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灯影怪談  作者: みくも
二、変事。
6/6

二ノ二

 そこへ、松野が戻る。

「警部殿」

 難しい顔で、居間に入りもせず入り口から都祁を呼ぶ。部下に呼ばれ、上司が足を運ぶのは妙な気がする。だがどうやら、内密の報告があったらしい。巡査は警部の耳元で、ヒソヒソと囁く様に何かを伝えた。

 都祁は小さく頷き、室内を振り返る。

「斉庵先生、少々宜しいか」

 これは拒否を前提としない問い掛けだった。さっと立ち上がった斉庵を伴い、都祁は一階の食堂側、階段の左下に位置する廊下の戸を開けた。その奥に、使用人のための部屋があるのだ。

 行ってしまった都祁の代りに、松野が残る。すると、それまですっかり大人しくしていた井葉が「ちょいと!」と突っ掛かる様な声を上げた。

「何をこそこそしておいでなのさ」

「その様なつもりはない」

「へーェ、そうかい」

 眉一つ動かさない松野に、井葉は赤い唇を引き攣れた様に歪めた。

「まァた人が死んだんでしょうに。アタシらに教えないってのは、一体どんな道理ですかねェ?」

 俺達はシンと息を詰め、井葉を見た。

 一同は真四角の居間にぐるりと円を作る形で、壁に背を向けて腰掛けていた。その眼が全て、僧形の女を捉えていたのだ。

 井葉自身、それ程の事を言ったつもりはなかったのだろう。そうやっていっぺんに見られて、逆にどぎまぎと驚いている様に見えた。

 しかし、冗談じゃない。

 この女の言葉通り、また死んだのに違いない。この場の誰もがそれを承知していたくせに、思うのと言葉にするではこんなに違う。

 何て重い。

 一晩に、二人の人間が死んだのだ。

「そりゃ、道理かも知れんなぁ」

 ボソリと、口を開いたのは大内。

 言った傍からあくびして、目尻に涙を滲ませている。こんな時に、よくもまあ。

 余計な口を挟む男がいやに静かだと思ったら、この人は今の今まで居眠りをしていたのだ。まだ目覚め切らぬものと見えて、もう一つ気だるげな息を「ふぁ」と吐いた。

 その大内を、女祈祷師がキッと睨む。

「何だって? どこに道理があるってのさ」

「ん、あぁ。違う、違う。道理なのはアンタの方さ」

 大内は鷹揚そうにひらひらと手を振り、松野の方へ顔を向ける。

「黙ってられちゃ、こっちだって不愉快だ。こんな間近で人が死んで、理由が解らないじゃ穏やかでない」

 巡査に向けて言った顔を、制帽の下からチラリと見やる。松野はどこか、ヒヤリとするものを感じさせる声で応えた。

「理由? 死因がお知りになりたいのか」

 そしてこちらは本当に、冷たく鋭利な表情を浮かべる。

「いいでしょう。ただし、自分は医者ではない。今から口にするのは全て私見と、ご承知頂けるのであれば」

「心得ました」

 応じたのは秋良。

 これには、驚いた。秋良は昨日、初見した時と少しも印象が変わっておらず、どこか泰然と見えていたからだ。けれども今、どうやらそうとも言えないらしいと思い直す。

 表面には見えないが、彼だって同じなのだ。例えわずかでも、事実を掴みたい。松野を促したのは、その焦りの表れではないか。

 視線を受けて、松野は一度固く瞼を閉じた。その刹那と呼ぶべき束の間に、ふと微かな苦悩を嗅いだ気がする。

「見た限り、溺死。女中は眠りながらに、水に溺れたのです」

 告げられて、誰も口を利かなかった。

 ザァザァと。

 もう夜は明けたと言うのに、窓外では、いまだ黒い雲が空気を薄暗く染めていた。そして飽きる事なく、激しい雨を降らせている。

 一晩中、そうだった。

 けれども、溺死?

 家の中で、眠ったまま?

 そんな死に方が、果たしてあり得るのだろうか。俺は問う。

「根拠はいかに」

「私見である。仏を眼にして、他に言葉がない」

「仮に、窒息と言い替える事は?」

 ミツは「起きたら隣で息をしてなくて」驚いたのだ。また松野も、「眠りながら」と限った。つまりエイは、布団の中で亡くなっていたのではないか。

 どの様な状況であったのか、現場を見てみなければ厳密には解らない。だが例えば、誰かが頚を絞めて息の根を止めただとか。物騒だがそっちの方が話ははるかに簡単で、ありそうな話だと受け止められるのだ。

 けれども松野は、ただ首を横に振った。

 人を溺死させるには、桶一杯の水で充分。それくらいは俺も承知だ。だがその死因を成立させるには、何者かの殺意が必要になる。

 この場合、その殺意と言うのが曲者だ。

 もし俺に殺したい程の誰かがいても、こんな真似は絶対にしない。意味がないと思うからだ。

 俺が溺死と見せて殺そうとするなら、川か海。池でもいい、とにかく水の中に骸を捨てる。巧くすれば、事故として片付いてしまうかも知れないからだ。

 だが事故死、または自然死を装うつもりがあるのなら、布団の中に寝かせて置く事だけはしない。今まさに俺がそうである様に、何者かの作為を疑わずにいられないからだ。

 それだけに、解らない。刃物や紐の類であれば持ち運ぶのも容易いが、水と言うのは思いの他に扱い難い凶器ではないだろうか。殺人が明らかになって構わないのであれば、溺死にする必要がどこにある。

 皆が黙り込んで、それぞれが物思いに耽っているふうだった。その中、秋良がふと立ち上がる。彼の眼は玄関に繋がる入り口へ。

 ああ、都祁が戻ったのか。察してそちらに目をやると、人影が二つ。居間に入ろうとするところへ、視線が集まる。

 都祁は室内の人々をぐるりと見回し、一言零した。

「……お待たせしてしまった様ですな」

 そうしてあとに続く老医師と、意味ありげに眼を交した。

「女中は?」

 不躾に問う大内に、都祁が答える。

「やはり、亡くなっておりました」

「溺れ死んだと聞きましたが」

 秋良の問いに、俺はギクリとした。

 一瞬のち、「ほう?」と視線をずらす都祁に釣られて俺達も松野に眼を向ける。他の誰も巡査の立場を案じる義理はないが、これは拙くはないだろうか。上司にお伺いも立てず、一存で機密事項を漏洩した。

 警部は部下を見、難しい顔をする。

「さて、困りましたな」

「お困りになる事はありません。ただ事実を、お聞かせ下されば良いのです」

「事実……と言うのも、中々に定義の難しい話ではありませんかな」

「やはり、溺死なのですか!」

 俺は堪らず、都祁と秋良の会話に割って入った。

 もしかしたら、松野の語弊かとも考えていた。「溺死」とは言葉のあやで、ただまるでその様な死体なのではと。

 しかし今、都祁の様子に確信した。

 きっと紛れない事実なのだ。そうでなくて、一体どこに言葉を濁す理由がある。

 すっかり色めき立った俺に向け、都祁は抑えた声でピシリと打った。

「言葉を控えよ」

「しかし、そうなのですね」

 溺死は溺死。だが、経緯が見えない。だから口籠ってしまうのだ。現状で何が明らかなのかすら、解らない。

 現場を見たい。

 何が不可解なのか、この眼で確かめたい。心底思った。けれども、駄目だ。都祁が提案でもしない限り、これは許されない。歯痒さに唇を噛む。

「そう言う、事になる」

 ボソリとした呟きで、我に返った。

 都祁は四十を一つか二つ越した男だ。年月による苦労と偏屈さに、顔には深い皺が刻まれている。厳しく、慎重な人だ。それだけに、自らの言動には重く責任を持つ。

 そんな人物が、俺ごとき若造に指摘される様な矛盾を、そのまま信じるなんてあり得ない。

 だが都祁が本当に凄いのは、若輩の意見でも筋が通っていれば認めると言う事だ。

「仕方がない」

 都祁は俺を見ながら言った。

「正直に言う事としよう。実際のところ、女中は溺死したものと思われる。しかしながら室内に水気はなく、窓もない。水死させた後に遺骸を運び入れたと断定するにも、そうでないと断定するにも証拠が足りぬ。が、当の女中は布団の中に眠る様に横たわっており、寝具にも寝間着にも乱れはない」

 そして、俺が頭の中で至ったのと殆ど同様の不可解さに行き当たった。すっかり惑わされ、いまだ誰にも出口が見えない。

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