言葉より先に、手が伝えた愛
雪が降り積もるシュトラール辺境伯領。
先日熱を出してしまったミレイユは、ライオネルから外出禁止令が出されたため刺繍の勉強中である。
「む、難しいわ⋯」
糸のねじれを取るだけで、ヘロヘロのミレイユである。
隣では、スッスッと容易く糸をすすめるセラを眺める。
「綺麗ね⋯。まるで魔法使いだわ」
ミレイユの言葉にセラは、くすり、と笑うと「慣れでございますよ」と言うのだった。
生来、不器用なミレイユはなにをするにも人に怒鳴りつけられていた。
「⋯セラは、私を怒らないの?」
ミレイユの疑問に、セラは首を傾げる。
「私、なにをするにもすごく下手なの⋯。それでよく、人に⋯怒られたわ。私が何かをしようとすると周りが嗤ったり、舌打ちしたり、怒ったり⋯。私がすべて悪いのだけど⋯」
そう言うと、ミレイユは刺繍途中の布を見せながら、
「この刺繍だって⋯、ほら、全然。セラと違うわ」
自嘲するようにミレイユは、わらう。
「ミレイユ様⋯」
セラは仕掛りの刺繍を机に置くと「失礼します」と、ミレイユが持っていた刺繍と針をそっと取り上げ、机に置いてから、「ご無礼をお許しください」と、ミレイユに断りを入れ、ぎゅ、と強く抱きしめた。
「セラ⋯?」
セラの温もりはライオネルとはまた違う。なんだか、母を思い出す。
懐かしく思うミレイユは、昔、大好きだった母を抱きしめるようにセラを抱き返した。
「奥様、人には得手不得手がございます。一般の人より成長が遅い方もいらっしゃいます」
「でも、」とセラはそこで区切ると、
「その方達は、出来る人よりも何倍も苦労をして習得なさいます。その方達が作るものは誰よりも心がこもっていると私は、思います」
と、優しい声音でセラは言う。
「奥様、みんな最初は出来ないものでございますよ」
(そうなの⋯?)ミレイユは、意外に思う。華麗に動く指からは、想像できない。
「きっと、奥様を、過去の奥様を否定した方達は、お忙しくて心に余裕が無かったのでしょう。心に余裕がないと、人は人には優しく出来ないものです」
声も違う。匂いも違う。立場も違う。
しかし、母から教えてもらっているような、そんな温かさだった。
ミレイユから身体を離すと、セラは続けて言う。
「急ぐ必要はございません。上手くやろうなんて、思わなくて良いのです。最初は、丁寧に確実に物事に取り組めば、それで良いのです」
「セラ⋯」
「でも、それには、数を積まなくてはいけませんけどね。差し出がましく失礼致しました。お茶にしましょう、奥様」
ニコッとセラは笑うとミレイユをお茶に誘うのだった。
セラや侍女達に無理を言って、一緒のテーブルで休憩を取った。
最初の刺繍が完成したらどうするのか、と聞かれた。
どう?と首を傾げると、ライオネル様に渡すと良いと、口々に言われた。「下手なのに?」と返したが、それが良いという。
困らせやしないだろうかと思ったが、練習の刺繍が済むと、ハンカチにライオネルの事だけを想って針を進めた。
ライオネル様が、いつまでも健康で過ごされますように――。
ライオネル様が、いつまでも幸せに過ごされますように――。
丁寧に丁寧に、セラの言葉に実直に。
ライオネルのことだけを想って一針一針に想いを込めた。
ようやく完成した刺繍を、お部屋にいる侍女皆が喜んで褒めてくれた。
なんだか、面映ゆい。
夕餉の際に、ライオネルに今日の出来事を話す。
刺繍をライオネルの事だけを想って刺したけど、ライオネルが喜んでくれるかは、分からなかった。
ミレイユは、寝室の長椅子に座るライオネルの隣に座ると、迷いながらも刺繍入りのハンカチを渡した。
反応が怖い⋯。
ライオネルを見ずにいると、そっと抱きしめられた。
「⋯⋯すごく、嬉しい。ありがとう。大切にする」
と、頭上に柔らかいものがあたる。
きっとライオネルの唇だ。
そっと、ライオネルを見ると、すごく幸せそうに微笑んでいた。
セラや侍女たちの言うとおりだった。
ライオネルを抱きしめ返した。
セラとは違う、がっしりとした広い背中。
腕なんて回らない。
でも、とても安心する。いつの間にか大好きな温もりになっていた。
「ライオネル様、私の方こそありがとうございます。大好きです」
と言って、素早くライオネルの唇を盗むと、ぎゅっと胸に抱きついた。




