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灯影怪談  作者: みくも
一、発端。
2/6

一ノ二

 ――さて、事の始まりである。

 全て、と言うのは難しい。だが少なくとも、俺がこの日に城之森家を訪れた因果はここにある。

 五日程前、ある新聞広告が小さく打たれた。

「豪胆無比、勇猛ノ徒求ム。霊験ノ者、武芸至人歓迎。謝礼即納、功ニ応ズ」

 以上が全文。

 この風変わりで怪しげな求人に、名乗りを上げた者は一体どれくらいいただろう。

 結果として井葉、裕洞の様な人間も紛れ込んでいたのだし。人材に信頼と信憑性を求めるなら、余り巧い手ではなかっただろう。

 ……いや、それとも、もっと以前。もっと重要な人選から、誤りがあったか。

 紙面を見る限り、広告主は匿名だった。このため求人に応募するには、まず新聞社に連絡を取らなければならなかった。

 実際に俺がそうすると、担当者は俺に広告主の指定する代理人を紹介した。どうやらその代理人、平五郎と言う老爺の面接を経て採用の可否が決まると言う事らしかった。

 そうして俺が新聞社から紹介された代理人を訪ねたのは、今日も今日。城之森家の瀟洒な居間で、他の人々と顔を合わせる数時間前の話でしかない。

 代理人とやらが住まうのは、ごめんよと一声掛けて戸を引けばもう何もかもが丸見えの一間しかない貧乏長屋。当の本人はと言うと、草履を足に結わおうと手前の土間に屈み込み、頚だけひねって「あいよ」と気の抜けそうな返事をするのがそれだった。

 俺は意表を突かれ、うっと怯む。

 こっちを見上げる平五郎老の、髷に結った髪の大半は灰色で、よぼよぼと痩せ、着ている着物はどこか垢染みて粗末だった。

 正直なところ、代理人などと言う大層な肩書きにはそぐわない。そして実際、話してみれば実直と言うか、愚直と言うか。人の話を一から十まで丸々信じ、疑わない。憎めない人ではあったが、今回の役目には極めて不向きな人物でもあった。

 あんな怪しげな広告に応募して来る胡散臭い人間の善し悪しを、見極めなくてはならないのだ。疑う事を知らなくて、それが務まる訳がない。

 だからもしかするとこの老爺、応募のあった人間は全部通してしまったのではないだろうかと疑念が湧く。

 しかも訪ねた時に代理人は余っ程急いでいたらしく、俺が求職に来たと知ると困り果てた顔を見せた。聞けば、これから依頼主の所へ参じる事になっているのだそうだ。

「これが仕事納めでね。お前さん、今すぐ付いて来られないなら、もうそこへ行ける時はないよ」

 と、早口に捲し立てた挙句、本当にそのまま俺を放ったからしてさっさと歩き出してしまったのだ。

 これでは、可否も何もありやしない。

 事の運びが余りにも性急で、俺は着の身着のまま着流しに草履を突っ掛けた、普段と変らない出で立ちで平五郎老のあとからてくてく付いて歩く事になった。

 その存外しっかりした足取りの道すがら、訊けば今朝急に依頼主から使いがあったのだそうだ。

 今日を限りに求人はいいから、遅くとも夕刻よりも前に屋敷へ足を運ぶ様にと。そんな指示があったから急いでいたのだと納得し掛けたが、それにしたってまだ陽は高い。どこまで行くつもりなのだろう。

 行けども行けども立ち止まらずに、やっと足を緩めて「ああ、見えた見えた」と声を聞いたのは、本当に夕刻近い事だった。

 やれやれと顔を上げれば、東亰とは名ばかり。山裾近い最果ての荒地だ。

 ――のちに、明治維新と呼び換えられた。

 その動乱がようよう迎えた終結を以って「御一新」とされたのはもう十年も昔の事。

 俺はやっと十二の子供だったが、あの虚脱感を今も忘れてはいなかった。

 国が変わると言う事。変貌すると言う事。

 足の下にある地面の様に、信じて疑わなかったものがふっつりと消えてなくなる。

 あらゆるものが、是非もなく。

 この転機に、文字通り一新された最たるものが江戸である。明治の年号と頃を同じく、江戸は東亰。いつの間にかに帝都と冠した。

 その地にあって、その最果て。

 城之森の館へ続く道の脇は荒涼と、雑草が好き放題に根を張っている。その中に時折ひょろりひょろりと生えた木々が、軟弱な枝を天に伸ばしているのが見られた。それも尽きると地面はゆるりと隆起を始め、ふらふらと高低しながらどこを境とも知れないままに深い山々へと連なってしまう。

 この土地には、何もない。

 だからそれは、幻の如く。

 山肌の木々は吹き荒ぶ強風に枝葉を鳴らし、ザブンザブンと波濤の様に激しくうねる。いつの間にか、妖雲とでも呼ぶに相応しそうな気味悪く重たい雲が、天を黒く覆って垂れ籠めていた。

 俺達は空を仰いでは足を速め、時折確かめる様に行く先を見た。

 その印象を、何と言おう。

 雨雲の落とした薄闇の中に、ふっと沈んでしまうかに見えた。どこか仄暗いその姿は、うら寂しさを漂わせるかの様だ。

 ――ああ、やはり、何とも言えない。

 とにかくそこに城之森家、白亜の洋館は存在していた。

 歩いて、歩いて。平五郎老と俺は、何とかやっと目的の館へと辿り着いた。

 しかしその時には二人とも、頭の天辺から足の先までずぶ濡れになってしまっていた。これではまるで、濡れ鼠だ。

「やれやれ、やっとだ」

 そう言って、門前で安堵の息を吐いたのはついさっきの事。けれどのその途端、肩先にポタリと雨粒が落ちた。

 遂に来たかと、空を確かめる余裕もない。

 突然ザンザンと刺す程に痛い大粒の雨が降り注ぎ、俺達はほうほうのていで館の中に転がり込んだ。

 激しい雨音が中まで響いてはいたけれども、館の中は嘘の様に明るく、穏やかだった。

 玄関広間の大きなランプには灯が入り、ほっとする色をそこら中に落としている。だがその明々とした中で見る、べったりと濡れて黒ずんだ着物と、それを体に貼り付かせた自分達。このあり様と来たら、情けないと言う他にない。

「参った」

 図らずも声を揃えて呟いて、俺達は同じ調子で嘆息した。

 門前までは来ていたのだ。だからそう長く、雨に打たれてはいない筈。なのに着物の端からは、次々に水が滴り続ける。見る間に俺達の足元には水溜まりが出来てしまって、磨き込まれた板張りにどんどんと水が広がった。

「おやまぁ、平五郎さん」

「あ、こりゃあどうも。お恥ずかしい」

「いやいや、これは大変だな。待っていて下さい。人を呼んで来ましょう」

 急に始まった立ち話に、驚いて眼を上げる。と、いつの間にやらすぐ傍に、洋装のすんなり似合った男の姿。

 どうもやたらと結構な身なりで、育ちのよさそうな人に見えた。だからこそ驚いてしまったのだが、元々、そう言った事に頓着しない性分なのだろう。慌てて止める平五郎を置き去りに、ふいっといなくなって本当に女中を連れて戻って来た。

 小豆色の着物の女中は俺達を一目見るなり「あらまあ」と声を上げ、くるりと踵を返して姿を消す。雑巾でも探しに行ったか。

 その場には三人。濡れ鼠が二人と、乾いた男が一人残された。

 この男が、津和蕗だった。

 客分の津和蕗に女中を呼びに行かせてしまった事を平五郎はしきりに謝ったが、本人は何を謝られているのか解っていない様に見えた。

 津和蕗が首を傾げて、沈黙が落ちる。そうなると、屋根までの吹き抜きに造作された玄関広間の上方から、雨音が細かに空気を揺らすのを感じた。

「平五郎さんと一緒と言う事は、あなたも新聞を見ていらしたんでしょうね」

 三人揃ってわずかばかり雨音に気を取られた後、その中でも耳に届く様に少し大きな声で津和蕗が言った。

 いまだ自分の体からポタポタと水が垂れている俺は、出来るだけ身動きするまいと注意しつつ口を開いた。

「ええ、そうですが。平五郎じいさんをご存知とは、まさかそちらも?」

「はい」

 彼は何とも端正な顔で、にっこりと笑った。その笑顔と肯定に、少なからず驚かされる。

 わざわざ「まさか」と言ったのは、どうもこの人があの怪しげな新聞広告に応募する理由が全く以って見えないからだ。

 俺は改めて津和蕗の姿をまじまじと確かめる。年は俺と同じくらいだろうか。だとすれば、二十二の前か後と言う事になる。けれども俺は、とってもこんなふうには笑えない。

 少々長く、不思議にうねる断髪も、その身を包む三つ揃えの背広も、同じに甘い胡桃色。立ち居振る舞いも柔らかで、これはどうも、良家の子弟にありがちな退屈凌ぎの酔狂かも知れない。

「旦那。こちらは津和蕗様と仰って、アタシがご案内したんですよ」

 色々と想像を逞しくする俺の横腹を突っついて、どこか自慢げに平五郎が胸を張った。けれども驚いたは、違う所だ。

「え、こちらまで?」

「はい。平五郎さんは、ご苦労なお役目なんですよ。応募があると、毎度毎度こうして送っていらっしゃる」

「ええ、ええ。ですけども咲田の旦那を含めて、お三組しかご案内してませんので」

「はあ、そりゃあ難儀だ」

 俺は散切りの前髪が自分の額に貼り付くのを、後ろへ撫で付けながらに嘆息した。

 今来た道を、もう既に二往復半!

 考えただけでうんざりじゃないか。

「年寄りには、酷な仕事だったんじゃないですかねえ」

「何、まだまだ!」

 俺の叩いた軽口に、平五郎老が鼻息荒く胸を叩く。

 津和蕗はそれを見て、「仲がいいな」と面白そうに笑っていた。

 その後ずぶ濡れの二人は、戻った女中に伴われ、用意された部屋へと通される事になった。着替えをしていいとの事だが、当然、手ぶらの俺は着物も借りる事になる。

 申し訳ない、などと話していると、女中とのやり取りを聞いた津和蕗が少々妙な顔をした。

「何です?」

「やぁ、驚いて」

「そんなに驚く事ですかね」

「何もお持ちじゃないから」

「はあ。まさか、こんな目に遭うとは思わずにいたもんで」

「いや、えぇと。そんな意味では」

 ちょっと悩む様に、津和蕗は頭を傾ける。

「こう言った場所柄ですから」

「はあ、そうですか」

「はい」

 津和蕗は俺の気のない相槌に、こっくりと生真面目そうに頷いた。

 何の事か俺にはさっぱり解らなかったが、けれどもいい加減、濡れたままは寒い。とにかく着物を替えたくて、話はそこそこにして別れてしまった。

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