の私からすると、羨ましい成長の仕方ではございますが」
と、紙に書き込みながら言われた。
「歩く距離を伸ばすわ」
食事制限は、皆が心配するので出来なかった。
セラは、その日、ライオネルと続けている日課の報告会にて。
「⋯⋯と、奥様は申されておりましたが。仕立ての方と相談してのサイズ調整ですが、装飾を増やす方向で調整することになりそうです。奥様には三日後にまた試着をしていただいて、運動の成果が出たと思わせます」
ミレイユの発育に対して、痩せさせる気は微塵も持たぬセラから、
「せっかく順調に成長なされているのに制限するなんて、勿体なく存じます」
と、いう言葉にライオネルは、いつかの夜にミレイユの胸に抱かれた事を思い出し、深く頷くのだった。




