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灯影怪談  作者: みくも
二、変事。
5/6

二ノ一

 この夜に、眠りに就く事が出来た者は少なかった。

 全くいなかった訳ではない。

 炯乎は自室で眠っていると秋良は言ったし、騒ぎを察して起き出して来た者の他は、使用人を起こす事もしなかった。

 けれども流石に殆どの人間はぱっちりと眼を冴えさせて、「まさか!」と言う思いを抱えて朝を待った。

 居間に揃った客達を、松野が見張る。

 客達は不安のため、あくまで自主的に居間に集まっていた。だがそうでなければ、都祁が一ヵ所に集めていたかも知れない。

 これは両面的な意味を持つ。

 一同を保護する事と、犯人を逃がさない事と。

 犯人の、存在する可能性があった。

 殺人の可能性が。

 何故か?

 俺達を松野に監視させ、一方で都祁は斉庵を立ち合わせて死体の検分を行った。その上で生じた疑惑。

 冷たく硬くなる平五郎の体は、戸口から奥向きにやや長方形の洋室の中、入り口に近い場所で倒れていた。戸口に頭を向けた、うつ伏せの格好で。片手を頭の上に伸ばし、助けを求めんとするふうに。

 足の向く先には小型の卓と、揃いの椅子。一脚しかないそれは、平五郎が引き倒したか、卓の傍に倒れていた。その椅子。布を張った背凭れの下に、硝子の破片が散らばっていたと言う。

 硝子は卓上の水差しに、蓋を兼ねて被せてあった茶碗が砕けた物らしい。しかし水差し本体は一向無事で、卓にトンと載っている。

 破片は椅子の下にしか見付からず、椅子を倒すより前に茶碗だけが割れた事になる。ならば茶碗に注いだ何かを口にして、体に深刻な変調をきたしたものではないだろうか。

 少なくとも俺は、それを聞いて毒殺の二文字を思い浮かべた。

 勿論、元気に見えたとは言え、平五郎も年だった。水を飲んでて偶然ぽっくり逝ったと言う事も、ないではない。

 都祁も、水差しに残った液体は色、においともに水と思しきそれであったと言っている。

 無味無臭、無色透明である毒薬に生憎と俺は心当たりがないが、もしも存在するとして、件の水差しに毒の混入がありやなしやを確かめる、安全な術がここにはない。

 毒殺についての追求は、保留となった。

 だから夜明けを、居間に集まった人々は黙りこくったまま、一睡もせず迎えた。

 秋良、大内、磯村、斉庵、井葉、裕洞、津和蕗、俺。そして都祁と松野。それから、使用人は女中と下男が一人ずつ同席した。

 使用人は全部で四人と、最初に秋良が言っていた。その内に男は下男の正富(まさとみ)だけで、後は女中のスミ、ミツ、エイとなる。今ここにいるのはスミだそうだ。

 ――何故、都祁は家人を残らず全部起こして、居間に集めなかったのだろう。

 確かに若年でしかも病の令嬢と、女中を二人ばかり自由にさせて置いた所でどうと言う事もない様に思える。だが、やはり警察の考えだ。犯人を逃がすまいと、そちらにばかり気を取られたのではないか。

「あのぅ……」

 誰の声かと顔を向けると、居間の入り口に女がいた。寝間着だ。昨日は芥子色の着物を着て、世話を焼いてくれたミツだった。

「あのぅ」

 ミツは寝惚けた様な口振りで、もう一度、誰にともなく声を掛けた。

 秋良が眉をひそめる。

 当然だ。女中がだらしない寝間着の姿で主や客の前に出るなんて、あり得ない。スミだって夜中に慌てながらも、ちゃんと小豆色の着物に着替えて出て来ていた。

 これは拙いと磯村が、慌ててミツに駆け寄った。流石にもう羽織袴の格好ではなく、今は灰色の背広に着替えている。昨夜、平五郎の部屋に駆け付けた時にはもうこの姿だったから、どうやらこちらが平素に好む服装らしい。

 気遣わしげな磯村が、寝間着の女中に問う。

「どうしました。そんな格好で」

「はあ、あの……驚いてしまって」

「何です?」

「起きたら、息をしてなくて」

 おっとりと言って、頬に手をやる。若い女中は伏せた眼を横にずらして、今し方目にしたそれを思い出しているかに見えた。

「隣で、エイちゃんが……」

「松野!」

 事態を察した都祁の怒声に、巡査は即座に部屋を飛び出す。

 部下を走らせたその口で、更に言い渡す。今度は部屋に残った者達に。

「皆様はここから動かぬ様に」

 言われるまでもなく、動こうとしても動けなかった。

 何故。――俺の頭の中には、それだけが浮かんでいた。

 けれども、……ああ、きっと。最も悔やむのは、都祁に違いない。

 磯村は蒼白になりながら、ミツを座らせ、寝間着の肩に自分の上着を掛けてやった。

 その傍にはスミが立ち、色々と声を掛ける。だが自失状態にでもあるのか、何ともぼんやりとミツの反応は鈍かった。

「スミさん」

 俺は少し離れた場所から呼んで、手招きした。自分の腰掛けた長椅子の、すぐ隣をポンポンと叩いて示す。

 やってから気が付いたが、これは昨日、津和蕗が俺にしたのと同じ事だった。あの時は、こんな事になるとは露程も思っていなかったけれども。

 当の津和蕗は別の椅子に腰掛けて、何を始めたのかと推し測る様に、何げないふうでこちらを見ている。

 スミは俺の近くまで来ると足を止め、立ったままで言う。

「ご用でございますか」

「うん」

 隣に座ろうとしないのは、主人の眼があると言う事だろうか。

 チラリと窺うと、互いに近い椅子に座った秋良と都祁が、二人揃って不審そうな顔でこちらを睨んでいる。これはちょっと、考えなくてはならない。

 俺は少し悩んで、思い浮かぶ限り最も曖昧に聞こえる言い方を選ぶ。

「こんな事を言うと、困らせるかな」

 そして注意深く、女中の様子に神経を凝らした。

 これは一種、探りを入れるための言葉だった。

 この場でするには困る話が、あなたにはあるかな、と俺は訊いたのだ。

 返事は応。スミはピクリと、何とも嫌そうな顔を垣間見せたした。

 ふーん。あるのか。

 それじゃあ、と俺は素知らぬ顔で、くるりと話題の方向を変える。

「こんな時に、所帯染みた話で申し訳ないんですがね。台所やなんかは、大丈夫なのかと思って」

「台所……でございますか」

「そうです。台所。ミツさんは少し休ませてやらないと酷だろうし、でも客も多いしね。食べない訳にも行きません。一人では、大変ではないですか」

「まあ……っ」

 俺が心配そうに言葉を切ると、スミは感激でもした面持ちで口元を押さえた。

 何と気の付く男だろうと、思っているのに違いない。勿論、誤解だ。台所を手伝えば、主人の眼の届かない所で幾らでも話が出来る。そう言う算段があった。

 俺はここぞとばかりに、べらべらと畳み掛ける。

「昔、男所帯の道場で世話になっていた事があってね。仕方なく、賄い方もやらされたんです。余り役には立たないかも知れないけれど、少しは手伝えると思うんだよ」

「ありがとう存じます。ですけれど、正富もおりますし。お客様にその様な……」

「ああ! 待って」

 女中が深々と頭を下げて断ろうとするのを、俺は内心慌てて遮った。断られては困るのだ。

「それ、違いますよね」

 苦し紛れに言いながら、秋良を見た。

 彼は、いかにも訝しげに応じる。

「違うと申されますと?」

「ええと、だから、もうお客とは言えませんよね。昨日、そう仰った。変事の折には、尽力せよと」

「……申しましたね」

「残念ながらこうなった以上は、もう客分として頂く訳には行きません」

 我ながら、詭弁としか思えない理屈だった。とても納得したとは思えなかったが、「では、ご自由に」と、秋良は疲れた様に嘆息した。

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