白金の少女と、辺境の獣
『お母様っ! まだ、逝かないでくださいませ⋯っ!お母様⋯目を開けてくださいませ⋯ッ!おかあさま、おかあさま⋯
うっ⋯うぅ⋯うああああ──⋯やだぁ⋯なんで⋯やだ⋯やだぁ⋯
お⋯かあさまぁ⋯うぁ⋯ああ⋯っ⋯』
少女は、泣いた。
傍らには、寝台で眠る痩せた女性。
少女の母である。
少女の母は、娘を残し、今しがた息を引き取ったばかりだ。
元々、身体が弱く、心もまた繊細な人だった。
誰かに守ってもらわねば、生きられない女性だった。
母を守る父は、ここには、いない。
投獄されたのだ。
父は、城に仕える魔導師だった。
魔法に魅入られ禁忌に触れてしまった。
王は、逆鱗。
家は取り潰し。
屋敷ではない、古ぼけた建物。
粗末な寝具に、薄手の粗末な服。
元々身体が弱かった母は、みるみるやせ細り、今こうして死んだ。死んだのだ。
そんな、母は、死ぬ前にこう言った。
『お父様を、恨まないであげてね。あの人は、魔法が好きだったの。ただ、魔法に魅了されただけなのよ⋯。』
(どうして、お母様。お父様のせいでお母様は、余計な苦労をしなくちゃいけなくなったのに、お父様のせいなのに⋯)
母の死からしばらくして、今度は父が亡くなった。
母の死に、ショックを受けてのことだったそうだ。
(お母様に死なれてほしくなかったのなら、最初から、禁忌になんか触れなきゃ良かったのよ⋯)
優しい母、大好きだった。
いつも静かに微笑んでる人だった。
母がいればそれで良かった。
私の頭を撫で微笑んでくれる母。
能無しと言われるこの白金の髪の色を、綺麗な色だ、といつも褒めてくれた。
母の手が大好きだった。
笑った顔も大好きだった。
父の横で、微笑む母が一番好きだった。
でも、もうこの世に母は、いない。
父も、いない。
(私ひとり⋯。どうして、どうして、二人は、逝ってしまったの⋯?私を置いて⋯。置いていかれたくなかった⋯っ!)
少女は、死ぬことを選んだ。
辺境の地、シュトラール辺境伯領。
ここには、領地外の人々が恐れる、領主がいる。
鍛え抜かれた体躯に、闇のような漆黒の髪、赤い瞳。
まるで魔物のようだ、と人は言う。
その男の名前は、ライオネル・ヴァルト・シュトラール。
実際彼は、魔物を蹴散らし、振るう剣は悪鬼の如し。
魔物の血が入っていると噂されるほどの強さを持つその彼が── そんな男が、花嫁を迎える。
『魔物の血が入っていようが、国を守ってくれるなら問題なし。そなたは、早く嫁をもらって子を作れ。お前のような跡取りをもうけて、ワシを安心させろ。』
無神経な王は無神経な言葉で、辺境伯に嫁を準備した。
事前調査によると、金遣いの荒い母子が家を潰すほどに贅沢をした結果、伯爵である旦那が、城に眠る禁術に手を出して投獄。
家は、取り潰しという。なんとも爆弾を抱えてそうな娘を王は、あてがってきたようだ。
なんでも、辺境伯の元に嫁ぎたがる貴族の娘がいなかったそうで、辺境伯の能力が遺伝しやすいような、能力が弱くて、子を産めそうな若い女は、その子だけと言う。
ライオネルは調査書を乱暴に放り、ふぅ、とため息をついた。思案げな表情で天井を仰ぎ見る。
本日、その曰く付きの少女が到着する予定の日である。
家令には、よく言いつけてある。
周りの使用人たちも、要警戒をし、報告を随時するように言いつけてある。
(まぁ、真実かどうかは、この目で確かめてみないとな。)
窓の外は、夏の青空が広がっていた。
太陽が照りつける中、一台の馬車が到着した。
使用人たちは、館内の入口で息を潜めて控えている。
ライオネルは、玄関前で数人の従者を伴いながらも、馬車から降りてくる花嫁の姿をただ静かに見つめていた。
妻を迎え入れようが、エスコートする気は、さらさら無い。
調査書の印象とは違い、腰をかがめ降り立つ姿は、年嵩の女性が好むような、地味にひっつめた髪がやけに印象的だった。
髪色は、たしかに、調査書のとおり、能力が低い証の白金色。
しかし、瞳は――。
思わず息を呑む。
一色ではない、なんとも不思議な色合いに、目を奪われた。
顔立ちは、たしかに贅沢を好みそうな、派手な造りだった。
気が強そうな大きなつり目は、猫を思わせる。
猫のような少女は、警戒を滲ませるような表情で、恭しくお辞儀をすると、
「お初にお目にかかります。
ミレイユ・アーデンハイドと申します。
不束者ですが、旦那様の子が授かりますように精一杯務めます。」
⋯どうやら、常識もあまり知らないようだ。
ライオネルは、軽く咳払いをすると、
「そのような発言は、昼間っから口に出すことではない。」
と、言い、『皆に紹介する。』と、ミレイユに背を向けた。
従者が扉を開くと、入口にズラリと、並ぶ使用人にミレイユは、少なからず、驚いた。
「今日から、私の妻となる、ミレイユ・アーデンハイドだ。
ミレイユ、皆に挨拶を。」
ライオネルに、促されてミレイユは、一歩前へと出る。
「ミレイユ・アーデンハイドと申します。
不束者ですが、皆様、末永くよろしくお願い申し上げます。」
目下の者に挨拶するには、少々へりくだってはいるが、高圧的な態度と自分に言った往来の発言には、少々気恥ずかしい言葉が出なかったことに、ライオネルは、ホッとする。
ホッとした溜息が聞こえたのか、ミレイユが不思議そうに、ライオネルを仰いだ。
ミレイユの視線を感じたライオネルは、
「そういえば、私も挨拶がまだだったな。
ライオネル・ヴァルト・シュトラールだ。
ここでは、辺境伯を務めている。ミレイユ、君を歓迎する。」
そう言うと、ミレイユは、儚げに微笑んだ。
ミレイユの案内は、家令に任せてライオネルは執務室へと戻った。
机に放り投げた調査書に、もう一度目を通す。
贅を凝らした服ではなかった。
贅沢に溺れた身体つきでもなかった。
華美を最小限に抑えた地味な服装。
痩せて筋だらけの腕と首。
頬も痩けていたような。
調書に記された年齢の少女にしては、発育の遅い身長も気になった。
(この調査書は、どこの筋から得た情報だろうか。)
ライオネルは、使用人の報告次第で、もう一度、調べ直すことに決めた。
家令に案内され、部屋に到着したミレイユは、驚いた。
とても広くて、可愛らしくて、綺麗な部屋だったからだ。
ベージュを、下地にした小花柄の壁の模様、しつらえた家具も若い女性が好みそうな、柔らかな印象を与える意匠で統一されている。
「ここ⋯私が使ってもよろしいのでしょうか⋯。」
遠慮がちに、ミレイユは家令に問うた。
家令は、ミレイユに微笑みながら
「勿論でございますよ。皆、奥様のご到着を心よりお待ちしておりました。もし、気に入らない点などございましたら、遠慮なくお申し付けください。侍女も後程参ります。
長旅でお疲れでしょうから、それまでごゆっくりお寛ぎくださいませ。」
と、言うと、家令は静かに礼をして、そっと出ていった。
部屋から出ていった家令は、後から荷物が来るだろうと思っていたのだが、その様子が無いことを気にしていた。
てっきり前日か当日に着くだろうと思っていたからだ。
いくら没落した貴族でもそこそこの衣装は持っているはずだ、と。ましてや、よくない噂のある令嬢。
しかし、領内にやってきたのは、見た目とは裏腹に遠慮がちな少女だった。
とりあえず、家令は荷物が届いていないか、玄関へと急ぐのだった。